44、帰国
「誰・・・?」
ドサッと私の手から荷物が落ちた。エルベの港まで迎えに来てくれた彼が慌てて拾ってそのまま持ってくれる。
私が両手で持っていた重たい鞄を片手で軽々と下げているこの人は一体誰?
「イザベル?俺のこと分からないの?」
ふわふわの淡い金の髪を緩く一つに結んで丸くて大きな灰色の瞳で不安そうに私を見下ろしているこの男の人は。
私は額に手をやって頭をゆるゆると振り、気持ちを整理する。
「いえ、大丈夫よパット。貴方だって分かってるの。分かってるのだけど、衝撃的過ぎて頭がついてこないだけなの。貴方、いつの間にそんなに大きくなっちゃったの?!」
そう、彼は私の婚約者のパトリック・ハーフェルト。七つ下の十六歳のはずなのだけど、十六歳の男の子ってこんなに大きいものなの?!
「パット、身長いくつになったの?」
「それ!聞いてよイザベル!俺早く大きくなりたくて好き嫌いせずに野菜も食べてカルシウムもとってさ、頑張ってたんだ。そうしたら去年からぐっと十五センチ以上伸びて今一七六センチ!」
「なんですって?!悔しい、もう抜かれるなんて。」
「抜いたの?本当?!俺、ついにイザベルより大きくなったんだ!」
いやもう、一年前と目線が全然違う。急に大きくなりすぎでしょ、と私が呆れて見ていたらパットが真面目くさった顔になった。
「あの、じゃあさ、約束覚えてる?」
「・・・約束?」
この流れで言われる約束なんて一つしか思い当たらないし、忘れてもないけど私は惚けた。
『イザベルより大きくなったらキス解禁』だなんて今この場で確認したくない。
「え、忘れちゃってたの?!それなら律儀に我慢しなければよかったな。」
「何言ってるの!覚えてるわよ!」
「あ、そう。覚えてたんだ。じゃあ、いいよね?」
「こんな場所でいいわけないだろ。二人とも僕がいること忘れないでよね。」
ダメ、と私が叫ぶ前に、低い呆れ返った声が降ってきて私とパットは飛び上がった。
「パット、がっつきすぎ。僕もイザベルも長い船旅で疲れてるのだから、まず休ませてよ。イザベルは船酔いもしてたし。」
「えっ、そうだったの?!大丈夫?気が付かなくてごめんね。」
その言葉とともに私の身体がブワッと浮き上がって、離れていたはずのパットの顔が目の前にきた。
「きゃー!」
小さな悲鳴が口からこぼれる。
待って待って、昔は私が小さなパットを抱いて運んでたのよ?!それがどうしてこうなってるの?
「パット!お姉様を・・・離さなくてもいいわ。お姉様、顔色が悪いわよ。そのまま運んでもらったほうがいいわ。遅くなったけれど、おかえりなさいお姉様、テオ。二人とも無事でよかった。」
妹のクラリッサも来ていたようで私を抱き上げているパットへとんでもない指示を出すと、テオと話し始めた。
「ただいま。出迎えありがとう、クラリッサ。」
「お母様達が迎えに来られないから、私だけが行くといったらパットがついてきたの。だからパットはテオの迎えで、お姉様の迎えは私の担当だって散々言っておいたのに!」
「そりゃまあ、こうなるよね。」
「ちょっと!二人で呑気に喋ってないでなんとかしてよ!」
「なんとかって?ああ、パット、うちの馬車はこっちに停めてあるからついてきて。」
スタスタと歩きだした妹の背に私はそうじゃないと叫びたかった。
クラリッサ、私は自分で歩きたいのよ!パットに抱きかかえられているなんて恥ずかしすぎるでしょ!
