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第20話 灰色の物語 VII

 ティアナンはただ黙々と、書類の作成を進めていた。眼鏡の奥の瞳に、生気は無い。

 手元にある書類は、全て、三日後に執り行われる公開処刑――オーフェリー・ラランドの断罪に関するものだった。


 結局、彼女に掛けられた疑惑を払拭する事はできなかった。燃え盛る室内に突如として太く長い蔓を持つ植物が現れるような科学的トリックなど考えられず、魔法でしか説明がつかなかった。

 オーフェリーは捕らえられ、牢に入れられた。己を捕縛に来た軍に対して彼女は何ら抵抗する素振りも見せず、ただ微笑んでいた。


 魔法が使える彼女にとって軍など恐れるに足らず、いつでも逃げられるという事だろうか。

 もしそうなら、どんなにか気が楽だろう。ティアナンが彼女を助ける事はできない。市民の安全ためにも、魔女は火刑に処さなければならない。

 しかし、もしそれが彼女の策略だったとしても、一度は将来を誓い合ったのだ。ティアナンは、今にも彼女を連れて逃げ出したい気持ちを必死に抑えていた。


「ティアナン中尉」


 名を呼ばれ、ティアナンはフッと顔を上げた。


「お客様ですよ。中尉、朝露の君とお知り合いだったんですね」

「朝露の……?」




 奥の小部屋で待っていたのは、ヴィルマだった。

 ヴィルマは出されたコーヒーにも手を付けず、硬い表情で座っていた。


「朝露の君なんて言うからどなたかと思ったら、あなただったのですね、ヴィルマさん」


 ティアナンは軽く会釈する。

 席に着く間もなく、ヴィルマは立ち上がり、ティアナンに詰め寄った。


「中尉! お願いです、オーフェリーを助けてください!」

「ヴィルマさん!?」

「オーフェリーは魔女じゃありません……! このままじゃ、オーフェリーが殺されてしまう……!」

「ヴィルマさん、落ち着いてください。ひとまず、座りましょう? お話を聞かせてください」


 ヴィルマを席に座らせ、ティアナンはその向かい側へと腰かける。


「オーフェリー・ラランドが魔女ではないというお話は、事件があったあの日、魔法以外の方法で蔓が現れるのをあなたは目撃したという事ですか? 何か思い出したと?」


 わずかな期待を抱き、問うたが、ヴィルマはうつむき、ゆっくりと首を左右に振った。


「ヴィルマさん。彼女がどうやって助かったのか説明がつかない限り、オーフェリー・ラランドは魔女だと判断せざるを得ません。そして魔女は、火刑に処さねばならないのです。人々の平和のためにも」

「……どうにかして、刑の決定を覆すことはできませんか。あの蔓を人の技で出現させる方法はありませんか。証言が必要だと言うならば、私が口裏を合わせます」

「ヴィルマさん、それは」


 ヴィルマは立ち上がる。そして、深々と頭を下げた。


「ティアナン中尉、お願いします! あなたにしか頼めないんです……!」

「ヴィルマさん……」


 ヴィルマの気持ちは、ティアナンにも痛いほど分かった。

 オーフェリーを死なせたくない。彼女を失いたくない。その気持ちは、ティアナンとて同じだ。

 ――しかし。


「申し訳ありませんが、その要求に応える事はできません」


 ティアナンは、精一杯感情を押し殺した声で返した。

 ヴィルマは顔を上げる。絶望に満ちた瞳で、ティアナンを見つめていた。


「どうして……オーフェリーは、あなたの恋人でしょう? 結婚の約束をしていたのでしょう? 彼女は、心からあなたを愛しているのに!」

「確かに、私と彼女は婚約を結んでいます。しかし、私は彼女の恋人である前に、軍人なのです。彼女が魔女だというならば、私情で擁護する事はできません。自分の感情よりも人々の命と平和を守ることが、私の務めなのです」


「そんな……そんな……! どうして!? あなたは、オーフェリーの恋人なのに! 彼女を愛していないの!? 彼女の存在が、平和を脅かす可能性があるって、本当にそう思っているの!? どうかしているわ! 恋人が殺されようとしているのに、そんな冷徹な事が言えるなんて……!」


