第42話:嗅覚と悪魔のささやき
「脱獄なんて――」
――ダメだろ。
そう言いかけて、俺は口をつぐんだ。
倫理観を脇に置いて考えてみると、俺には養う家族も、戻る職場も何もない。 脱獄して身を隠して生活するならオール・レゲイエの耳飾りがあれば出来る出来ないでいえば可能だろう。
ただどうやって生計を立てるかが一番の問題だ。
ギルドにはもう頼れないし、身分を証明できないのなら普通に働くこともままならない。
「ま、すぐすぐってわけやないから考えといてや」
「いや、やっぱり俺は」
「ええからええから」
ナナは俺の葛藤を見透かしたように話を遮った。
「……なんで俺に話した? 告げ口するかもしれないのに」
そこが疑問だった。
脱獄できるなら一人ですることが最もリスクが低い。 人を増やせば心強いかもしれないが、その分裏切りや情報漏洩の危険があるからだ。
最近は顔を合わせることも増えたが、信頼し合うほど仲を深めた自覚が俺にはなかった――故に理由が知りたかった。
「しないやろ」
「だからなんでそんなこと――」
「勘や」
「は……? か、ん?」
ナナは片目をつぶって、にやりと笑った。
「私は人見る目だけは自身があるんや」
〇
「やあやあ現役JKさん、ご機嫌はいかが?」
「受刑者だからJk……やかましいわ!」
面会に来たヒナが変わらない様子で、俺は少し安堵した。 スキルに関する風当たりの強さは身を以って知っているので心配は尽きない。
性格上、ヒには早々弱音を吐かないだろうから実際のところは分からないけれど。
「大丈夫? ちゃんとご飯食べてる? 眠れてる?」
「お前はオカンか……」
「年下の女子にそれはデリカシーなさすぎる。 だからモテないんだよ?」
辛辣な指摘が胸に刺さる。 自覚はあったが容姿の整った女の子に真顔で言われると、シンプルに傷つく。
「……で、そっちは? なんか変わったことあったか?」
「聞き方ふんわりすぎて困るんだけど……しいて言えば総理大臣が変わったよ」
「ふーん」
「興味なっ! 自分で聞いといて?!」
「ごめん、でも俺政治とか興味ないんだ」
「知ってるけど、もうちょい相槌頑張ろ?」
俺はしばらくヒナと他愛無い会話をして、平然を装って尋ねた。
「なあもし、ヒナが俺の立場だとして」
「うん」
「(脱獄する方法があったら……どうする?)」
ヒナは目を丸くして首を横に振った。
「どうもしない。 だって一年でしょ? お尋ね者になるリスクを冒してまで出る必要を感じないもん」
「確かに」
至極真っ当な意見だ。
正直、刑務所の生活は退屈だ。 加えて世間と切り離されているせいか、はたまた元から俺の中にあった黒い部分がナナという悪魔の囁きによって顔を出したかは分からないが迷っていた。
別に誰かを傷つけたり、殺したり、盗みを働いたわけでもないのだ――
――だからいいんじゃないか、と。
「そう、だよな」
「うんうん。 悪さの上塗りで逃げても、結局てんちょが辛いことになるだけだと思う」
「何か止む得ない理由があっても?」
「うん。 もし本当にそうなったら軽蔑するよ、私は」
ヒナの真剣な瞳はまるで、俺の迷いを見透かしているように思えた。
その後、気まずい沈黙のまま面会時間が終わり、俺が席を立つとヒナは小さく息を吐いて言った。
「まあ軽蔑はしても、嫌いにはならないけど」
「……そっか、ありがとう。 またな」
「何のありがとうだよっ! また来るねっ! ばいばい」
別に本気で脱獄するつもりなんてない。
けれどただ聞いておきたかっただけだ。
いつ何があるか分からない世の中なのだから、念のために憂いを払っておいて損はないはずである。
(まあ何もなければそれが一番だ)
――しかしこの時、すでに俺たちにとって良くない事態が起き始めていた。
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