私は冒険者ギルドの受付嬢
「依頼品の『ブルーバットの羽』だ。確認してくれ」
どさり、と薄汚れた麻袋が木製カウンターの上に置かれ、リナは書類を整理していた手を止めて顔を上げた。
ざわざわとひっきりなしに人の声が飛び交う冒険者ギルドにおいて、相手と会話を成り立たせる方法は2種類ある。
周囲に負けない大きくハッキリした声を出すか、顔を近づけてそっと囁き合うか。
いま目の前にいる、金髪碧眼ひげ面の大男は後者を希望しているようで、ぐい、とカウンターの向こうから上体を近づけてきた。
ギルドの受付嬢をはじめたばかりの新人さんは、まずこの行為にびびる。
世界中を巡って、仕事(主に荒事)をこなす冒険者連中は総じてガタイがよい。体中に傷を走らせていたり、面相が悪かったり…若い女性からすれば、危険が服着て歩いているようにも見えるだろう。
そんな彼女たちにとって、カウンターの内側は聖域だ。それを乗り越えることは怖い怖いギルドマスターに禁止されているから、内側にいれば絶対安全。
そう宥められて、それを信じて受付に座って。そして「コレ」をやられる、と。
そりゃびびる。人相の悪いヤツが乗り出してきたら。気の短いヤツも多いから、びびってもたもたしてると舌打ちされたりするし。若い娘さんはそりゃあ心が傷ついて、立ち直れなくなってしまう。
だから新人さんがなかなか定着しなくて、万年人手不足なんだよ…と内心悪態をつきながら、リナはにっこり笑って椅子から立ち上がった。
「お疲れ様です。ギルドカードを確認いたしますので、お預かりしてよろしいですか?」
相手が望むように、こちらも少し顔を近づけて、大きくはないがはっきりとした声で伺う。
リナはまだ若い娘さんの部類に入るが、ギルド3年目の受付嬢だ。こんなものでびびるか、という自負もある。ゴツイ男どもなど、慣れたどころか見飽きたわ!
「ああ」
彼が頷いてギルドカードを取り出すうちに、大きめのトレイをカウンターに出しておく。
こうしておけば、リナがギルドカードを照合しているうちに依頼品を並べてくれる冒険者もいるからだ。
男は目論見どおり、リナにカードを預けたあと、袋から出してトレイに綺麗に並べてくれた。几帳面だな、よしよし。
いやだって、『ブルーバットの羽』ってまんまでっかくて青いコウモリの羽よ?しかも片翼。つまり付け根からぶった切った羽オンリーの代物。そんなの極力触りたくない。
さすがに客相手に「置いて」なんて言えないから自主制に任せるが、トレイに乗せてくれなければ手袋つけて自分でやる。恐怖感を意地でねじ伏せて。そこは受付嬢としてのプロ根性だ。
今回はそれをしなくてもよかったので、素直に「ありがとうございます」と微笑みかけると、相手は少し驚いたように目を見張ったあと「いや」と言った。
そんなやり取りの間に、ギルドカードの照合が終わった。男の名はアルバット・ノーラン。確かにブルーバットの羽採取の依頼を受けているとタブレット端末に表示される。受けたのは少し離れた他の街のギルドであるが、移動しながら依頼をこなし、ここまで来たのだろう。
詳細は割愛するが、大陸全土に広がる冒険者ギルドを統括するギルド本部には、すべてのギルド員の情報が納められている。そこには魔紋(指紋みたいなもので、個人を特定できるもの)によって個人情報が登録されており、ネットワークで支部からも照会できるようになっている。ギルドカードは携帯することで魔紋を記憶する特殊な金属で出来ているので、それを提示することで不正を防ぐことができるのだ。
そのネットワークがどんな仕組みだとかは、リナもよく知らない。専門家にでも聞いてくれってなもんだ。魔法がある世界なんだ、なんでもアリだろうと彼女は思っている。
仕組みなんて知らなくても、使いこなせればいい。
『ここではない世界』にいたころはそれが周囲に有り触れていたので、割り切りにも慣れたものだった。
「恐れ入りますが、確認作業がございますのでお掛けになってお待ちいただけますか?準備が整いましたらお名前でお呼びします」
