40、返事
これでもう残り少ない学園生活で嫌な思いはしなくても済むかと考えたところで、ハッと振り返った私は二人へ尋ねる。
「ペトロネラ嬢、ベティーナ嬢。正直に答えてほしいのだが、人を雇って私を襲わせたことは?」
二人はブンブンと首を振って、まさかそこまでは!と否定した。
確かにペトロネラの目的からは逸れるし、ベティーナには裏家業の人を雇うツテも資金もなさそうだ。
ではまた別の誰かなのだな、と納得した私の上から低いクラウスの声が降ってきた。
「ノア?僕の留守中に君は一体どれだけ危ない目にあっていたのかな?洗いざらい吐いてもらおうか。」
あ、しまった。彼には黙っているつもりだったのに。
私が口を押さえて後退ったところで両側からガシッと腕を掴まれた。左右を確認すれば、ペトロネラとベティーナだった。
「何を?!」
「私の大事なノア様を傷つけようなどという不届き者は抹殺しなくては、ねえ。」
「ノア様、私達を疑った詫びに詳しく話すべきよ。」
「いや、もう解決した話なんだが。」
「ノア、犯人は誰?」
「それは知らない・・・護衛をつけてもらってそれで終わりかと。」
迫力に押されてしどろもどろにあったことを説明すれば、三人が鬼のような形相になった。
「まだ護衛がついているんだ?それは終わってないよね。」
「なんて危ないの!ノア様、犬ごとうちの屋敷にお住まいになって!」
「そんな人雇えるのはペトロネラ様くらい権力とお金がないと無理じゃないですか?私を疑うなんてノア様は酷すぎる・・・」
「申し訳ない。」
「何言ってるの、貴方がノア様を虐めるのがいけないのでしょ、反省なさい。」
「それはペトロネラ様もですよ。貴方のほうがノア様に対してやってること酷いんですからね。」
「うっ、それは・・・、では私がその犯人を見つけてノア様へ二度と手出しできないようにキュッと締めてやりますわ!そうしたら侍女にしてくださいませね。約束ですわよ!さ、ベティーナ、二人で名誉挽回ですわ!」
「ええっ、私も?!」
「さあさあ、我が家で私達のノア様を狙った不届き者を炙り出す計画を練りましょう!」
意気盛んになったペトロネラが、ベティーナと周囲の令嬢達を引き連れて教室を出て行った。ついでに実はうちの庭師なのよ、と講師も引っ張っていったので慌てたケヴィンが追いかけて行き、教室にはクラウスと私の二人が残った。先程までの喧騒が嘘のように静まりかえっている。
「・・・どうするんだ?」
静けさに耐えられなくなって、ぼそりと背後の彼に投げかける。
「城の騎士団も動いてはいるだろうけど、彼女達が見つけてくれるならそれはそれでいいよ。君に危険が及ばないならなんでもいい。侍女の件は多分、オーデル公爵が許さないだろうから大丈夫でしょ。それより、ノア。」
改まって名を呼ばれ、私は彼を見上げた。久しぶりの深緑の瞳が複雑な感情を宿して私を見つめている。
「僕の手配不足で危険な目にあわせて本当に申し訳なかった。護衛なんて最初に気がつかなきゃいけなかったのに。」
「大丈夫だ!イザベルが心配してくれて彼女の父上が色々手配して下さったから。」
「そうか、ヴェーザー伯爵が・・・」
私へ謝罪する彼が酷く項垂れていたので元気づけようとしたはずが、私の返しは余計に彼を落ち込ませる結果になった。私は慌てて今度こそ慰めようと言葉を重ねる。
「すまない、また言葉が足りなかったようだ。クラウスは王子としてやらねばならないことが多いのだから、私のことは気にしなくていいんだ。私は貴方に全てをやって貰おうと思っていない。私には頼れる人が大勢いるから貴方は自分のことだけを・・・」
そこまで言って私は口をつぐんだ。また、間違えたらしい。彼の顔がくしゃくしゃに歪んで今にも泣き出しそうになっている。
「僕は!君を一番に守りたい、君に一番に頼って欲しい、君が僕を一番に想ってくれなくても。」
そう全身から絞り出すように訴えて、私をきつく抱きしめてきた彼の言葉は私の心に沁みた。
「クラウス。何があろうと貴方は私の特別な人だ。私は貴方を一番に想っている。だからそんなに悲しまないで欲しい。」
そのまま自然に身体が動いて、私は彼の顔を両手で包んで引き寄せてそっと口付けた。
「私は貴方との結婚を心から望んでいる。」
続いてごく自然に私の口から出たその言葉に二人で固まる。
驚きすぎて目を限界まで見開いている彼と視線が合った瞬間、私の全身がカッと熱くなった。
今、私は何をした?!とんでもなく恥ずかしいことをしてしまった気がしてならない。
「つ、伝わっただろうか?私が貴方をどれくらい好きか・・・」
パッと飛びのいてそろりと様子を窺えば、クラウスも真っ赤になって口を押さえている。
やはりキスは余計だったのではなかろうか・・・。なんで勝手に動いた私の身体!
