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中編 天使と株主たちと

5.第一の株主--老婦人


「お祖父様が亡くなって、急に老けたんです」

 祖母の飯合美佐さんを自宅に訪ねる道すがら、孫である美咲さんが言った。今日の彼女はイエローのTシャツにブルーのデニム、白のペタンコのスニーカー。ウェリントン眼鏡は変わらない。ボクの持愛比率のメーターも、ルカさんが3分の2の「特別恋愛」状態で変わらない。

「髪の毛も一気に白くなって」

「無理も無いよね。仕事もプライベートもずっと二人三脚で歩んできた、伴侶を亡くしたんだからね」とボク。

 十海駅の北側、国立天歌大学経済学部のキャンパスの裏手に広がる、高級住宅地に訪問先の家があった。

 8月7日の午後の空は曇り。風もあって、暑さは幾分凌ぎやすい。


 少なくとも10部屋はありそうな、広壮なお屋敷の門口でインターフォンを鳴らす。ほどなく家政婦さんと思われる人の声で応答。来意を告げ、少し待つと扉が開く。

 ボクたちを応接間に通すと、冷えた麦茶を持ってきてくれた。

 一息ついた頃に、髪の毛が真っ白な老婦人が入ってきた。美咲さんの祖母であることが、その顔立ちにはっきりと見てとれる。

 二人立ち上がり、ボクは名刺を渡しながら自己紹介する。

「お電話をくださった方ですね」

「はい」

 美咲さんの母親の真美さんからお聞きした電話番号に、今朝オフィスに出勤してすぐに電話した。できる限り早くにお会いしたい、と告げると、今日の午後でも大丈夫、とのことだった。美咲さんに確認し、2時にお伺いすることになった。

「早いもので、もうすぐ初盆ですよ」と、しみじみと美佐さんが言う。

「ほんとに急でしたから。亡くなってすぐは全然実感が湧かなくて」

 麦茶を一口啜って、美佐さんが続ける。

「四十九日を終えて、取締役会の席に主人がいないのを見て、初めて実感が湧いたんですよ。変でしょう? 自宅にもいなくなっていたっていうのに」

「72歳でいらっしゃったんですね」とボク。

「天寿、というには、少し早いでしょうか」


「最近は、出社もせいぜい週に2、3回なんですよ。取締役管理部長と言ってもほとんど名ばかりですから」

「ずっとお忙しくされてきたんですよね」

「そうですねえ」と言うと美佐さんは語り出した。

 今から45年前、健造さんが28歳、美佐さんが25歳のときに、勤務先の同僚だった二人は結婚した。長男の健壱さんが生まれたのは1年後。結婚前から独立することを考えていた二人は、長男が3歳のときに1DKに小さな作業場のついた物件を見つけ、文房雑貨を製造する事業を始めた。高校の機械科出身の健造さんが製造兼営業、当時はまだ珍しかったデザイン科の高校出身の美佐さんがデザインを担当した。元の勤務先からついてきた2人の従業員と4人で立ち上げた事業は、順調に拡大していった。

「そりゃあ、大変でしたよ。私は、小さい健壱の面倒を見ながら、伝票を整理してデザイン画を描き、昼間は営業に回っていた主人が帰ってきて、夕飯を食べると作業場で試作。次の日、従業員に指示を出してまた主人が営業に出かけて行く、の繰り返しでした」

 懐かしそうに語る老婦人。一息つくとさらに続ける。

「忙しい合間を縫って、工場物件探しもしました。現場を広げないと、とても追っつかなくなってましたから。健壱を連れて下見に行った帰りに、食堂で親子三人で食事をするのが、数少ない一家団欒のひとときでした」

 そして2年後、工場を移転したのを機に、有限会社飯合製作所として法人化した。新卒採用も行い、従業員は9人になっていた。


 家政婦さんが、冷たい麦茶のお代わりと一緒に水羊羹を持ってきてくれた。口にすると、ほのかな甘みが広がる。

「会社組織にしてからしばらく、受注がなかなか思うように伸びない中で、デザイン性の高い商品の開発に力を注ぎました。そして、父親と同じ高校の機械科を卒業した健壱が入社しました」

