7 幼女の領地経営と幼女のお友達
私、五歳になったよ!だいぶ女の子になったよ。
この世界ではこの身長の女の子を幼女というのかもしれないけど、前世の感覚からすると少女といっても差し支えない。そう、美少女だよ。
お母様があれだけ綺麗だし、お父様も無駄にイケメンだから、私の容姿も期待通りだよ。
ライトブラウンの髪も腰まで伸びた。前世で五歳だったときにどうだったか覚えてないけど、胸こそないものの、軽くくびれもあるし、ずいぶん色っぽいと思う。
私って…けっこう、いや、かなり可愛い…。なんて鏡を見ながらナルシストみたいなこと言っちゃったりして…。おしゃれしたらもっといけるよね。
今着てるのって、商家で育ったお母様のお下がりなのかなぁ。ほつれまくってるし、ちょっとひどいよねえ。領地が潤ってきたから、ちょっとくらい贅沢してもいいよね。
思い切ってドレスを仕立てたら、領民に大絶賛された。私は領民のアイドルなので、みすぼらしい格好をしているのはみんな不満に思っていたらしい。
私がドレスを仕立てたら、当然お母様も便乗してきた。もちろん、許可した。
お母様は十五歳になって、お胸様がかなり大きくなった。これはもはやメロンだ。というか、私が魔改造してしまった…。
母乳が出るようになるツボなんて知らなかったけど、乳腺への血流が良くなるツボを見つけたので強化しまくった。すると、胸もどんどん大きくなっていってしまった。
お母様のドレスを作り直したのは、王都の帰りに買ったドレスでは胸が入らなくなったのも原因の一つだ。いや、お母様はまだ普通に成長するようなお年頃だから、ドレスを作るのはしょうがない。親の身体が成長するってのは、前世の感覚では信じられないんだけど…。
でももう、令嬢ではなくて婦人といって問題ない歳だ。ドレスもそれ相応の雰囲気のものとなっている。
お母様は、私が生まれたときはまだ美少女だったけど、今では胸だけでなくてスタイルも抜群、肌もつやつやで、傾国の美女といえるほどだ。女の私でも惚れてしまいそう…。
私はいまだに母乳をやめられない…。料理の味はだいぶ改善したんだけどね…、中毒というか…、おっぱいが恋しいというか…。でもお母様は何の疑問もなく、私に母乳をくれる…。
いいよね…。五歳でおっぱい飲んでる子だって、ちょっとくらいいるはず…。
私はもうお母様にだっこしてもらうことはできないので、母乳をもらうときはベッドに寝っ転がるか、お母様に座ってもらって私が立ったままくわえるということをやってる。
お母様はまだ十五歳だから成長しているんだけど、お父様は十九歳だからそろそろ成長は止まっていると思う。私が生まれたときお父様はまだ十四歳だった。でも、この世界の人間は早熟で、前世の私から見れば十四歳でもじゅうぶん大人に見えた。
どうでもよいけど、お父様の口調はなんだか偉そうだしおっさん臭い。おじいさまから受け継いだのだろう。一方で、態度はあまりでかくない。むしろ自信がなさげだ。
私も礼儀作法の授業で言葉遣いを学んだから、語尾の違いで偉そうとかが分かるようになってきた。
鏡を開発したんだよ。鏡を覗いたら、顔の整ったお人形のような美少女が立っていたよ。これを見たらおしゃれせずにはいられない。だからドレスを作っちゃったんだ。
ポーション薬学では、混合物から物質を分離する魔法があって、砂からガラス必要な成分を分離したんだよ。砂からガラスってゲームで知ってただけで、分子の名前や式を覚えていたワケじゃないから、純度の高いガラスを作れる正しい成分に辿り着くまで時間がかかった。
そして、抜き出した分子を火魔法で加熱するんだ。これも温度とか知らないから、試行錯誤したよ。けっこう高い温度の火魔法が必要だった。
ガラスはこの国発だよ。
今まで窓といったら木でできたドアだった。でもガラス窓を作ったから、開けなくても光を取り入れられようになった。おかげで、屋敷内の虫が激減した。その代わり、あまり換気しなくなったから、屋敷内が汗臭くなったかも…。網戸なんて作れないな…。
こうしてガラスを作れるようになったから、鏡も作ったんだ。鉄や銀の鏡は前からあったけど、こんなに反射率の高いものはやはり初のものだよ。お母様も自分の姿を眺めてナルシストやってるよ。
ガラスの製法を領民に伝授して、領の特産にしようとしてる。学校で理科を学んだ領民は分子振動による効率の良い加熱魔法を使えるのだ。でも、ガラスができるような高温の加熱魔法は、数十人で力を合わせないとできないし、持続時間も短い。今後、領民の魔力が上がってきたら、加速度的に生産能力が上がるはずだ。
混合物を分離する魔法は、製塩にも使える。他にも使えないか模索中。
逆にいうと、ポーション薬学で学んだ魔法のほとんどは、魔物から得られる素材が必要なので、付近に魔物のいないメタゾールではあまり役に立っていない。
メタゾール領はロイドステラ王国の最南端の小さな半島にある。陸の孤島とは言い過ぎだけど、ここは他の領が近くにない。伯爵領になって領地を拡大してもらったけど、東と西は塩害で農地にできない。
そのため北側に拡張した地域を農地にした。その北側の街で仕入れてきた種や苗ばかりだから、とくに問題なく育てることができた。
農地を耕すのも、土の精霊を得た土魔法使いたちのおかげで、効率が上がっている。
漁業も拡大した。今まで南側だけで漁をしてたけど、西側と東側でも漁をするようにした。捕れるものは変わらないけど。
土魔法の整形魔法は、土だけじゃなく、他の物質にも使えた。堅い物質は魔力消費が大きいけど、おかげで木材で船が作れるんだよ。大きめの船ができたから、水揚げ量も増えたよ。
