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第6話 暗闇の中で

 広間は、正装に身を包んだ貴族の者達で溢れかえっていた。壁沿いには長いテーブルが用意され、様々な料理がずらりと並んでいる。

 広間の奥では、娘を連れた何人もの貴族がディンを取り囲んでいた。


「なるほど。このために、帰って来いって言われた訳だ」


 アリーが、オレンジジュースの入ったグラスを傾けながら言う。

 ルエラ達一行もこのパーティーに呼ばれ、広間の隅からディンを眺めていた。アーノルドが、アリーの後に続ける。


「ディン君の事だから、こう言うのが苦手なんだろうね。それで、少し嫌そうな顔をしていた訳だ。

 ところでフレディ君、ディン君に付いていなくていいのかい?」

「ここはレポス城ですから。私軍と言う、専門の方々がいるんです。僕なんて、お呼びじゃありませんよ。今日は、ディン様に呼んでいただいた友人として、この場を楽しむ事にします」

「うん。ディンも、そうして欲しいんだと思うよ」


 アリーはうなずき、それからフレディを見上げ、少しからかうように笑った。


「でも、友達の事を様付けしたり、お堅い敬語使ったりなんてしないと思うけど?」

「う……砕けた態度に出るのは、やっぱり慣れなくて……」

「アリーさんは、気になさりませんのね。ディン様や私もですけど、あなたの国の王女であるルエラさんにまで」

「ま、僕は軍人でも何でもないから、逆に遠過ぎてイマイチ実感が湧かなかったと言うか……初めて会った時はお姫様だって知らなかったから、ってのもあるかな」


 アリーはルエラを振り返る。

 目が合い、ルエラはスッと視線をそらした。気まずい沈黙がその場に落ちる。


 沈黙を打ち破るように、パンとレーナが手を叩いた。


「さあ、せっかくですし、お料理をいただきましょう。見た事のないものばかりですわ。これは何ですの?」

「あ、ああ。ミートパイだね。中に、お肉が入ってるんだ。リムにもあるよ」

「では、あれは……?」

「ん? うわっ、うーん……」


 アリーは首を傾げる。フレディが口を挟んだ。


「プディングの一種ですよ。あれは、羊の内臓を詰めたものかな」

「な、内臓!?」

「うえぇー……」


 レーナ達は料理を一つ一つ見て回りながら、少しずつ皿に取って行く。

 テーブルに沿って歩いて行くアリーを見つめていたルエラに、声が掛かった。


「ルエラ王女!」


 ディンだった。

 ディンを取り囲んでいた貴族達も一緒だ。


「こちらは、リム国が王女、ルエラ・リム嬢だ。縁があって城の外で出会い、今は旅を共にしている」

「な……お、おい、ディン!」


 ルエラは声を潜め、ディンに制止の声を掛ける。

 ディンは素知らぬ顔で、ニコニコと貴族たちに応対していた。


「なんと……! これはこれは、お目に掛かれて光栄です、ルエラ王女」

「私、フィニバスの領主のギブソンと申します。汽車の路線でリムとの境の町の……」

「私は、レイナーです。いやあ、噂に違わずお美しい」

「バラードと申します。こちらは、娘のクリスティーン。それからもう一人、今日は来ていませんが息子もいましてね。息子の方は、ルエラ様やディン様と同い年ですよ。アルバートと言うのですが……」


 我も我もと矢継ぎ早に浴びせられる挨拶の嵐に、ルエラはにっこりと作り笑いを浮かべる。


「私も、皆様とお会いできて光栄です」

「ディン殿下とルエラ王女は、仲がよろしいのですね」

「ああ、公務を超えた仲だ。なあ、ルエラ」

「確かに公務外で会ってはいますが、その言い方では誤解を招いてしまいますよ」

「ハハハ、少し緊張しているらしい……痛っ」


 訂正する気のないディンの背中を、ルエラは強くつねる。

 ルエラとディンの様子には気付かず、貴族達の間では持ち上げが始まっていた。


「まあ、お名前で呼んでらっしゃるのね」

「さすが、お似合いでいらっしゃいますよ」

「いや、我々はそう言う関係では……」

「ルエラにも、リムがあるからな。ノエル王子とどちらが後継になるかは決まっていないようだが、こちらの都合を押し付ける訳にも……」

「ほう。将来まで考えていらっしゃるのですな」


 ――こいつ……!


