32、裏庭の会談
クラウスが海の向こうの国へ行って一週間経った。
私は学生最後の試験も終わり、王子妃の勉強を再開し城に通って扱かれている。帰りにクーヘンに会うのだけが楽しみだ。
クーヘンは随分色々覚えて出来るようになった。クラウスが帰って来た時には、一緒に驚かせようなと毎日言い聞かせている。
そして、頻繁に城内を移動しているうちに段々と私の正体が周囲に浸透していったらしい。
ついに、私は級友に裏庭に呼び出されるという体験をすることになった。
「ペトロネラ嬢、遅れてすまない。こんな所に呼び出されたのは初めてだ。用件はなんだ?」
大層メリハリの効いた身体をお持ちの華やかな美女であるペトロネラ・オーデル公爵令嬢は、流行に敏感でいつも一番に持ち込む人だ。そういえばクラウスの取り巻きにもいたような。もちろん、彼女にはもう別の婚約者がいるが。
彼女はぽてっとした赤い唇を震えさせて私に顔を近づけた。
「ノア様、クラウス王子殿下と婚約のお話が出てるって本当ですの?!」
私は彼女の勢いに押されて後ろに一歩下がりながら両手を小さく挙げ、彼女の興奮を収めようと試みた。
「ペトロネラ嬢はどんな噂を聞いたのだ?」
「ロサ子爵の娘がクラウス王子殿下の婚約者になったと!私はそれを聞いた時、まさかと思いましたわ!でも、ノア様を最近放課後にお見かけしないし、よく見ればなんだか綺麗に女らしくなってきてるしで、もうこれは直接確かめなくちゃと思いましたの!」
当人をこんな所に呼び出した、と。・・・いや、待て、彼女は最後になんと言った?!
「私が、綺麗?女らしい?」
今までの人生で最も縁がなかったその単語に戸惑えば、ペトロネラが私の手を指差した。
「そうよ?見てご覧なさい、今まで荒れてカサカサだったのにこのスベスベの手、きちんと手入れされた爪!これまでの貴方では考えられない状態だわ。」
そう言われて私も自分の手に視線を向けた。そこには昨日侍女の方々にお手入れとやらをしてもらってツヤツヤな爪があった。
こんなことからバレるのか。私は一つ頷いた。
「確かに、綺麗になってるな。『こういう所まできちんとしないといけません』と言われたのだが、気がつくとはさすが公爵令嬢。」
「馬鹿おっしゃい!貴族令嬢なら気がつくでしょう。」
「うむ、私は貴族令嬢から外れているらしい。」
「本当にそうですわ!それなのにどうしてクラウス王子殿下の婚約者に?まさか家の為に売られたのではっ?!」
「なんでそうなる?!」
驚く私の顔の前で、ペトロネラは手招くように小さく手を振り、内緒話をするように私の耳元へ口を近づけた。
「父から聞いたのですが、クラウス王子殿下は男の方が好きなのですって。だから、それを隠すために男装のノア様を生贄にしたのでは、と。」
なるほど、と私は深く頷いた。高位貴族の彼女の耳にまではその話が届いていたのか。
しかし、私がうっかり頷いてしまったことにより、彼女に勘違いをさせることになってしまった。
彼女は顔を真っ赤にして私の肩を掴んで揺さぶってきた。
「や、やはり売られたのですね!おいくらですか?!私が助けて差し上げます!父に頼めば王子との婚約を後腐れなく抹消するくらいお安い御用ですわ。」
更にヒシッと手を握られてじっと見つめられさすがにたじろいだ。そんな私にお構いなく彼女はグイグイくる。
「大丈夫ですわ、うちはハーフェルト家に次ぐ家格ですもの。お任せあれ!」
「ま、待ってくれ。私は、売られていないし、生贄になったわけでもない。・・・この婚約は自分で決めたんだ。だから、気持ちだけもらっておく。心配してくれてありがとう、ペトロネラ嬢。」
婚約した当初ならともかく、今は全くその気がないので申し出を必死で断る。
「まああ!ご自分を犠牲に家を守るだなんて、今はそんなの流行りませんわよ!おいくら必要ですの、私がその倍ご用立ていたしますから、私のモノになってくださらない?」
彼女はとんでもない方向に思い違いをしてしまったらしい。私は思い切って鞄から取り出した赤いクマを彼女の目の前に突き出した。