捕れた魚は、領内で消費する分以外は、日持ちするように塩漬けとか干物にして他領に輸出してる。塩は製塩で作れるしね。
血行が良くなって若返り、内蔵機能が向上した領民の出生率は格段に上がった。たった三年で領民には百人の子供が生まれて、領民は全部で四百人になった。平均年齢がかなり下がった。
新しく生まれた子にも精霊を授けた。火はある程度成長してからじゃないと認識できないけど。
領民は学校に通っていろいろ勉強している。領民を子育てに取られてしまうと、労働力が減ってしまうので、学校に保育園を併設した。結局、学校は三歳からではなくゼロ歳から入れる施設になってしまった。
学校では前世の物理化学を教えたので、電気を理解できるようになった。おかげでみんな電気の精霊を持てるようになり、魔力も発現した。残念ながら、異次元を理解できる人はいなくて、闇魔法を発現させた領民はいない。
ポーションの生成には、魔物素材が必要なものが多いのに、メタゾール領では魔物素材を入手しにくい。結局、混合物を分離する魔法を使って、私の持ち込んだつたない化学ばかりを扱っている。
魔物のいる地域はメタゾール領の最北端の街道からかなり離れたところだ。そういう事情もあって、メタゾール領にはハンターギルドがなかった。
でも、ハンターというのは魔物を狩るだけじゃなくて、盗賊からの護衛や、野草摘みなど何でも屋としての役割があるので、補助金を出してハンターギルドを誘致した。最初はハンターがあまりいなかったけど、特産品が広まるに従って、徐々にハンターが他領から来てくれるようになったし、ハンターになる領民も現れた。おかげで領から出発する商人が護衛を付けられるようになった。
ちなみに、商人ってのはお母様の実家だよ。メタゾール領、唯一の商家で、他領から必需品を買い付けてきて、うちの領の農産物や商品を売りに行ってくれる。
最初は商家なんていうのは恥ずかしいくらいの、個人の八百屋さんみたいなお店を構えているだけだったけど、領の特産を扱い、それを他領に輸出するようになってから立派な商家っていえるようになった。
私が教えた人体の知識を元にした高度な治療魔法を使える領民も増えている。ギルドに治療魔術師を置いて、ハンター向けに銀貨一枚で治療魔法を受けられるようにした。
私の治療院は…、噂が立たないように、家人と領民だけにしか開放してない。
それでも、以前私が王都に行ったときに金稼ぎするために治療した一部のハンターは私のことを覚えていて、情報を手繰り寄せて私の治療院までやってきた。そういう人は、噂を広めない約束をして治療してあげている。
私の治療はどうやら洗脳効果があるようなので、約束は守ってくれそうだ。
魔道具も作れるようになった。別にたいしたものは作っていない。魔道具を他領から輸入するより、材料を輸入して自領で作った方が安いから作ってるだけだ。王都で買ってきたものを分解して仕組みを理解して、同じものを作ってるにすぎない。
扇風機やガスコンロなど、前世の家電と同じようなものがそれなりにある。そこから一歩踏み込んで、電話やパソコンのようなものが欲しいけど、私ではそんなものは作れない。
魔道具を作れるようになったからといって、完全に魔道具に頼り切った生活に切り替えることはできていない。なぜなら、魔道具には魔石という電池が必要で、魔石は魔物を倒したときに得られるものだからだ。
魔物が近くにいないメタゾール領では、魔石の安定供給ができない。なお、魔石は魔法の属性ごとに存在する。
魔石は使い捨ての電池なのだけど、魔道石という充電池も存在する。でも、希少なのでなかなか手に入らない。
仮に大量に手に入れば、領民は一日の余った魔力を魔道石に貯めてから寝ればそれなりに魔道具の使用率を高められるのだけど、うちの領民は全員、余った魔力を精霊につぎ込むようにしているので、魔道石に回す魔力がない。
私の魔力は、光以外でも領民数千人分に相当するので、私が魔力を供給できないこともないんだけど、私は燃料になるつもりはないよ…。領民の元気を補充する充電ステーションにはなっているけどね、それはいいのだ。
領民には兵役も課すようにした。うちにはもともと警備の兵士が五人常勤してたけど、それじゃあ下手すると盗賊にも負けてしまう。領の大人は二百人。二十人ずつの交代制で警備をローテーションで戦闘訓練したり警備に当ることにした。別に、剣とか打撃ばかりではない。うちの領民みんな学校で魔法を習っているのだ。女も男も攻撃魔法で戦えるのだ。いざというときは二百人の大人全員がそれなりに強力な兵士になれる。
領民の生活には余裕が生まれたし、多少は兵役に時間を取られても大丈夫。それに、私が頼めば喜んでやってくれる。ちょっと狂信的で怖い。でもみんな良い人ばかりだ。
工場などの施設は、最初はほとんど私が建てた。今ではうちの屋敷くらいなら一日で建てられるしね。でも、みんな土魔法ができるようになってきて、必要なものは領民が自分たちで建てるようになってきた。いいね、どんどん私の手を離れていくよ。
町、というか村の区画整理もした。これからどんどん人口が増えていきそうだし、家がまばらなうちにやっておいた。
領民の家はたいした大きさではないので、土魔法で地面から切り離して、影収納にまるごと突っ込んで移動させた。
闇の魔力の回復量でまかなえる影収納の容積はまだたいしたことないけど、維持を考えずにものの移動に使うだけなら、領民の家サイズの影収納を数分間作成するなどたやすいのだ。
まったく、今まで何十年間発展せずにやってきたのやら。原始人もいいところだ。お父様はおじいさまから何も引き継ぎされてないらしいけど、おじいさまも何も知らなかったんじゃない?
