56 最終話 誓います
「やれやれ。これから入手ルートを辿って根絶しなきゃならないが、とりあえず此処は一件落着としよう。」
ノアがホッと息をついたその途端、酷く焦った足音とともに誰かが飛び込んできた。
「ノア!君はなんてことをしてるんだ?!」
「やはり、来たか。」
居並ぶ護衛の騎士達をかき分け、転がるように駆けてきた夫のクラウス王太子殿下へ、ノアは迷惑そうな顔を向けた。
「緊急事態だったんだ。書き置きはしてあっただろう?貴方は大事な会議中だったはずだが、もう終わったのか?」
「宰相のハーフェルト公爵が『ちょっと大事な用ができたから手短に』と言って直ぐ終らせてくれた。」
何があった?と皆からの視線を集めたパットだったが、彼は知らないようで首を傾げている。
「・・・宰相殿の用が国を揺るがすモノでないといいな。クラウス、例の『人をダメにする植物』が此処でお茶にして供されていた。飲んだご夫人方は城へ緊急搬送して治療させているが、どうなるか。それと、明確な悪意を持ってそれを使用したヴィスワ伯爵夫人も捕らえてはいるが、こちらは陛下に判断を仰がねばなるまい。それから、」
「ノア、後で詳しく聞くから、君は直ぐに帰って部屋で休んで。」
淡々と状況を説明するノアを硬い顔をしたクラウス殿下がそっと抱き上げた。ノアは眉を寄せて文句を言う。
「何を言うか、私は大丈夫だ。もちろん、気をつけている。見ろ、裾を踏んで転ばないようにドレスは着てないし、騎乗のほうが早いのに馬車でここまで来た。」
「もしかして、ノアは体調がよくなかったの?」
「私は元気だ。」
驚いて訊ねた私へ、ノアは間髪入れずに返す。続けて傍目にも自己申告でも元気な彼女を大事そうに抱えたクラウス殿下が、笑顔で爆弾を投下した。
「ノアにはこれからより一層、健康かつ心穏かに過ごしてもらわないといけないんだ。そうしないと僕達の宝物の赤ちゃんが、彼女のお腹の中で元気に育たないでしょ?」
一瞬、全くの無音状態になり、その後祝福と喜びの歓声が沸き起こった。
「ノア、おめでとう!」
「あらやだ、ノア様ったら言ってくれたらよかったのに。」
「昨日分かったところで、まだクラウスにしか言ってなかったのだが。義父達にも報告してないから内密にしてほしいのだが、これは無理そうだな・・・。まあ、全部クラウスのせいだから彼が責任を取ってなんとかしてくれるだろう。」
ノアは諦めきったように答えているが、皆に祝われて嬉しそうな顔をしている。
「俺も早くイザベルと結婚して、自分の子供に会いたいなあ。」
酷く羨ましそうに王太子夫妻を眺めているパットの横で私は咳払いをした。
「私達、あと半年もすれば結婚するでしょ。婚約してからの長さを思えば、瞬く間よ。楽しみね。」
パットの顔に嬉しさが満ち溢れる。それを見て、私も笑顔になる。
私、彼のこの顔が大好きだわ。一生、この笑顔を守ってあげなくちゃ。
■■
半年後。ヴェーザー伯爵家は朝から大騒ぎだった。
「イザベルお嬢様はどちらですか?!」
「お召し替えは終わったのでしょ?」
「後はヴェールだけなのですが、取りに行った隙にいなくなられて。」
「早くお探しして!もうすぐハーフェルト公爵家の皆様が到着されると先触れがありましたよ!」
「ええっ、大変!お嬢様ぁ、どこですかぁー。」
「朝から賑やかねえ。イザベルは何処へ隠れちゃったのかしら?」
「・・・」
「ギュンター様?あらいやだ、もう泣いてらっしゃるの?!去年嫁いだクラリッサと違ってイザベルは明日からもずっと一緒に暮らすのに。」
「それでも、イザベルは今日からパトリック君の妻になってしまうんだ。そう思うともう涙があふれてきて。」
「私は家族が増えることが楽しみで仕方ないわ。まあ、ギュンター様のそんなところも大好きなのだけど、式までに一度泣き止んでくださいね。クラリッサの時は式の途中から大洪水でしたものねえ。あら、エミーリア達が着いたみたい。」
「おはよう、アレクシア。いいお天気でよかったわね!空も二人を祝福してくれているのかしら。」
「いらっしゃい、エミーリア。ついに私達は親戚になるのねえ。孫が生まれたら取り合うのかしら。」
「うふふ。二人で仲良く可愛がりましょうね。」