「ちょっと待てペトロネラ嬢。これを見給え、ク、クラウス殿下の色のクマだ。先日一緒に買いに行ったんだ!」
いきなりクマのぬいぐるみを眼前に突きつけられた彼女は、青い目をパチクリとさせ、赤くなっている私の顔とクマを見比べた。
「あらあら、まあまあ!これはあの有名なペアで持つぬいぐるみですわね!これをノア様がお持ちだとは思いませんでしたわ。まー、本当にクラウス王子殿下の色。」
これで納得してくれるかとホッと胸を撫で下ろしていたら、ぬいぐるみをためつすがめつしていたペトロネラがチャームを綺麗に手入れされ色の着いた爪で突いた。
「でもこのチャームには友情の石が付いてますわ。ノア様のご友人の赤髪緑の目の方とのものではなくって?」
「あ、いや、そのチャームはイザベルとお揃いでクラウス殿下がプレゼントしてくれた物だ。」
正直に説明した途端、まあ!と彼女の瞳が輝いた。
「本当にクラウス王子殿下と仲良くされておられるのですね。ということは、ノア様はいずれ王妃殿下になられるのね。」
「ああ。その、私のような貧乏子爵家の娘が王妃になるのは嫌ではないのか?」
気になっていたことをそっと尋ねてみれば、心外なことを言われたと傷付いた表情になった彼女が、頬を膨らませてまくし立てた。
「まああ、ノア様。私はそんなに心が狭くないですわよ!貴方の良さは存じておりますし、貴方をお選びになったクラウス王子殿下はお目が高いと私、見直しました。」
学生時代は優しいだけのふわふわした方だと思っておりましたの。と続けた彼女の辛辣なクラウス評に私は目を丸くした。
私の様子を受けて彼女はさっと口元に手を当てて誤魔化すように続けた。
「だって、殿下ってばあんなにたくさんの女性に囲まれても婚約者を決められなかったんですもの。結婚して子を成すのも王子の責務。それも果たせない情けない人だと思っていたところに男の方が好きと聞いて、次はノア様との婚約のお話でしょ?もう私の中で殿下の評価は地に落ちてましたの。」
立て板に水、の勢いで滔々と話すペトロネラに私はなるほど、と相槌を打つしかできなかった。
もしや、あの令嬢方は取り巻きではなく婚約者立候補の群れだったのだろうか・・・?
クラウスも王子というだけで色々大変なんだな、と海の向こうの彼へ同情を寄せる。
「ノア様は卒業後、直ぐ結婚なさるの?私、お願いがあるのですけども・・・。」
「婚約の公表もまだしていないし、結婚は年単位で先だと聞いている。お願いとはなんだろうか?」
小首を傾けて私を見つめてきたペトロネラに私も同じようにして尋ね返せば、何故か彼女の顔が上気した。
「まあ、ノア様のお可愛らしいこと!本当にそのお姿とのギャップが良すぎてたまりませんわ。」
「え?」
「いえ、お気になさらないで。私達これからもずっと貴方を見守りますわ!」
「私達?」
「ノア様、いずれお城のお茶会に招待してくださいませね。これがお願いですの。」
彼女のお願い事が無理難題でなくてホッとした。そういえば妃主催のお茶会に呼ばれることも貴族女性のステータスだ。
今後に関わる大事なものなので、招待客は派閥や仲の良さだけで決めるものではなく慎重に考えてバランス良くお決めなさい、と先日教わったところだ。
だが最初は練習で内輪の茶会にして知り合いから呼んだら良いわと王太子妃殿下に言われたし、彼女ならいいかなと思った私は軽く首を縦に振った。
「了解した。最初のお茶会の招待状をペトロネラ嬢に送ろう。」
そう返事をした途端、近くの植え込みが揺れて一斉に級友達が飛び出してきた。
「ノア様〜私も呼んで下さい!」
「ずるいわ、ノア、私も呼んでー!」
「私もー!」
「私だってお役に立ちますから!」
クラスのほとんどの女子が私とペトロネラの周りを取り囲んだ。
どうやら一気に招待客が決まってしまったようだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
学園生活というものを書くことに挑戦してみたのですが、難しかった・・・。