34 王城暮らし
「アンネお姉様。王都の学校も設立できましたし、離宮の設備も整いましたから、もう皆さんを呼んでもいいですよ」
「えっ?」
マイア姫は何のことを言っているんだ…。皆さんって誰だ…。
「アンネお姉様はメタゾールに残してきたアンネお姉様の嫁のことが気になってしかたがないのでしょう。私はアンネお姉様の不安な顔を見たくありません」
「あ…、はい…」
アリシアに任せたから身体のことは大丈夫かもしれない。でも、お嫁さんの心が私から離れていってしまうのではないかと気が気でない。
「だから、私としては大変不本意ですが、アンネお姉様の嫁をすべて離宮に連れてきましょうと言っているのです」
「えっ…」
さっきから、えっとかあっとか、間抜けな声しか出てこない…。
「もう!ここのところアンネお姉様は冴えないですね。私がアンネお姉様を王城に缶詰にして、アンネお姉様を独り占めにしようと企んでいたとでも思っていましたか」
「う、ううぅ…」
だんだん涙がこみ上げてきた…。マイア姫のことを疑っていたなんて…。
「心外です!」
「ごめんなさいいい…」
涙が溢れた。こんな酷いことを考えていた私のために、マイア姫は離宮にお嫁さんたちを呼ぶと言ってくれた。なんて優しいマイア姫…。
これはマイア姫の愛。マイア姫は自分の恋心をねじ曲げてでも、私に愛を示してくれた。
私はそんな優しいマイア姫にいてもたってもいられなくなり、マイア姫の胸に飛び込んでしまった。
「もう、アンネお姉様は甘えんぼさんですねえ」
「うわあぁぁぁ…」
マイア姫の胸はとても柔らかい。妊娠してから少し大きくなった。そんなマイア姫の胸に顔を埋めていると、とても安心できた。
「まったく、王の側室を集めた離宮ではなく、王妃の側室を集めた離宮なんて、前代未聞でしょう。他の国のことはヒストリアくらいしか知りませんけどね」
「うぅぅ…、その通りです…」
「まあ、離宮とはいいますけど、もちろん私もそちらで寝泊まりします」
「もちろん私もマイア様がいないと寂しいです…」
離宮って、マイザーの十人の妃とその娘が住んでいたところか…。あれ…、私ってお嫁さんをたくさん連れ込んだりして、マイザーとなんら変わらないじゃないか…。っていうか、マイザーよりひどいじゃないか…。
妃は全員なくなったけど娘は?娘も五十歳から六十歳くらい?もうよぼよぼかな?
「では、早く嫁たちに準備するように連絡なさったらどうです。私はそんなところまでお節介焼きませんよ」
「はい!」
ここのところ、私は恋心という本能に身を任せていた。これが、恋は盲目というやつ…。周りへの配慮が疎かになっていたのは分かっていた。でも抗えなかった。
私って恋の初心者なんだ…。前世でも恋の経験はなさそう…。前世では女の子とイチャイチャしていたような気はするけど、男を好きになった覚えはないから、きっとこの世界における恋をしたことはなかったのだろう。
マイア姫は恋心を抑えて、よく私の他の嫁のことなんか気に掛けられるなぁ…。
そうか、マイア姫は八年前から私に恋しているベテランなんだ。最初の頃は、私の手を離さなかったり、学校から帰ってきたら抱きついてきたり、メタゾールで暮らすために王位を目指さないとか言ったり…。他の何をおいても私優先って感じだったなぁ。
でも、今は落ち着いたのかな。他の嫁の存在を疎んでいるように言っていても、認めてはくれている。
まさかもう恋が冷めちゃったとか?百年の恋も冷めるってやつかな…。私のことを呆れているようにも見えるし…。
それでも、私のことを正室にしようとしていたり、私との子を欲しがったりするのは、まだ恋心が残っていると思っていいかな。
ヒルダもクレアもきっとそうなんだ。十二年付き合ってきた恋のベテランなんだ。
みんなとずっと一緒にいたのに、私だけ恋を知らない生娘だったなんて…。
私も恋ばかりにうつつをぬかしていないで、マイア姫のように自分を制さなければ。マイア姫は恋心を愛で制した。私もそうしよう。
ドリーに恋と愛の違いを教えられてから、恋の素晴らしさに愛が欠けていたのは間違いない。
そうだ!愛だ!メイドや領民全員に恋を抱くのは問題だけど、愛なら振りまいていいじゃないか。
そうだ!今までもそうしてきたじゃないか。領民みんなが幸せになれるように、元気でいられるように、みんなを癒してきたんじゃないか。
恋も素敵だけど、私はもっと愛を育もう!
