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灰色の王女-火刑となりし男装王女の魔女狩り譚-  作者: 上井椎
第1章 漆黒と純白の輪舞曲
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第10話 闇夜の急襲

 ルエラとティアナンは、咄嗟に地を蹴り飛び上がっていた。

 ルエラは欄干の上へと着地し、辺りを見回す。二人の立っていた場所に、大きな穴が空いている。

 闇の中、ティアナンの後方から風を切るような幽かな音がした。


「伏せろ、ティアナン!」


 ティアナンのいる方を何かが通り抜ける衝撃があった。

 続いて、大きな物音。民家の壁が壊れたらしい。


「無事か!?」

「え、ええ。まあ……」


 声は、塀の方ではなく足元から聞こえた。警告は間に合ったようだ。

 ルエラはもう一度闇を見回し、声を張り上げる。


「何者だ! 姿を現せ!!」


 返答は無い。

 聞こえるのは、男達の狼狽する声ばかり。


 ルエラは高く飛んだ。

 ルエラの立っていた欄干が、大きな物音と共に崩れ落ちる。


「岸へ走れ!」


 二人は一斉に、うろたえる男達のいるペブル側へと駆ける。

 足音で位置を察知したらしく、攻撃は繰り返し襲い掛かる。それらを跳んで避けながら、橋を駆けて行く。


 衝撃波が来るのは、一定方向。

 ペブル側の岸、やや左。


 ルエラは横目でそちらを確認する。

 橋は、土手から土手へと渡されている。土手を挟んでいるとは言え、川のそばに建物は少ない。先ほど壁を破壊された民家の他には、二、三軒程度しかない。該当する位置に隠れられるような建物はなく、土手の上に立つ人影があった。


 気付くや否や、人影がこちらへと手をかざす。

 ルエラは身体を横に倒し、前へと跳んだ。当て損なった衝撃波が、橋の欄干を砕く。


 川上から、轟音が近づいてくる。


 二人の目が、驚愕に見開かれた。

 目の前で、橋が折られたのだ。それは、公園の街灯や学校の大門と同じような折られ方だった。


 宙に浮き無防備になった二人目掛けて、橋の大きな破片が飛んで来る。

 破片は、土手の上にいる男達へも降り注ごうとしていた。


 ルエラはコートのポケットから小瓶を取り出すと、土手の上に立つ人影へと放った。

 しかし、中身の魔薬に攻撃力もなければ、ここからでは到底届くような距離でもない。


 轟音の中、掻き消されまいとルエラは声を張り上げた。


「大きく息を吸え!!」


 直後、強い衝撃と共に激しい轟音が辺りを包んだ。




 ルエラ達は、水の中にいた。

 それまでの音は一切聞こえなくなり、ひんやりとした感覚だけが、ルエラを包む。


 冷たい闇の中を上下左右に流され、すぐに地面へと投げ出された。

 ルエラは素早く立ち上がり、辺りを見回す。

 その場の誰もが、びしょ濡れだった。男達は、ほとんどが気絶していた。かろうじて意識のある者も、「魔女だ、魔女だ」と繰り返し呟いていて、話にならない。


「う゛……」


 ティアナンが呻き声を上げ、起き上がる。


「ティアナン! 無事か!」

「ええ。今のは、いったい……。まるで、水が意志を持って我々を守ったかのようでした。あんな急な氾濫……それも、全員を包んで、誰一人怪我もなく、流される事もなく、地面に投げ出されるなんて……」

「ああ。私達はずいぶんと運が良いようだ。敵も、私達のあまりの強運に怖気付いたらしい」


 ルエラはしれっと答える。


 もう、攻撃して来る気配はなかった。

 しんとした静けさの中、川の流れる音だけが下方から聞こえる。ルエラ達を飲み込むほど高くなった水嵩も、あっと言う間に元通りになっていた。






 近くの民家から通報し、男達はペブル町軍へと引き渡された。


「ご協力感謝します」


 軍部の一室で、パトリシア・エルズワースはルエラとティアナンに敬礼した。


「彼ら、暴力行為や人さらいで指名手配になっていた盗賊一味なんです。まさかこんな形で逮捕できるなんて……助かりました」

「彼らの様子は?」


 ルエラの問いに、パトリシアは首を左右に振った。


「まだ事情聴取はできそうにありません。半分は気絶したままですし、意識が戻った者や元々気絶をしていない者も、魔女だ呪いだと怯えるばかりで……」

「滑稽ですね。自分達も、魔女と同じぐらい酷い事をしてきたでしょうに」


 ティアナンが冷たく吐き捨てる。


「いくら盗賊と言えども、彼らが相手にしていたのはか弱い市民だ。魔女に怯えるのも無理ないさ」


 魔女は、人間達にとって理解し得ない力を使う、言わば化け物だ。

 実態の分からない生き物という点では魔法使いも似たようなものだが、魔女はその多くが害をなす存在だ。古くからそう伝えられており、人々の魔女への恐怖は根深い。


「それで、ルノワール長老は一連の事件について何と?」

「ああ……彼も、我々と同じ考えだった。アリーは魔女ではない。事件の真相は、別のところにある」


 パトリシアは、ホッとしたように微笑んだ。


「そうですか……良かったです。アリーを信じてくれる人が増えて」

「あの男達は、誰かに頼まれてアリーの宿屋を襲ったと言っていた……。この事件、犯人はアリーではない。アリーを恨む別の誰かが、裏で糸を引いている」

「我々を襲ったのが、その真犯人でしょうか……」

「その可能性は高いな。私は犯人を見たが、暗闇で顔までは分からなかった。体型からして女だ――あれは魔法だろうから、魔女だな。遠かったので正確には分からないが、私と変わらない背丈だった」


