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第5話 嵐

 結局、その晩もダン家の世話になる事となった。ナタはエレーナに抱かれながら、じっと村長の家の方を見つめていた。十字路まで来てエレーナが放すと、ナタはすたすたと元来た道を戻って行った。

 トンネルへは、行く事が出来なかった。天候が優れずともルエラは行こうとしたが、子供扱いするライサと兄妹に止められてしまったのだ。別段、急ぎの用という訳でもない。仕方なくルエラは今日の内に行くのは諦め、部屋でシモンやエレーナと大人しくしていた。


 ルエラは、ビューダネスや旅先の事を兄妹に話して聞かせた。村から出た事の無い二人にとって、ルエラの話はとても新鮮でわくわくする物だった。


「首都は魔法使いが多いって聞くけれど、本当?」

「ああ。軍属の魔法使いは、主要都市に割り振られる事が多いからな。特に秀でた者は、出世も早いし私軍や国軍の重要ポストに就く事もある」

「何人いるの?」

「下士官や兵卒にも零ではないだろうから、正確な数は分からないが……私が知る限り、私軍だけで二人はいるな」

「しぐんってなあに?」


 エレーナが、隣にいる自分の兄を見上げて尋ねる。

 シモンは困ったように頭を掻いた。


「僕も、いまいち……国軍より偉いらしいって事しか……」

「王家直属の軍だ。国軍も国王が統帥権を持ってはいるが、執政や防衛大臣を通している。

 市軍や町軍、村軍は各地方の軍部の名称だな。それらは、各区域の主要都市軍の下につき、主要都市の市軍は国軍の下につく。

 私軍が上のように見られるのは、王族が直接統治しているからだろう。要するに、執政や防衛大臣の指示は受けない訳だからな。国軍より部隊の数が遥かに少ないから、私軍の方が門も狭い」

「えっと……?」


 きょとんとしているエレーナの頭に手を乗せ、ルエラは優しく撫でる。


「つまり、王様達を守る兵隊さんって事だよ」

「それじゃ、本とかで王様達の周りに書かれているのは私軍?」

「ああ、ほとんどはな。街へ出る場合は、その街の市軍や町軍が警備を手伝うが」


 ふと、玄関の方から話し声が聞こえた。

 エレーナが立ち上がる。


「お父さんだ!」


 そう言って、部屋を出て行った。

 ルエラも立ち上がる。一言、挨拶をしておいた方が良いだろう。

 ルエラの後に続きながら、シモンは話す。


「リンって物知りだね。やっぱりいいなぁ、首都って。色んな事が分かるんだね」

「シモンは、将来村を出たいのか?」

「村を出たい、って訳じゃないけど……。でも、街には行きたいなあ。こんな小さな村じゃなくて、大きくて便利な町で生活してみたい。お城も一回ぐらい、見てみたいな。

 あと、魔法使いにも会ってみたい。軍人さんにも、役人にも、町に住む人にも、色んな人に会ってみたい。この村は好きだけど、会える人なんて限られているからさ」


 シモンは、窓の外に目をやる。外は雨が吹き荒れ、窓を叩きつけていた。


「だから僕、エレーナと一緒によく村の境まで行くんだ。この先は村の外に続いているんだ。

 僕らの知らない色んな人が、この山の向こうにいるんだ。そう思うと、凄くどきどきするんだ」


 シモンは振り返り、肩を竦める。


「でも、村の外は陥没が多いから、境まで行くと怒られちゃうんだけどね」


 扉を出ると、丁度エレーナが入って来ようとしたところだった。どうやら、ルエラを呼びに戻って来たらしい。エレーナはルエラの手を引き、玄関を振り返る。


「お父さん! リンお兄ちゃん! 起きたの!」


 玄関には、一人の男性が立っていた。彼が、ライサの言っていたヤコブだろう。ライサから白いタオルを受け取り、雨に濡れた頭を拭いている。筋肉隆々とした、大きな男だった。