いったい、メタゾール家は何の功績で爵位を得たのやら?偉い人の子が自動で偉くなる制度はよくないよねえ。
でもここ三年で資金を得て、領民の生活もだいぶ王都の水準に近づいたよ。一部は私の前世並の生活水準なってる。主にお風呂とか衛生面ついてね。
それにしても、あまり表だって治療院の活動ができないのはつまんないなぁ。まあでもこんなもんか…。前世では入り組んだところにあるマンションの一室を借りて細々と営業していたから、それに比べるたいした出世だなぁ。我が儘言っちゃいけないか…。
おとなしく営業しているからなのか、三年間、うるさい輩は現れなかった。でも理由が別にあることは、なんとなく分かっている。
他領とは別に敵対していないけど、諜報部隊を作って他領や王都に諜報員を送って、情報を仕入れることにしたのだ。主な仕事は、危険情報の入手なんだけど、普段は流行の調査をやらせてる。三年前に私がちょっと見てきただけじゃ足りないからね。
でもその諜報員が珍しく危険情報を持ち帰ってきた。ロイドステラ王国の北側の街で、魔物が勢力を増しているらしい。だいぶ遠いところの話なので、うちの領には影響ないと思うけど、まあそのおかげで私のことに構っている余裕なんてないんじゃないかな。
うちは魔物生息域からちょっ離れていて、魔物素材の入手に困っているくらいだけど、いつうちにも魔物の驚異が襲ってきてもいいように、領民の訓練とハンターギルドとの連携はしっかりしておこう。
っていってるそばから、トラブルは舞い込んできた。まだトラブルとは限らないけど。
「お茶会の招待状ですか?」
ちなみに私は三歳になったときほとんど噛まずに喋れるようになったよ。もちろん五歳になった今は、全く噛まない。
「はい。お隣のプレドール子爵家のヒルダ様からです」
「メタゾール子爵家ご令嬢様へ…か…」
私が爵位を受け継いで伯爵に陞爵したことは、王様から手紙でお達しが出たはずなんだけど…。相手の爵位を間違えるとか当主を間違えるとか、かなり失礼だけど…。エミリーも気にした様子はない。こういうのは常識の範囲内か。
でも、まさかバッジをくれただけってことはないよね…。
「プレドール家のご令嬢はお嬢様と同じ五歳だったはずです」
「私はもちろん、お父様にもお母様にも人脈がないので、これは良い機会ですね」
「はい!お嬢様の初めてのお友達になってくださるかもしれません」
お友達…。前世でどんな友達がいたのか覚えていない。
よし、おしゃれなドレスも作ったばかりだし、良い機会だ。参加しよう。
プレドール子爵領はメタゾール領とは隣接していないけど、最も近い領だ。というか、この国に隣接してる領地はない。どの領地の間にも魔物のはびこる森や、盗賊の待ち伏せる荒野がある。
最も近いといっても、私が街道整備する前は、馬車でかなり飛ばして十時間ほどかかっていた。
他の領の間隔は三時間から五時間程度なのに、うちだけ一泊がかりの旅だ。陸の孤島と言いたくなるのも分かる。
今なら街道整備もしたし、馬もパワーアップした。それに馬車も新調した。ゴムような特性の魔物素材を使って、ゴムタイヤとエアーサスペンションを作ったのだ。おかげで、プレドール領まで快適に二時間くらいで行ける。これで十時に出発すれば間に合う。余裕を考えると九時半かな。
私が王都で時計を買ってくるまでは、この領には時刻を数値で表す概念がなかった。もし私が時計を買ってこなかったら、お茶会の時刻を指定されても、理解できなかったかもしれない…。まったく酷い原始人だったなぁ。
このとき誰も気が付いていなかった。普通の速度では、メタゾール領以外は、プレドール領まで四時間から五時間なのでよいが、メタゾール領からだけは十時間かかることを。
そして五歳なったからといって、やはりそんな子供に一泊がかりの旅をさせるものでないということを。
本来ならこんな招待は嫌がらせに近い。常識的に考えればそう思ったかも知れない。しかし、精神年齢が大人で、精霊の加護により体力も強化されているアンネリーゼには何の苦でもないし、家人にもそれが当たり前になっているので、誰一人として嫌がらせの可能性に気が付かなかった。
というわけで、私はいつもどおりの時間に起きて準備して、メイドのエミリーと執事のダズンを連れて、隣のプレドール領に向けて九時に出発した。
うちの領が発展して商人が行き来するようになってからは、メタゾール領からプレドール領までの街道にも盗賊が増えたらしい。でも、うちの領の商人は全員戦闘訓練と魔法訓練をしているので、護衛を付けたとしても一人か二人だけだ。
そして、私も護衛を付けない。よほどの手練れでない限り私一人で十分だし、エミリーもダズンも鍛えているからだ。
というわけで、遭遇した盗賊さん四匹。
「ライトニング」
盗賊に落雷させて気絶させる。魔法は作用させる場所が遠いと距離の二乗に比例して魔力消費が上がるけど、指から空中放電させて盗賊に当てるなんてことはできない。こればかりは相手の側で発動させるしかないのだ。
盗賊の手首と足首に土魔法で作った枷をはめる。土魔法で盗賊の頭上に屋根を作り、できた影に影収納の入り口を開いて、盗賊を影収納に格納する。屋根は崩して元の土に戻しておく。馬車はノンストップ。
盗賊をハンターギルドに突き出すと、一匹につき金貨一枚の報奨金がもらえるのだ!犯罪者一匹で十万円だよ!このために、私はハンターギルドを領に誘致したとき、ハンターとして登録しておいたのだ。
というわけで、プレドール領までの二時間、十六匹の盗賊捕まえてホクホクだ。
到着したのは十一時。まだ一時間あるね。ハンターギルドに寄って、盗賊を換金だ!
「えっと、お嬢ちゃん、どうしたのかな?」
受付のお姉さんにハンター証を見せた。
「えっ、Fランクハンターのアンネリーゼ・メタゾール様!失礼しました。本日はどのようなご用です?」
遠いとはいえ隣の領の名前は覚えていてくれたらしい。
「盗賊の引き渡しです」
ギルドの建物の前に付けた馬車の入り口に影収納の扉を設置して、とてもそんなに入れるようには見えない馬車から十六匹盗賊をバラバラと転がした。
ダズンとエミリーに誘導してもらって、盗賊をギルドに連れてきてもらった。足枷のおかげでぴょんぴょんしている。
「えっ…、これ全部…。アンネリーゼ様はFランク…、というか子供…」
「そうですよ。Fランクが盗賊退治依頼を受けられないことは知っていますが、報奨金は出ますよね」
Fランクは一番下のランクだ。野草摘みとか雑用の依頼しか受けられない。だけど依頼と関係なく採集物を納品するのにランクは関係ない。
「そ、そうですが…」
