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灰色の道標(7)

 広い店内をシャンデリアが照らし、壁沿いには絵画や彫刻などの調度品が並べられている。その様はまるで、城の大広間を小さく凝縮したかのようだった。店の奥では音楽隊の一団が、ゆったりとした曲を奏でている。

 ブィックスとリンは、奥の方の、柱の陰になるテーブルへと通された。


「しかし、似合うだろうとは思っていたが、見事なものだな。どんな夜景も、星空も、君の美しさには敵わないだろう」

「ご冗談はほどほどにして、話を聞かせてください」


 リンは、真剣な表情でブィックスの向かい側に座る。

 レースの付いたブラウスに、黒いタイトスカート。一般市民ならば仕事にも通用しそうな、かっちりとした服装だ。

 ブィックスはもっとラフなワンピースやイブニングドレスなどを奨めたが、特にドレス系統は試着さえも却下されてしまった。


「冗談のつもりは無いのだがな」


 実際、リン・ブローの女装は、あまりにも似合っていた。何も知らない周囲の者達はリンを女性として扱い、リンもまたそれを戸惑う事無く受け入れていた。


(当然か……こやつは女なのだからな)


 女が女の格好をしたところで、不自然さなどあるまい。


「詳しい事は会った時に聞く事になっているから、私もあまり把握できていないのだがな――」


 とりあえず場を繋ぐため、ブィックスはでっち上げの人物とでっち上げの事件を並べ立てる。全てが嘘などとは微塵も思わず、リンは真剣な表情で話を聞いていた。


「確かにそれだけでは、何とも言えませんね……事件自体も何ら被害や危険があった訳でもない。ただの偶然かも知れない。魔女捜査部隊が動く事もないでしょう」

「私もそう思うのだが、周囲の人々は納得していないようでな。『魔女ではない証拠』を提示しない限り、彼女の置かれた状況は覆せないだろう」

「もっと詳しい話を聞いて、彼女には例え魔法をもってしても不可能だと言う事を証明するしかありませんね……。私も、協力します。任務上、魔女の関わる事件を調べる事も多いですから」

「心強いよ。しかし、本当に魔女だと言う可能性もあると言うのに……君は、信じてくれるんだな」

「ブィックス少佐は、その女性の事を信じているのでしょう? もちろん、少佐が騙されている可能性もゼロではありませんが、冤罪かも知れない人を疑いたくありません。それに、お話を聞く限り、誰かが被害に遭った訳でもない。無暗に疑う必要を感じません」

「そうか……優しいんだな」


(フン……自らも魔女だから、魔女を擁護するか。こやつが魔女の捜査に関わっているのも、怪しいな。仲間を逃していたのかも知れん。かつてのヴィルマがしていたように)


 リンの手を取り、ブィックスは微笑む。内心では、真逆の事を思いながら。

 リン・ブローは目を瞬く。そして、たじろぐように視線をそらした。


「……そんな風に言われたのは、初めてです」


(よし……これは落ちているぞ! もう一押しだ!)


 ブィックスは、心の中でほくそ笑んだ。






「今日は、助かった。礼を言うよ」


 城への帰路を辿りながら、ブィックスはにこやかに言った。


「いえ……私も、初めてのものばかりで楽しかったです。ありがとうございました」

「君には借りを作ってしまったな」

「借りだなんて、そんな。映画もお食事も、少佐の驕りだった訳ですし……魔女の嫌疑を晴らすためならば、私にとっては仕事も同然です」


 リンは淡々と答える。いつもと変わらぬ真面目な表情だが、その顔はいつもに比べてやや穏やかだった。


「君は、そのままの格好で帰る訳にはいかないな。また着替えなくては……あそこなら、着替えられそうだ」


 ブィックスは辺りを見回し、そして道の横にある公園の公衆トイレを見て行った。


「そうですね」


 リンはうなずき、公園の入口へと続く階段に足を掛ける。

 二、三段下った所で、リンの履いていたパンプスのヒールが外れた。


(――よし、掛かった!)


 着替えられそうな場所のある公園も、階段を降りなければならなくなるこの経路も、着替えを口にするタイミングも、全てはあらかじめ図ったものだった。

 履いている時に魔法を使えば、彼女の事だから気付くであろう。そう判断したブィックスは、店で買った服にリンが着替えている間に、パンプスのヒールを電流で脆くしておいたのだ。階段のように地面から持ち上げる高さが高くなれば、壊れるように。