「わかった」
ここでわざわざ名前で呼ぶことを告げたのは、本名を呼ばれたくない人間もいるからだ。名の売れた冒険者なんかには、そういった人種が多い。彼らは使い慣れた偽名を持っているので、そちらで呼ぶようにしている。
アルバット・ノーランはそういった人間ではないようで、頷くと依頼内容が貼り付けられている掲示板へ向かった。そこで次の依頼を物色するのだろう。
リナは依頼品の乗せられたトレイを取って、カウンターの奥へ入った。
奥の部屋では鑑定師たちが待機しており、持ち込まれた依頼品の鑑定を行う。偽者ではないか、品質に問題がないかなどをチェックする。
リナは手の空いている鑑定師をみつけると、そこまで近づいた。
「ロントさん、鑑定お願いします」
「ほいよ、そこに置いておくれ」
鷲鼻にメガネを乗せた初老の男の机に、トレイを置いた。その上に載った羽を見て、ほほぅ、と感嘆の声を上げた。
「こりゃあ、なかなか見事な腕だね。一対の羽で揃えられている。傷も見えない。誰が取ってきたんだい?」
ベテランの鑑定師ともなると、採取してきた品物で冒険者の腕を量れる。あの男はロントのお眼鏡に適ったらしい。
「アルバット・ノーランさんという方です」
「聞かない名だねぇ」
「初めて見る方だと思います」
「ほうほう、地方から出てきたのかね?仕事が丁寧な人が来てくれるのはありがたいねぇ」
言いながらルーペを取り出し鑑定を始めたので、邪魔をしないようにリナはカウンターに戻った。
次の冒険者の対応をし、用件を伺ったりさばいたりしていると、やがてロントがトレイに金貨銀貨を乗せて戻ってきた。
「ほい、さっきのブルーバットの人のだよ」
「ありがとうございます。早いですね」
「品質のいい物は扱いやすいのさ。リナちゃん、こういう人にしっかり愛想振りまいといてよ。また来てもらえるようにさ」
「あはは、頑張ります」
鑑定師の軽口に笑って、リナはアルバットを呼んだ。
「お待たせしました、アルバット・ノーランさん!」
ざわついた支部内でも聞こえるよう声を張ると、すぐに気づいてやってきた。
「お待たせいたしました。こちらが報酬です。ご確認ください」
金額と一緒にギルドカードを返却する。アルバットは金額を確認すると、財布にしまった。
「間違いなく。ついでに依頼を受けたいが、かまわないか?」
「ええ、もちろん。どちらをご希望ですか?」
彼が差し出したのは、掲示板に貼ってあった商隊護衛の依頼だ。現在地は大陸の東側で最も発達していると言われる城塞都市、ルカリス。そこから西へ伸びる街道二つ先、ニルベールまで向かう間、商隊の人間と荷物を守る仕事である。
「ニルベールまでの往復で、滞在期間を含めて2週間、5日後に出発の予定ですがよろしいですか?」
「ああ、構わない」
特に表情も変わらない男に、リナは頷いた。通常の護衛依頼は複数人必要なためパーティ単位で受けるものだが、怪我などで欠員が出た場合は今回のように一人ないし二人で募集をかけることもある。ある程度実力のあり、他者ともコミュニケーションが取れる者でないと難しいが、先ほど照会した彼の依頼達成履歴や冒険者ランク、鑑定師の言葉を鑑みて、問題なくこなせるだろうと判断する。
「それではノーランさんにお願いいたします。再度ギルドカードをお預かりしてよろしいですか?」
「ああ」
ギルドカードを預かり、端末を操作して護衛の依頼を受領済みに書き換える。それと同時に、東の街道沿いで依頼が出ていないかも検索を掛ける。
「あ…よろしければ、ブラックインプ討伐の依頼が出ておりますが、ご一緒にいかがでしょうか?」
ブラックインプは、子供ぐらいの大きさの悪魔タイプの魔物だ。獣タイプの種類よりは知性が高く、集団で行動したり初歩的な攻撃魔法を操ったりもする。そのブラックインプが最近いくつかの街道に出現して商人達の積荷を襲っているようで、商人ギルドから依頼が出されていたのだ。
