第2話 恋する者たち
青い空の下、白い波が岸へと押し寄せる。ルエラはお馴染みの青いコートをはためかせ、海面に浮く桟橋の上に降り立った。
「やっとレポスだーっ! ただいまーっ、汽車のある国!」
「失礼ですわね。ハブナにも、汽車ぐらいありますわ。レポスへ出航する港のある町まで続いていないと言うだけで」
続けて船を降り大きく手を広げるアリーに、レーナがツンとした調子で答える。
「あはは、ごめんごめん」
船を降りるなり、ディンはふらふらと桟橋の端により、膝をついた。
フレディが、慌てて後を追う。
「だ、大丈夫ですか? ディン様……」
「うえぇ、気持ち悪い……」
ディンは青い顔で座り込む。
「その状態では、汽車なんて乗れそうにないね。今日は、この町で宿を取ろうか。いいかい、ルエラちゃん」
アーノルドの問いかけに、ルエラはうなずく。フンとレーナが鼻を鳴らした。
「人には散々言っておきながら、これではどちらが足を引っ張っているのか分かりませんわね」
「うるせぇ……揺れの強い乗り物に慣れてないんだよ……」
反論するディンの声に覇気はない。ルエラは、レーナを振り返った。
「レーナ王女は、大丈夫なのか?」
「ええ。これしきで根を上げるほど貧弱ではありませんわ!」
レーナは見せつけるように、その場でくるりと回る。膝丈まである薄紫色の上着が、ふわりと風に膨らむ。浮桟橋が揺れ、レーナの身体が傾いた。
「きゃあっ」
「おっと」
桟橋の端にいたディンが立ち上がり、とっさにレーナの背中を支えた。
ザパーンと波が岸に打ち寄せる。
レーナは濃紺の瞳を見開き、ディンを見つめる。その頬に、赤く染まって行く。
「ったく、気を付けろよ……」
ディンはあきれたように言う。
レーナは頬に手をやり、叫んだ。
「……王子様……!」
「そうだけど……?」
きょとんと答えたディンの顔は、レーナとは対照的にみるみる蒼くなっていく。
「うっぷ……やっぱ、駄目だ」
「えっ、ちょ……きゃああああ!?」
「ディ、ディン様!」
「あー……ディン君、急に立ったりするから……」
「レーナ様、離れて!!」
「海を向け、海!!」
寒空の下、六人の騒ぎ声と打ち寄せる波の音が港に響いていた。
レポスとハブナの間の国交は、盛んではない。かろうじて互いの国の端から船は出ているが、そのどれもが資材を運搬する貨物船で、ルエラらは行きも帰りも貨物船に乗せてもらっていた。
そのような小さな港町なものだから、旅客向けの宿はほとんど無い。遠方から来た漁師が利用するための小さな宿に何とか二部屋の空きを見つけ、男女に分かれて泊まる事となった。
「ルエラさん、お隣へ行きましょう」
部屋に荷物を置くなり、上着も脱がずにレーナは急き込んで言った。
「隣? アリー達の部屋か?」
「はい。ディンさんのご容体も気になりますし……」
「心配せずとも、ただの船酔いだ。寝ていれば治るだろう。フレディだっている事だし――」
「でも……」
レーナはそわそわと、ディン達がいる部屋側の壁を見つめる。
「そんなに気になるなら、行って来ていいぞ」
「殿方ばかりの部屋に、一人で行けとおっしゃいますの!?」
レーナは涙目でルエラに迫る。その気迫に気圧され、ルエラは溜息を吐いた。
「分かったよ。少し、様子を見に行こう」
応対に出て来たアリーは、きょとんとしてルエラ達を見つめた。
「あれ? どうしたの、ルエラ」
「ディンの様子はどうだ?」
「どうって、ただの船酔いだよ。まだ寝かせてるけど、だいぶ良くなってきたみたい」
言いながらアリーは扉を押し開き、ルエラとレーナを通す。
レーナはルエラの服の裾を掴み、ルエラの背中に隠れるようにしていた。
壁際に並んだベッドの片方に、ディンは寝かされていた。ルエラ達が部屋に入ると、ぱあっと表情を輝かせた。
「ルエラが俺の看病に……!?」
「レーナが心配だと言うものだから」
ルエラは淡々と答える。
レーナは、ルエラの肩越しにひょこっと顔をのぞかせた。
「……お気分はいかがですの?」
「もうへっちゃらだよ。ルエラも来てくれた事だしな」
「では、我々は戻ろう」
「待て待て待て! やっぱまだ、気分悪いかも!」
帰ろうとするルエラを引き止めるように、ディンは叫ぶ。
「だいたい、ただの船酔いにぞろぞろ付き添っていても仕方がないだろう。何が出来ると言うんだ」
「え。えーと……膝枕……とか……?」
誰も、何も返さなかった。突き刺さる五人の視線。
レーナの顔が、みるみると真っ赤になる。
「ひっ、ひざ……っ!?」
「そ、そんな、皆して引くなよ!! 冗談で言ってみただけだっての!」
「よーし、じゃあ僕がやってあげよう。さあ、首を貸してごらん」
アリーがニコニコとベッドに這い登る。
「男の膝枕なんて嬉しくも何ともねーよ! つーかお前、首捻ってきそうな顔してんだけど!?」