私はメタゾールにいるお嫁さんたちに、準備をしてもらうように連絡をした。
シルバーを働かせるわけにはいかないから、ブロンズで迎えに行こう。っと、その前に…。
王城の馬屋にいるブロンズ。ブロンズの心に問うた。
あなたはシルバーのように人間の姿になりたい?
私も人間の姿が欲しい。それは師であるシルバーにも問われた。でもシルバーに嫁の座を狙ってはならないときつく申しつけられている。それさえ守れば、人の姿になることは構わないと。
ただ、師が私たちの頂点であることを示すために、ユニコーンの角を生やしてはならないと。
一方で、主が空飛ぶ馬車を計画していることから、翼を生やすのは必須と。
なるほど…。シルバー…、清楚なお嬢様みたいだけど、意外に手厳しい…。
というわけで、ブロンズと第二メタゾール屋敷に赴いた。ブロンズでも数十分だ。
屋敷の中にある、魔物を進化させることのできる、進化の泉。
ここで魔物の定義は、魔力を持った動物のことだ。ブロンズは動物の馬だけど、私がマッサージして脳への血流を増やしたら、人並みの知能が芽生えて、さらに精霊を付けてあげたら、意識的に魔力を鍛えるようになった。
だから、この泉にとってブロンズは魔物だ。
さらに、進化の定義は、種を残すための理想の形態になることだ。そして、なぜか種を残すための最善とは、私との子を残すことだと思われている節がある…。
心外だけど、私は強い雄だと思われている…。
「ブロンズ、あなたの望む姿に」
「ぶひひいん」
ブロンズは光り出した。毛が少し光沢のある赤茶色…、銅色に!
そして、銅色の翼!ペガサスだ!
シルバーに角を禁止されているので、アリコーンにはならないらしい。
そして、さらにブロンズは光り出した。身体が大きく変形し、ブロンズはヒト型に!
シルバーより少し若い。十五歳くらいかな。
少し光沢のある銅色のストレートロングヘアー。その上に…馬の耳!
お尻には銅色の尻尾!
でも…、手と脚には蹄…。
「ブロンズ、私の望む姿になってくれたのですね」
「うう…、私の魔法が未熟故、私はここまでしか変身できないようです…」
「精進しましょう」
「はい!」
この子は、種を残すためには私との子をもうけることが最善だと考えて、この姿になったのだろう…。たしかに好みの女の子だ…。
いやいや、私はメイドには恋をしないと誓ったんだ。そしてペガサス娘はメイドと同じ扱い。これ以上ペガサス娘に恋をするわけにはいかない…。
でも愛なら…。私のために頑張ってくれるブロンズに、愛なら与えられる。日頃から馬車を引いてくれるブロンズに感謝を込めて、ブロンズの耳と尻尾をなでた。
けっして、もふもふしたかったわけではない。嘘です。もふもふしたいです。でも感謝の意を込めた。
「あああん…」
あれ…、これでも気持ち良いんだ…。今まで私は恋と愛の区別が付いていなかったけど、一応嫁にしたいかどうかで区別できていたんじゃない?
まあ今までどうだったかは分からないので、ブロンズからお返しをもらうわけにはいかない。ヘタをすると私がブロンズに恋をしてしまう。
「さて、行きましょうか、ブロンズ」
「はい!」
ブロンズのヒト型はお預けだ。手足が蹄じゃ人前に出せない。耳と尻尾はいいのか?いいのだ!正義だ!
この調子だとブロンズの後輩がヒト型に変身しても、もっと馬の部位が残ってしまうだろう。
ブロンズは銅色のペガサスの姿に戻った。そして、恒星間ワープモードに移行してメタゾールに向かった。
「アンネ、その馬…翼が…」
「また増えるの?」
ヒルダとクレアが呆れている。
「この子は嫁ではないのです!」
「この子とか言っちゃって」
「危ういよね」
全く信用されていない。
メイドのことだって、この子とか言ったりするし、いいじゃんか。いや、それが間違っているのかな?