「ちょうど、東の街道沿いで目撃情報が出ています。一体ずつの報酬で特に人数も日数も制限がございませんが、街道より駆逐され次第依頼は終了いたします。ですが事前に受けていただければ、依頼終了後も換金が可能です」
「討伐の証は?」
「ブラックインプの右耳です」
一体につきいくら、の報酬なので左耳は無効だ。商隊の護衛をしながらなのでたくさん退治することは難しいだろうが、1体でも2体でも倒しておけば確実に収入に繋がる。
「ただ、左耳は素材としてギルドで買い取ることは可能ですので、そちらも回収をお勧めします」
こちらの案内に納得できたのか、アルバットは特に迷うでもなく頷いた。
「では、それも受けたい」
「ありがとうございます。すぐに登録します」
自分の提案が受け入れられるのは嬉しい。リナはにっこり微笑んで端末を操作した。
「他にご用件はございますか?」
「ああ。この街には来たばかりだが、宿はどこにある?」
「全部で8件ございますが、私ども冒険者ギルドと共済しているところは3件ございます」
共済している宿屋なら、ギルド員は割引を受けられるのでお得だ。
「鍵のかかる個室で、なるべく安価なところは?」
「でしたら、ギルドを出て西の方角、職人地区にあるレッドスキーパー亭はいかがでしょう?連泊での割引がございますよ」
「そうか、あたってみよう」
ギルドカードを返却すると、アルバットは荷物を抱えなおした。
「色々と助かった」
「お役に立てて光栄です。ノーランさんの旅路に、フェルメスのご加護を」
フェルメスはこの世界で、旅人を守護する神の名だ。
熱心ではないものの仏教徒であったリナには馴染みのない神だが、郷に入っては郷に従え。こう言うと喜ぶ人間が多いのでお決まりの台詞として使っている。
アルバットは頷くと、背を向けてギルドを出て行った。
リナは逞しい背中を見送りながら、ただいまの接客を思い返す。
(特にトラブルもなく、お待たせ時間も短い。希望の依頼に報酬アップも提案できたし、お宿もお勧めできた。…うん、なかなかの接遇だったんじゃない?)
そう考えて、リナは内心にんまりする。
特に提案したからといって、給料が増えるわけではない。誰かに褒められることもほとんどない。ただ自分の接客具合を自分で採点して、自己満足しているだけだ。
…それでも、不思議と。
(…よし、次もがんばろう!)
こんなことで、やる気が沸いてくるものだ。
カウンターの下で、拳を握り締めたリナの顔に影が差す。
「よぉ、買い取りを頼みたいんだが…」
採取した素材の買取希望の冒険者だ。この男はカウンターに身を乗り出すこともなく、どさりと麻袋をカウンターに載せる。
リナは立ち上がると、喧騒に負けないよう満面の笑みで元気よく声を出した。
「はい、かしこまりました!」
…これが、冒険者ギルド受付嬢、リナの日常である。
そんな日常から3日後、リナは休日前の夕食を珍しく外で済ませることにした。
いつもは節約のため自炊をしているのだが、給料が支給され懐具合が温かいこともあり、たまには贅沢をしてやろうという気になったのだ。先月また受付嬢が一人辞めてしまったので、ここの所忙しかったことだし。多少は散財せねばストレスが溜まるってもんだ。
頭の中で様々な飲食店の候補が浮かんでは消えていく。女ひとりであるから、物騒なところには入れない。
そう思いをめぐらせた後、ぽんと手を打った。
そうだ、レッドスキーパー亭!
何日か前に、自分が冒険者にお勧めした宿を思い出す。
冒険者相手の宿屋には多いが、そこは1階が食堂になっていたハズだ。顔なじみの冒険者にも「煮込み料理が美味いから行ってみな」と勧められたことがあるし。煮込みなんて手間がかかることは、一人暮らしではなかなかやらない。うん、そう考えたら猛烈に食べたくなってきた。
冒険者相手の宿なので、夜に女性が一人で行くのはいかがなものかとも思うが…職人地区のお針子さんたちも利用していると聞いていたし、お勧めしてくれた冒険者がちょうど滞在中のはずだ。何かあれば彼に助けを求めてもいい。
よし、そこに行こう!
