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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

知りたくて

仕事が休みの土曜日、朝早く目が覚めたので散歩に出かけると空気がひんやりしていた。もう十一月になるし、もっと暖かい恰好をしてきたほうがよかったかな、と思いながら近所を歩く。深呼吸すると気持ちいい。

時間を気にせず散歩を楽しんでいたら、公園で空を見上げている男性の姿が目に入った。その背が透きとおって見えて息を呑む。あまりに美しくて立ち尽くしてしまった。


「……?」


俺の視線に気づいたのか、男性がこちらを振り返り優しく微笑んだ。それが更に美しくてどきりとする。


「おはようございます」


澄んだ声で、離れているのにはっきりと男性の声が聞こえた。男性が俺のほうに来て、俺も、おはようございます、と返す。


「あ、パンのいいにおいがする。あそこのパン屋さんかな」

「本当だ」


男性がすん、とにおいを嗅ぎ、まるで友人のように二人で歩く。初めて会った人だと思うけれど、なぜか一緒にいて落ち着く。


「今朝は冷えるね」

「もう少し暖かい恰好をしてこればよかったと思いながら散歩してた」


隣を歩く男性をちらりと盗み見ると、綺麗な横顔がきらきらしている。先程透きとおって見えたのは纏う雰囲気からだろうか。どこかふわふわしているように感じられる。


「おと」

「え?」


おと? 音?

なんだろうと思い、男性を盗み見るのではなくきちんと見ると微笑まれた。笑顔が綺麗で少し幼い感じだ。同い年か年下かもしれない。男性は自分を人差し指で指差して、もう一度おと、と言う。


「俺、央音(おと)

「ああ……」


名前か。


「俺は貴暁(たかあき)

「素敵だね」


自分も名乗ろうと思って、仕事のときのように苗字が出かかったのを止めた。央音の柔らかい笑みにどきりとして、なんで男性相手にその反応なんだ、と思いながら目を逸らす。少し頬が火照ったのは気のせいだと自分に言い聞かせる。


「またね、貴暁」

「うん」


少し歩いて分かれ道で央音と別れる。その背を少しの間見て、俺も歩き出す。


「『またね』……」


これにもどきりとした。






翌朝はアラームをかけ、昨日と同じ時間に起きて散歩に行った。公園に行くと央音がいる。なぜだかわからないけれど、ただ少し話すだけなのが嫌で、近くにある自販機でココアを二つ買ってから声をかけた。


「央音」

「貴暁、おはよう」


ベンチに並んで腰かけてココアを飲む。央音は笑顔が幼いだけで、年は一つ上だった。会社員で、休日は朝に散歩をするのが好き。


「央音はパンが好き?」

「どうして?」

「昨日、パンのいいにおいって言ってたから」

「パンよりご飯だけど、そればっかりだと飽きるかな」


つまり、どちらでもないということだろうか。疑問符を浮かべていると央音が笑う。央音が笑っていると心がふわりとする……この感覚はなんだろう。


「央音は散歩以外はなにが好き?」

「散歩以外……? 寝るのも好きだよ。本を読むのも好き」


なんでも好き、と微笑まれてまた昨日のようにどきりとする。胸が高鳴るのも不思議で、少し熱くなった頬を隠すように俯くと、隣から小さな笑い声が聞こえてくる。


「貴暁は、俺を知りたい?」


央音を知りたいか……?


「……そう、かも」


なんでだろう……知りたいみたいだ。央音に興味がある。


「それなら、また来週会えるといいね」


央音が立ち上がるので俺も腰を上げる。ココアのペットボトルは空になっていた。

俺はそのまままっすぐ帰宅した。目的は央音に会うことだけだったから。






翌週、また俺は散歩に行き、公園で央音に会った。央音との時間を持てるのが嬉しくて、不思議なくらい央音といたいと思う。

その次の週も央音と会った。その次の次の週も。

色々な話をするのに俺は央音が全然わからない。不思議な男。

更に次の週、また央音と会った。


「央音は不思議だね。話してもよくわからない」


俺の言葉に央音は首を傾げる。


「俺を知りたい?」


いつかのように迷うことなく、今度ははっきり頷いた。


「知りたいなら、付き合ってみる?」


目をしばたたかせる俺を微笑みながら見つめる央音は、やっぱり不思議で。ゆっくり、しっかりと頷いて、差し出された手に手を重ねた。

この言葉を待っていたのかもしれない、と思いながら。






休日の朝の公園だけだった逢瀬が、平日の夜に央音の部屋や俺の部屋、近所の居酒屋、ファストフード店など、様々な場所になった。二人でどこに行くと決めるのでもなく、歩いてたどり着いた場所が目的地。


「貴暁、ほら」

「うん」


差し出された手に手を重ねる。

央音とは手を繋ぐようになって、俺はそれだけでどきどきする。手を繋ぎたいと思うと央音は繋いでくれるけれど、気まぐれに離されてそれが俺は心細い。

そばにいる男は羽が生えているかのようにふわふわしていて、手を繋いでいないとどこかに行ってしまいそうに感じるときがある。

央音をもっと知りたいのに、知れば知るほど央音はわからなくなっていく。好きになればなるほど遠い。

なにが違うんだろうと考えて、央音の様子を注意深く見る。


「貴暁」


俺を呼ぶ心地よい声。優しくて、心がほぐれていくような。ずっとそばにいたい……いつまでも隣に。初めての感覚に戸惑うくらい、央音を求めている。


「央音」


呼びかけて、はっとする。央音の見ているところが遠い……?