だいたい、ヒト型のブロンズを見ずに言うんだから。
さすがに私は蹄萌えなんて属性はないから大丈夫。大丈夫なはず。
ヒルダとクレアとロザリーと
イミグラとゾーミアとレルーパとマクサとアマージと
お母様とシルバーとアリシアとドリーと
リーナとダイアナとワイヤを
伴って王城への五時間の旅だ。
十五人か。いちいち点呼を取らないと、いつもお嫁さんの数が分からなくなる。ここにいないお嫁さんも九人いるというのに。
十人の妃がいたマイザーの比ではないな。
ちなみに、リーナとアリシアは身ごもっていないけど、子供を一人おいていくわけにはいかない。
ダイアナはメタゾール侯爵なのだけど、王都のインフラ整備などをドリーと進める予定で付いてきた。
さらに、お嫁さんのメイドさん全員だ…。コーリルとリメザとポロンは三人とも連れてきちゃったから、全部で十七人かな…。今回はお泊まりではないので、メイドの寝室を用意していない。影収納の維持に必要な魔力がギリギリなんだよ…。
みんなと一緒の馬車の旅なのだけど、みんな身ごもったばかりで重いお菓子を食べられるわけではない。だから、今日はあっさりみかんゼリーを用意した。
「アンネ、ありがと」
「とても食べやすいよ」
ヒルダとクレアはつわりを気にすることなくゼリーを食べられているようで何より。
「アンネ、調子が戻ってきましたね」
私がここのところ恋にうつつを抜かして、空回り気味だったことはロザリーにはバレバレだったか。
「いつも私たちのことを気遣ってくれるアンネお嬢様が戻ってきたわ」
「これっ、うめー!」
「これは妊婦に適したデザート」
「アンネお嬢様は私たちの身体を考えつつ、美味しいものを作ってくれたんだね」
「久しぶりにアンネお嬢様の味がするわ!」
聖女の守り手にも好評のようだ。
そういえば、妊婦には酸っぱい果物と思って、甘みよりも酸味のほうが強いみかんゼリーにしたんだった。ロザリーの言った調子が戻ってきたってそういうこと?私はいつもみんなのことを気遣っていたのかな。
今回はこねたりしていないのだけど、私の味がするのか。そういえば、私が料理に込めている魔力ってなんだろ。アマージの言う私の味って…。
「アンネちゃんの愛情がこもったお菓子ねー」
「ご主人様の愛を感じられます…」
「お母さん!大好き!」
私が料理に込めている魔法って愛?今までも同じだったのかな?
私がカローナの本能から教えてもらった魔法は、私を恋の対象として見なせるようになるだけで、恋を強制するものではないと、ドリーは言っていた。
でも、私がマッサージした子って、いつもイチコロ…。それは、私がマッサージに愛を込めていたから?私の愛を感じ取って、私を好きになってくれていたのかな。
けっして、私を愛することを強制するような魔法ではないと信じたい。
お嫁さんたちにおやつを食べてもらったあとは、お風呂のベッドで楽な体勢になってもらい、私がマッサージを施した。愛を込めて。
「「「「「あああああん…」」」」」
うん。いつもどおりの反応だ。
私はマッサージするときはいつも、客に元気になってほしい、痛みやだるさから解放されてほしいと願っている。今までもその思いが魔法となって伝わっていたってことなのかな…。
そして夕食だ。
ブロンズの脚では、王城を朝に出て昼にメタゾールでお嫁さんを拾ったら、到着は夜になる。
このまま夕食を取って、お風呂を済ましてから離宮に入ろう。
夕食は、根菜と枝豆の冷製スープだ。具は一度煮込んでやわらかくしてある。
妊娠中は胃の動きが悪くなるので、消化に良いものが良いのだ。
冷たくしてあるのも食べやすいだろう。冷たすぎるのも良くないけど。
「美味しいわ!」
「すんなり入るね!」
「メタゾールの料理人はここまで考えてくれませんでしたもの」
そっかぁ。料理人にそういう教育も必要だなぁ。医師とか栄養士とかいないんだもんな。私とダイアナの知識じゃそこまで及ばないなぁ。
そのあとは、お嫁さんたちには寝室でゆっくりしてもらって、今度は十七人のメイドとお風呂だ。
大丈夫。私は恋と愛を区別できるようになった。メイドにはもう、私を恋の対象と見なせるようになる魔法を込めない。愛だけを込める。
いつもありがとう。疲れを癒して、明日もよろしくね。
「「「「「ああああああん…」」」」」
申し訳ないけど、メイドからのお返しは受けない。
このメイドたちは私の恋の魔法にかかっているので、私がマッサージされてしまうと、私がメイドに恋をしてしまう。というか、すでに恋をしてしまっていて、この子たちを見ているとドキドキしてしまう…。
でもメイドに恋をしてはダメだ…。きっと恋の魔法を交換し合わなければ、そのうち恋も冷めるはず…。
このドキドキを手放さなければならないことを名残惜しく思いつつも、メイドたちが私にお返しマッサージできないように、メイドたちが気を失うまで愛を注いだ。
「「「「「あああああん…」」」」」
王城に到着した。すっかり夜だ。
みんなを離宮の寝室に送った。寝室は三つの部屋をくり抜いて、三十人用の大きなベッドを置いてある。