「お世話になっています」


 そう言って、ルエラは頭を下げる。

 ヤコブは大きな口を開けて笑った。笑い声も大きく豪快だ。


「良かった、良かった。特に大怪我は無かったんだな。この辺りは陥没や土砂崩れが置きやすいからな、気をつけろよ」

「あなたも気をつけてくださいね。坑道だって、いつ崩れるか分からないんだから」

「気をつけようも、崩れたらそれで一巻の終わりだからなぁ」


 ヤコブはそう言いながら、廊下を歩いてくる。


「そう言えば、えーっとリンって言ったか? お前さん、連れでもいたか?」

「いや、一人だが……」

「んじゃ、別に来た奴かな……。珍しいもんだな、滅多に来ない客人が、一度に二人も来るなんて」


 ルエラは目を見開き、ヤコブを凝視する。

 シモンが首を傾げて言った。


「お客さん? 僕達、今日村長さんの所に行ったけど、お客さんはリン以外来てないって言ってたよ」

「あれ、そうなのか? そんじゃ、見間違いかなぁ……。まあ、おかしいと思ったんだ。この大雨なのに、濡れてなかったからな」

「嫌だ、あなた。幽霊なんて言いださないでよ」


 眉を顰めるライサに、ヤコブは面白そうに言う。


「本当に幽霊だったりしてな。昔はこの村も、陥没が多かったんだろ? もしかしたら、その時におっちんだ奴が――」

「怖いのやだーっ!!」


 エレーナはシモンの後ろに隠れ、彼の背中にぎゅっとしがみ付く。拗ねた顔で睨まれ、ヤコブはやや慌てたようだった。


「悪ぃ、悪ぃ。大丈夫だ。例えお化けだって、パパがやっつけてやるさ」

「どこで見かけた?」


 尋ねたのは、ルエラだった。思いも寄らず真剣な表情に、ヤコブは目をパチクリさせる。


「どこって……ばっちゃんの家の近くだが……」

「マーシャ・セシナか? それは、どの辺りだ?」

「村長さんの家に行く途中、十字路でおばあちゃんと会ったろ。あの十字路を、こっちから向かって右手に曲がった先だよ。どうしたの、リン? 突然――」


 皆まで聞かず、ルエラは駆け出していた。ライサの制止に耳を貸す余地など無く、嵐の中へと飛び出す。


 降り頻る雨と強風で、視界は酷いものだった。切り裂くように冷たい雨が、ルエラの身体を強く打つ。

 急いでいるのに、思うように前へ進む事が出来ない。舗装されていない道は至る所に水溜りが出来、泥に足を取られる。


 『魔女の里』と言う噂。

 ルエラを襲った何者かの存在。

 若しかすると――


 マーシャと出会った十字路を、ルエラは危うく通り過ぎるところだった。過ぎかけた所で気付き、右へと曲がる。嵐の中で見る村は、昼間の様相とは違っていた。


 やがて、一件の家が見えてきた。ルエラは走る速度を落とし、門の所にある表札に顔を近づける。家からの幽かな明かりで、セシナと書いてあるのが見て取れた。


「リン!」


 豪雨の中、少年の声がした。コートを着たヤコブとシモンが、こちらへと走ってきていた。

 こちらまで来たシモンは、ルエラのコートを着せる。


「こんな天気なのに、何考えてるんだよ。寒いのに、コートも着ないで……。早く帰ろう」


 ヤコブは背後をきょろきょろと見回し目を凝らしていた。


「俺がそいつを見かけたのは、もう通り過ぎた所だ。もう、いなくなったみたいだな。そもそも、こんな天候だ。揺れた木か何かを、見間違えたのかもしれねぇ」

「……」


 ルエラはただ無言で、今来た道を見つめていた。



* * *



 ルエラ達は、元来た道を帰って行った。ルエラはすっと周りに意識を集中する。これ程の豪雨では、歩きにくい。

 雨を遮断しようとしたのだが、出来なかった。いつもと同じようにしているのに手応えは全く無く、雨が遮断される事も無い。

 ルエラは己の手の平を見つめる。


 ――調子が悪いのか……?


 再び、十字路まで戻って来た時だった。豪雨の中から、細身の男性が飛び出してきた。

 男は必死の形相をしていた。


「大変だ、ダン! 町外れで、土砂崩れが起こった!!

