16、入城方法
「イザベル、ノア様、お久しぶりね。」
馬車の扉が開いた途端降ってきたその声に全身が固まった。
恐る恐る顔を上げてみれば、車内から笑顔で手を振るハーフェルト公爵夫人がいた。
「えっ?!な、何故?」
バッと後ろのテオドール殿を振り返れば、彼はシレッとした顔で宣った。
「母上は僕以上に城の何処へでも出入り自由だから任せておけば大丈夫ですよ。」
「ええっ、でも、私如きのためにそこまで・・・」
テオドール殿の片眉がくいっと上がった。
「如きなんて言わないほうがいい。貴方は、あのクラウス王子が初めて興味を示した女性なんですよ?僕は将来のために、いずれこの国の王妃になる人に恩を売っとくつもりなだけなので、遠慮なく乗って下さい。」
「いやっ、私は断るつもりだから。」
慌てて主張するも、フッと笑われた。
「知ってますけど、あの人に一度目を付けられたら難しいと思いますよ。もし万が一断れたら、それはそれで凄い人なのでお近づきになっておいて損はない。どっちでも我が家にとっては得になります。」
では僕はこれで。とテオドール殿は片手を挙げて挨拶をするとその場から立ち去った。
「テオは一緒に行かないのね。」
「テオはお城に用はないから、歩いて帰るのですって。街で寄りたい所があるみたい。さあ、二人とも早く乗って頂戴。急いで行くわよ!」
テオドール殿を見送ったイザベルの呟きに、すかさず公爵夫人が返して我々を急かした。
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結論から言うと、イザベルとテオドール殿の判断は正しかった。
「こんにちは。クラウス王子殿下に用があるの。」
公爵夫人が城の門衛に放ったその一言で、我々の前に案内の人が付き、何の障害もなく城内を進みあっさりと王子の部屋の前に着いた。
私は初めて城に入ったので酷く緊張していたが、横を見ればイザベルも少し青ざめて同じくらい緊張しているようだった。
「イザベルも初めて城に?」
「ええ、そうよ。だから、ちょっとドキドキしてるわ。」
「あらあら、二人とも緊張してるの?先にうちの部屋でお茶でも頂いてからにすれば良かったかしら。」
どうやらハーフェルト公爵家専用の部屋、というものが城内に存在しているらしい。
公爵夫人、そんな所でお茶しても緊張が弥増すだけです。
公爵夫人がやっぱり先に三人でお茶にしようかと悩みだしたところで扉が開き、呆れた顔のクラウス王子が現れた。
「エミィ叔母様、丸聞こえですよ。ノア嬢を連れて来てくれてありがとうございます。彼女は僕が引き取りますね。叔母様とイザベル嬢はお祖母様の部屋へ行って差し上げて下さい。母と二人でパットの婚約者に会えるのを楽しみに待ってますので。」
その台詞にイザベルが、ええっと叫んで飛び上がった。
「そうそう、せっかくだからイザベルを王妃殿下や王太子妃殿下に紹介しようと思って。大丈夫、今日は騎士団に練習に来る日だからパトリックもいるし、娘のディートリントも先にきているから。」
朗らかに言う公爵夫人にこんなはずでは、と真っ青になるイザベル。
私のワガママに巻き込んですまない、と心の中で謝罪すると共に、パトリック殿と結婚するということは、彼女もこの世界に入るということなのだと思い知った。
夫の実家は国一番の公爵家で親類が王族、か。
結婚せず街で店を持とうという私とは、全く交わらない暮らしになるんだな。
もう、すぐそこに来ている卒業と同時に、私とイザベルの生きる世界が別れることをこの瞬間、はっきりと感じた。
■■
「ここに座ってて。」
気がつけば私はイザベル達と別れて、クラウス王子の部屋のソファに座らされていた。
王子は私を案内すると扉近くに置いてあるお茶セットの乗ったワゴンへ行ってお茶を注ぎ、菓子を取り分けている。
王子自らそんなことを?それは侍女かメイドがやるものでは?