「アンネお姉様ぁ。寂しかったです…」
「もうお休みになったほうがいいですよ」
「アンネお姉様のいけずぅ」
マイア姫と一緒にお風呂に入って
「ああああん…」
そして、みんなの待つ離宮へ。
「妊娠中は、やっぱこれよね」
「うん!これがいちばん!」
赤ちゃんでも消化できる胃に優しい…、私の母乳。妊娠中は母乳を飲むのが当たり前みたいに言っているけど、どういうこっちゃ…。
ちなみに、お母様はずっと母乳が出続けているけど、お母様の栄養補給がままならないので、お母様の母乳はお休み中だ。それでも長年鍛えすぎた乳腺はかってに母乳を生成してしまうようで、って、水着には母乳パッド挟んでないじゃん…。挟めないじゃん…。なんとかしないと…。
っていうかおなかが冷えるから水着をやめてほしい…。おなかが大きくなっても水着でいるつもりかな。
私だって十五人の子にあげる母乳のために、どれだけのお菓子を隠れて食べていると思っているんだ…。それも、小麦やバターだけじゃなくて、野菜や豆を練り込んだクッキーだ。一口で高カロリーやいろんな栄養を摂取できるようになっている。
「ちょっとあなた!不敬よ!」
「アンネお嬢様の果汁は、打ち首にされても譲りません!」
仲の良いマイア姫とアマージ。私の胸を左と右に引っ張らないでほしい…。マイア姫は吸引力強いし、アマージはかじるし、どちらも痛い…。
翌日、第二メタゾールから野菜やお肉が届いた。前日のうちに手配をかけておいたのだ。
お嫁さんたちの食べやすい料理を作るためなのがいちばんだけど、王城の料理人にも料理を教えて、作ってもらえるようにするのだ。
第二メタゾールの農作物は、旧マイア姫領とか、その周辺のお嫁さんの領、コーチゾン、デキサテール、アルクロゾン、ヒドルチゾンに卸されていて、各領地ではそれを使った料理やお菓子などが普及しつつある。
王都の改革は始まったばかりなので、まだメタゾールの農作物を卸したりしていない。
「あの…、公爵様…」
「大丈夫ですよ。メタゾール領ではよくやっていたことです」
私は王城の厨房に乗り込んで、料理人にレシピを教えるのだ。
貴族当主は料理なんてしないものだとかどうでもいい。私がルールだ。
「キュウリは細切りにします」
私の視界にはキュウリはなく、自分の大きなスイカだけが見えている状態。そんな私が包丁を握ってキュウリに包丁の刃を入れようとしている。
それを見て、料理人たちは止めようかどうか、迷っているようだ。
「はやっ…」「手が見えない…」
最近、すべてのものがまとっている薄い魔力の膜が見えるようになった。見えるといっても精霊を見る視覚と同じで、物理的なものに遮られることなく見える。
だから、スイカに遮られたキュウリを見ることができるのだ。
ちなみに、魔力を見る目の視線は、実物の目の視線とは無関係で、違う方向を見ることができる。さらには、自分の肉体にも遮られることがないので、自分の後ろだって見ることができる。
この辺りは、生まれたあとに魔力が見えるようになった人はちょっと違うみたいで、実物の目と魔力を見る目は同期しているようだ。お母様やヒルダはドリーを見るのに、目の視線の方向や焦点が変わっていた。
ドリーの木を元に作り出した野菜は、この国にはないものが多くて、料理人は物珍しそうに見ていた。
「覚えました?」
『はい、アンネお姉様の姿をバッチリ録画しましたし、私も手順を覚えました』
「えっ…」
返事をしたのは、料理人のスマホのエージェント・マイア…。
なんでスマホ画面の中のマイア姫が、手に持ったスマホのCGを眺めて顔を赤らめているんだろう…。
「それなら、他の料理人にも教えてあげてくださいね」
『はい!アンネお姉様!』
まさか、エージェントキャラAIは、恋愛もシミュレーションできるのか?
料理人に教えつつできた料理を、お嫁さんたちの離宮に運んだ。
お嫁さんたちは美味しい美味しい喜んでくれた。とても嬉しい。
ところで…、私、王城の仕事をなんもしてないような…。
「アンネお姉様のお仕事はそれでよいのですよ」
「へっ?」
「アンネお姉様のお仕事は、まずは私たちに愛を振りまき、そして、そのあと民に愛を振りまくことです。
アンネお姉様の愛が民を幸せにし、幸せな民が国を栄えさせるのでしょう。
アンネお姉様の教えてくれたことではないですか」
「あ、はい」
間抜けな返事しかできていない。
「アンネお姉様に事務仕事なんて期待していませんよ。私はメタゾールでアンネお姉様が書類とにらめっこしているなど見たことありません。お父上に丸投げだったのでしょう」
「そ、そうです…」
「アンネお姉様にそんなことをさせても意味がないことを知っています。どうせこの料理も王都の妊婦が食べられるようにするのでしょう。そのために奔走してらっしゃるのですよね?」
「そ、そんな感じです」
「では、私はここでそれを応援していますよ」
「ありがとうございます…」
法衣貴族の公爵って何をすればいいのかと思っていたけど、好きにやっていいってこと?それなら、王都でやりたかったことがあるんだ!