 ルエラは、キッとディンを横目で睨む。


 ルエラにドレスを着せてこの場に招いたのは、これが目的だったらしい。

 舞踏会とは名ばかりの、実質、将来の王妃の選定会。娘を連れて押しかけた貴族達も、相手が王女では身を引かざるを得ない。下手に邪魔をして立場を悪くしないよう、手のひらを返して王子と王女の仲を祝福する。


 集まった貴族の中には、同盟国であるリムと直接の繋がりを持つ者もいるだろう。

 王子派と王女派で水面下の派閥争いが行われているリム国。ルエラを王座から遠ざけるために、王子を推すよう誘導する事もできる。


 ディンは、外堀から埋めに来たのだ。


(こんなくだらん理由に頭を悩ませられていたのか、私は……!)


 ルエラ・リムと言う、魔法を容易には使えない立場として城に招き入れ、部屋も戦えないレーナと二人、アリー達とは分断され。何を企んでいるのかと、よもやディンがラウとの内通者なのではないかと訝った。

 その真相は、あまりにも呆気ないものであった。


 ルエラはため息を吐き、ふと壁沿いの方へと目をやる。

 アリーがレーナ達から離れ、一人、中庭の方へと出て行くところだった。


(――アリー……)






 中庭には照明が設置され、雪と薔薇をほんのりと淡く照らしていた。雪の上には道に沿って板が敷かれ、慣れないヒールでも歩くのに支障はなかった。

 茂みの陰に置かれたベンチに、アリーはストンと腰かけた。


 大広間での光景が、脳裏を過る。

 リム王女として、レポスの貴族達に紹介されるルエラ。銀髪の髪をなびかせ微笑むルエラは堂々としていて、いつも一緒に旅をしているリン・ブローとは違う、遠い世界の人のように思える。


「ううん……実際、遠い人なんだ」


 リン・ブローは、旅をするための仮の姿。

 十年前に出会った時の、頭に白い布を巻いた少年姿にしても同じ。渡された白いハンカチに書かれた紋は、王族のもの。最初から、届く場所になどいなかった。

 立場を除いても、ルエラの眼中にアリーはいない。男とさえ見られていない。


「ま、こんな女みたいな男じゃ、仕方ないか……」


 身にまとう赤いドレスを見下ろし、アリーは苦笑する。

 もう、ヴィルマに名乗ってしまったのだから、女のふりをする理由はない。ドレスを持って来られた時も、訂正すればフレディやアーノルドのように男物の正装を用意してくれただろう。


 でもそれをしなかったのは、自信がなかったのかもしれない。

 王子に王女に魔法使い、本来ならばアリーなんかが言葉を交わす事もない人達。眩いほど輝く世界にいる彼らの隣に、本来の姿で並ぶ自信が。




「……アリー!」


 アリーは振り返り、目を見開く。

 ルエラが、薔薇の茂みの間を小走りにやって来ていた。


「ルエラ……!? ディンは?」

「置いて来た。まったくあやつめ、何を企んでいるのかと思えば……!」


 ルエラは、アリーの隣に腰かける。銀色の髪が揺れ、ふわりと甘い香りがアリーの鼻腔をくすぐった。


「……やっぱり、お前と一緒にいる方が落ち着くな」

「え……」

「貴族の相手は、堅苦しいし疲れる」


(――だよね! そう言う意味だって知ってた!)


 ルエラは、アリーを男として見ていない。

 特別な意味など、ありようもない。


「……貴族との比較でなくても、お前と一緒にいるとホッとするんだ。十年前の事があったからかも知れないな」


 アリーは目を瞬く。

 ルエラは視線を落とし、長い睫毛が揺れる。憂いを含んだ横顔は、彼女の美貌を一層際立たせ、殊更別人のように見えた。


「すまない。ずっとそばにいたのに、気付けなかった」

「え……いや、そんな事……。僕だって、ノエル様がヴィルマ失踪から二年後に王子になったって聞くまで、あれはノエル様なんだって勘違いしてたし……!」


 アリーは慌てて話す。


「……勘違いしてたんだ。十年前に僕を救ってくれたのは、ノエル様なんだって。ずっと、憧れだったんだ。僕も彼のように強く優しくなりたいって。彼の役に立ちたいって。だから、僕、ルエラが魔女だって知った時、魔女がノエル様の近くに潜り込んでると思って……本当に、ごめん」

「気にするな。その話は、もうとうに終わった事だ」

「終わってない。あの時謝ったのは、今のルエラに対してだ。十年前からの、憧れの人だったルエラ王女には謝れていない」


 アリーはベンチを降りると、ルエラの足元に膝をついた。


「謝って許される事ではないのは、承知しています。でも、どうか……本当に、申し訳ありません。暗闇の中、そばにいてくださったあなたを、ずっと他の人と勘違いしていた事。そして、あなたを魔女だと糾弾してしまった事」