「おはよう、ヴェーザー伯爵夫人。生まれる孫は僕とエミーリアで可愛がるから、君はギュンター殿と可愛がりなよ。」
「あーら、おはようございます、公爵閣下。エミーリアは『私と二人で』可愛がりたいのよ。貴方は一人で愛でてなさい。」
「おば様、お父様。パット兄様とイザベルお姉様は今日、結婚するのよ。孫の話なんて気が早すぎるわ。」
「あら、そうね。」
公爵家の末娘、ディートリントの言葉で大人達の間に和気が満ちた。そこへ先程から会話に入る隙を窺っていた長身の青年が急いたように訊ねる。
「アレクシアおば様。イザベルはまだ着替え中?」
「おはようパット。それが、あの子ったら着替えはほぼ終わっているのだけど、雲隠れ中なの。」
「え、俺と結婚するのが嫌になったんじゃないよね?!探して来る!」
「あらまあ、花婿までいなくなっちゃったわ。公爵家の皆さんは控室へどうぞ。」
■■
ガサガサッという音と共に低木の繁みから白地に金刺繍入りの騎士団の正装をしたパットが現れた。
此処は子供の頃かくれんぼでよく隠れた場所なので、彼なら直ぐに私を見つけ出すだろうと思ってはいた。
私はドレスの裾を払って立ち上がり、彼の方を向いた。彼はまた少し、背が伸びたようだ。今日は待ちに待った日だろうに、その顔に不安が浮かんでいるのを不思議に思って私は首を傾げた。
「おはよう、パット。何かあった?」
「イザベル、とっても綺麗だね!ええと、俺は貴方がいなくなったって聞いて、俺との結婚が嫌になったのかと思ったのだけど・・・」
「ああ、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの。ただ急に一人になりたくなっただけなのよ。」
「どうしたの?俺、何でも聞くよ?」
「ううん、ちょっと感傷的になっただけ。私は変わるわけじゃないのにね。」
自嘲気味に笑えば、真面目な顔になった彼が近づいてきて私の両手をとった。
「変わるよ。イザベルは俺の妻になるのだから。貴方がそんな風になるのは、きっと俺がまだ夫として頼りないからなんだ。俺、もっとしっかりするね。」
私は首を横に振ってパットの手を解くと、彼を抱きしめた。
「大丈夫、貴方はとっても頼りになる世界一の夫よ。私の方が良い妻になれるか不安なの。」
「イザベルは良い妻にならなくていいんだよ。俺は『良い妻』じゃなくて、貴方と結婚したいんだから。」
ああ、私は彼に本当に甘やかされている。
だけど、この大事に綿で包まれているような感覚をもう手放すことはできない。
「パット。前に貴方が後悔するまでは一緒にいるっていう約束を、ずっと一緒いる、に変えたいの。」
そう言って彼の背に回した腕にぎゅ、と力を入れてから彼の顔を見上げた。
いつもなら私から抱きつくと、嬉しそうな照れたようなちょっぴり複雑な表情になる彼の顔は、今とても幸せそうだ。
「俺は最初からそのつもりだったよ。じゃあさ、今日の結婚式で皆の前で誓いのキスをするけど、その前に今、俺の全力でイザベルを幸せにするって貴方だけに誓ってキスをしたい。」
「いいわね。私もパットを全力で幸せにするって誓うわ。」
「ありがとう、二人でめいっぱい幸せになろうね!」
二人だけの誓いのキスを交わした後、私達は手を繋いでこれからのことをたくさん話しながら屋敷へ戻っていった。
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オマケ
「そういえば、あの時の『宰相殿の用』はテオの結婚だったんですってね。」
「うん。いきなり手紙で結婚するって連絡してきたらしくって、さすがの父上も浮足立ってた。今日、兄上と奥さんも来てくれてるよ。」
「わざわざ留学先の帝国から帰ってきてくれたのね。会うのが楽しみだわ。どんな方?」
「ちっさいハムスターみたいな人。」
「・・・パット、そのたとえは本人の前でしちゃダメよ?」
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
ちゃっかりネタが降ってきたパット兄のテオのお話を書いたので、
『落とし物を拾った綿ぼこり姫は、次期公爵閣下にすくわれる。』
という題名で投稿しています。こちらは短く全四話です。
よかったら見てやってください。