「大学へは行かれなかったのですね」

「ええ。大学へ行かせるくらいの余裕はあったのですが、本人のたっての希望で」

 健壱さんはめきめきと頭角を現し、ほどなく製造部門のリーダー的存在になった。製造を長男に任せる形で健造さんは営業に専念し、受注量が増え始めた。健壱さんは生産性の向上に取り組み、美佐さんのデザインにより商品ラインナップも充実。家族3人と最古参の2人の従業員が中心となって、事業は順調に拡大した。

「高校の商業科を出て入社して、経理を担当していた真美さんと健壱が結婚してから2年後に、美咲ちゃんが生まれると同時にエムアイ産業に改組しました。創業25周年。工場とオフィスを一体化した新社屋での営業を始め、商品のブランド名を『エシア』にしたのです」

 そう言うと美佐さんは、孫の美咲さんのほうを向いた。

「貴女には悪いことをしました。健壱を工場にどっぷりと浸るような生活にさせてしまって。もっと家族と過ごせるようにしてやれば、貴女にも想い出を作ってあげられたでしょうし、そもそもあんなことにもならなかったかもしれない」

「そんな...お祖母様」と、伏し目がちだった視線を美佐さんに向ける美咲さん。


「長女の聡美が入社するのと、結果的に入れ替わりみたいになってしまいましたね」

 長女の聡美さんは、十海市内の名門女子校を卒業し、東京の名門私立大で経営学を専攻するとともに、大学後半の2年間、夜間の専門学校で産業デザインの勉強をした。

「活発な子で、中学、高校と硬式テニス部の主将を務めたんですよ」

「しかし、見事な二刀流ですね」

「そうですね。聡美に引き継ぐような形で、私はデザインの統括からは身を退きました。そして1年後に次男の健司が入社したのです」

「エンジニアでいらっしゃるとか」

「そう。3歳の頃でしたか、古い目覚まし時計に興味を持つので、試しに小さなドライバーを持たせたら、見事に分解してしまったんですよ」

「三つ子の魂百八つ」と美咲さんがニヤリ。

「...そりゃ煩悩やで」とボクが関西風ツッコミを入れる。

 次男の健司さんは中学を出ると、十海の国立工業高専に進んだ

「3年のとき、高専ロボコンの全国大会に主将で出場し、準決勝まで進んだんですよ」

「人望があるんですね」

「ぐいぐい引っ張るというタイプではないんですけど、真摯に取り組む姿を見せて、人が自然についてくるタイプですね」

「高専ご卒業後、天大に編入された」

「はい。そして学業を終えて入社すると、ほどなく最古参の従業員から製造部門の責任者をバトンタッチされました」

「お二人とも健壱さんと同じく、ご優秀なんですね」

「まあ、既定路線ということかもしれませんが...それに応えてよく頑張ってくれています。ただ...」と言い淀む美佐さん。


「亡くなられたご主人の遺言について、お聞きしてもよろしいでしょうか」とボク。

「株式のことですか」

「ええ」

「主人が亡くなる前、主人の持株比率が60%、私が20%、そして聡美と健司が10%ずつでした」

「聡美さんと健司さんに20%ずつ、美佐さんに10%、そして...」

「ご存知の通り、孫の美咲に10%です」

「おわかりでしょうが、今の状況では、30%保有のお三方のうちお二人が同意しないと、株主総会決議ができない。そのうえ重要事項の決議になると、美咲さんも含めた4人のうち3人が同意しないといけません」

