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第5話 小さな希望

「ヴィルマは魔女だ!」

「魔女をかばう王族を許すな!」


 北歴一七〇八年八月。

 リム国首都ビューダネスにて、暴動が起こった。城に押し入った者達はヴィルマが魔女だと主張し、それをかばう王族に怒りを抱いていた。


 ルエラは二人の護衛と共に、城の奥へと逃がされていた。


「大丈夫です。暴徒がここまで入って来る事は絶対にありませんよ。護衛も目立たぬよう、限られた人員に絞っています。姫様の所在に気付かれる事はありません」


 護衛の軍人が言ったその時、城門の方で大きな爆発音がした。


「様子を見て来ます!」


 もう一人、護衛についていた軍人が、部屋を出て行く。

 後に続こうとしたルエラを、軍人が引き止めた。


「離せ! お父様も現場へ向かわれたのだろう!? あそこには、お父様も……」

「いけません、姫様。姫様は、私と一緒に来ていただきます」

「しかし――」


 振り返ったルエラの眼前には、黒光りする拳銃が突きつけられていた。


「ご無礼をお許しください。姫様には、私と一緒に来ていただきます。さあ、彼が戻って来る前に」


 ルエラはじりじりと後ずさりする。

 逃げ隠れた部屋は大して広くはなく、直ぐに背中が窓についた。急いで窓を開けるも、逃げ場などなかった。窓は一定間隔に並んでいるが、隣の部屋へ飛び移るには、六歳のルエラにはあまりにも遠過ぎる。

 バルコニーなど無い、小さな部屋の窓。遥か下には、中庭のガラスの屋根が見えていた。


「な、なぜ……どうして、お前が……」


 彼は、ルエラ達王族はもちろん、仲間からも、市民からも、信頼の厚い人物だった。だからこそ、ルエラの護衛に選ばれたのだ。

 その彼が、どうして。


「ヴィルマにしかるべき処分を下すためですよ」


 彼は、微笑んでいた。


「どうかそう、怖がらないでください。大人しくしてくだされば、お怪我をさせるつもりはありません。我々の敵は、魔女だけですから。

 さしもの魔女も、自分の娘を人質に取られれば大人しくなるでしょう。陛下は完全に、あの魔女に騙されていらっしゃる。国が動けぬなら、我々が動くしかないのです」


 ルエラは首を振る。


「だ、駄目だ。正しい裁きもなくそんな事、認められるはずがない。それに、お母様は人を殺したりなどしていない。お前も、根の葉もない悪意に満ちた噂を信じると言うのか!?」

「火のない所に煙は立たないのですよ、姫様」


 一歩、一歩と、彼はルエラに近付いて来る。ルエラはもう、それ以上後ろには下がれなかった。


「お前か……? お前が、暴徒達に武器を横流ししたのか……?」

「ええ。他の連中は、自分の立場しか考えない腑抜けばかりでしたから。

 犯行現場のそばでヴィルマを見たと言う者が、たくさんいるんです。しかし、その前後の時間に、物理的にあり得ない距離にいたからと陛下は目撃情報を信じない。魔法を使えば容易でしょうに。そもそも魔女だと言う話を、信じようとなさらない。役人も、軍人も、陛下の顔色ばかり伺って、市民の声を握り潰そうとする。こうするしかないのです」


「違う。お母様はそんな事しない。犯人は他にいるんだ。お前は人殺しを非難しながら、お母様を殺すと言うのか!」

「魔女は人ではありません。生きている価値などない。

 一連の事件で、そしてヴィルマを非難した者達が、いったい何人命を落としたかご存知ですか? このクーデターでも、犠牲は免れないでしょう。こんな災いを招く存在など、いない方が良いと、そう思いませんか?

 魔女さえ死ねば、これ以上犠牲を出さずに済むのですよ」


 ルエラはただただ、突きつけられた銃口を見つめていた。


 ――魔女さえ死ねば、これ以上犠牲を出さずに済む。


「さあ――」


 彼の言葉は途切れた。

 ルエラの背後から伸びた剣が、彼の首に深々と突き刺さっていた。


「非常に残念だよ、シャルトル中佐」


 マティアスは、剣をそのまま横に払う。首を失った身体は、ぐらりと横に倒れた。


「怪我は無いか、ルエラ」


 マティアスは窓枠から下り、優しく声を掛ける。

 ルエラはぺたりとその場に座り込み、ただ呆然と目の前の死体を見つめていた。








 これまでルエラをそばで守っていた者の首は、 他の首謀者達、そして見せしめのため無作為に選ばれた扇動され手を貸していた者達と共に、城の前の広場に並べられた。目立つ髪を白い布で隠し、少年の服装に身を包んだルエラは、暗い瞳でそれを見つめていた。


 魔女さえ死ねば、これ以上犠牲を出さずに済む。


 夕闇の迫る中、彼の言っていた言葉がルエラの頭を支配する。

 ヴィルマは魔女だ。その点では、噂は事実である事を認めざるを得なかった。


 ルエラはふいと広場に背を向け、歩き出す。

 夜になれば、魔女が出る。家路を急ぐ人々の波に紛れ、城とは反対の方向へ、まるで何かから逃げるように歩き続ける。


 魔女は、その存在を許されない。一連の事件の真相が如何にせよ、魔女の存在、ただそれだけが、多くの犠牲を出している。いずれはルエラも、そうなるのだろうか。魔女であるルエラは、いない方が良いのではないか。




