第5話 側室の悲鳴
宮中の朝は静かだ。昨日までの緊張がまだ空気に残っている。側室たちの容体は落ち着きつつあるが、油断はできない。私の嗅覚は微細な変化も見逃さない。
「匂い……変わったわ」
布団に残る微かな樹脂の香りが、わずかに酸味を帯びている。昨日と違う混合成分。誰かが再度手を加えた可能性がある。犯人は焦っているのか、それとも挑発しているのか。
蓮がそっと私の横に立つ。
「何を見つけたのです?」
「昨日と違う匂い。混ざった成分が変わってる。つまり、再度触れられた痕跡があるの」
「……つまり、まだ犯人は近くに」
彼の声は低く、警戒がにじむ。無骨な護衛だが、匂いに基づく私の推理を理解し、動く。
午前中、側室の一人が突然悲鳴を上げた。布団に寄り添い、手元の薬を握りしめる。匂いを嗅ぐと、甘く酸っぱい薬草の香りと、黒い樹脂の残り香が混ざる。単なる体調不良ではなく、誰かの意図的な妨害だ。
「落ち着いて。ここで深呼吸して……」
小さな瓶から薄い黄色の液を二滴、唇に落とす。ラベンダーでもカモミールでもない、薬草の残り香を基に調合した応急処置。彼女の呼吸が少しずつ落ち着き、顔色が戻る。嗅覚は正確だ。状況を見極め、次の手を指示する。
その後、庭で昨日集めた樹脂の断片を解析する。蓮は周囲を警戒しつつ、私の手元にある小片を確認する。微細な残り香を分析すると、半合成薬品と古代香料の割合が微妙に違うことに気づく。つまり、犯人は少しずつ手順を変えている――高度な計画犯だ。
「誰か内部の者が関わっているのかもしれないわね」
私が呟くと、蓮は無言で頷く。警戒の目が光る。宮中の奥で、目に見えぬ力が動いている気配を感じる。
午後、侍医の綾目が駆け込む。
「桐子殿、側室の一人が目を覚ましました! 匂いは何か分かりましたか?」
「昨日とは少し違うけど、黒い樹脂と古代香料の組み合わせ。犯人の行動パターンが見えてきた」
綾目の目が輝く。薬学と医学の連携が、こうして小さな事件の解決に直結するのだ。
夜になり、宮中の庭に月光が落ちる。黒い樹脂の小片がわずかに輝き、匂いのパターンは次の動きへの手がかりを示す。桐子の嗅覚は、静かに、しかし確実に真実に迫りつつある。
「明日、もっと奥まで踏み込む。犯人の痕跡は見逃さない」
蓮が背後で無言の承諾。二人の間に、言葉以上の信頼が結ばれた。霧市の薬師の嗅覚が、宮中に潜む陰謀の輪郭を照らす夜――静かに、しかし確実に次の展開が近づいていた。