「どうしたの、貴暁」


わかった。央音は俺に心を開いていない。なにかを固く閉ざしているのではないか……いつまで経っても央音がわからないのはそういうことではないか。

足元が崩れるような感覚に震えが止まらない。そんな俺の様子に気がついた央音が、俺の手をぎゅっと握る。


「どうしたの?」


重ねて聞かれるけれど答えられない。その目に俺は映っているのだろうか……央音には俺が見えているのだろうか。






しばらく央音をいつも以上によく見ていたけれどやはり同じで視線が遠い。今まで気づかなかったことが不思議なくらいだ。浮かれていたのかもしれない。好きだとどきどきしていたから、手を繋いだ温もりに、俺は心が溶かされていたからまったく見えていなかったんだろう。この央音の心の距離は、拒絶とは違うんだろうか。


「貴暁、これおいしいよ」


央音がサーモンのマリネを俺の皿にのせる。食べるとおいしいのに、ほろ苦く感じてしまうくらい苦しい。


「おいしくない?」

「……おいしい」


おいしいと感じたものを俺にも食べさせたいと思ってくれたことが嬉しいのに、俺を見ているようで見ていない瞳が悲しい。


「央音は魚好き?」


刺身や焼き魚をよく頼んでいるから、そうかなと思った。もっと教えて、央音のことを。知ればこの不安も消えるかもしれない。


「好きかもしれない。でもお肉も好きだよ」

「そうなんだ……」


よく頼むけど、好きかもしれない程度で、肉も好き。俺のこともそうなのかもしれない。よくそばにいるけれど、好きかもしれない程度。好きかと聞かれたらそこまでじゃないのだろうかと思ったら急に心細くなった。でも、「俺は?」とまっすぐ聞く勇気がない。

央音のすべてを知りたくて手を取ったのに、知れば知るほどわからなくなっていく。二人でいるのに、独りぼっちのようだった。


ねえ央音……、央音がわからないよ。






初めて目的の場所を言った。「夜景が見たい」と俺が言うと、央音が少し小高くなっている場所にある公園に連れて行ってくれた。そういえば俺達は近所ばかりをうろうろしているな、と今更思ったけれど、本当に今更だ。ずっと無言の俺に央音はなにも言わない。そのことを俺はわかっていた。俺だけが好きだった。

公園で並んで夜景を見る。でもなぜかすべてが霞んで見えて、なんの彩もない。


「綺麗だね」

「わからない」


俺の答えに央音がなにも言わないことに、そうだよな、と自嘲してしまう。央音が手を繋ごうとしてくるので、その手を避ける。また手を握ろうとする央音に向き直り、俺は首を横に振る。


「……もういいよ」


笑いかけると央音が動きを止める。


「どうしたの?」


俺はもう一回首を横に振る。


「もう手は繋げない」

「いつならいい?」


央音は手を繋ぎたいんだろうか。それはなんのため? なんで好きでもない俺と手を繋ぐんだろう。好きじゃないのに……好きなのは俺だけなのに。そう改めて考えると苦しくてぐっと胸が詰まる。この胸には、たくさんの「好き」がある。


「そうだね……まためぐり会えたら?」


それは、俺にはもう会う気持ちがないという意味だったけれど、央音には絶対伝わっていない。ここにきて自分の言うことを濁したい気持ちになっている俺は、遠回りな言い方をしてしまう。やっぱり央音は首を傾げる。


「どういう意味?」

「もうずっと手は繋げないってこと」

「貴暁?」

「央音の大切な人って誰? 央音の好きな人って誰? 俺のこと、好きなの……?」


一息に言って央音をじっと見る。これが最後……目に焼きつけておきたい、俺の好きな人。馬鹿みたいだけれど、どうしても好きだ。今だってそばにいたいし央音が纏う空気を心地よいと感じてしまう。


「つまり……?」


央音の問いかけに、すぅ、と息を吸う。


「さよなら」


好きな人を置いて公園を出た。さよなら、もう二度と会わない。






なにをしても虚しい日々で、なにもしたくないし、なにもできない。なにもない心に過るのは央音との日々で、思い出す央音の笑顔だけが唯一の光のように明るい。無気力に仕事をこなすのが精いっぱいで、帰宅後や休日に外に出る気にもなれない。


「空っぽの央音でもいいから、そばにいたかった」


本音はそうだけど、そんな寂しいことは嫌だと言うのも本当。俺の呟きは天井に吸い込まれていき、それを追いかけるように天井を見上げて、そこに浮かんで見えるのも央音の笑顔。