「パット、私は自分で歩けるから降ろして頂戴。」
「無理しちゃダメだよ。帝国から三日間の船旅は疲れたでしょ。兄上とクラリッサに言われるまで貴方の体調が悪いことに気がつけなくてごめんね。」
「そんなこと謝らないで。一年以上会ってなかったのに気づけなくて当然よ。・・・それに私は重いでしょ。貴方の大事な腕を痛めたくないから、降ろして欲しいのだけど。」
恥じを忍んで自分の重さを理由に降ろしてくれるよう頼んだのに、パットは全く動じない。
「全然重くない、イザベルはとっても軽いよ!俺はね、今とっても嬉しくてたまらないんだ。だって俺はやっとイザベルより背が高くなって、貴方を抱きあげられるほど強くなって、さらに貴方の留学が終わって明日から会いたくなったらいつでも会いに行けると思ったら、もう踊りだしそうだよ!」
そう、私は今日まで二年間、帝国へ留学していた。
学園を卒業してしばらくは家の仕事を覚えるために領地と王都を行ったり来たりしていたのだが、特産の織物を詳しく知るうちにもっと深く学びたくなった。
それで、結婚までまだまだ間があるからと、使ってなかった婚約破棄の慰謝料で最新の情報が得られる帝国へ留学することにしたのだった。
帝国へ留学したいと伝えたところ、家族は両手を上げて賛成し、親友のノアはいいね、と言って笑っていたが、私が旅立った後、寂しがって泣いたそうだ。
それに慌てた彼女の婚約者であるこの国の王子は、自分達の結婚式の準備で物凄く忙しかっただろうに、死にものぐるいで時間を作って彼女と一緒に帝国まで会いに来てくれた。
ただ、パットの父であるリーンおじ様は私の帝国行きに難色を示した。おじ様は自分が婚約中に離れ離れになった時、お互いの気持ちが伝わりにくくなってその後散々だったらしい。
だから不安なんだけど、と言いつつ最終的にはパットが『俺達は大丈夫だよ。イザベル、いってらっしゃい!』と笑顔で言ったことで納得して快く送り出してくれた。
そんな心優しい私の婚約者は、喜びのあまり私を抱えたままぐるぐる回っている。
・・・私が帰ってきてこんなに喜んでいるということは、やっぱり寂しかったのかしら。
私が留学しようと決めた時、一番に頭をよぎったのはパットのことだった。彼が泣いて嫌がったり行かないでと言っていたら、私は行くのを止めていたと思う。
でも、彼は笑顔で送り出してくれた。おかげでこの国にいては学べなかったことをたくさん吸収してこれた。
だから。私はぐるぐる回る彼にぎゅうっとしがみつきながら叫んだ。
「パット、ただいま!二年間ありがとう。」
「おかえり、イザベル!俺の元に帰ってきてくれて本当に嬉しい。」
「ところで、そろそろ止まってくれないと目が回るのだけど。」
「あっ、ごめん!つい、浮かれちゃって。大丈夫?生きてる?」
「生きてるわよ。」
「パット!お姉様になんてことしてるのよ。さあ、着いたわ。お姉様を乗せて。」
久々の我が家の馬車には馴染みの御者が待っていてくれた。私はパットの腕の中から彼に手を振って挨拶をする。
パットは私を座席に降ろすと当然のように向かいに座った。首を傾げていたら、続いてテオも乗ってきたので私は一人で納得した。
この港はパットとテオの家であるハーフェルト公爵家の管轄だが、邸までは距離がある。我が家はそれよりずっと遠いので公爵邸に寄って降ろしていくのだろう。
予想は当たって、妹が乗ったところで馬車は動き出し、パットの家であるハーフェルト公爵邸に向かった。
「おかえりなさい!テオ、イザベル。」
「母上、ただいま戻りました。」
「ただいまです、おば様。」
パット達の母であるエミィおば様が玄関前で待ちわびた様子で立っていた。久しぶりに会えた息子のテオを見て目が潤んでいる。
昨年学園を卒業して直ぐ、テオも帝国へ留学した。私と学ぶ場所は違っていたけれど休みの日は一緒に街を歩いて観光したり、こうやって行き帰りも合わせていた。
それも今日で終わり。私はこの国に戻り、彼はまた新学期から帝国へ行く。もう何年か向こうで学ぶつもりらしい。
「兄上は屋敷で休んでて。俺はイザベル達を送ってくる。」
「パット、何を言ってるの?!」
パットの台詞に驚けば彼もびっくりして私を見返した。
「貴方が無事に屋敷に帰れたか、気になっちゃうから送ってくよ。帰りはヴェーザー家の馬を借りる。で、明日返しに行くから。いいでしょ?」
で、明日はどうやって帰るつもりよ?
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
最終章突入です。多分、ノア編より糖度が高いと思われます。成長したパットにご期待ください?