大手進学塾⑭
以前、異動が決まった際に、人事部長の酒井さんが言っていた。
「エリアが変わると環境に慣れるのが大変だと思います。違う会社に行くと思っていた方が良いですよ。」
……やっと、その言葉の意味が分かった。
トゥルル……、トゥルル……
スマホの着信音がなる。
(ん、誰だ?)
電話に出ると、秋さんだった。
「黒井さん、出勤前にすみません。 名取さんが……」
(え、名取さん……? まさか……!?)
「名取さんが行方不明なんです。」
(………!!)
「昨日、体調不良で名取さんが休みだったから、遠藤さんに様子を見てくるように言われたんです。 それで、家に来てみたら誰もいないみたいで……」
「わかりました。今から、俺も向かいます。」
10分後、俺は名取さんのアパートに着いた。
秋さんは、近くの公園でプリンを食べていた。
!!(゜ロ゜ノ)ノ
名取さんの部屋の前にいたのだが、不審者に間違えられそうになったため、公園に避難したらしい……。
「部屋の中には、いないようです。黒井さん、どこか心当たりはありますか?」
「いえ………… あ! そういえば………」
名取さんは、俺と同じく小学校から野球をやっていた。何かあると、バッティングセンターに行ってストレスを解消すると言っていた。
「もしかしたら、あそこかも……」
俺は秋さんと、バッティングセンターに向かった。
バッティングセンターに着くと、名取さんはすぐに見つかった……。しかし、俺たちの姿を見つけると走って逃げ出した。
(はぁはぁはぁ、きつい 全力疾走なんて何年ぶりだろう……)
「まっ、待って、名取さん………」
俺がそう言った瞬間
ズサァー
転んだ…… 名取さんが転んだ
後ろを振り返ると秋さんの姿は見えない。
「名取さん……、大丈夫ですか?」
「うっ、う……」
名取さんは泣いていた……。
「わ………わからないんです……。生徒が待っているって分かっているのに、数字を達成しなきゃと思うと気持ちが悪くなって、目眩もして……」
名取さんが涙を流しながら、そう言った。
俺は何も言わず、名取さんの話を聞いた。
「あの子たちの笑顔を見たい、色々な話を聞きたい、と思うんですが………、いざ出勤しようと思うと……」
「分かりました………、無理はしないでください……。ただ、生徒は代講の先生ではなく、名取先生を待っているんです。
『すべては生徒一人一人の幸せのため、誠心誠意尽くす』
俺は名取先生がそれを体現できる人だと思っています。」
この時は、これを伝えることが名取さんにとって最善だと思っていた。
その後、俺は名取さんを家に送り届け、秋さんと合流した。
秋さんは、俺たちを見失ったあと、コンビニでアイスを食べていたらしい……。
拠点校舎に出勤した俺は、遠藤さんに今日も名取さんが来れないことを伝えた。
「そうか、あいつも根性ねえなぁ。」
遠藤さんがそう言った瞬間、俺は飛び掛かろうとしたが、秋さんがそれを察し俺の肩を押さえた。
「黒井さん……、プリンでも食べましょう」
秋さんが言った。
プリンを食べて、落ちついた俺は、名取さんの授業の穴を埋められるように、アルバイトの先生に連絡した。
アルバイトの先生は、自宅から近い俺の校舎になら入れそうだった。
そのため、俺の代講をアルバイトの先生が、名取さんの代講を俺が行うことになった。
名取さんの校舎で生徒を出迎えると、
「今日、名取っち、いないの~?」
「先生、誰? 名取先生が良かった~。」
そんな声が聞けた。
俺は、ちょっとだけショックだったが、名取さんの人気ぶりが嬉しかった。
授業を進めていると、窓の外を眺めていた一人の生徒が気づいた。
「あ、名取っち!」
「え?」
授業を受けていた16人の生徒全員が窓際に集まった。
「お~い、名取っち。早く授業してよ~」
一人の生徒が窓を開けて、名取さんに声をかける。
「おい、今授業中だろ? 集中しろよ。」
名取さんがそう言って、俺に気づいた。
「だって、あの先生の授業、つまんないんだもん。」
「おい、ちょっと………駄目だよ、そんなこと言っちゃあ。」
そう言いながらも名取さんは笑顔を見せた。
(え~、ショック泣 でも、名取さんが元気そうで良かった。)
それから、俺は名取さんに授業をお願いし、教室の後ろで楽しそうな生徒たちや名取さんの様子を見ていた。