日が経つごとに苦しくなっていく。身体に巻きつく鎖が日々きつくなっていくように感じて、このまま首が絞まって息絶えるのかもしれないと考える。それもいいかもと笑う俺は、立ち上がる気力さえない。

そばにいたかった、好きだった。今でも忘れられないくらい好きで、会いたい。

でも、そばにいるのにそばにいないなんて、そんな寂しいのは耐えられない。涙を流す俺に触れてくれる央音はいない。


「央音は独りでいたいのかな……」


だったら俺も独りでいようと、部屋のすみで膝を抱える。フローリングの床がひんやりしていて、その冷たさがじわじわと俺を責めるようで切ない。俺は間違っていたのだろうか。あのとき、あの言葉以外になにが言えただろう。心を閉ざした央音に寄り添い続けることは俺にはできなかった。だからせめて、俺も独りでいよう。

でも、できたらまた央音にめぐり会いたい。独りきり同士で慰め合えるかもしれない。

声を押し殺して泣いているとインターホンが鳴り、一瞬顔を上げて、すぐに膝に顔をつける。誰かが来る予定はないから出たくないと無視しようとすると、続いてドアをノックする音がしてびくりとする。


「……?」


誰だろうと立ち上がり、モニターを見ると央音が映っていて慌ててドアを開ける。考えるより先に身体が動いていた。俺の顔を見た央音は切なげに表情を歪めた。


「泣いてたの?」


あ、と思って顔を隠し、なんの用、と聞こうとして、聞けないくらい強い力で抱きしめられた。


「ねえ、俺はやっぱりだめ?」


央音の問いかけがわからなくて、とりあえず部屋に上がってもらった。こんなところで抱きしめられていたら人に見られてしまう。

床に並べたクッションに央音と隣り合って座ると、央音は俺の手を握って息をついた。


「ごめんね」


謝罪にびくりとしてしまう。それはなんの意味を持つものだろうか。


「俺、昔付き合った人に『顔しかいいとこないね』って言われたことがある」

「え……」

「それ以来、人への好意がわからなくなった。その人を好きな気持ちが一気に冷めて、自分の感情の急激な変化って言うのかな、それに戸惑ったからだと思うけど」


思案しながら話す、初めて見る表情の央音に心臓が高鳴る。こんなときなのに、知らない央音を知れるのが嬉しい俺はおかしい。央音は俺の右手を両手で包むように握って、はあ、ともう一回息をつく。


「貴暁のそばにいたいと思った。でも、貴暁をどこかで怖がっていたのかもしれない。また拒絶されたら……って」

「そんな……」

「だけど付き合いたいと思った気持ちは本当なんだ。貴暁が俺を知りたいって思ってくれたように、俺も貴暁をもっと知りたかった。その気持ちをきちんと表せていなかったのかな、って後から思った」

「……」


なにも言えなくて俯いて唇を噛む。俺は無神経で自分のことばかりで、央音の気持ちを考えていなかった。


「貴暁のこと、ちゃんと大切だよ」

「央音……」


欲しかった言葉にどきどきと脈が速くなり、頬が火照ってくる。真剣な表情で俺を見る央音は、やっぱり俺が知らない央音で、そんな表情を見せてくれるのかと胸がいっぱいになっていく。


「さよなら、やだよ」


寂しそうな瞳に俺が映っていて心が温かくなる。央音が俺を見てくれている……やっぱり俺は自分のことばかりだ。


「ごめん……俺、自分のことしか考えてなくて」

「ねえ、キスしていい?」


俺の謝罪を遮る央音の言葉に一瞬固まって、すぐに頬がかあっと熱くなった。にじり寄ってくる央音から距離を取ろうと後ずさる。


「も、もう別れたんだからだめ!」

「じゃあ勝手にする」

「え、んっ……!」


央音がわからない……自分自身もわからない。突き飛ばして部屋から追い出せばいいのに、何回も唇を重ねてくる央音の背中に腕を回してしまう。


「……好きだよ、貴暁」


囁きに涙が零れて心が溶けていく。ずっと待っていた。


「『好き』が怖くないこと、貴暁が教えてくれた。貴暁と会えなくなって、好きって言いたくて苦しかった」


やっぱり俺は自分のことしか考えてなかったんだ。央音はちゃんと俺を好きでいてくれたのに、あんな突き放すようなことをしてしまった。


「好きだよ、貴暁……大好き。きちんと話してなくて、待たせてごめんね」

「……うん。遅い、よ……」


俺の言葉を遮るようにまたキスが降ってきて、唇が離れたと同時に央音を睨む。


「遅すぎる」


涙で滲む視界で央音が微笑んでいる。優しい笑顔が渇ききっていた心を潤し、ほぐしてくれる。


「ごめん……ごめんね」


謝りながら央音はキスを繰り返す。

わからないからわかりたい。きっとこれからは央音を知れる気がする……近づける気がする。心を向ければこちらを見てくれるとわかるくらい、央音に向けた感情が返ってきている。


「……遅すぎるから、待ってたよ」


頬を伝う涙を、央音の綺麗な指で拭われた。




END

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