 村の出入り口を少し上った所だ! 村長が下敷きになってる!!」


 三人の顔色がさっと変わる。そして、駆け出した。

 ヤコブの後に続き、ルエラはかける。村の看板を通り過ぎしばらく行くと、雨の中に点々と明かりが見えてきた。人だかりだ。ランプを持った人々が、土砂を取り囲んでいた。

 ヤコブは、人垣を掻き分けて中へと進んで行く。ルエラとシモンも、その後に続いた。


「状況は?」


 土砂を運び出している男に、ヤコブは尋ねた。腕の逞しさから察するに、ヤコブの同僚だろうか。


「ああ、ダン。お前も手伝ってくれ。村長が下敷きになった。川の様子を見に行こうとしたらしい」


 土砂の周りは、ヤコブと同じような偉丈夫が取り囲み、村長を助け出そうとしていた。ヤコブは、その輪の中に加わる。

 ルエラは一歩、前に出る。


「危ないよ」


 そう言って制止した者がいたが、その手をルエラはやんわりと払った。


「そこを退け」


 静かに言い、ルエラは手をかざす。ふわりと、頂上部分の土砂が宙に浮いた。

 人々が固唾を呑む中、ルエラはそれを人のいない箇所へと下ろす。


「私も手伝おう。上の土砂を退ける。皆は、村長の位置を横から掘って捜してくれ」


 人々の間に、歓声が上がった。ルエラの魔法は、男達が掘る数倍もの土砂を取り除く事が出来る。

 格段に効率が良かった。これならば、間に合うかも知れない。


 水を吸った土砂は、とてつもなく重たかった。ルエラはそれを、何度も何度も繰り返し脇へと避ける。

 伸ばす腕が疲れてくる。だが、下げてしまってはいけない。持ち上げた土砂が、一度に落ちる事となってしまう。歯を食いしばり、土砂を持ち上げる。


 ふと、ルエラの腕の下に細い腕が加わった。シモンがルエラの横に立ち、ルエラの下に手を重ねていた。


「重そうだね。腕を下ろさなければ、いいの?」

「ああ……。私が伸ばしている直線上を、土砂は動く」

「それじゃ、僕も手伝うよ。下から支えがあれば、幾らか負担は減るだろ?」


 そう言って、シモンはにっこりと笑う。

 ルエラはフッと微笑んだ。


「ああ。ありがとう」


 一同は、黙々と作業を続ける。雨音だけが聴覚を支配する中、シモンがぽつりと呟いた。


「……あの時みたいだ」


 ルエラは、シモンを振り仰ぐ。


「前にもあったんだ、こんな事が。村を出た所で土砂と陥没が起こって、村長さんがそっちに行ったのを見た人がいてね。巻き込まれたんじゃないかって話になった。

 皆で土砂を掘り返して……でも結局、村長さんは見つからなかった。陥没に巻き込まれたんだろうって話になったんだけど……三日後、帰って来たんだ。皆の心配を他所に、元気な姿で。

 今回もそうだといいんだけど……」


「三日後だと……?」

「うん。皆、駄目だったんだと思ったよ。おばあちゃんなんて村長さんとは親しかったから、塞ぎこんで家から出て来なくなっちゃって……」

「彼は、三日間もどこで何を?」

「フロルド町まで行ってたらしいよ。別に、珍しくない。この町には何も無いし、山を越えて行くとなれば大抵は町で一泊するものだから。夜の山越えは危険だからね」


 ルエラは考え込む。三日もあれば、誰かが入れ替わる事も可能だろう。しかし、何のために?


「村長だ! 足が見えたぞ!!」


 土砂を掘り返していた男の一人が、そう叫んだ。


「坊主、こっちだ! この辺りだ!! 二メートルぐらい積もっている」

「了解した」


 うなずき、そちらへ手をかざす。そして土砂を持ち上げようとした、その時だった。

 突然の強い負荷が、ルエラの腕に掛かった。シモンも支えきれず、ルエラの腕は下がる。


「ど、どうしたのリン!?」

「く……っ」


 重い。ルエラとシモンは腕を挙げようとするが、一向に腕を挙げる事が出来ない。


「父さん!」


 シモンの声に、ヤコブが振り返る。


「手伝って! リンの腕を挙げるんだ!! 僕達だけじゃ、重くって――」

「分かった!」


 ヤコブはうなずき、こちらへと駆けてくる。

 不意に、ルエラは地面がわずかに動いたのを感じた。咄嗟に、土砂を持ち上げようとするのをやめる。右手でシモンの首根っこを掴み、背後へと投げる。左手は前へと突き出した。


 物体呪文によって男達が三メートルほど吹っ飛ぶのと、地面に大穴が開くのとが同時だった。


「……っ」


 轟音と共にぽっかりと足元に開いた、大きな穴。

 目の前にあった土砂は、一瞬にして消え失せていた。がくん、とルエラの身体が下がる。

 地上より下がり、ルエラは目を丸くする。あり得ない光景が、目の前にあった。


 落下する身体は、途中で上へと引っ張られ止った。見上げれば、シモンがルエラの腕を掴んでいる。


「待ってて、リン。今、引き上げ――」

「問題無い」


 ルエラは一言、そう言うと、空いている方の手を上にかざした。地面に落ちた雨が凍る。

 一瞬の後、凍らせた雨で出来た薄い板が地面からルエラの足元まで続いていた。ルエラはトンと足元の氷を蹴り、跳躍する。氷は割れ、穴の底へと落ちて行った。


 ルエラは、地上に降り立っていた。

 立ち上がり、ルエラは傍らに座り込むシモンに手を差し伸べる。


「ありがとう。お陰で、助かった」

「ううん。リンがいなかったら、父さん達皆も穴の下に落ちていたから……」


 見れば、作業をしていた男達は無事、全員助かったようだった。

 ルエラは、闇へと続く穴の底を見つめる。


 ――ただ一人、土砂に押し潰されたままこの底へと消えて行った老人以外は……。

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