「そうですね」

「美咲さんがキャスティングボードを握る局面も、出てくるわけです」

「...その通りです」

「ご主人もそのことをわかっていらっしゃったはずです。どのような思いで、10%を美咲さんに託したのでしょうか」

「正直...正直なところ、私にもわかりません。遺言の趣旨を聞いていたわけではないので」

「そうですか」

「ただ、聡美と健司がなかなか意思疎通できていないことを、気に病んでいました」

「そうなんですね」

「だから、敢えてこのような状況を作ることで、二人が手を携えて事業を発展させてくれるようになることを、願ったのかもしれません」

「なるほど」

「二人が協力すれば、まだまだ事業は大きくなる。けれど二人の仲がうまく行かなければ、事業は空中分解するかもしれない」

「美佐さんは、どのようなお考えですか。お二人のうち貴女を味方につけたほうが、有利になりますよね」

「私は...二人が話し合って一致した結論に従います。そうならなければ、どちらにもつきません」


「わたしのことは、お祖父様はどう考えていらっしゃったの?」と美咲さん。

「そうねえ...貴女のことは、常日頃、優しくて思いやりのある子だ、と褒めてましたね」

「そうなんだ...」

 お祖父様のことを思い出したのか、美咲さんの表情が曇る。

「そんな貴女が、きっと何か役割を果たしてくれる、と考えたのじゃないかしら」

「でも、わたし、未成年だよ。自分一人では何もできないんだよ」

「お母さんのことも、信頼してました。親権者の真美さんが、きっと動いてくれるだろうと信じていたと思います」

「そこまで...」

「現にこうやって、深町先生が貴女についていらっしゃってますよね」


「いろいろとお話しいただき、ありがとうございます」とボク。

「老人の想い出話に付き合っていただいて、私のほうこそ、ありがとうございます」と美佐さん。

「お聞きしたことを踏まえて、聡美さんと健司さんにお話を伺いたいと思います」

「そうですね。是非そうしてやってください」

「いきなりご連絡して不審に思われるといけないので、一度、美佐さんからお二人にお話をしていただけると助かります」

「わかりました。今日のうちに連絡しておきましょう」

 そう言うと美佐さんは、お二人の会社の直通番号を教えてくれた。


「美咲ちゃん、学校は楽しい?」

「ええ。高校になって文芸部に入りました」

「夏休みは?」

「この前友達と、天歌の海に行きました」

「そう。国立コースでお勉強大変でしょうけど、いっぱい楽しみなさいね」


 お宅を出たときには4時になっていた。美咲さんと並んで十海駅まで歩く。雲間から陽が射すようになって、来たときよりも暑く感じられた。

 美咲さんの家は十海駅の南側にある。駅の改札のところで別れる。

「じゃあ、次のアポ取れたら連絡するから」

「はい、よろしくお願いします」

 パンツルックのスレンダーな彼女の後姿を見送った。



6.第二の株主--長女


 渡された名刺には「エムアイ産業株式会社 代表取締役社長兼企画営業部長 飯合 聡美」とあった。

 8月9日の夜7時。ボクたちは、彼女が指定した十海駅近くの老舗の鰻屋の、他の客席から離れた奥の座敷にいた。

「お忙しい中、お時間をいただきありがとうございます」とボク。

「いえいえ。ちょうど先約がキャンセルになったところだったので」と聡美さん

「ご無沙汰してます」と美咲さん。今日の彼女は薄ベージュのワンピース姿。

「お正月におばあちゃんの家で会って以来かしら」

「そうですね」


「ええと...電話でも申し上げましたが、今日の食事代のうち美咲さんと私の分は、私どもで払います。ご馳走になるようなことがあると、弁護士法に抵触する恐れがありますので」