まずは平民の服の素材となるくすんだ象牙色の低品質の麻布を調達。
第二メタゾールからスライムの素材を出荷して旧マイア領で魔道ナプキンを生産して王都で売るようにしているけど、まだまだ魔道ナプキンとパンツ、そしてミニスカートは王都にそれほど普及していない。
だから今回仕立てたのもロングスカートのワンピース。麻布は肌触りが悪い。
もちろん胸の部分はサイズに合う乳袋にした。あ、こんなこと前にもやったような…。
でも胸を膨らましただけだとなんか太っているように見える…。しかたがないので腰を絞る。
うん…、こんなもんかな…。あとは化粧を落として…。これで私も平民!
でもダッサい…。早く王都民全員にメタゾールブランドのミニスカートを普及させたい…。
「えっ、メタゾール公爵様?」
「ちょっと出てきます」
王城の門番がぽかーんという顔をしていた。私、顔パスでしょう。門番なら私が平民の服を着ていても分かるよね。
王都を歩いていると、私のことをジロジロ見ている人が多い…。悪意はない。私、おかしいかな…。やっぱ胸が大きすぎて服が合わないかな…。
継承式に顔を出したりはしてないから、顔は割れてないと思うんだけど…。
まあいいや…。王都の外れまでやってきた。けっこうな距離だった。
王都の外れ…、それはスラム街。ろくな職もなく、家もない者たちのたまり場。以前は誰かの住んでいた廃墟が彼らのねぐら。
九歳のデビュタントパーティのときに、一人で王都散策したときにスラムも散策したんだ。あのときは、馬車でダズンとエミリー、そしてシルバーもいたっけ。
あ、いつもシルバーと二人だけで出かけたりすることが多かったから、今日はメイドすら連れてくるの忘れちゃったよ…。平民の服を着ているとはいえ、スラムではこれすら高価に見えるか。
スラム街って、十五年前のメタゾールくらいの広さがあるんだよ。つまり私が当主になる前の、何もないころのメタゾールってことだけど。十キロ四方くらい。
以前視察したときに、スラムをどうにかしたいとは思っていたけど、今回も具体的に何か案があるわけではない。
私は机上に描いた計画で物事を進めるタイプではなくて、行き当たりばったりなんだよ。行ってみて考える、ってことでやってきたわけだ。
歩いて進んでいると、まず、だんだん汚物臭くなってきた。まだスラムに着いてないんだけど、この辺は貧民街か。市場がある付近と比べると、雲泥の差だ。
そして、悪意が濃くなってきた。おかしいなぁ、今日の私は平民。何も盗まれるようなものは持っていないよ。あ、この平民服が欲しいのかな。
強い恨みを感じた。私は恨まれるようなことをした覚えはない。この恨みは裕福な者全体に対する恨み。おかしいなぁ、私は質素な平民服しか着ていないのに…。
後ろから気配を殺して襲いかかろうとする輩が。気配を殺すっていったって、心音や筋肉のきしみ音でどういう体勢でいるか私にはバレバレだし、悪意もダダ漏れ。
でもね、悪意を抱くに至った経緯を知りたいんだ。悪いけど、今日は心を読む魔法フル稼働で行くよ。
この者は元ランクCハンター。戦いで利き腕を失い、剣を握れなくなった。没落してスラム暮らし…。そう…、ツラかったね…。腕がなくならなければもっと戦えただろうに…。
この者にはそこまで強い悪意を感じない。ただ、私の身ぐるみ剥がして今日を生きるお金や食料が欲しいだけ。
「うがっ」
ひとまず、私に触れる寸前で電気魔法でショックを与え気絶させた。脳死じゃないよ。
私にはこの腕を元通りに治すことくらいしかできない。
カイロプラクティック十秒コースで内臓の動きを活発にしてやることくらいしかできない。
ばっちいから土魔法や水魔法で身体や服の汚れを分離するくらいしかできない。
着ているものがあまりにもボロボロだから、土魔法で縫い直して、足りない部分は影収納にある余りの麻布で継ぎ足してやるくらいしかできない。
いつも影収納に持ち歩いている豆や野菜を練り込んだ高カロリークッキーを口に詰め込むくらいしかできない。
うーん、スラムに来たら何かできると思ったけど、ごめんね、たいしたことはできないや…。
後ろから、小さい男の子の付けてくる気配が。悪意はない。あるのは期待、興味。
「どうしたの?」
