9、放課後デートをしよう 後編
私はパットの手を掴んだまま人混みをすり抜けながら闇雲に走り続け、何処かの公園の低木の陰に飛び込み、そこに蹲った。
「イ、イザベル?!急にどうしたの?」
あれだけ走ったのに息を切らせていないパットがおずおずと尋ねてきたけど、私は直ぐには返事が出来なかった。
分かってる、私がとんでもなく自分勝手な理由で怒ってるってことは。だけど!
「私の、ファーストキスだったのに!」
私の吐き出した台詞に、横でおろおろしていた気配が止まった。
「え、本当?!大人の婚約者が二人もいたのに?」
「そうよ!」
慌てたパットにそっぽを向いて、私は大人げなく拗ねた。
「ゲラルトはなんか嫌だったから、結婚するまではって逃げてたし、最初の婚約者のヘルムート様はお優しかったもの。まだ子供だった私にそんなことしなかったわ。な、の、に!子供の貴方がそういうことをしてくるとは!」
「ご、ごめんなさい。俺、焦っちゃったかも。あの二人とイザベルはキスしたのかなって思ったら俺もしておかなきゃって思ったんだ。本当にごめん!でもあれは挨拶みたいなものだから、ノーカウントにしよ?」
「ふーん。パットは挨拶で女の子とキスするんだ。へー。」
「そ、そんなことはしてないよ!」
必死で言い訳するパットに私は冷たい視線を向けた。
今更何を言ったって、ファーストキスってのは人生で一回きりなのよ!もう!
「・・・詫びてくれるなら『放課後デート』で定番のカフェに行きたい。」
「俺と?」
「他に誰がいるのよ?貴方以外と行ったら、今度は私が浮気になるじゃないの。」
「そっか、嬉しい!婚約っていいね!イザベル、さあ行こう!」
パッと花が咲いたような彼の笑顔に、荒んでいた心が穏やかになる。昔からそう。この笑顔にどれだけ癒やされてきたことか。
・・・まあ、今回はこの本人が原因だったんだけども。
「ところで、ここは何処かしらね。」
「え、イザベルもわからないの?」
「闇雲に走ったものだから。」
スカートを払って立ち上がり、辺りを見回しながら呟けばパットも同じように首を動かした。
学園は城の直ぐ近くに建っているので、ここは城下の街の何処かのはず。
とにかく隠れられる所を探して走ったとはいえ、そんなに学園からは離れてはないと思う。
とりあえず大通りへ出ればいいかなと考えていた私の横で、木の陰から顔を出したパットが明るい声で言った。
「イザベル、大丈夫だよ。ほら、あっちにお城が見える。あれを目印に歩けばいいんだ。行きたいカフェは街のどの辺り?」
「パット、冷静な判断だわ!凄い!」
「そんなことないよ、俺はしょっちゅう迷子になるから慣れてるだけ。」
ぽんと手を打って手放しでパットを褒め称えたら、彼が真っ赤になった。
こんなことで赤くなるなんて、かわいい。
そういえば、ゲラルトは論外として、ヘルムート様の時もこういう感情を抱くことはなかった。
あの頃は八つも年上の素敵な婚約者に好かれたい、釣り合う女性になりたいと願う気持ちが大きすぎて、会話する時も相手がどう思うかばかりを気にして、やり取りを楽しむことはしてなかったと気がついた。
パットが相手だと全く緊張しないし、気を遣わずに言いたいことが言えて楽だわ。
「相手によってこんなにも違うのね。」
「イザベル?」
「ううん、何でもない。パットと婚約してよかったかもって思っただけ。」
「本当?!嬉しい!かも、じゃなくて『めちゃくちゃよかった!』って言ってもらえるように俺もっと頑張るね!」
あー、もう!私の婚約者が健気で可愛すぎる。降参するわ。
「・・・パットはもう頑張らなくていい。」
「え?なんで?!俺、もっとイザベルに好きになって欲しいからもっと頑張らないと」
「だからっ、私はパットが婚約者になって、め、めちゃくちゃよかったなって、思ってるから貴方はもう頑張らなくていいの!」
「ええっ?!本当に?!・・・イザベル、無理して嘘ついちゃダメだよ?」