「かしこまりました」

「それと...アルコールはご勘弁願います。ボ...私は滅法弱くて、仕事になりませんので」

 聡美さんのビールと美咲さんのオレンジジュース、ボクの烏龍茶が運ばれてきた。

 カンパイ。聡美さんは中ジョッキを一気に半分くらい飲む。

「こちらのお店はよく使われるのですか」とボク。

「ええ、特にこの席が空いているときは。内密な話も気兼ねなくできますので」


 鰻の頭と皮の串焼きが運ばれてくる。

 聡美さんは「いける」口のようで、たちまち飲み干したビールをもう一杯注文している。

 しばらく世間話や、美咲さんの高校生活の話をする。

「ルミ女の国立コースって、十海県の中でも上位1%じゃないかな」と聡美さん。

「そんな。たまたまです」と美咲さん。

「いや、たまたまでそれだったら、余計すごいよ」

 うざくと肝の煮つけ。

 聡美さんは二杯目のビールを終えると、デキャンタの冷酒を飲み始めた。

「深町先生は、こちらの学校ですか?」

「はい。天歌出身で、天高から天大の法学部を出ました」

 天高は、県立天歌高校。ルミ女のお隣りにある共学校だ。

 う巻と和風サラダ。

 ビール二杯に日本酒のデキャンタ半分を飲んで顔色一つ変わらない。聡美さんは相当な酒豪のようだ。

 お料理が残り少なくなったところで聡美さんが聞く。

「このあと鰻重でよろしいですか。蒲焼もできますが」

「鰻重をお願いします」とボク。

「わたしも」と美咲さん。


 老舗の鰻屋のお料理は、どれもこれも美味しくて心行くまで堪能した。「痩せの大食い」の美咲さんも「お腹いっぱい」のひとこと。

 抹茶シャーベットのデザートが出る頃には、聡美さんもお茶に変えていた。

「さて、本題に入りましょうか」と聡美さん。

「はい。それでは...ええと、お祖父様の遺言の結果、現在の持株比率がどういう状況か、おわかりかと思います」とボク。

「はい。心得ています」

「事と次第ではキャスティングボードを握ることになる、株主の美咲さんの代理人として、議決権行使の参考になるよう、経営に関するお考えをお聞きしたいのです」

「わかりました...どこからお話ししましょうか」

「現在の財務状況を、どのようにご認識かと」

「抜本的な対策を取らないと、事業の将来は明るくないと認識しています」

「そうですか...抜本的な対策として、具体的に何かご検討されていますか」

「第三者割当増資に応じてくれるところを探しています。同族経営では限界がありますので」


「増資って、その人たちが株主になるってことですか?」と美咲さん。

「出資の仕方にもよるけれど、基本的にはそういうことになる」とボク。

「私が話をしている中では、最大4億円出資してくれそうな企業があります。うちの商品を取り扱ってくれている、大口の取引先のひとつです」

「どれくらいの株式を割り当てることになりますか?」

「先方は、出資後の持株比率が80%になるようにとの希望です」

「そうなると、ほぼ完全にその企業の傘下に入ることになりますね」

「私は、最も重要なことは、事業が継続してさらに成長することと考えています。そのためには、身売りのような形になっても仕方ないと思います」

「会社の名前も変わっちゃうんですか?」と美咲さん。

「80%持っていると、単独で定款を変更できるから、彼らが変えようと思えば可能になってしまいます」とボク。

「『エシア』のブランド名も変わっちゃうんですか?」

「取締役に誰がなるか、にもよりますけれど、社名よりも簡単に変わるかもしれません」

「わたし...わたしの一番の願いは、お祖父様と父が大切に育ててきた会社の名前と、商品のブランド名が残ることです」

「ブランド価値を考えると、先方もそう簡単には変えてこないと思います」と聡美さん。さらに続ける。