「何も問題はないでしょう。約束がありますので早く受付してください」
「はっ、はい」
受付嬢だけでなく、たむろしていた数人のハンターも、連れてこられた十六匹の盗賊を、ぽかーんと眺めていた。
二十分後、事務処理が終わったようだ。
「金貨十六枚になります」
「ありがとうございます」
やっと済んだ。再び馬車に乗ってプレドール邸まで行くと、十二時の五分前だった。ふふふ、初めてのお茶会だもん。遅れないように五分前行動を心がけたよ。
しかし、アンネリーゼは知らなかった。この世界の時間感覚としては、五分前行動ではなく、一時間後行動くらいが一般的であることを。
「ごきげんよう、本日お茶会にご招待いただきました、アンネリーゼ・メタゾール伯爵です」
「メタゾール家の方ですね、少々お待ちください」
アンネリーゼが門番に名乗ると、門番は慌てて奥にお伺いを立てにいった。お茶会の準備は進めていたが、こんなに早く来ると思っていなかったからだ。
門番は戻ってきて、馬車を止める場所を指示した。
メタゾール家もそうだが、敷地内に馬車を何台も入れられるようにはできていない。とはいえ、屋敷の敷地の周りにぎっしり建物があるわけでもないので、馬車は塀の横につけることになった。
プレドール家は大混乱だった。十二時といったら早くても十二時半に始めるものだ。アンネリーゼは非常識であった。時間どおりにくるなんて、言葉尻を取った嫌がらせみたいなもんだ。
そして、門番はワッセル・プレドール子爵に伝えた。
「アンネリーゼ・メタゾール伯爵がいらっしゃいました」
「親が来たというのか?ん?母親?母親が当主なのか?しかも伯爵だと?言い間違いか、聞き間違いか?」
「あ、その、メタゾール家の小さなお嬢様がそうおっしゃいました」
門番は無知なので、伯爵と伯爵令嬢の違いも知らなかった。悪い風習だが、貴族の子供は貴族の権限を持っておりみんな偉いというのが、多くの平民の認識だ。貴族の子供は貴族というくくりではあるが、爵位を受け継がないかぎりは当主と同じ権限を持っているわけではない。
そして、ワッセル・プレドールはずぼらだった。メタゾール子爵が爵位を娘に譲渡し娘が伯爵に陞爵したという手紙は、開封されることもなく執務机で埃を被っていた。
ゲシュタールほどではないが、ワッセルもあまり統治をしない良い当主だった。王都から一ヶ月近くもかかる田舎の領の統治なんて、この程度で十分なのだ。
そしてワッセルがエントランスに顔を出してみれば、自分の娘とは比べものにならないほど美しい娘がいた。ダメだ、頭が回らない。娘がメタゾール子爵家の令嬢を招待した。だが、やってきたのは伯爵だという。子爵ではなくて伯爵だ。令嬢ですらない。
そして、実際に見てみたら、それはどこの王族かと思えるような、気品に満ちた美しい娘だ。あと十年、いや五年経てば嫁にもらっても…、げふんげふん。
「アンネリーゼ・メタゾール伯爵でございます。このたびはお招きいただき、ありがとうございます」
ワッセルは見惚れた。なんと美しいカーテシー。これは、いくら王族といえども五歳の娘が身につけられる所作でない。いや伯爵と言ったな。王族ではないのだ。しかしメタゾールは子爵だったはずなのに伯爵とはこれいかに。しかも、五歳の娘が伯爵本人とは何の冗談か…。
「わ、ワッセル・プレドール子爵です。し、失礼ですが、プレドール伯爵家のご令嬢ではなく伯爵様本人ですか?」
「そうですよ。三年前に王からのお達しが出ていると思ったのですが…」
やっぱりバッジをくれただけだったのか…、とアンネリーゼは心の中でうなだれた。
「少々失礼する。おい、おまえ、……」
ワッセルは執事に言いつけて、執務室に溜まっている王からの手紙を調べさせた。ワッセルは自分がずぼらであり、何年も手紙を見ていないのは分かっていたので、もしこれがほんとうのことで、何か失礼があれば、自分が処罰されることになってしまう。
ここで、おまえが伯爵なワケないなどと言う勇気はなかった。
執事が何年分も貯まっている手紙の中からアンネリーゼの件に関する手紙を見つけるにはそれなりの時間がかかっていた。
その間、アンネリーゼはお茶会の部屋で待っていた。
待たせては悪いということで、娘、ヒルダの支度を、大勢のメイドが人海戦術で仕上げていた。なんで時間通りに来るんだと腹を立てながら。
支度の終わったヒルダがお茶会の部屋で見たのは…、なんて綺麗な子なの?
全然絡まっていなくて、艶のある髪…。どうやったらこんなに綺麗な髪になるの?
いち早くやってきたのは、自分と同い年の子のはず。
でも、目の前の女の子は自分よりかなり大人びていて、自分の母親よりも気品がある。ドレスも装飾がたくさんあって綺麗。うらやましいわ。
その女の子は自分に気が付いて、上品に歩いて話しかけてきた。
「ごきげんよう。私はアンネリーゼ・メタゾール伯爵です」
あ、それってお母様に習ったご挨拶。カーテシーってやつよね。お母様より綺麗だわ…。私もカーテシーをしなきゃ。
ヒルダは、アンネリーゼの綺麗さや完璧さに、緊張してきた…。
ヒルダは伯爵なんて言葉は知らず、スルーした。
「ご、ごごご、ごきげんにょぅ。わ、私はプレドール子爵家のヒルダでしゅ。あわわゎ…」
噛んだ!頑張って練習したのに!しかもカーテシーもこけそうになった…。
ヒルダは五歳の幼女。年相応に舌足らずであり、最近やっと噛まずに話せるようになってきたというのに、緊張のあまりうまく喋れず、カーテシーも失敗した。
「ヒルダ様、本日はお招きいただきありがとうございます!仲良くしてくださいね!」
「は、はい!アンネリーゼ様!」
アンネリーゼ様は笑顔で返してくれた。今日の二人の招待客は両方とも自分と同じ五歳だって聞いたけど、アンネリーゼ様は素敵なお姉様ね!ヒルダはアンネリーゼ好印象を持った。
子爵家のお嬢様って可愛らしい!栗色で少しウェーブがかった髪が大人びていておませさん!つり目で気が強そうなところも愛らしい。アンネリーゼもヒルダに好印象を持った。
三年前まで自分が子爵家のお嬢様であったことなど、とうの昔に忘れてしまったアンネリーゼであった。
本来なら十時間もかかるようなメタゾール領から招待してしまったのは、母親のクローラ・プレドールに悪意があったわけではなく、単に考えが足りなかっただけだ。
北隣、南隣に娘と丁度同い年の娘がいるとわかったので、招待したに過ぎない。ところが、隣というにはメタゾール領はあまりに遠すぎる。
しかし、幸いなことに、アンネリーゼは五倍の速度で来られるすべを持っているし、中身は大人なので二時間の馬車旅くらい何の苦でもない。だからアンネリーゼはこの招待を不快に思うことなどなかった。
