51 ベティーナの好奇心
「聞いたわよ。ノア様の結婚披露の夜会で随分と話題を攫ったんですってね。」
涼し気な色調の部屋に通されて上品な布張りの椅子に座るやいなや、放たれた一言に私は固まった。
此処はベティーナの嫁ぎ先のエクスター子爵家。彼女とは卒業してからの方がこうやってお互いの家を行き来して話すことが多くなった。
なんというか、揉めてから彼女はあっけらかんとした腹黒さを隠すことがなくなって、付き合いやすくなったのだ。そうしていつの間にか、ノアと三人でお茶をすることが多くなっていた。
彼女は『未来の王妃であるノア様とヴェーザー伯爵家のイザベル様と付き合っていれば、婚家が私を大事にしてくれるから』と嘯いているけれど。以前と違って嫌味もなく、何故か最新の噂が彼女の耳に入るのでノアも面白がっている。
今日はノアの結婚式の様子を報告しがてら、私一人で訪ねたのだけど、目の前で大きなお腹を抱えて座っているベティーナはどうやら違う話を聞きたいらしい。私はそのワクワクとした顔を見つめ、苦笑しながら答えた。
「話題を攫うって程じゃないわ。私の相手が初めての夜会だったから、ちょっと騒がれただけよ。」
「何言ってるの。イザベル様の婚約者はあのハーフェルト公爵家の次男で眉目秀麗、こないだあった年一の騎士団勝ち抜き戦で準優勝したんでしょう?超優良物件でイザベル様は最高の青田買いをしたって私の所まで噂が届いてるわよ。」
「準優勝だったの?!」
「えっ、ご存知なかったの?!」
二人で同時に驚き、ベティーナが信じられないという顔で私をまじまじと見てきた。
「何で知らないの?自分の婚約者のことでしょ。そんな凄い人、私なら自慢してあちこち出掛けて見せびらかしまくるわ。」
それを聞いて瞬時に先日の嫌な出来事が蘇った私は大きく横に首を振り、絶対やらないと呟いた。
ベティーナは私の顔を見て言葉を切り、そこか、と真面目な顔をした。
「そんな貴方だから、パトリック様に愛されているのね。見た目や能力じゃなくてそのままの自分を大事にしてくれるから。」
そういう受け取り方をされるとなんだか恥ずかしい。私は慌てて顔の前で両手を振った。
「そんな大層なものじゃないわよ。」
「大層なものよ!ノア様もイザベル様もご自分がどれだけ恵まれているか分かってないわ。自分から探さず、あれだけ条件のいい男になりふり構わず愛されて、羨ましすぎる!」
「そんなこと言われても私もノアも色々あったし、いいことばっかりじゃないわよ。」
反論すれば半眼になった彼女がボソリと言ってきた。
「じゃあ、パトリック様を譲ってよ。ノア様はもう王太子妃になっちゃったから無理だけど、イザベル様はまだ婚約中だしいいわよね?」
その言葉に一瞬ドキリとした。どう反応したらいいか分からず恐る恐る彼女の方を窺えば、直ぐに本気じゃないと分かったので、ホッとしつつ私も半眼になって返す。
「何バカなこと言ってるの、貴方はもう可愛い子供もいるし、もうじき二人目も生まれるじゃない。」
ベティーナはふっと笑うとお茶を飲んだ。
「まあ、ね。私に関しては冗談よ。でも、私じゃなくて婚約者のいない令嬢だったらどうなの?譲っちゃうわけ?」
続けての攻撃に動揺した私は、逃げた。
「それは、・・・パットが決めることだし」
「あらやだ、『パット』ですって!愛称で呼んでるのね!」
そんなところを突っ込まれると思っていなかったので、私は飲みかけていたお茶で噎せた。
「小さな頃からそう呼んでたんだもの、今更変えるのも変でしょ?!」
「あ、幼馴染なの?」
「そうよ、彼が生まれたときからの付き合いなの。・・・だから、きっと雛鳥の刷り込みみたいなものだと思うの。」
「あれ?もしかして、イザベル様はパトリック様のことをそこまで好きじゃない?」
「いえ、その、よく分からないの。私の中で彼はずっと小さな弟で・・・彼がいつまでも子供じゃないって悟ったのが最近だし。だから今、ちょっと意識改革中というか。」
「なるほど。幼馴染ってそういうことがあるんだ。」