「重要なのは...従業員の雇用が守られて、事業が継続して発展していくこと。今、決断しないと、じり貧になってからでは遅いのです」

「50%以下で、応じてくれるところは無いのですか」

「残念ながら、必要最小限の出資を得ようとすると、マイノリティで応じてくれるところはありません」


「わかりました...他にお考えになられていることは、ありませんでしょうか」

「会社の経営の大きな方向性に関することでは、申し上げた通りです」

「参考になるお話をお聞かせいただきました。包み隠さずお話しいただけたこと、感謝します」

「健司にも、同じように話を聞きに行かれるのですか」

「はい、その予定です。今日お聞きした内容は、健司さんにはお話ししないほうがよろしいですね」

「そうですね...大まかなことはともかく、具体的な数字については、伏せておいていただけますか」

「了解しました」


 その後、ご家族についての想い出話を中心に、聡美さんのお話をお聞かせいただいた。

「こうやって見ると、美咲ちゃんと深町先生、お似合いのカップルみたいだね」と聡美さん。

「そう見えますか?」と美咲さん

「うん。いい感じだよ」

 持愛比率のメーターが、再び揺れ始めた。我ながら情けない。


 ラストオーダーの時間になった。お会計を別々にお願いし、ボクはクレジットカードで払い、領収書を貰った。

 店を出たときは、10時近くになっていた。路面が濡れている。夕立があったようだ。

「それでは」と言って、聡美さんは十海駅とは反対方向へ向かった。

 美咲さんとボクは、十海駅に向かう。



7.第三の株主--次男


 8月14日、次男の健司さんに指定された面談場所は、エムアイ産業の本社だった。十海駅から少し距離があるので、タクシーで向かった。

 今日の美咲さんの装束は、薄ピンクの半袖のブラウスに、インディゴブルーのスリムジーンズ、濃紺のキャップに白の厚底スニーカー。くっきりと見てとれる細くて長い足のラインに、ボクは隣の座席の彼女のジーンズを、覚られないようにチラ見していた。持愛比率のメーターは...言うまでもない。

 2時少し前、門の前でタクシーを下りて、スマホで健司さんに電話を入れる。応答があってしばらくすると、閉じた門扉の横の通用口が解錠される音がした。

 通用口を通って建屋のほうへ二人並んで向かう。彼女がキャップを脱ぐ。扉が開いて、中肉中背の男性が出てきた。

「ようこそ。お待ちしてました」

「よろしくお願いします」

「ちょうど夏季休業中で、建屋のメインの空調が落ちています。廊下を通る少しの間、暑いのを我慢してください」と言うと、男性はボクたちを招じ入れた。


 熱気の詰まった廊下を少し進み、扉が開くと冷風が流れてきた。通された応接室だけ空調が効いて、別世界のようだ。

「製造ラインは、普段は土日も動いていますので、この建屋が無人になるのは盆暮れくらいです」と言いながら、次の間の冷蔵庫から出してきた冷えたペットボトルのお茶を、健司さんはコーヒーテーブルの上に置いた。

「こんなもので、何のおもてなしにもなりませんが、どうぞ」

「いえ、暑い中を来たので、何よりのご馳走です」と言い、ボクたちはボトルのキャップを開けると、ひとくち口に含む。

「改めて、初めまして。飯合健司です」と言いながらボクに渡された名刺。先日の聡美さんのものと同じレイアウトのその名刺には「エムアイ産業株式会社 代表取締役副社長兼製造部長 飯合 健司」と書かれていた。

 ボクも名刺を渡す。

「しかし弁護士さんをつけるとは、真美さんらしい周到さですね」

「私どもは確かに、美咲さんの株主としての権利行使についての代理人という立場です。しかしそれ以上に、飯合家の皆さんがご納得いただけるような結論に達するために、お役に立ちたいと願っています」