非常識に非常識が相殺されて、誰も不幸にならなかったのだ。
「旦那様、これを…」
ワッセルは執事から埃を被った手紙を受け取った。
「うむ…。クローラ、やはりあの娘、アンネリーゼ・メタゾールは本人が伯爵位を持っているらしい。しかも…、三年前?いったい何歳なのだ…」
「まあ…それは…、ヒルダが粗相を起こさないか心配だわ…。あっ!伯爵様にうちごときのお茶とお菓子がお口に合うのかしら…」
考えナシの上に、情報ミス。このお茶会は伯爵をもてなせるようなものではない。
お茶会やパーティでは、自分より家格の高い者を招くことは滅多にない。桁一つとまではいかないまでも、一つ上の貴族の暮らしは数倍豊かであり、当然料理などの費用も数倍かけるべきなのだ。
プレドール夫婦は、お家お取り潰しまで覚悟した。
「ごきげんよ、しんくえあ・てうかしゅ(シンクレア・テルカス)でしゅ」
アンネリーゼとヒルダが挨拶をし終わったところで、もう一人の招待客が到着した。アンネリーゼと対照的に、小柄で幼い感じの女の子。顔はかなり童顔。いや、幼女なんだから当たり前なんだけど、自分と比べちゃうとね。
アンネリーゼはまたもや、可愛らしい女の子に感激してしまった。
シンクレアも髪の毛の色は栗色。まあ、この世界で出会った人は、明るさの違いはあれ、だいたい栗色だ。髪型はポニーテールで可愛い。
テルカスは男爵家だ。男爵というのは貴族の中でいちばん下。礼儀作法も商人に毛が生えた程度だ。五歳の女の子って、遊び盛りだよね。子供どうしで礼儀なんていらないと思う。
「アンネリーゼ・メタゾール伯爵です。シンクレア様、仲良くしましょうね!」
「はい!アンネいーじぇしゃま!よろちくお願いしましゅ!」
「ヒルダ・プレドールです。本日はようこそおいでくださいました!」
「ヒルダしゃま、よろちくお願いしましゅ!」
ヒルダもシンクレアも、カーテシーらしき挨拶はなんとかできた!逆にいうと、礼儀作法なんて挨拶くらいしかまだ覚えていない。
プレドール家のメイドがお茶とお菓子を運んできた。そのまま、部屋の隅で待機しているシンクレアのメイドにとエミリーに合流。
ちなみに、ダズンは馬車で待機。使用人とはそういう扱いなのだ。でも、前世の心遣いを備えたアンネリーゼは、途中の店で昼食になりそうなものを調達。エミリーには到着前に食べさせ、御者をやっていたダズンは、お茶会中の待機時間で食べてもらうことに。
アンネリーゼは、この殺伐とした世界で初めて出会った可愛い幼女に囲まれておなかいっぱいだった。自分も同い年の幼女だということは忘れて。
だからお茶とお菓子でおなかを満たせなくても問題ない。
この国のお茶は、緑茶のような感じなのだが、なんだか物足りない。一度だけ取り寄せて飲んだのだが、茶葉が悪いのか製造工程が悪いのか、アンネリーゼの知識では分からないため、興味が失せてしまった。
お菓子もそう。クッキーのようなものなのだが、甘くないしぼそぼそだし、これなら前世の非常用乾パンのがマシ。ってことで、メタゾール家ではお茶もお菓子も取り寄せてない。
それに、お茶を入れているティーカップもお菓子のお皿も、家と同じ素材…、茶色いコンクリートのようなものであり、ざらざらとしていて口当たりが悪い。
結局、アンネリーゼが一番美味しいと思っているものは…、リンダの母乳であった…。
「さあ、召し上がってください!」
「「はい」」
「美味しいですね!このお茶も、けっこうなお点前で!」
アンネリーゼは、本音と建て前の区別くらいは、前世で養っていた。
「おかち、美味ちい!お茶は…、美味ちくないからいあない…。ねえ、おかち、もっと食べたい!こえ、ちょーらい!」
シンクレアは男爵令嬢なので、お菓子など食べたことがなかった。いつもの食事よりは美味しい。お茶は苦い…。
シンクレアは、アンネリーゼが一つしか食べていなくてお皿に残っていたお菓子に手を付けてしまった。
「どうぞ」
アンネリーゼが返事をする前に勝手に手を伸ばしてお菓子を取っていったシンクレア。もちろんアンネリーゼはそんなことでは怒らない。
子供は欲望に正直だなぁ。五歳なんてこんなもんだよね。やりたいことをやって、やりたくなことはやらない。無邪気なところが可愛い。お菓子のかすを散らかしまくってるところも可愛い。
アンネリーゼはニタニタとシンクレアを眺めていた。
シンクレア付きのメイドは、主人が伯爵のお菓子に手を付けてしまい、真っ青になっていた。アンネリーゼのあの笑顔はどういう意味なのだろう…。
「私ももっと食べたかったわ…」
指をくわえてつぶやくヒルダ。
「それなら、こちらをどうぞ」
「ありがとうございます!」
アンネリーゼは最後の一つのお菓子をヒルダに差し出した。自分のために出されたものを他人に与えるのは、出してくれた人に失礼かもしれない。貴族としてあるまじき行為かもしれない。でも、この無邪気な二人の女の子と楽しくすごす方が優先だ。
部屋の扉を少しだけ開けて、こっそり覗いているプレドール夫婦。
「ヒルダもシンクレア嬢もアンネリーゼ様に出したお菓子に手を付けてしまったわ…」
「でも気分を害すことはなかったようだな…」
「美味しいと言ってくださったのに、一つしか召し上がってないわ。追加でお持ちした方がいいかしら…」
「もう残ってないだろう。この日のためにわずかに取り寄せたものだったはずだ」
「そうだったわね…。まあ、ご機嫌なようだし、このまま様子を見ますか…」
プレドール夫婦は、ヒルダとシンクレアがアンネリーゼに無礼を働いてばかりで、ヒヤヒヤしていた。それにお菓子が不味いとちゃぶ台をひっくり返されたらどうしようかと思っていた。
でも、一口食べて満足したみたいだし、奪われてもニコニコしているし、むしろ自分から差し出したくらいだ。とりあえず温厚なようで一安心した。
「あのね、こえね、おかあしゃまが、きえいなどれしゅをくえたの。でもね、あんねいーじぇしゃまのどえしゅは、もっときえいなの…。いいな~…」
「うふふ、ありがと!もう少し大きくなったら、きっと綺麗なドレスを着られますよ」
「ほんとお?たのしみ~」
シンクレアちゃん、幼くてほんとうに可愛い…。お持ち帰りしたいくらい…。
大きくなったらとか言っちゃったけど、同い年なんだよね。忘れてたよ。大きくなっても親にドレスを買ってもらえなかったらどうしよう。適当なことを言っちゃったよ。
それを考えるとヒルダはちょっとおませさんだよね。それともこれが普通の貴族のお嬢様なのかなぁ。
アンネリーゼは、自分がませガキをはるかに超越していることも忘れて、小さな女の子たちとの、初めてのお嬢様ごっこを、キャッキャうふふと楽しんでいた。