私だけかもしれないけど、と答えてから私は鞄から包みを取り出しテーブルに置いた。
「忘れてたわ。これ、お土産というほどのものではないのだけど、私が焼いたクッキーなの。」
私が照れながら説明すれば、ベティーナの目が真ん丸になって穴が空くほど私の顔を見つめてきた。
「伯爵令嬢の、手作りクッキーですって?!」
「色々あって・・・その、パットと一緒に作ったもので・・・三回目だし、上手に出来てると思うから、よかったら食べてみて?」
「国一番の公爵令息が、婚約者の伯爵令嬢と焼いたクッキー?!そんなの二度とお目にかかれない逸品じゃない、是非とも頂くわ!」
あらおいしい、やだ、本当に美味しい。と口をもぐもぐさせる彼女を見て喜んでいたら、思い出したかのようにノアのことを尋ねられた。
「そういえばノア様のドレス姿はどうだった?お城のお茶会でお目にかかれると思っていたのに、あの時はまさかの男装だったものね。」
確かに卒業してから招かれたお城のお茶会で、男装で颯爽と現れた彼女に私達は揃って口をぽかんと開けた。
そんなノアが式典では華やかなドレス姿を披露したものだから、彼女の普段を知る者は一様に目を擦って二度見三度見し、内心大騒ぎしていたのだった。
「あーあ、私もこの目でノア様のドレス姿とパトリック様を見たかったわ。」
話を聞いたベティーナが行儀悪く頬杖をついて拗ねた。
「いずれどこかの夜会でどちらも見られるわよ。もう産み月なんでしょ?お身体に気をつけてね。」
大きなお腹を眺めて宥めれば、そうだ!と彼女がテーブルに両手をついて身を乗り出してきた。
「イザベル様の結婚式はまだ先よね?!絶対出席するから、招待してね。麗しい礼装のパトリック様を見せて!本当なら、我が家のお茶会に招待をしたいところだけど・・・」
招く理由がない、とガックリと項垂れたベティーナに私は曖昧に笑って返した。
「ノアのドレス姿に比べたら、パットはそんなに期待するようなものじゃないと思うわよ。」
本当は夜会の時、正装したパットのあまりの美麗さに逃げ出したくなった。当然、逃亡は阻止されて、彼にガッチリ腕をとられた私はずっと隣で笑顔を浮かべていたけれど。
「謙遜は不要よ、私はとっても期待しているわ!夫とは別に目の保養は必要なの!」
「そういうものなの?まあ、確かに目の保養にはなるかもしれないわ。」
こぶしを突き出して叫ぶベティーナに私は気圧されつつ頷く。私の同意を得て勢いづいた彼女は、私の手を両手でぎゅっと握って目をキラキラさせた。
「やっぱり、かっこいいのね?!貴方が認めるなんて相当だわ。友人の誼で夜会で会ったらパトリック様とダンスさせて頂戴、約束よ!」
「あ、ええと、彼がいいって言ったらね。」
「イザベル様が頼めば断らないでしょ!以前クラウス王子には冷たく断られちゃったのよねえ。」
思い出したのか顔を顰めて残念がっているベティーナへ曖昧な笑みを返した私は何だか胃が重たくなった。
食べ過ぎたかしら・・・?
パットと踊る約束を取り付けた彼女は上機嫌で楽しみができた、と喜んでいる。彼女は完全に彼と踊る気だ。一回くらいなら彼も受けてくれるだろう、と二人が踊るところを想像したら今度は何故か胸がズキッとした。
「ベティーナ様、私はそろそろお暇するわ。」
「あら、もう?」
「ええ、明日から領地へ行くからその準備があるの。」
「そうなのね。今日は会ってお話が出来て嬉しかったわ。美味しいクッキーもありがとう。残りは息子と頂くわね。」
「喜んでもらえてよかった。また帰ってきたら伺うわね。」
挨拶を交わしそそくさと子爵邸を後にした私は、帰りの馬車の中で胸に手を当てて考えこんだ。
パットがベティーナや他の人と踊ることはこの先たくさんあるわ。その度に胸が痛くなってたら私、病気にならないかしら。いや、もうすでになってるのかも。こういうことは誰に聞いたらいいの・・・?
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ベティーナ様はたくましい。