「…」
この男の子は言語を持っていない。私の言っていることを理解していない。
親というものの存在すら知らない。なんとなく面倒を見てくれていた大人の女が寝たきりになり、自分一人で何もできなくてひもじい、か…。
それなら、その大人のところに連れてってと考えを伝えた。考えは言語がなくても伝わる。動物にも使えるくらいだ。
面倒を見てくれていたという女は、風邪だろうか。全体的に薄く黒ずんでいる。でもただの風邪に抗う体力すらない。
私はウィルスを退治したり移動したりするような魔法を知らない。風邪を治すのは免疫力と新陳代謝だのみだ。
新陳代謝を活発化させるのは私にとっては造作もないのだけど、そのためには栄養不足だ。まずは私の持っている高カロリークッキーを食べさせる。ガツガツ食っている。
それを見て、よだれを垂らしている男の子。この子も栄養失調だ。クッキーをあげたら、指まで食いつかれた。
さて、食べたものをすぐに栄養にするため、まず背骨の関節にある消化器官を動かすツボを押した。
「ああん…」
栄養が吸収されたのを確認すると、今度は背骨の関節にある肝臓や腎臓を動かすツボを押して、ウィルスを排出させる。
「ああん…」
よし、ウィルスが全部出るまで代謝したかな。代謝というのはもちろん、おしっことうんちだから、あらかじめ、影収納の扉を仕込んでおいて、ぼっとんできるようにしておいたよ。
かなりエネルギーを使ったから、もう一つクッキーを食べさせよう。
すると、男の子ももう一個と催促するので、しかたがないので与えた。
あとは不潔だとまた風邪を引くから、土魔法と水魔法で汚れを移動。
服がボロボロで寒いと、これまた風邪の原因になってしまうので、土魔法を使って、綿と羊毛で作った服を纏わせた。男の子にもね。
王都はメタゾールほど暖かくはない。といっても一五〇〇キロ北の地域と考えるとそれほど寒くもない。相変わらず不思議。
そんなこんなで、三十組ほど、襲ってきたり、助けを求めたりしてきたけど、たいしたことはできなかったなぁ…。
お金を与えるのは簡単だけど、それでは根本的な解決にならない。スラムは広いし、聞こえる心音は数百ある。
まあ、今日はとりあえず行ってみて、何ができるか考えてみようとしていたんだ。今日は思いつかなかったけど、また明日来てみよう。
中には、完全に悪意を持って、私をさらって売り飛ばしてやろうなんて輩もいたけど、そういうのはさすがに脳死にした。
こうして、十日間スラムに通ったけど、私一人でたいしたことはできないし、根本的な解決策は思いつかなかった…。
あっ、たしか、この辺に子供たちの集まっている建物があったような。八年前馬車で通ったとき、子供だけの集団があったんだ。
いたいた。子供、二十人。大所帯だなぁ。
八年前に見た子…、そりゃ八年も経てば成長もするし入れ替わりもするか…。よちよち歩きの子から青年までいる。
「なにちにちた?」
「えっ…」
よちよち歩き男の子が私の元に歩いてきて言った。一歳くらいかな?男の子からは悪意と言うほどではないけど、若干の怨みを感じる。
男の子には右肩から腕がない。
「これ?生まれたとき、腕、ない」
私が腕のない右肩を見つめていると、男の子はそう答えた。男の子は、なぜこんな身体に産んだのかと、私を恨んでいるようだ。私が産んだんじゃないし…。
遺伝子異常?いや、胎内で必要な栄養が得られなかったか、折れ曲がってしまって栄養が行かなかったか。
肩には真っ黒な黒ずみが見られる。怪我をしたらこうはならないんじゃないかな。これは、血流がここで完全にストップしてしまったってことだ。
「おい、なにしゅる!」
私は男の子の肩に触れた。
止まってしまった血流…、やはり、胎内での成長過程で、肩が折れ曲がってしまって、そこから血が流れなくなってしまったようだ。
ここに血を流してやって、育つはずだった腕の先を…。
ダメだ、栄養が足りない。
「はい、これ食べて」
「ふがああ」
高カロリークッキーを男の子の口に突っ込んだ。歯がないので、粉々に砕いてから口に入れた。飲み込んだのを確認して、背骨の関節にある消化器官を動かすツボを押す。
「×××…」
よしよし、肩に栄養が回ってきた。成長すべきだった腕、来い!
