第4話 密室の香り
宮中の朝は、昨日よりも静かに重い。側室たちの体調は悪化し、簡単な応急処置では追いつかない。燈草堂の香りとは違う、緊張と警戒の混ざった宮中特有の匂いが漂う中、私は寝室を一つずつ確認して歩いた。
布団や衣服の残り香、床の微細な樹脂片、窓の隅に残るわずかな埃の香り――すべてが、ただの偶然ではないことを告げていた。香痕が教えるのは、誰が何を触り、どこで何が起きたか。匂いの痕跡は、無言で真実を語る。
「蓮、こちらを見て」
小さな机の下、黒い樹脂の断片がほとんど見えないほど散らばっている。乾燥した粉の香りは、昨日と同じく古い薬草と半合成薬品の混合だが、今回のものは微かに甘さが強い。誰かが故意に撒いたとしか思えない。
「密室のように見えるけど、侵入の痕跡がある。窓の鍵や床の埃の向き、触れた形跡……全部計算済みね」
蓮が眉をひそめてうなずく。護衛としての経験が匂いに基づく私の推理を補う。組み合わせると、非常に不自然な状況が浮かび上がる。
午後、侍医の綾目が再び駆け込む。
「桐子殿、側室の容体が……急に悪化しました。匂いで何か手がかりは?」
「匂いだけで全てはわからない。でも、黒い樹脂の種類と量、そして配置から、犯人の行動パターンはだいたい見えた」
匂いを頼りに、私は布団や家具の周囲を調べる。蓮が見守る中、微細な樹脂片を集め、香りの変化を確認する。嗅覚が示す情報は、文字通り無言の証言だ。
夕方、庭に落ちた断片を蓮と一緒に確認すると、匂いの中に新しい成分が混ざっていた。甘く、少し酸味のある古代香料。宮中に残る伝統的な薬材ではなく、外部から持ち込まれた可能性が高い。
「つまり……犯人は内部ではなく、外部から計画的に持ち込んだのね」
蓮が黙って頷く。護衛としての経験が、私の推理を裏付ける。
夜になり、宮中の静寂に包まれる中、桐子は独り香痕を確かめる。黒い樹脂の香りはまだ微かに残っているが、手がかりは増えた。匂いが教えてくれるのは、犯行の手順と、次に起こる可能性のある動き。宮廷の闇は深く、しかし私の嗅覚は確実にその輪郭を追いかけていた。
「明日、もう一歩踏み込む必要がある……」
小さく呟き、私は手袋を整える。蓮の視線が背後で光る。二人の間に、言葉はほとんどなくても、信頼と緊張の糸が結ばれた。
霧の夜、香りと陰謀は少しずつ絡み合い、桐子の嗅覚が真実に迫る準備を整えている――次の動きは、誰も予想できない。