 ティアナンは、口を真一文字に結びうつむく。

 話には聞いていた。ヴィルマが、オーフェリーを擁護する主張を続けていると。彼女は魔女ではないと、処刑するべきではないと、言って回っていると。


 しかし、数々の状況証拠は、あの場に魔法を使える者がいた事を告げていた。

 内部の捜査を行っていた私軍の者達は、ヴィルマやオーフェリーをまだ発見できていなかった。つまり、あの部屋にいたのは二人。

 魔法によって身を守り、助かった者。一緒にいながら何にも守られず、瓦礫の下敷きになっていた者。自らの安全よりも他者を守る事を優先する魔女など、ティアナンらの常識の中には存在し得なかった。


 ヴィルマは、すがるようにして懇願していた。オーフェリーを助けて欲しい。調書を書き換えて欲しい。処刑を中止して欲しい――と。

 ティアナンは、肩に置かれた白く細い手を、そっと取る。


「やむを得ませんね――」


 パッとヴィルマの表情が明るくなった。


「では……!」

「ヴィルマ・マックス。あなたを、魔女を擁護する者として拘束します」








 鈍色の空の下、広場の中央に立たされた一本の棒。周囲には薪が用意され、時折吹く生温かな風に松明の灯りが揺れる。


 北歴一七〇一年四月二十八日。リム国首都ビューダネス。

 本日午後二時の鐘が鳴る時。オーフェリー・ラランドは処刑される。


 着々と準備が進められる様子を、ティアナンとクロードは暗い瞳で見つめていた。


「……ヴィルマの様子は、どうだ?」


 クロードの問いに、ティアナンは静かに首を振った。


「牢の隅で膝を抱えたまま、動かないそうです。食事にも、全く手を付けていないようで……」

「そうか……。あいつはオーフェリーの事、本気で信じていたみたいだしなあ」

「もしかして、クロードの所へも?」


 クロードはうなずく。


「オーフェリーが軍部に連行された、その日にな。止めてくれ。処刑執行を拒否してくれって。断ったら、『実の姉を殺すのか』って物凄い剣幕で迫られた。

 オーフェリーの擁護に協力しないどころか、自分を牢に入れたお前の事も、相当恨んでるだろうな」

「……でしょうね。しかしあのまま帰しては、次は何を仕出かすか分かったものではありませんから。もし魔女の脱獄に手を貸したりでもしようものなら、殿下でさえもかばいきれないでしょう。外部から魔法で手出しされる事も無いよう、オーフェリーと同じように結界を張った牢に入れてありますよ」

「ああ。そうしておくのが、ヴィルマ自身のためだろう」


 ティアナンは答えなかった。

 ヴィルマを結界付の牢に入れたのは、別の者の案だった。

 オーフェリーが、自分の脱獄のためにヴィルマに接触を図る事など、あるだろうか。捕らえられたオーフェリーは自己の潔白を主張しようとはせず、目撃証人としてヴィルマの名前を挙げる事もなかったのだ。

 だからこそ、ティアナンはオーフェリーを魔女だと割り切れずにいた。ティアナンの知る「魔女」とは、もっと狡猾で自己中心的な生き物であったから。

 それとも、そう思わせる事こそが彼女の策略なのだろうか。


 しかし、どちらが真実だとしても、ティアナンにこの状況を覆せるような力はない。


「……申し訳ありません。実の姉を処刑させる事になってしまうなんて。彼女が魔女ではないという証拠を、私は見つける事ができなかった……!」

「何言ってるんだ。トッシュが謝るような事じゃないだろう。魔女は処刑しなければならない。それが、魔女処刑人の務めなのだから。見つからなかったなら、なかったんだ。オーフェリーは、魔女だった。ただそれだけの事さ。軍には感謝しないとな。危うく、魔女に騙されたままになるところだったんだから」


 クロードは、軽い調子で言って笑う。しかしその顔は、痛みを堪えるかのように歪んでいた。


「セリアさんのご様子は?」

「あいつだって、魔女処刑人の妻だ。これくらいで気に病むようじゃ、この先やっていけないさ。魔女が身を守るために軍や処刑人に取り入ろうとするなんて、珍しい事じゃないからな」