「なるほど。で、姉さんはどう言ってました? 先に会ってるんでしょ」

「詳しいことは申し上げられませんが、出資してくれる企業を探そうとしているとのことです」

「姉さんらしい発想だなあ。でも、タダでは行かないでしょう」

「必要な資金に足るだけの出資を受けると、マジョリティを握られることになるようです」

「ね? 経営権を取られるんですよ。そんなこと、父さんや兄貴が聞いたら、何て言うと思います?」

「今、思い切ったことをしないと、事業はじり貧になる一方だ、と聡美さんは仰ってられました」


「それは私もわかってます。例えば製造設備も相当老朽化しています。必要なものを全部更新するのに、ざっと2億はかかります」

「では、その資金をどのように用立てようと考えておられるのですか」

「懇意にしている管理部の課長に頼んで、内々に銀行と話をしました」

「そうですか」

「さすがに無担保では融資できない、とのことです。社屋の建設資金の融資の返済が終わっていないので、ここの土地と建物には抵当権がついたままです」

「そうすると、やはり...」

「そうです。更新する機械設備に動産譲渡担保を設定する、という方法です。それだけでは足りない場合には、さらに建屋のヤードの出荷待ちの商品や、原材料などへの集合動産譲渡担保の設定も必要になるかもしれないとのことです」

「美咲さん...わかるかな?」

「土地と建物の抵当権はなんとなくわかるのですけれど、動産ナントカというのは、よくわかりません」

「簡単に言うと、借金を返せなくなったら、工場の機械とか商品を代わりに持って行くよ、という約束のことです」とボクが説明する。

 一応納得した風な美咲さん。

「確かに今の財務内容で、さらに多額の借金を背負うのは大きな負担です。けれど経営権を奪われるくらいなら、よほどマシです」

「わかりました。その他に、お考えのことがあれば、教えていただけませんか」

「あとは、日々の商品製造に関する、まあ細々したことですね。言い始めるとキリがないので」

「ありがとうございました。大変参考になりました」


「さて、難しい話はこれくらいにして...美咲ちゃん、最近どう?」と健司さん。

「はい。高校に入って文芸部に入部しました」

「昔から読書好きだからね。ルミナスの国立コースなんだって」

「はい」

「文系? 理系? 文芸部だと文系か」

「いや、それもまだわかりません。数学とか物理とかも好きなので」

「美咲ちゃんはマルチだね。僕みたいなテクノオタクとは違って」

「いえ。健司おじ様のように、ものづくりの最前線に立っておられる方って、憧れます」

「じゃあ、天大工学部に進んで、うちに入社したら?」

「はい。選択肢の一つです」


「もう一本飲み物を持ってきましょう。今度は何がいいかな?」

「じゃあ、わたしは果汁系があれば」と美咲さん。

「私は、炭酸系をお願いします」

 次の間の冷蔵庫から健司さんは、美咲さんのためにグレープジュース、ボクのためにサイダー、ご自身のために無糖のコーヒーを持って来られた。

 健司さんも家族の想い出や、ご自身の学生時代の話などをしてくださった。

「高専の3年生のとき、ロボコンの全国大会に出場されたとか」とボク。

「両国国技館でね、まさに晴れ舞台でした。タイムアップ10秒前に逆転されて決勝に進めなかったのは悔しかったですが、今となってはいい想い出です」

 さらに幼少の頃のお話。

「昔はね、姉さんともよく遊んだんですよ。一つ違いなので、一緒にゲームやったり、キャッチボールしたり。姉さんが中学に入って、部活でテニスに打ち込むようになってからかな。いつの間にか、業務連絡以外は口をきかなくなってしまった」


 3時を過ぎた。

「タクシーを呼びましょう」と言って、健司さんが電話をかけてくれた。

「5分で来るそうです」

「じゃあ、表に出て待ってようか?」とボク。

「はい」と美咲さん。

「私は少しだけ書類の整理をやってから帰るので、ここで失礼します」

「今日は、お盆休みのところ、お時間をいただきありがとうございました」

「いえ、本当に何のおもてなしもできませんで」

「健司おじ様、それじゃあ、また」

「また明日、だね」

 ボクたちは応接間を出て、再び熱気の詰まった廊下を抜けて外に出た。



8.第一の株主、再び


「昨日は、お祖父様の初盆の法要だったんですよ」と、ウェリントン眼鏡の少女。

 今日の美咲さんは、JUJUに行ったときとまったく同じ衣装。白のワンピースに白のフラットパンプス、白のつば広の帽子。真夏の光を反射して、キラキラと輝いている天使の姿に、ボクの持愛比率のメーターがまたも動きが始める。