 リンはバランスを崩し、階段を落ちかける。ブィックスは咄嗟に駆け寄り、そして、彼女を抱き寄せた。

 十五と言う年齢にしては、平均より低めの身長。これも女であれば、平均程度だ。


「あ、ありがとうございます、ブィックス少佐――」


 リンは顔を上げる。

 至近距離で見つめ合う男女。全ては計画通りだ。ブィックスは目を閉じると、ゆっくりとリンに顔を近付けていく。


 リン・ブローが女ならば、ブィックスに惚れないはずがない。きっと、うっとりを頬を染め、目を閉じ、ブィックスを受け入れる事だろう。


 ――ブィックスの唇に当たったのは、冷たい氷の板だった。

 目を開ければ、翡翠色の双眸が宙に作られた氷の盾越しに、じとっとブィックスを見据えていた。


「何のおつもりですか、ブィックス少佐」


 そう問うたリン・ブローの声は、どこまでも冷たかった。


「おや。照れなくてもいいじゃないか。君も、私と同じ気持ちなのだろうと思ったのだがね。怖がらずとも、私に任せてくれればいい」

「仰っている意味が分かりません」

「分からないかね? ――私は、君に好意を抱いている」


 翡翠色の瞳が、パチクリと瞬かれる。そしてふいっと、その視線がそらされた。


「あー……ブィックス少佐がどのような趣味をお持ちだろうと否定する気はありませんが……申し訳ありませんが、私は男でして、そのような趣味もなく――」


(……ここへ来て、あくまでも男だと言い張るか)


 ブィックスは、リンを抱く腕に力を込める。リンは逃れようと身をよじったが、ブィックスとて軍人だ。この体勢で、自分よりも遥かに小さい子供が振り払う事などできまい。

 どうしても男のふりをするつもりならば。


「隠さずとも良い。君は、女性だろう?」


 ピタリとリンの動きが止まった。


「疑心を抱いていたが、今夜で確信した。君は、女だ。訳があって、男のふりをしているのだろう?」

「……もし、私が女なら……魔女、と、言う事に……なりますが……」


 リンの声はわずかに震えていた。

 魔女は火刑。それが、世界の理だ。だから彼女は、男のふりをして、魔法使いだと偽っている。


「私は気にしない。例え君が魔女だとしても、この気持ちは変わらない」


 リンは、ブィックスを振り仰ぐ。

 ショックを受けたような――受け入れられる喜びではなく、何故か、絶望したような表情だった。


「私は、男です」

「嘘だ」

「嘘ではありません」


 ここまで頑なに、偽り続けようとは。

 しかし、彼女はブィックスに惚れているはずだ。ならば、ブィックスが本気で迫れば拒絶する事は出来ないはず。

 リンの顔に手を添え、上を向かせる。再度目を閉じた途端、強い衝撃がブィックスを襲った。


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 ブィックスは階段の横の坂になった草むらに投げ出され、周囲もブィックス自身も、ぐっしょりと水に濡れていた。その状況を確認して、リンの水の魔法で押し飛ばされたのだと気が付く。


「これ以上無理強いするようでしたら、上に相談させていただきます」


 リン・ブローは階段に佇んだまま、蔑むような目でブィックスを見下ろしていた。


「何故だ……!? 女なら、俺のアプローチになびかぬはずが無い! 本当に男だったと言う事か……!?」

「……そう言う事ですか。相変わらず、我々凡人には理解し難いほどの自信に満ち溢れていらっしゃるようで。

 しかし、私はあなたに恋愛感情は一切抱いておりませんし、今後もそのような気持ちを抱く事はないでしょう」

「馬鹿な……君は女ではなかったのか……!? 魔女なのでは……!?」


 女なら、自分にアプローチを掛けられて惚れないはずがない。

 それは、ブィックスにとって大前提事項であった。


「……恋愛感情を抱いた女性なら、魔女でも構わないという発言は、本心ですか?」

「そんな訳なかろう! 君を油断させるための虚言だ! 魔女だと自白させ、処刑台に立たせるためのな! この私が、魔女なんぞに寝返る訳なかろう!」

「そうですか……安心しました」


 リンは、フッと微笑んだ。


「それでは、私は先に帰らせてもらいます。ついて来ないでくださいね。少佐と一緒にいると、身の危険を感じるので」

「誰がついて行くか! 君に好意を抱いていると言ったのも、嘘に決まっているだろう! 誰が貴様なんぞ!」


 喚くブィックスに背を向け、壊れたパンプスを脱いで階段を上がって行く。




「魔女に寝返る事などない、か……」


 第三部隊の者達にとってルエラ王女は、主でありながら子供のような存在でもある。特にルエラが幼い頃から隊にいる者は、情が沸いてしまっているだろう。ルエラ・リムが魔女だと公になった時、彼らはルエラに味方してしまい兼ねない。そして、そう言う者達ほど当然経験年数が長く、隊の中でも上の位置にいる。


「例えどんな相手だろうとも、魔女に味方してはならない――お前はその信念を曲げるなよ、ブィックス」


 夜道を城へと向かいながら、リン・ブロー――ルエラ・リム王女は、ぽつりと呟いた。

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