「――クロード。時間です」


 背後から呼びかけた声は、セリアのものだった。

 彼女の持つ手綱の先にいるのは、オーフェリー。両腕を後ろ手に縛られ、その綱の先をセリアが握っていた。


「ああ、今、行く」


 セリア、そしてオーフェリーがティアナンの目の前を通り過ぎて行く。ティアナンはオーフェリーへと手を伸ばし掛け、留まった。

 今更、彼女に何を言うと言うのか。軍人という立場でありながら、婚約者という立場でありながら、彼女を守る事もできずに。騙されていたのだろうかと迷って、信じ切る事さえもできずに。


 今のティアナンには、彼女に触れる資格など無い。


 クロードとセリアは、静々と広場の中央へと向かう。オーフェリーは抵抗する事無く、二人の後をついて行った。

 浴びせられる罵声。投げられる石。その一つがオーフェリーの額に当たり、つーっと細く血が流れる。


 まるで、遠い世界の出来事を眺めているかのようだった。妙に現実感がなく、世界は色を失い、音は反響する。

 広場の中央に立たされた棒に縛り付けられるオーフェリー。彼女は空を見上げ、寂しそうに微笑っていた。


 灰色の世界に、赤い火が灯る。


 火は棒を伝い、火柱となってオーフェリーの姿をその向こうに隠した。

 オーフェリーとの想い出が、走馬灯のように蘇る。

 ティアナンに向けられた、屈託のない笑顔。怒ったり、笑ったり、コロコロと変わる彼女の表情を見るのは飽きないものだった。

 温かな手。武闘派の割に意外と細いその肩。

 軍人になって魔女を狩るのだと、この手で人々を守るのだと、いつもそう言っていた。少し勝気でハキハキとした明るい声を聞くと、どんなに落ち込んでいる時でも、また前を向く事ができた。


『結婚した後の、予行練習ー……なんちゃって』


 おどけるように言っていた彼女。その日はもう、訪れない。

 彼女はもう、この世にいない。


 ティアナンは、膝から崩れ落ちる。悲痛に満ちた慟哭の声が、その場に響いた。








 牢の中は暗く、時間の判別はできなかった。床一面には魔法陣が描かれ、魔法で逃げ出す事も叶わない。出される食事の回数を数えればおおよその時間を計る事はできたのかもしれないが、ヴィルマにはそれをする気力もなかった。


 暗闇の中、どれほどの時間がたったのだろうか。不意に、何の前触れもなく鉄扉が開かれた。

 ヴィルマは、廊下から漏れ入る光の眩さに目を瞬く。明るさに慣れた目に飛び込んで来た姿を見て、再度目を瞬いた。


「オゾン大佐……?」


 私軍である彼が、なぜここにいるのか。

 問う前に、その答えは明らかとなった。


「ヴィルマ・マックスさん。あなたは魔女に操られていたのだと、判断されました。しかし、もう、その心配もないでしょう……釈放です」


 ただそれだけで、解ってしまった。

 ヴィルマは、助けられたのだ。マティアスの口添えによって、ヴィルマは魔女を擁護した罪に問われる事は無くなった。だから、オゾンがここに来たのだろう。

 そしてこの投獄さえも、ヴィルマを魔女の手から守るためのものだったのかもしれない。オーフェリーを救う事はできない。魔女をかばう事はできない。これが彼なりの、精一杯の支援だったのだろう。


 軍部を後にしたヴィルマは、ふらふらとした足取りで城の方へと向かった。

 堅く閉ざされた城門。その手前にある広場。その中央にある焼け焦げた棒と、その足元に積み重なり炭と化したもの。


「あ……ああ……」


 ヴィルマは駆け寄り、棒の前に膝を着く。


 ――もう、何もなくなってしまった。


 全て、終わってしまったのだ。

 ヴィルマは、ただただ茫然と灰の山を見つめるばかりだった。




「……本当、人間って残酷な事をするわよねぇ」


 どれほどの間、そうしていただろう。掛けられた声に、ヴィルマは顔を上げた。


 目の前に立つのは、黒いマントをまとった女だった。

 ウェーブのかかった黒く長い髪が、風に揺れる。


「初めまして、ヴィルマ・サントリナ王女。私の名前は、ローズ・ラウ。あなたを、迎えに来たわ」


 大きな三角帽子の下、紅いルージュの引かれた唇が、きゅっと三日月形に歪んだ。

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