「聡美叔母さんと健司叔父さんは、お話をしてた?」

「いえ、挨拶した他は、話はしてませんでした」

「そうですか」


 8月16日の水曜日の午後、美佐さんのお宅の応接間で、二度目の面談。

 聡美さんと健司さんに面談してお聞きした話を、ボクからまとめてご報告する。

「そうですか。ただ、私にはどちらが正解か、わかりませんわ」と美佐さん。

「私にもどちらが正しいかは判断できません。どちらもメリット、デメリットがあります」とボク。

「ただ、二人ともそれなりに、会社の、事業の将来について、真剣に考えているということですね」

「そのことは間違いないと思います。美咲さんはどう思いましたか?」

「聡美叔母さんの話だと、会社の実権を他所の人たちが握ることになるのは、抵抗があります」と美咲さん。

「でもどうでしょう。事業と従業員の将来のことを考えたら、亡くなったあの人も同じようなことを考えるかもしれません」と美佐さん。

「健司叔父さんのお話だと、会社の経営は自分たちでできるけれど、借金を返せなくなって工場の機械とかを持ってかれると、それこそ会社が立ち行かなくなると思います」と美咲さん。

「ただねえ、株式会社になって新しい社屋を建てたときも、その頃の事業規模に対して相当大きな借金を背負いましたからね」と美佐さん。

「いずれにしても、事業シミュレーションをやって、じっくりと検討する必要があることは間違いありません」とボク。


「わたしが大事にしたいのは、何度も言いましたけど、会社の名前と「エシア」のブランドが残ること。そして、お祖母様と聡美叔母さん、健司叔父さんが一緒になって、会社のことを切り盛りするようになること。それができるのであれば、形にはこだわりません」と美咲さん。

「それは私もいっしょですよ。もっとも私自身はこの年ですから、聡美と健司、ということになりますかね」

「わかりました。それではいったん持ち帰って、私どもとしてご提案できることを、株主である美咲さんの名での株主総会への提案という形で、申し上げたいと思います。ご協力願えますでしょうか」

「かしこまりました。総会招集の請求をいただいたら、なるべく早くに開催できるようにしましょう」


 美佐さんのお宅を失礼して、二人で十海駅へ歩いて戻る。

「少しお話ししていきませんか」と駅前まで来たところで、ボクが美咲さんに言う。

「ええ。お願いします」

 駅ビルの中の喫茶店に入る。差し向かいになるのはJUJU以来。しばらく他愛のない話をしていると、注文したアイスコーヒー二つが運ばれてくる。

 ひとくち口にしてボクが話す。

「ええと...前にもお話したかもしれないけれど、美咲さんの株主という立場では、取締役会がある会社なので、できることは限られている」

「そうですね」

「株主総会の開催を請求することはできます。けれど、ただ単に『開いてください』ということでは認められない。株主総会の目的事項、具体的には議案を明らかにして、初めて開催の請求ができます」

「わかりました」

「どのような形で株主総会の開催に持って行くか、私たちに任せていただけますか」

「はい。最初からそのつもりです」

「あと、ここまでのことについて整理して、今日のうちにお母様にメールでご報告しておきますね」

「お願いします」


「あの...ずっとお聞きしたかったこと、聞いてもいいですか?」と、アイスコーヒーを飲み終わった美咲さん。

「...お答えできることなら」

「深町先生って...カノジョいるんですか?」

 不意に飛んできた直球に、ボクの持愛比率のメーターが大きく振れ始めた。

「...え、ええと...今はいません」

「じゃあ、昔はいたんですね」

「うん...大学のときに」

「好きなヒト、いるんですか?」

「え、えーと...」

 10歳も年上なのにドギマギしまくっている自分が、情けない。

「...黙秘権を行使します」

「先生って...本当にわかりやすい方ですね」

 天使の顔に、満面の笑みが広がった。

 4時になっていた。

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