「ちょ…、オレの腕…」
「あなたの神経はあなたの腕の動かしかたを知らないだろうから、リハビリは必要ですよ」
男の子の腕や指はピクピクしている。動かせるようになるにはしばらくかかるだろう。
「すげえ!オレもやってくれ!」
「あー、うー!」
「私も!」
ここには怪我で手や足を失った子がたくさん。私はみんなに高カロリークッキーを食べさせて、手足を再生していった。手足を失って間もない子は、すぐに失った手足を動かせるようになった。
喜んでいる子供たちをよそに、最初に腕を生やした男の子が寄ってきた。
「なあ、その、あにがと…」
「たいしたこと、できませんでしたけどね…」
「そか…。それ、魔法なの?」
「そうですよ」
「女神しゃまだけの魔法?」
「えっ…、私は女神ではないですけど…、まあ練習すれば魔法は誰でも使えるようになりますよ」
「すげえ!魔法ある、しぇかい!ちらなかった!」
「あの…、あなたの方がすごいですよ。あなたは…」
真っ暗だ。何も見えない。何も聞こえない。身体は動かない。というか自分の身体があるのかもわからない。
いや、何も見えないことはなかった。無数の光の玉が見える。ピンポン球くらいのぼやけた光。なんだかよく分からない。放っておこう。
しばらくして、オレは異世界に転生したということを理解した。今まですごしてきたのは、母親のおなかの中だ。
体中締め付けられて痛かったが、どうやら親の産道を通ってこの世に生を受けたらしい。
オレは、産声を上げた。
しかし、それに対して周りから聞こえたのは悲鳴。男の方は何か怒鳴り声を上げている。言葉は分からない。でも、あまり歓迎されていないことだけは分かった。
なぜならきっと、オレには右肩から先がないからだ。
なんとなくおなかの中にいるときから分かっていた。動かすべき右腕がなかったことは…。
きっと、親は障害児が生まれてきて絶望でもしたんだろう。
目がぼやけててよく分からないが、オレは母親らしき者に抱かれてどこかに連れて行かれた。そして、それ以来、母親らしき者に抱かれることはなかった。
目が見えるようになってきた。オレが連れて行かれたのは、子供の集まる…、孤児院?いや…、大人の姿は見えない。小汚い…、糞尿臭い…、もしかして…、スラム…かな…。
一応、屋根の付いた建物に住んでいる。土を固めて作ったような建物。それがボロボロに崩れた廃墟のようなところだ。ひどい原始時代だ。
とにかく臭い。周りを見る限り、みんな部屋の中で排便している…。寝たきりの子…、おそらく死体もある。ここは墓場だ。あれはオレの行く末だ。
もちろん、俺だって糞尿垂れ流しだ。寝返りを打つのもやっとだというのに、排便を我慢するほどの筋肉があるはずもない。
最悪だ…。オレは前世の記憶が曖昧で、おそらく高校生だったってことくらいしか分からない。家族と一緒にすごしていた気がするけど、どんな家族がいたのかは思い出せない。
そんなぬくぬくとした前世で生きてきたオレに、こんな過酷な世界でどうしろっつうんだ。こんな何もできない赤ん坊…、しかも右腕なしで…。
前世で死んでしまったから転生したのだろうか。こんな世界、こんな身体なら、転生なんかさせてくれなくていいのに…。
周りをよく見回したら、みんなどっかしら、手や足、または指がなかったりする。オレみたいに生まれつきないのか、怪我でなくしたのかは分からない。
ここは障害児の集まりか…。みんな同じか…。オレだけこの境遇に嘆いていても誰も哀れむことはない…。
ほとんどの子は何も着ていない。俺は、ここに連れてき来られたばかりのときは、何かにくるまれていたと思ったけど、いつの間にかまっぱだ。誰かに取り上げられたのかもしれない。
凍え死ぬほど寒くはない。羞恥心なんてとっくに捨てた。
女の子が、オレにまずい汁を飲ませてくれる。唯一の食料だ。ありがたい。さもなければ赤ん坊のオレはとっくに死んでいただろう。まあ、死んでしまってもよかったけど…。
女の子も、左手の親指と人差し指がなく、中指が反対に折れ曲がっている。何か事故に遭って、働けなくなって捨てられたのかな…。
オレは目がはっきり見えるようになる前から、できるだけ早く動けるように、手足や指をバタバタと動かして筋トレしていた。でも、あまり筋トレは進まなかった。まずい汁だけでは栄養不足だったのだろう。
周りの子供たちはろくに話さない。いや、言葉をほとんど知らないみたいだ。
オレは、数少ない話しのできる女の子に訴えかけた。俺に食料を与えてくれた女の子だ。
「どうしたの?」
「ぼーいあお」