…そして、ちょっぴり後悔した。お針子のお姉さん方も利用すると聞いていたのに、いやしない。いるのはむくつけき男ばかり。あんのヤロウ嘘つきやがったな…!と馴染みの冒険者の顔を思い浮かべたが、彼がこの場にいれば反論しただろう。
「お針子の女たちが利用するのは、冒険者たちが出払っているランチタイムだ」と。冒険者連中が帰宅する夜の時間帯に利用するなんて…そんな無謀な女はいやしない。
それでもいい匂いにつられて、リナは中を覗き込む。ぶしつけな視線を向けられ怯んだが、目ざとく客を見つけたおかみさんが「あらあら女の子?嬉しいわぁ入って入って!!」と強引に連れ込まれそのまま席に着かされた。混み合っているから相席で。許してください。
きょろりと馴染みの顔を捜すが、見当たらない。帰宅が遅くなっているものか…がっくりとため息をつきつつ、とりあえず飲み物を注文した。こうなっては、腹を決めるしかない。
幸い強面に囲まれていることは、職場で慣れきっているので問題ない。特に親しくはしていないが、見知った顔も幾人かいるから不埒な真似を働かれる心配もないだろう。多分。
それに斜め前に座っている男がなかなかのイケメンなので、眼福でもある。くすんだ金髪に薄めのブルーアイ。彫りの深い顔立ちもザ・ガイジン!といった風情だ。まぁこの世界ではリナこそ外人なのだが。そんな彼は鍛え上げられた体はいかにも冒険者だが、髭もあたって小奇麗にしている。
彼の前に座らされたのは、おかみさんの計らいだろうか?うむ、グッジョブである。
リナがちらちらと見ていたのに気づいたのだろうか。男がふとこちらに目をやり、「あ、」と小さく声を上げた。
「あんた、ギルドの受付にいた?」
「え?ええ…そうですが」
週5日か6日で出勤しているので、ほとんどの冒険者とは顔を合わせているだろう。毎日かなりの人数を接遇しているので、さすがに全ての冒険者の顔を覚えることはできない。
目の前の彼についても、残念ながら覚えがなかった。
「ああ、わからないか?」
「え、あの…すみま、せん」
「いや。一度会っただけだ、無理もない。あの時は髭も剃ってなかったしな」
特に気にした風でもなく、ちらりと歯を見せて彼は顎を撫でた。
髭面なら毎日くさるほど見ているが、その下にイケメンが隠れていることもあるのか。油断ならんな、とリナは変なところで気合を入れた。
そうして一言二言話していると、おかみさんが注文した飲み物を持ってきてくれた。ついでに料理を注文しようとすると、イケメンが先んじて声を掛けた。
「あんた、何を頼むんだ?」
「え?あ、煮込みが美味しいって聞いたんでそれを…」
「じゃあ、彼女の分を」
そう言ってイケメンは何故かリナの分を注文し、お金まで払ってくれた。
「えぇッ!そ、そんな…いいですよッ!」
ほぼ初対面の相手に、おごって貰う謂れはない。今だってたまたま相席になっただけなのだし。慌てて払おうとすると、イケメンは気にしないでくれと首を振った。
「奢らせてくれ。礼をしたいんだ」
「礼…?」
何か、この人にそんな喜ばれることをしただろうか?首をかしげると、彼は頷いて言った。
「冒険者ギルドはいくつも利用しているが、あんたほど丁寧な受付は見たことがない。対応も勿論だが、わざわざ一緒にこなせる依頼も提案してくれるとは思わなかった」
ありがとう、と。なんとも率直なお礼を言われて、リナは頬に血が上ってくるのを感じた。
リナの接遇は、この世界に来てから学んだものではない。故郷にいた頃に接客業についていて、そこで自然と身に着けたものだ。だからこの世界で冒険者ギルドの受付という職業に就いてからも、そのままの接遇をしていた。この世界では高級ホテルでもない限りこんな接客はしないようで、最初は大いに驚かれたものだが、概ね好評なのでやり方は変えなかった。
しかし、概ね好評と言っても面と向かって褒められることなど滅多にない。リナはどうにも照れくさくなって、小さな声で「どういたしまして」と呟いた。
それからは他愛のない話をして、少しお酒を入れて、最初より打ち解けて、リナは彼と別れた。夜遅いから、と自宅に行く途中まで送ってくれる紳士ぶり。うん、ちょっと惚れそうになった。こちらが「途中までで結構です」と言い切ったらそうしてくれるところが、ポイント高いと思うんだ。
まもなく家に着き、お酒が入っていたからすぐに眠くなった。
お風呂は…もう、明日の朝でいいや。化粧だけやっと落として、布団に潜り込む。
朝起きて、少し整えただけの寝具。先週の休みの時は雨だったから洗濯もできず、なんとなく汚れが気になる。明日は天気よさそうだから、シーツを全部引っぺがして洗って、布団も干したいなぁ。
そんなことをつらつらと考えつつ、深い眠りへと落ちていった。