「あっ!」
シンクレアは動作も幼くて危なっかしい。土魔法で作られたティーカップを倒してしまった。
そして、美味しくないために残されていたお茶は、瞬く間にテーブルを這って…、テーブルからこぼれてアンネリーゼのドレスの裾にかかってしまった。
「あ…」
それを見ていたヒルダは青ざめた。ヒルダのメイドとシンクレアのメイドも青ざめた。
「あらら」
アンネリーゼは、お茶が自分のドレスのすそにかかってしまったのだが、嫌な顔はしていない。でも、テーブルからはお茶がずっとしたたり続けているので、それを避けるために身体の向きを変えるくらいはした。
さらに、倒れたティーカップはくるりと円を描きながら回り、テーブルから落ちてガシャンと音を立てて割れてしまった。
「あああ…、わえちゃった…。うゎーん…」
シンクレアはティーカップを割ってしまい、泣き出した。
「ど、どうしよう…、お母様のカップ…、うぇーん…」
ヒルダも親のティーカップが割れてしまってどうしていいのか分からず泣き出してしまった。
一部始終を覗き見していたプレドール夫婦。自分の娘ではないが粗相を犯してしまった…。シンクレアはちょっと教育がなっていないが、うちも一年前はこんなものだったから許容範囲だ。
カップは買い直せばよい。しかし、伯爵のドレスを汚してしまった。お茶は緑茶のようなものでそれほど濃い色はしていないとはいえ、シミや匂いが残ってしまう。弁償しなければならないだろう。いや…、弁償くらいで済めばよい…。首を差し出さなければならないかもしれない…。
しかし、この場をどうしたものか…。どう対処していいのか分からず、あたふたすることしかできない。
部屋の端にいたシンクレア付のメイドは死を覚悟して動き出した。シンクレアの口ふき用に持ち歩いていた布をポケットから取り出し、アンネリーゼのドレスを拭き始めた。どうせ弁償になるだろう。意味がないと知りながらも、重い手を動かす。
「私のドレスはかまいませんよ。それよりも、あなたはテーブルからこぼれているお茶を」
「えっ?は、はい!」
シンクレア付きのメイドは伯爵の言っている意味がよく分からない。ちょっと考え込んでしまった。
アンネリーゼは前世の感覚では自分が片付けてもよいと思ったが、メイドさんの仕事を奪うのも悪いので、メイドさんに任せることにした。
しかし、シンクレア付きのメイドにもテーブルを拭くように頼んだのに、固まったまま動かないから、エミリーに指示を出した。
「エミリー、あなたも手伝ってください」
「かしこまりました」
プレドールのメイドも動かないので、アンネリーゼはプレドールのメイドにも指示を出すことにした。
「プレドールの使用人は割れたカップの始末をしてください」
「は、はい…」
メイドは言われた通りに片付けを始めた。ところが、
「いたっ…」
割れたカップを手で触ったため、指を切ってしまったのだ。メイドは緊張のあまり、ほうきとちりとりを使うことなど頭から抜けていた。
「あらあら、いけませんね」
アンネリーゼはとっさに動き出した。
アンネリーゼはメイドに寄り、怪我をした指に触れた。すると、淡い光とともに一瞬のうちに傷が治り、血が止まった。
「あっ…、治療魔術…」
小さな傷なので、十人に一人はいるような治療魔法使いで治せる程度である。しかし、ここで伯爵様から治療魔法を使われるなど予想外だ。メイドはお礼も言えずに固まってしまった。
「こっちも直しちゃいましょう」
アンネリーゼは土魔法で、割れたティーカップの破片をまとめて整形し始めた。テーブルの上にある同じ形のティーカップを見ながら、割れたティーカップを同じ形に戻した。
食器というのは、土魔法で作られるものなのだ。修行を積んだ職人は、己のイメージで食器を形作る。
一方でアンネリーゼの土の精霊はかなり育っているので、アンネリーゼはこれと同じもの!と適当なイメージをするだけで、複製を作れてしまう。精霊に愛された者は、適当力に優れているのだ。
さらに、水浸しになっているティーテーブルや床、そして若干濡れている自分のドレスの裾からお茶を集めるようにして、お茶生成魔法を使った。
水生成の魔法は、水分子を無から作り出しているわけではなく、基本的には周囲の蒸気から水分子を集めるものである。また、水に限らず、およそ正確な成分を指示すれば、どんな液体でも比較的何でも集められる。
お茶の葉っぱからできているお茶成分を含む水、という程度の適当な指示なら、なにもアンネリーゼほど水の精霊が育っているものでなくても可能である。カップ一杯のお茶しかこぼれていないので、凡人でも行使可能なレベルである。
ところが、水魔法というのは水を無から生み出す魔法だと思われており、大気の水分を集めるものだと思われていない。もちろん、どこから集めるかを指定できることも知られていない。
アンネリーゼは指を立てて、お茶の球をその上に生成した。そして、指をひょいっと倒して、お茶の球を窓から外に飛ばした。
水浸しだったティーテーブルと床、そして濡れていたアンネリーゼのドレスの裾は、何事もなかったように乾いた。シミ一つ残っていない。
ん?お茶成分の水を取り去ったのに、シンクレアの足下はまだ濡れている。って、この匂いは…。驚いてお漏らししちゃったかな…。五歳でお漏らし…。まあ成長が遅い子ならあり得るか…。
本人の名誉のため、黙って魔法でお掃除…。おしっこ生成魔法…。窓の外にぽいっと…。
アンネリーゼは自分が五歳で卒乳できていない赤ちゃんであることを忘れていた。お漏らしといい勝負である。
これが田舎の低位貴族のお茶会…。まるで保育園…。まだ五歳なんだから、お茶会なんてかしこまったものじゃなくて、近所のお友達どうしで遊ぶって感じでもいいと思うんだけど。近所といえるほど近くはないけどさ。
「うふふ、元通りです!それじゃあ、お茶会を再開しましょう!」
「くすん…。えっ?でも、あんねいーじぇしゃまのどえしゅが…」
「何も汚れていませんよ?」
「えっ…?でも…、カップが…」
「割れてないじゃないですか」
「えっと…」
シンクレアは泣き止み、アンネリーゼのドレスとカップを見て黙り込んでしまった。
「何か悲しいことでもありましたか?クレア様、ヒルダ様」
「えっ?えーっと、なんだっけぇ?」
「えっ?な、何もなかったかも…」
カップを割ったりお茶をこぼしちゃうような子は、今後お茶会に呼んだりできないかもしれないわ。せっかく仲良くなれたのに。
それなのに、アンネリーゼ様は自分のドレスもカップも元通りにしてくれたから、お母様にばれずに済むわ。これなら今後もシンクレアと遊べそうだわ!