 日は完全に落ちた。夜闇の中に浮かぶリム城。

 このままルエラが城に帰らなけば、大騒ぎになるだろう。しかし、それも一時の事。魔女の存在による犠牲を思えば――


 角を曲がり、ルエラは立ち止まった。曲がって直ぐの所に、一人の少女がいたのだ。月も星も無い夜空の下、少女は花壇の陰に隠れるようにしてうずくまっていた。

 ルエラに気付き、少女は顔を上げる。大きな茶色い瞳。緩くウェーブのかかった金髪は、左右の一部を高い位置で丸く団子にしていた。


「……一人なのか? こんな時間に外にいたら、危ないぞ。早く帰れ」


 ルエラ自身も人の事を言えた立場ではないが、他に何も言いようがなかった。少女の服装は、どこか良い家の子供なのであろうと推測できた。少なくとも、家を持たない浮浪児ではないはずだ。

 少女は無言で、抱えた膝に顔をうずめる。そのまま、動こうとはしなかった。


 ルエラは戸惑い、立ち尽くす。

 彼女にも、ルエラと同じように何か帰りたくない理由があるのかも知れない。

 とは言え、こんな時間にこんな場所で小さな女の子を一人にしておく訳にもいかない。ヴィルマが犯人だと言う噂の真偽はともかく、明らかに魔法によるものと思われる連続殺人事件が起こっているのは確かだ。


 ルエラは迷った末、恐る恐る、その子の隣に腰掛けた。


「声を上げて泣いても構わないよ。わた――僕が、そばにいるから。君は独りじゃない」


 夜道で独り、声を押し殺し、周囲の全てを拒むかのように膝を抱えて泣く少女。その姿は、あまりにも痛々しかった。

 少女は顔を上げ、ルエラを見つめる。大きな茶色の瞳に、みるみると涙が浮かぶ。


「……父さんと母さんが、殺されたんだ」

「……うん」

「帰ったら、魔女がいて……僕、気付かなくて……あいつに殺されたんだ……! 二人とも、いなくなっちゃった……!」


 少女は再び突っ伏し、声を上げて泣く。

 ルエラは彼女が泣き止むまで、ずっと隣に座っていた。






 一頻り泣いて、少女は顔を上げた。

 ルエラは、無言でハンカチを差し出す。横から伸びて来た手に、少女はびくりと肩を揺らした。


「……ずっと、一緒にいてくれたの?」

「そばにいると言っただろう」


 少女はルエラのハンカチを受け取り、微笑んだ。


「ありがとう。優しいんだね」


 ルエラは視線をそらす。今のルエラにとって、彼女の笑顔はあまりにも眩しかった。


「魔女がいた、と言ったな……。君には思い出させて済まないが、どんな人物だったか、覚えているか……?」


 ルエラは恐る恐る切り出す。少女は、こくんとうなずいた。


「フードをかぶってたけど、しゃがんだ時に顔を見た。紫色の目の、きれいな女の人だったよ。大人達は、それはヴィルマ王妃だって」

「しかし、瞳の色だけでは――」

「王妃の写真を見せてもらった。――僕が見た人だった」


 ルエラは口を噤む。

 ヴィルマに罪を着せるために変装しているのだとしたら、わざわざフードで顔を隠すような真似をするだろうか。

 やはり、噂は真実を囁いているのだろうか。ヴィルマが、人々を殺戮しているのだろうか。――お母様が。


 万が一ヴィルマが犯人なのだとすれば、それはとんでもない事だ。

 国王マティアスはヴィルマをかばい、大勢の者達を刑に処してしまった。


 例え犯人でなくても、ヴィルマが魔女だと明るみになったら。

 それでも、マティアスが妻をかばおうとしたら。


 そして、同じ事がルエラにも言えるのだ。

 ルエラは魔女だ。もしもそれが、今のヴィルマのように知れ渡る事になったら。


 ――魔女は人ではありません。生きている価値などない。


 魔女さえ死ねば、これ以上犠牲を出さずに済む。




「――あなたがいてくれて、良かった」


 ぽつりと、少女が呟いた。ルエラは振り返る。

 彼女は微笑っていた。温かな笑みを、ルエラに向けていた。


「会えて良かった」


 ルエラは言葉を失い、少女を見つめ返していた。


 ――魔女に生きている価値などない。


 ルエラは魔女だ。

 魔女は犠牲を生む。

 自分は、このままここにいてはいけない存在なのだと思っていた。生きていては、いけないのだと。


 不意に、闇の向こうからドタバタと足音が聞こえてきた。

 ブーツを履いた複数の重い足音。てきぱきとした受け答え。――軍の者達だ。


「じゃあ、僕はこれで……」


 声はここへと近付いている。軍の者達と一緒なら、この子も危険はないだろう。


「ねえ、また会えるかな?」


 少女の問いかけに、ルエラは振り返る。そして、口の端を上げて微笑った。


「ああ、きっと」


 いてくれて良かったのだと言ってくれた。

 会えて良かったと言ってくれた。


 魔女であるルエラでも、そう思ってくれた子がいるのだ。ルエラは、生きていて良いのだと。

 ならば、生きよう。そして、せめて自分にできる事をしよう。会えて良かったと言ってくれた、この子のためにも。


 ルエラは踵を返すと、城へと向かって歩き出した。

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