8、放課後デートをしよう 前編
私が、パットを好きになる?
目が点になった私の肩を叩いてノアが続ける。
「もう向こうはイザベルのことが好きなのだから、後は君が彼を好きになるだけだ。それで解決だ。でもまあ、それが無理だったら君から解消すればいいんじゃないか?」
「私からは出来ないわよ。もう婚約は三回目だし、パットと解消する理由なんてないわ。」
だから、向こうから解消して欲しいのに。と考えてふと止まる。
あれ?理由がないなら、なんで私はこんなにこの婚約を解消したがっているの?
私はパットからこの婚約が解消されなかったら、どうするつもりなの?そのまま結婚するの?
腕を組んで暫く考えてみる。
彼のことは好きか嫌いの二択なら、間違いなく好きだ。
小さい時から慕ってくれて、いつも私を気遣ってくれるし、大事にしてくれる。結婚相手として最高だ。
あれ?やっぱり問題なくない?いや・・・
「でもやっぱり、今の十歳のパットに恋愛感情を抱くなんて無理な話だわ。」
結局、そこよね。私がため息と共にそう言えば、お茶を飲み切ったノアも頷いた。
「それには同意する。だが、私達は貴族の娘で、家の為の結婚というものが当たり前の世界にいるわけだ。だから、恋愛感情なぞなくてもいいのではないだろうか?」
「・・・そう言われればそうかも。なんで、私は好きに拘ったのかしら。」
「君の周りの大人がそうだったからだろう。反対にうちの両親はまさに家の為の結婚で、子供が大きくなった今では、お互いに別々の相手と恋愛を楽しんでいるよ。お勧めはしないが、そういう夫婦もいる。」
「・・・もし私がパットと結婚しても、そういう夫婦にはならない気がするわ。」
だってもう既に情がある。愛はまだわからないだけでパットを嫌いなわけじゃない。
ぽつりと返せば、へえ、とノアが嬉しそうに笑った。
「それはいい。なら、いずれ時が過ぎれば今抱えている悩みなど消え去るさ。めでたいことだ。式には是非とも呼んでくれたまえ。」
飄々と笑いながら言う彼女に、上手く本音を引き出された気がして悔しくなった。
「じゃあ、ノアの結婚式にも呼んでよね。きっと貴方の方が先にするでしょうし。」
自分のことを言われたノアは鼻で笑った。
「ふん。私のような女と結婚したがる男はいないさ。」
「わからないわよ。」
「いや、いないね。」
言い合いがエスカレートしそうなところで、午後の授業開始のベルが鳴り、私達は慌てて談話室を飛び出した。
■■
「イザベル!会えてよかった!ねえ、今から俺とデートしよ!」
授業が終わり、噂好きの少女達から逃げるべく急ぎ足で学園の門を出たところで声を掛けられた。
今日一日、私の頭を占めていた本人が目の前にいる。
・・・でも、何故だろう。金の毛並みの小犬が元気に尻尾を振って遊んで!と言っているようにしか見えない。
私は目を擦って、再度見直す。あ、今度はちゃんと男の子だった。
「パットが、何でここに?デートって?」
ボケッと尋ねたら、彼は私の手を引いて道の端に寄った。
一生懸命何か言うのだが、帰宅する生徒とその迎えの馬車の音で聞こえづらい。私は屈んで彼の顔に耳を寄せる。
「あのね、イザベルはもうすぐ卒業しちゃうでしょ?だから、貴方が学生の内に『放課後デート』しよ?」
「えええ?!な、何で知ってるの?!私がしたがってたって。」
驚きのあまり後ろに尻もちをつきそうになった私の両手を掴んで支え、パットが首を傾げて笑った。
子供の頃から変わらない、金色の光が周囲にパッと飛び散るような彼の笑顔に心が穏やかになる。
「そうなの?それはよかった!今朝、剣術の訓練の時に父上が『放課後デート』はしておいいたほうが良いよって教えてくれたんだ。父上達はしたことがないんだって。長く一緒に通ってたのに変だよね。」
満面の笑みで種明かしする彼にほっとする。
なんだ、私がずっと憧れていたことを知ってたわけじゃないんだ。・・・いや、今まさに自分でばらしちゃったじゃない、私。
やっちゃったーと俯いて自分の迂闊さを恥じていたら、パットが恐る恐る顔を覗き込んできた。
「昨日婚約したばかりなのに急すぎた?先に約束してからじゃないとダメだった?俺、イザベルと婚約出来たのがうれしくて、今日も会いたくてたまらなくなったんだ。だから婚約やめるって言わないで。」
私が彼との婚約を承諾してから、彼はことあるごとに、私がやめるって言わないか気にしている。
正直いちいち確認されるのは・・・。大体、正式なものになっちゃったのだから、もう解消する手続きとか大変なのに。
アレ?そう言えばゲラルトと私の婚約解消も昨日同時に受け付けられたってこと?異常に早くない?婚約者をあいつに変更した時だって二週間かかってたわよ?
・・・うーん?まあ、いいか。ゲラルトと最速で縁が切れてよかったわ。
それより今はパットの不安をどうにかしてあげないと!私は腹を括った。
「あのね、パット。私は貴方との婚約は自分から解消しないわ。だから、そんなに気にしなくていいわよ。」
ついに口に出してしまった。これでもう、私からは解消出来ない。
「え?!本当?俺がイザベルの気に食わないこと言っても怒って婚約やめない?」
「そうね、怒るけど婚約はやめない。だから、いつも通りにしていていいのよ。」
「怒るのかー」
「そりゃ怒るわよー。今までだってそうだったでしょ。それでもお互い嫌いになって会わなくなったりしてないでしょう?」
はっとしたパットが嬉しそうに頷いた。
「今まで通りで大丈夫ってことだね!」
そういうこと、と頷き返した私へ突然パットの顔が近づいてきて唇に柔らかいものが触れた。
「じゃイザベル、約束ね!」
最高の笑顔で言ったパットをまじまじと見つめた私は、先程自分の身に起こったことを確認した。
「パット、今何したの?まさか、」
「約束のキス!父上がよく母上にやってるよ。婚約者だもの、いいでしょ?」
キス?こんな人目の多いところで?
こんなにあっさりと私の・・・
「いいわけなーーーーい!」
次の瞬間、ぷっつん切れた私はパットの手を掴んで全力でその場から走り去った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。