それにアンネリーゼ様はドレスを汚されても怒らないでいてくれた。
ヒルダはこの場が丸く収まったことに安堵した。
「よかったぁ!」
ドレスを汚したりカップを割っちゃってどうしようと思ってたら、アンネリーゼ様が全部直してくれた!アンネリーゼ様はあんなに上手に魔法を使えてすごいな!優しいアンネリーゼお姉様…。今日、お茶会に来られてよかった!
シンクレアは優しくて何でもできるアンネリーゼのことが大好きになった。
「メイドさんたちも黙っていましょうね」
「は、はい…」
「は、はい」
「はい」
プレドールのメイドは、恐れていた伯爵本人からこのような提案をされるなど、完全に予想の範疇を超えていた。なんと返事を返していいものか判断に困ったが、子爵である自分の主人よりも、伯爵であるアンネリーゼに逆らった方が怖いので、アンネリーゼの提案、いや命令に従うことにした。
シンクレア付きのメイドは、主が粗相を犯してしまい、真っ青になっていた。貴族の名前と顔を、主に代わって覚えるのは家人の勤めであるため、アンネリーゼ伯爵と名乗ったことははっきりと記憶していた。その伯爵から、主の汚名を帳消しにする提案をされたのだ。従わない理由はない。
そして、エミリーはもちろん、アンネリーゼの命令には迷うことなく従う。
エミリーは知っている。アンネリーゼが、無償…ではないときもあるが、格安で皆に救いを与える聖女であることを。そして、こんな救いもあるのかと関心していた。
一部始終を隠れて見ていたプレドール夫婦は安堵した。アンネリーゼ様は争いを好まない温厚な性格なようだ。
お菓子を取られたり、お茶をかけられたり、カップが割れたりと、粗相ばかり。首の一つや二つ飛んでもおかしくない。
でもアンネリーゼは何一つ怒ることはなかった。それどころかずっとニコニコしているだけだった。まるで子供を見守る母親のような包容力…。いや、母親でも怒るだろう…。
「そうだ!果実水などはありませんか?シンクレア様には、まだお茶は早いかと思われます」
「は、はい。かしこまりました」
プレドールのメイドは慌てて果実水を取りに行き、シンクレアのカップに注いだ。
「これなら美味しいでしゅ!」
子供は正直だ。それでいい。うわべの言葉で塗り固められた貴族のお茶会なんて楽しくない。
「わ、私も果実水がいいわ!」
ヒルダにもお茶は美味しくなかったのだろう。正直いうと、私も美味しいとは思わない。でも私は大人なのだから、我が儘を言うわけにはいかない。
子供は食べ物をこぼしたり散らかしたりするものだ。お漏らししてもいいじゃないか。そんなことも微笑ましいと思う。いや、しつけている親や片付けるメイドは大変だろうけど。
アンネリーゼには子をしつける親の気持ちの記憶はないようだ。少なくとも前世で子を持ったことはなさそうだ。
しかし、このように他人の子を客観的に見て可愛いと思った経験はある気がした。自分で店を開くような歳だったんだ。友人や親戚が子を産んでそれを見て、今日と同じように思ったのかもしれない。
その後、皆の表情は若干ぎこちなかったものの、お茶会は次第にキャッキャうふふの様相を取り戻して終了した。
「本日は楽しい時間をどうもありがとうございました!」
「こちらこそお二人をお招きできてほんとうによかったです!」
「わたちも楽ちかった!」
アンネリーゼもヒルダもシンクレアも、ドレスを汚したりティーカップを割ったことなど忘れて、ほんとうに楽しんだ。
「それではごきげ…」
「あっ、お待ちください」
ヒルダのお別れの挨拶をアンネリーゼが遮った。
「急な申し出で恐縮ですが、プレドール子爵とお話させていただけませんか?」
客の帰りをこっそり見ていたワッセル・プレドールは、再び青ざめてしまった。やはりニコニコしていたのはうわべだけだったか…。きっと今からお叱りを受けるのだ…。
「わ、わかりました…。お父様を呼んできて」
「は、はい…」
プレドールのメイドはワッセル・プレドールを呼んできた。実際には影に隠れていたワッセルを、もっと遠くまで呼びに行ったという体で。
「お話を聞きましょう…。どうぞこちらへ」
ヒルダとアンネリーゼはシンクレアを見送った。
アンネリーゼは応接間の上座の椅子に通された。この世界でも、部屋の奥がお客のための席というようなマナーがあるらしい。
下座にはワッセル・プレドール子爵とクローラ婦人、ヒルダ嬢が座った。
ちなみにエミリーはアンネリーゼの斜め後ろに立っている。
「急な申し出を受けていただき、ありがとうございます。この場を借りて、商談をさせていただきたく…」
「はぁ…、商談?」
ワッセルの前の幼女は、先ほどまで娘たちとキャッキャうふふしていた幼女ではなく、当主の顔をしている。いや、商人かもしれない。
「うちは三年前から魔道具を生産しているのですが、うちは魔物の生息域が遠くて、あまり魔物の素材や魔石が手に入りません。うちに魔物の素材と魔石を多めに供給していただきたいのです」
ゲシュタール・メタゾールほどではないが、ワッセル・プレドールもたいがい、何もしない当主である。田舎の貧乏貴族なんてこんなもんなのである。それでも、最近自分の領が潤ってきていることはくらいは知っている。でも、なぜかよく分かってなかった。
三年前あたりから、プレドール領を商人が多く通るようになったのだ。おかげで、ものと金が出入りするようになり、税収が上がっているのだ。でも、なぜ商人がよく通るのかは分かっていなかった。
「その見返りは?」
「うちで生産している、ガラス製品などの工業製品を安くお譲りしたいと思います」
「なんですと!ガラス製品といえば、ガラス細工や純度の高い鏡のことですか!?」
「は、はい、そうです」
ワッセルは食い気味に返し、アンネリーゼはたじろいだ。
ガラス製品は最近出回り始めた超高級品。上級貴族のステータスとなりつつある。でも田舎の子爵家に手が出せるようなものではなかった。それが安く手に入るって?あれはメタゾール産だったのか!それで、商人が多くなったのか!