そういえば、扉は少し開いているようだが、室内には誰もいない。不安になった私がきょろきょろしていたら、クスッと笑い声がした。
「まあまあ、ノア嬢。そんな不安そうな顔をしてないで。ここのお菓子も美味しいから食べてって。」
トング片手に呑気な口調で言われた言葉に、自分の心の中を見透かされたようでカッとした。
「不安な顔なんてしてません!」
「えー、そうかな?さっきから置いていかれた子供のような寂しそうな顔をしてるよ?」
「してません!」
「強情だなあ。まあいいや、そういうことにしておこう。で、今日はどうしたの?まさかハーフェルト公爵夫人を頼んで僕の所に押しかけて来るとは思わなかったよ。最速の手段ではあったけどね。」
その台詞に、私は本来の目的を思い出し、ソファから勢いよく立ち上り王子の背中に向かって指を突きつけた。
「それです!クラウス王子殿下、貴方は何を考えているのですか?!私に婚約を申し込むなどと嫌がらせが酷すぎます!」
「嫌がらせ?」
途端に振り返った王子の顔が不愉快そうに歪み、私の前へ大股で近づいて来た。
私は女性の平均的な体格なので、背の高い鍛えられた体躯を持つ男性に真正面から腕を組んで見下ろされると威圧感が半端ない。
ジリっと後ろへ下がれば同じだけ間合いを詰められる。もう少し間を空けたいと足を下げた途端、座っていたソファに当たりストンと再度そこに腰を下ろす羽目になった。
すかさず王子が覆い被さるように私の身体の両横に手をついたことで私は完全に逃げ場を失った。
「何逃げようとしてるの?婚約が嫌がらせって何?」
王子は私の目を真っ直ぐ見つめたまま、低い声で尋ねる。私はその緑の目の圧に怯えながら小さな声で答えた。
・・・まさか、嫌がらせじゃなかった?と頭の片隅に恐ろしい考えが浮かぶのを必死で抑えながら。
「あの、先日のハーフェルト公爵邸でお話させて頂いた際に生意気なことを言った、貴族令嬢のくせに嫁ぎ先のない男装の女をからかおうと思われたのでは・・・?」
それを聞いた王子の目が点になった。次いで大きなため息が吐き出されて両横から手が退けられ、私は解放された。
「何だよ、それ。ノア嬢、僕はあのお茶会で君に言われてやっとしがみついていた初恋から解放されたんだ。だから、君に感謝こそすれ、嫌がらせをする理由は何処にもない。」
「え、じゃあ何で婚約・・・?」
「うわあああ・・・」
心底不思議で聞き返した私の前で、王子が床に崩れ落ちた。私の座っているソファとテーブルの間にしゃがみこみ、両手で顔を覆って絶望を漂わせている。
「クラウス王子殿下?大丈夫ですか?」
あまりの落ち込みっぷりに心配になった私は足元の王子にそっと声を掛ける。顔を伏せたままの王子からは恨みがましげな声が返ってきた。
「ねえ、ノア嬢。僕はそれなりに忙しいんだ。嫌がらせの婚約に三ヶ月も時を掛けると思う?」
「逆にお忙しいから三ヶ月も経ってから嫌がらせしてきたのかと。」
「嫌がらせで婚約するのだったら、お茶会の翌日にしてるさ!」
「ええ?では、本当に嫌がらせではないのですか?」
王子が顔を上げて私を軽く睨む。
「当たり前だよ!誰が、この三ヶ月、君との婚約を認めさせるために必死で走り回ったと思ってるんだよ!」
「誰が走り回ったんですか?」
「〜っ!僕に決まってるだろう?!」
「はあ。クラウス王子殿下が、私と婚約するために走り回った?・・・そんなバカな。」
思わず漏れた一言に王子が仏頂面になる。
「バカでも何でもいいよ。僕が走り回ったのは事実だからね!」
そう言い切ってプイと横を向いて拗ねた王子に何と声を掛ければいいのか。私はひたすら考えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
一番強いのは公爵夫人じゃないかという…