 ルエラの背丈は、百六十に満たない程度。男装しているので幼く見られがちだが、女としては平均的だろう。実際、ユマもルエラと大して変わらない。パトリシアはルエラより少し高い程度、アリーは逆に少し低い。

 あの距離では、ルエラより高いか低いかの判定は不可能だった。


「しかし、アリーではない。アリーにしては、あの服装は良質過ぎる」


 女はマントを羽織っていたが、川の氾濫の折、逃げ出す際にその裾が翻った。下に着ていたのは、丈の長いワンピース。裾の部分には、レースの装飾が重ねられていた。




「エルズワース少尉が、アリーの魔女嫌疑についての調査を?」


 そう問うたのは、ティアナンだった。

 パトリシアはうなずく。


「ええ。最初の火事についてアリーから話を聞いていたのが私だったのと、私なら親しいので彼女の周辺についても詳しいですから……」

「……怖くは、ないのですか」


 パトリシアは目を瞬く。ルエラも隣に立つティアナンを見上げる。彼は真剣な眼差しで、パトリシアを見つめていた。

 パトリシアはきょとんとした様子で、小首を傾げる。


「と、言いますと?」

「深く調べる事です。

 万が一にも彼女が魔女だったら、魔女でなくとも真犯人や物理的要因が見つからなければ、彼女は処刑されてしまいます。大切な人を失ってしまう事、それに自分が加担する事が、あなたは怖くないのでしょうか」


 パトリシアは二、三度瞬きを繰り返していたが、やがてふわりと微笑んだ。


「アリーは魔女ではありません。私はそれを確信しています。

 真犯人は必ず見つけますよ。ですから、何も恐れるような事はありません」






 明日中に、賢者ルノワールあるいはその孫のルイ・ルノワール中尉から連絡があるだろうと言う事だけ伝え、ルエラとティアナンは軍部を後にした。


「……私は昔、大切な人を守れませんでした」


 宿のある通りまで帰って来て、ティアナンはぽつりと呟くように言った。

 少し先に見える宿からは、赤みを帯びた温かな光が漏れ出ている。そばのガス灯の明かりが、ティアナンの眼鏡に反射しその表情を隠す。


「今度こそ守りたいんです。アリーを救いたい。今あの子の置かれている立場が、彼女とよく似通っているんです」


 アリーと似た立場――つまりは、魔女の疑い。

 失われたと言う事は、その女性は……。


「その人も、魔女の嫌疑を掛けられたのか」

「はい。出て来る話は皆、彼女が魔女だと示す物ばかりでした。市民の為に魔女を処刑するのが、我々の仕事です。私情を挟む訳にはいかなかった……」


 重苦しい空気が二人の間に流れる。


「人によるのかも知れませんが、私はエルズワース少尉のように割り切る事は出来ませんでした。

 彼女を信じていなかった訳ではありません。けれど、物理的要因を絶対に見つけるという自信はありませんでした。魔女の関わらぬ場合でさえ、原因不明のままに終わる事故は多いですから。その多くは、不審火なら乾燥、建物の倒壊なら老朽を原因にされる事が多いです。けれどそれらは、物理的証拠など見つけられない。推測でしかありません。

 魔女の嫌疑が誰かに掛かっている場合、その女性が原因ではないと証明するのは難しい」


 確かに、ティアナンの言う通りだ。

 通常、一度魔女の疑いがかかれば、その疑惑を晴らすことは難しい。


「エルズワース少尉は、どうしてああまで深く事件について調べられるのでしょう……。私は、事件の調査から逃げたいと何度思ったかしれません」


 そう語るティアナンの横顔は無表情だが、どこか憂いを帯びていた。


「今回は、真犯人の存在がある。真犯人という明確な証拠があるのも、彼女が自信を持っていられる理由として大きいのではないだろうか。

 中佐は、アリーを昔から知っているのだったな。ご両親と親しかったのか? アリーはたぶんそうだろうと曖昧な様子だったが……」


「ええ。間違っていませんよ。アリーの父クロードは、親友でした。

 彼らが亡くなった時、私はアリーを引き取ろうとしたのですが――それは彼の親戚が許しませんでした。ヴィルマに顔を見られたという厄介なおまけはあっても、財産は豊富にありましたから」


「引き取ろうとまでしたのか」

「自分達に何かあったら、アリーをよろしくと頼まれていたんです。……思えば、あの時から彼らは自分がヴィルマに殺されるかもしれないと言う事を、予感していたのかも知れません」


 ルエラは目を見開き、足を止めた。


「心当たりがあったのか? あの事件は、無差別虐殺だったと聞いたが」

「その話に間違いはありませんよ。……もう、昔の話です」


 ティアナンはそれ以上語ろうとはしなかった。






 翌朝、ルエラは騒々しい物音や叫び声に目を覚ました。眠い目をこすり、時計を確認する。

 まだ朝の五時。二時間しか眠っていない。


 晒しを巻き、服を着て部屋を出る。

 ちょうど、ユマが二階へと上がって来たところだった。ネグリジェの上にガウンを羽織っただけの姿。肩から落ちたガウンにも構わず、廊下を駆けて来る。

 ユマは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「リン……! アリーが……アリーが……!」

「どうした? アリーに何かあったのか!?」


 まさか、昨夜の魔女だろうか。

 ルエラもユマの方へと駆け寄る。


「さっきまで、軍の人達が来ていたの。アリーを連れて行ったわ。今日の昼過ぎに、処刑するって……!」


 ルエラは絶句する。ユマは、その場に崩れ落ちた。


「リン、アリーは魔女じゃないって言ったじゃない……! 無実を証明するって……!!」


 ユマは床に座り込み、泣きじゃくる。

 ルエラは言葉も出ず、ただ茫然と立ち尽くすばかりだった。

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