まさかガラスをメタゾール領で採掘していたなんて。プレドール領もたいがい田舎だが、メタゾール領はもっと田舎だったはずだ。それがなぜ台頭し始めたのか。目の前にいる幼女の仕業だというのか。
この幼女は、娘、ヒルダと同じ五歳だと聞いている。ヒルダの友人にと思って、クローラが茶会の客人として招いた。さっきまでヒルダと一緒に遊んでいたはずだ。
いや、忘れていた。この幼女は、メイドの傷を治すことのできる治療魔術師。まあ、あの程度治療魔術なら、平民でも十人に一人は使える。
問題はそのあとだ。この幼女は、お茶で濡れたドレスや床を乾かした。シミすら残らなかった。そんな魔法があるというのか!
さらに割れたティーカップを何ごともなかったかのように、元の形に戻してしまった。
職人による土魔法で食器が作られるのは知っているが、ティーカップのような複雑な形状を作るには、長年の修行が必要だという。しかし、この幼女はいとも簡単にそれを作り出してしまった。この幼女はただ者ではない。
それこそが、この幼女が伯爵たるゆえんなのか?ダメだ、もう意味が分からない。ワッセルは考えることを放棄した。考えることを放棄するのは得意だ。だからワッセルは領民に恨まれない良い貴族当主なのである。
この世界の宝石は、加工する技術がないので、発掘されたままの形で使われるのだ。それに対して、ガラスという宝石は、他の宝石と遜色のない輝きを放つのにもかかわらず、大きくて整った形に加工されていて非常に美しい。
この世界の者には宝石を作るという発想がないため、ワッセルはガラスが発掘されるものだと思ってる。
メタゾール領のガラス細工は、多くの貴族を魅了した。
宝石よりガラスの価値が高くなるなんて、なんてチョロい世界なんだ。この世界の人々は、誰かの捨てたガラス瓶のかけらを宝石だと思って喜んでいる子供のようだ。とアンネリーゼは思っていた。
「いいでしょう。この話、前向きに進めさせてください」
「ありがとうございます!」
考えるのをやめたワッセルは、このあとガラス製品の割引率だけはちゃんと聞いていたが、ガラス製品が手に入るうれしさのあまり、魔物素材の供給割合などは話半分に聞いて、ほいほいと契約を進めていった。
「本日は急な申し出にもかかわらず、契約までしていただいて、誠にありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。サンプルとはいえ、このようなものをいただいてしまい…」
「いいのですよ。それはこれからも良きお付き合いをしたいと思い、贈らせていただいたものですので」
クローラ婦人の指には、アンネリーゼが前世で見た、カットダイヤの指輪…、をまねて作ったガラスの指輪がはめられていた。一応、他の宝石よりもろく割れやすいものだとは聞いている。それでも、この世界では宝石にしか見えない代物だった。
「ヒルダ様も今日は楽しかったです。うちの領にいらっしゃるのは大変でしょうから、またご招待いただけると嬉しいです」
「はい!またおいでください!」
「それでは失礼します。ごきげんよう」
「ごきげんよう、アンネリーゼ様!」
「ごきげんよう」
「道中、お気を付けて」
アンネリーゼが去ったプレドール邸。
クローラとワッセルは、ヒルダのことをそれなりの貴族令嬢としてしつけてきたつもりだ。実際に、シンクレアと比べれば、十分に令嬢として振る舞えていただろう。
しかし、アンネリーゼ…あの娘はなんだ。今日はうちの娘と同い年の令嬢を集めたはずだったのに、あの者はまるで、子供の面倒を見る大人のような顔で、ヒルダとシンクレアのことを見ていた。
そして、茶会のあとにあろうことか商談などを持ちかけてくるとは…。あの者は令嬢などではなく、当主本人なのだ…。納得である。
「お母様、アンネリーゼ様はとても素敵な方ですね!」
「とても聡明な方だわ…。ほんとうにあなたと同い年なのかしら…」
「ヒルダよ、アンネリーゼ様とは仲良くしておきなさい」
「はい。もちろんです!」
ヒルダは優しくて綺麗なお姉様とお友達になれて幸せいっぱいだった。もちろん、可愛らしい妹のようなシンクレアのことも気に入った。三人は同い年なのだが。
クローラはこれから手に入る綺麗なアクセサリを思い浮かべてデレッとしていた。
ワッセルは、アンネリーゼには逆らわず、うまく取り入っていこうと考えつつも、これから手に入る利益に胸を躍らせていた。
一方、アンネリーゼは、可愛い女の子のお友達に癒やされ胸いっぱいだった。
そして、遠くの領から買い付けなくても魔物の素材や魔石が手に入るようになった。別段安いわけではなく、相場どおりなのだが、遠くの領から仕入れると運送費がかさんでしまうのでプレドール領から買い付けられるのはお得なのだ。
おかげで少し安く魔道具を作れるようになった。これだけで、領民の生活は楽になるのだ。
■アンネリーゼ・メタゾール(五歳)
ライトブラウンの髪は腰まで伸びた。胸こそないものの、軽くくびれもあるし、五歳にしてはずいぶん色っぽい。
■リンダ・メタゾール(十五歳)
お胸様がメロンほどになった。スタイルも抜群、肌もつやつやで、傾国の美女といえるほど。
■ゲシュタール・メタゾール(十九歳)
十九歳だからそろそろ成長は止まっている。
■エミリー(十五歳)
■ヒルダ・プレドール子爵令嬢(五歳)
お茶会で友達になった。
栗色で少しウェーブがかった髪が大人っぽい。つり目で気が強そう。
■シンクレア・テルカス男爵令嬢(五歳)
お茶会で友達になった。
栗色の髪。ポニーテール。小柄でかなり童顔。
■ワッセル・プレドール子爵
ヒルダの父親。ずぼら。無能。
■クローラ・プレドール子爵夫人
ヒルダの母親。
■ヒルダのメイド
■シンクレアのメイド
◆プレドール子爵領
メタゾール領から北へ一〇〇キロ。
メタゾールほどではないが田舎。
◆テルカス領
プレドール男爵領から北へ五〇キロ。
メタゾールほどではないが田舎。