 アリーは、深々と頭を下げる。

 憧れ、崇めていた人をそうとは知らずに糾弾して。更には、守りたいと思った人なのに守られてばかりで。


 自分はいつも、もらってばかり。何も返せていない。


 柔らかな銀色の髪が、アリーの頬に触れた。

 ルエラはベンチを降り、アリーを抱きしめていた。


「ル、ルエラ!?」

「やめてくれ。私は、お前にそんな話し方はされたくない」


 寂しそうな声だった。アリーはうなずく。


「うん……ごめん……」

「それに、あの時救われたのは私の方だ。お前の言葉で、お前の笑顔で、私は救われたんだよ」

「え……」


 あの時、アリーはただ、泣いていただけだった。何か特別な事を言った訳でもない。特別な事をした訳でもない。

 ルエラが何の話をしているか分からなくて、アリーは戸惑う。


 ふっと、大広間の方から曲が流れて来た。ゆったりとしたテンポのワルツ。アリーは顔を上げる。


「あ、曲……ルエラ、いいの? 戻らないと、ディンが困るんじゃ……」

「ディンと踊るつもりなどない。戻ったって、きっぱりと断ってディンの顔に泥を塗る事になるだけだ」

「相変わらず、容赦ないなあ」


 アリーは苦笑する。

 権力、体力、知力。アリーの持たない全てを、ディンは持っている。彼なら、見劣りする事無くルエラの隣に立てる。彼なら、ルエラを守る術を持っている。

 しかし、ルエラの眼中にはディンの姿もないのだろう。


 あるのはただ一人、己の母親だけ。


 きっと彼女は、誰にも恋をするつもりはない。魔女と言う自分の業を、一人で背負う気でいる。

 結婚し、国を傾け、数多の犠牲を生む事になった己の母親の姿を見ているから、尚更。


 アリーは立ち上がる。

 そして、ルエラに手を差し伸べた。


「それじゃ、せっかくだし、ここで踊らない? お手をどうぞ」


 ルエラは目を瞬く。そして、クスリと笑い、アリーの手を取った。


「――はい」


 アリーはルエラの手を引き、立たせる。両手を繋ぐと、勢いよく回りだした。


「ちょ、ちょっと待て、これは、踊っているのか? ただ回ってるだけのような――」

「だって僕、ダンスの経験なんてないもーん。いーの! 楽しければそれで!」

「まったく……」


 曲のテンポも何も関係なく、二人はぐるぐると回り続ける。やがて目を回し、二人は雪の上へと倒れ込んだ。


「わっ」

「うわっ」


 雪の上に寝ころんだまま、二人はクスクスと笑い合う。

 ルエラはアリーを、男として見ていない。しかし、それによってアリーが彼女の心の拠り所になれるのであれば、それでも良いかもしれない。


「……大好きだよ、ルエラ」

「うん、私もだ」


 ルエラは何の含みもなく、あっけらかんと返す。

 アリーの寂しげな笑みは、茂みの間のほのかな照明では見て取る事は出来なかった。






 薔薇の茂みが植わる小道。中庭とも大広間とも離れたそこへは、大広間で流れるワルツも全く聞こえて来なかった。人気のない廊下を、ディンは一人、進んで行く。

 僅かに開いたままの木戸から、ディンは外へと出た。そこは城の裏手に当たり、闇の中、目の前には高い崖が迫っていた。崖の手前には、深い谷。

 ディンは、腰の剣に手を掛ける。


「――ディン様!」


 掛けられた声に、ディンは振り返った。

 フレディが、廊下から漏れ出る明かりの中に佇んでいた。


「レーナ様が、お探しでしたよ」

「ああ。今、戻る」


 柄から手を放し、ディンはいつもの軽い調子で話す。

 そして、谷の方へと呼びかけた。


「アーノルドさんも、戻ろうぜ!」


 闇の中から、アーノルドが姿を現す。フレディは目を瞬いた。


「アーノルドさんもご一緒だったんですね。こんな所で、お二人でいったい何を?」

「俺は、衛士からアーノルドさんがこっちに行ったって聞いたんでね。困るぜ、アーノルドさん。うちの城であまり勝手をされちゃあ。何かあったら、こっちの責任だからな」

「ごめん、ごめん。崖を近くで見たくてね」

「それならそうと言ってくれれば、案内してやるから」


 話しながら城内へと戻るディンとアーノルドの後ろ姿を、フレディはじっと見つめる。


 剣に手を掛け、足を忍ばせていたディン。

 それは、ただアーノルドを呼びに来たようには到底見えなかった。

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