パットは私の言葉の裏を探るように首を傾けて真剣な目で私の顔を下から覗き込んできた。今から言う台詞が恥ずかしくて、その真っ直ぐな視線から私は目を逸した。
「嘘、じゃないの。だってパットが年上だったら、私は迷わず貴方と婚約してた。お互いよく知ってて素のままでいられて、私を好きだと言ってくれる人なんてパットしかいないもの。年上にこだわり過ぎてた私がバカだった。ごめんなさい。」
「イザベルはバカなんかじゃないよ。だから俺に謝らなくていいんだ。生まれた時からイザベルを知ってる俺が保証する。貴方は俺が知ってる誰よりも優しくて可愛くて面倒見が良くて賢い人だよ。」
「そんなこと言わないでよ。そんなこと言われたら・・・」
「言われたら?」
「泣いちゃうじゃないのー!」
言うと同時に私の涙腺が決壊した。
うわーん、と大泣きし始めた私の顔へパットが何処からか取り出したタオルをあてた。
「最初の申込みを断ってごめんね、パット。」
一生懸命、つま先立ちをして背中を擦ってくれるパットに泣きながら詫びる。
それを聞いたパットはぎゅっとしがみついてきた。
「断られた時はものすごくショックだった。でも、イザベルが年上に憧れてたのは知ってたし、あの時無理やり俺と婚約してたら、いずれ解消されて他の年上の人と婚約し直してたと思う。そうなったら俺の番はもうまわってこなかった。だから、これでいいんだよ。今、貴方が俺の婚約者であることが大事なんだ。」
ね?と大人びた台詞を吐いた彼に、しゃくりあげていた私は頷きだけしか返せなかった。
「あー・・・泣き過ぎたわ。ごめんね、パット。顔が酷いことになっちゃったから、デートはまた今度にしてもいい?」
顔を覆っていたタオルを外し、私はため息をついた。泣いた後の顔でカフェなんて行けるわけがない。
それを聞いて私を上回る勢いで隣のパットが残念そうな顔をした。
「俺はイザベルがどんな顔でも気にしないけど、貴方は気になるよね。わかった、次はいつにする?俺、明日でもいいよ?」
グイグイ来るパットに苦笑する。
「そんなに毎日会ってたら大変。来週でどう?」
「えっ、それまでイザベルに会えないの?!」
「うーん、お互いやらなきゃいけないことがあるでしょ。別に毎日会わなくても嫌いになったり、婚約を解消したりしないから大丈夫よ。」
「じゃあさ、約束にキスしていい?」
私は即座に首を振った。ぶっちゃけまだ彼に恋愛感情はない。
「婚約者だけど、そういうのはもっと大きくなってからね。」
「ええーっ。・・・どれくらい大きくなったらいいの?!」
確かに、何歳くらいからならいいんだろう?
結婚出来る十八歳?いや、キスだけなら皆さんもっと早くにされている気がするし。
うーんうーんと悩んでいたら、痺れを切らせたパットが叫んだ。
「俺がイザベルより大きくなったらいいでしょ!?」
「あ、そうね。じゃあ、それで。」
私は背が高いほうなので、早々に追い抜かれないと思い承諾する。これは結婚までキスできないかもしれないわね、とすら思った。
「よーし!俺、今夜から一生懸命背を伸ばすから待っててね!」
「まあ、直ぐには伸びないと思うから、無理しないでね。」
「でも、兄上はそろそろイザベルを追い抜くよね?だから俺も後三年くらいで追い抜けるよう頑張る!」
そういえばパットのご両親は背が高かった!兄のテオも最近どんどん伸びてもう追い越されそうだった!しまった、十三歳はキスに早い気がする!
「パット、やっぱり年齢で決めましょう?」
「ダメだよ。さっき約束したでしょ?変更は認めないから。よーし、大きくなるぞー!」
パットがゆっくりゆっくり、大きくなりますように!
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これにて一旦、イザベル編は終了です。次からノア編です。もちろんただの主役交代なので、イザベル達も出てきます。引き続きよろしくお願いいたします。
明日はなろうさんがメンテナンスということですので更新はお休みします。続きは2月5日になります。