混乱が続く私と反対にクラウスの方はあっという間に自らを立て直し、笑顔になって爽やかに宣った。
「うん、伝わった。僕は君に好きになって貰えて幸せいっぱいの気分だよ。好意を持ってくれてるとは思っていたけど、言葉や態度で示されるとこんなに嬉しいものなんだね。ノア、今度は僕が気持ちを伝えたいんだけど、君にキスをしてもいいかな?」
『キスをしてもいいかな』と彼から聞かれるとは!このとんでもなく破壊力がある問いに私はどう答えればいいのだろう。
沸騰する頭で考えた結果、恥ずかしさはあるがさっきは緊張し過ぎてよく分からなかったし、キスで彼の気持ちがどれくらい伝わってくるかという興味もあって私は頷きだけで同意した。
私の答えにパッと顔を輝かせたクラウスは、恐る恐るといった体で腫れ物に触るようにそっとそっと私の頬へ手を伸ばした。
目を閉じて構えていた私の唇にふわりと少し冷えた彼の唇が触れたと思った次の瞬間、私の後頭部に彼の手が回って口付けが深くなった。
そこからはもう何がなんだか、息もできない程の何かが私へ押し寄せてきた。
・・・甘かった。クラウスの気持ちは想像以上に濃く重たく、奔流のように流れ込んでくる。
私はそれに呑み込まれないように必死に彼にしがみついた。
キスがこんなに恐ろしいものだとは思わなかった!
しばらくして顔を離したクラウスが私の目を真っ直ぐに見つめながら幸せそうに微笑んだが、私は気恥ずかしくて彼の胸へ顔を伏せた。
・・・まて、この体勢の方が恥ずかしいのか?!
すかさずぎゅっとクラウスの腕に拘束される。
逃げられなくなった!
「僕はずっとこうやって君とキスしたかったんだ。君が初恋の人だと知った時、舞い上がる程嬉しかった。でも、海の向こうの国にいる間に考えたんだ。もし、君が初恋の相手でなく他の人がそうだと分かっていたら僕はどうするつもりだったのかと。」
私の照れを全く気にせず、クラウスが突然話し始めた内容に私は顔を上げて彼を見つめた。
彼はそんなことを考えていたのか。
私はその答えを聞くのが怖くて耳を塞ぎたくなった。だが、彼は私の目の中を覗き込むようにじっと見つめながら逃さないとばかりにしっかりと手を絡めてきた。
私が覚悟を決めて握り返せば、彼の顔が嬉しそうに緩んだ。
「答えはね、簡単に出たよ。僕はもう初恋の相手なんてどうでもよくて、今は誰よりも君を愛しているってはっきり分かったんだ。だから、君が初恋の相手だったからではなくて、君が好きだからずっと一緒にいたい。」
私の目から涙が溢れる。彼の初恋相手が自分だと知っていてもなお、その言葉は嬉しかった。
「それは最高のプロポーズだ。私も貴方が初恋の相手だったからではなく、クラウスだから好きなんだ。」
「僕達はお互いが初恋だったけど、知らないうちにもう一度同じ相手に恋をしたんだ。ちょっと複雑な関係かもね。」
ふわっと笑った彼につられて私の顔も自然と綻んだ。
「君のその笑顔が僕を幸せにしてくれるんだ。ノア、愛してる。」
そのままもう一度、二人でキスをした。
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