「えー、そんな事ないよー」
「嫌だ! 絶対、ゴリゴリする!」
「私も多少なりとも鍛えているから、柔らかくはないと思うが……恐らく、この中で一番柔らかいのはレーナ姫だろうな」
「えっ!? わ、私は、そんな……っ」
皆が騒ぐ中、フレディは棚に置かれた水差しを手に取る。中身を確認すると、そのまま外へと出て行った。
「そう責めてやらなくても。ディン君も、まだ意識が朦朧としていて、つい言っちゃったんだろう。酔ってたのに騒いだら、また気分が悪くなってしまうよ」
「そう、それ! アーノルドさん、ナイスフォロー!」
「めちゃくちゃ元気に見えるんだけど」
「表向きは元気に振舞っていても、弱ってるとついポロっと本音が漏れるものだよ」
「つまり、ディンは本気で……?」
「フォローと見せかけて、まさかの追い討ち!?」
ワイワイと騒ぐ四人を尻目に、ルエラはフレディを追って部屋を出て行った。
フレディは、廊下沿いにある共有の水道で水を汲んでいた。
窓の外をぼんやりと眺めるフレディ。水嵩は注ぎ口を超え、溢れ出す。
「もう十分水が入っているぞ」
「えっ、あっ……」
フレディは慌てて、蛇口を捻る。
「私で良ければ、話ぐらいは聞くが」
フレディの兄は、ラウ国に与していた。自分達の村を殲滅した魔女に、ついて行っていたのだ。ディン達から聞いた話によると、元々、彼は村に反感を抱いていたらしい。
「……ルエラ様は、迷われた事はありませんか?」
フレディは水差しの水面を見つめ、ぽつりと言った。
「ご自身のお母君が、大罪を犯した事……これからも、犯そうとしている事……けれど、それでも、家族は家族です。
たった一人の、かけがえのない兄弟だったんです。兄は無口で不器用でしたから、確かに村の皆は僕を構う事の方が多かった。でも、僕にとっては優しい兄さんでした。憧れだった……今も、兄さんを憎む事は出来ない……」
フレディは顔を上げ、ルエラを振り返る。
「ルエラ様も、お母君を追いかけてらっしゃいます。ご家族と敵対する事を、悩んだ事はございませんか」
鳶色の双眸が、ルエラを見据えていた。
揺れるその瞳を見つめ返し、ルエラは静かに述べた。
「……ヴィルマは、たくさんの人を殺したんだ」
十年前、多くの人々がヴィルマによって殺害された。
何人もの子供が、路頭に迷った。アリーやララ達も、その一人。
フレディは、ふいと目を背ける。
「……そうですね。すみませんでした、つまらない事を伺って……兄さんは、敵になったんだ。それは僕も、理解しています。次に会った時には……」
「ジェラルドは、まだ誰も殺していないだろう?」
フレディは振り返る。
ルエラは微笑んだ。
「お前のお兄様と、ヴィルマは、違う。ジェラルドはまだ、手を汚していない。まだ間に合う、そう信じても良いのではないか。
ヴィルマは娘を守るために殺した。ジェラルドは弟を守るために耐えた。似た理由でも、とった行動は大きく違う」
「でも……それは、兄さん自身もまだ子供で、力がなかったからだと……」
「口ではそう言っても、激情に任せず耐えて来た十数年は事実として存在している」
震える拳を、ルエラはそっと手に取る。
「きっとまだ、声は届く。憎しみなんて感情、無理に抱く必要ないんだ」
「ルエラ様……」
固く握られていた拳から、力が抜けていく。
「さあ、戻ろうか」
ルエラはフレディの手を離し、背を向ける。
「あ……はい!」
フレディは宙に残された手をぼんやりと見つめていたが、慌ててうなずき、水差しを手にルエラの後を追った。
部屋へ戻ると、ディンがいなくなっていた。
今度はレーナがソファベッドに横たわり、アリーが傍らで風を仰いでいた。
「いったい、何が起こったんだ……」
「あ、おかえり、ルエラ、フレディ。ルエラが出て行って直ぐ、レーナ様が鼻血出して倒れちゃって」
「ディン様は?」
「お城に連絡だってさ。とりあえず、ハブナから帰って来た事を伝えたいからって」
「一人で行ったのか?」
ルエラは鋭く尋ねる。アリーはうなずいた。
「そりゃあ、レーナ様がこんな状態だし、別に宿の電話借りるくらい、誰かついて行く事もないでしょ」
ルエラは踵を返す。
ちょうどその時、部屋の扉が開いた。
「ディン君、おかえり。早かったね」
アーノルドがにこやかに迎える。
ディンは、少しふて腐れた表情だった。
「なあ、ルエラ。急いでるところ悪いんだけど、リムへ戻る前にちょっと寄り道して行ってもいいか?」
「寄り道? まあ、別に構わんが……どこへ行くんだ? サイラさんの所か?」
「や、違う。親父が、そろそろいったん帰って来いってさ」
「え……それって……」
アリーが仰ぐ手を止め、戸口を振り返る。レーナも、起き上がった。
ディンは、ルエラ達面々を見据え、言い放った。
「レポス国北部スタード……我が国の中心、レポス城だ」