何を言っているのか分からないけど、言われたことを繰り返して、もっと話しかけてもらいたい。でもオレの口は、思ったようには動いてくれなかった。
「あなた、面白いね!」
「ああば、おいおいえ」
よく分からないけど、その子は笑顔になって、オレの相手をしてくれるようになった。それから、オレはなんとか言葉を覚えていった。
それに、はいはいできるようになってきた。片腕だと、はいはいがこんなに辛いなんて…。
動けるようになったので、自分でも何かできないか考えてみる。でも、周りにあるものは、雑草を束ねて作ったベッド、石を重ねて作った机、石のお皿、石の水瓶、それだけ。
それに対して、オレはサバイバルの知識なんて持ってないし、高校までに学んできた理科の知識に照らし合わせても、周りになんとかできそうなものなんて何もなかった。
オレに右腕がないことを忘れさせてくれるほど、ここではやるべきことがない。まあ、そもそも赤ん坊が手でやるべきことなどないか。
どうやら、この子供の集団の収入源は物乞いらしい…。そもそも誰もお金のことすら知らない。働くことすら知らない。
物乞いに行く子だけが、ぼろきれを腰にまとっている。まっぱで人前に出ていけないくらいは知っているようだ。
俺に言葉を教えてくれた女の子も腰布をまとっている。でも、若干膨らみのある胸を隠すことはしていない。
子供たちは果物を食べていた。オレがいつももらっているまずい汁は、果物の汁を雨水で薄めたものらしい。
オレも歯が生えだしたし、果物をもらうようにした。でも、空腹は紛れなかった。
ある日、俺に言葉を教えてくれた女の子が熱を出して寝込んだ。
「寒いよう…」
「かけるもの、もってくりゅ」
毛布どころか布さえない。外に何かないか探しに行こう。
つかまり立ちくらいはできるようになってきたんだ。なんとかものを持ってこられるはずだ。
建物の外に初めて出た。辺りには廃墟。人の気配はない。
そうだ。雑草でいい。雑草を敷いたものがみんなの寝床だ。
くそっ!俺は力がないし、何より右腕がない。こういう作業をして、今さら右腕がないことを嘆いた。
それでもなんとか雑草を集めて、何度も倒れながら、女の子の元に持ってきて、身体にかけた。
「冷たっ…」
「ご、ごめん…」
採ったばかりの雑草は水分があって、余計に体温を奪ってしまうか…。
俺は雑草をどけて、雑草を自分の身体で暖めようとした。
「うう、寒い…。こっち来て…」
「うん!」
雑草の掛け布団はすぐには使えない。俺の体温でもなんでも持っていってくれ。俺に与えられるものは他に何もないんだ。
俺は小さな身体で女の子を抱きしめると、女の子は俺を抱きしめ返した。これじゃ俺が暖められているみたいだ…。
「暖かい…」
俺に食料を与えてくれ、言葉を教えてくれた女の子…。死なないでいてほしい…。
いつの間にか寝ていた。目が覚めると女の子の熱は下がっていた。
助かった…。よかった…。
おそらく風邪だろうけど、オレにうつることもなかった。
女の子が助かるなら、俺に風邪がうつって死んでもよいと思っていたのだけど。
生まれて何ヶ月経ったのだろう。やっと掴まることなく歩けるようになってきた。
このまま大きくなっても、ここにいる大きな子供と同じように生き続ける自信がない。生きていく自信がないのではない。ここにいる子供と同じような未来に希望が持てない。そこらに転がっている腐乱死体がオレの未来かもしれない。
もう死んでしまってもいいと思っていたある日…、女神がやってきた。なんだいるんじゃないか、女神。普通、転生するときに現れるだろう。転生後に来てどうするんだ。
女神の服装は…、地味な茶色のワンピース。あまり女神っぽくない服装…。正直ダサい…。
でも、肩幅より大きな胸!見たこともないような美しい顔!これはやっぱり女神に違いない!
この女神がオレにこんなハンデを負わせて転生させたのかよ…。なんだか腹が立ってきた。
「なにちにちた?」
「えっ…」
女神は俺たちを一通り眺めて、ぼーっとしている。
オレはまだろくに回らない舌と少ない語彙で、精一杯の皮肉の言葉をかけた。
女神は何か驚いているようだ。おまえがオレを転生させたんじゃないのか?
女神は腕の付いていないオレの右肩を見つめている。
「これ?生まれたとき、腕、ない」
女神は何やら考えているようだ。
「おい、なにしゅる!」
女神は腕の付いていないオレの右肩に触れた。すると、触れたところが光り出した。
右肩がもぞもぞする…。
「はい、これ食べて」
「ふがああ」
女神はオレの口に、何か食べ物を突っ込んだ。うまい!なんだこれ!この世界で初めて美味しいと思える味…。
口に突っ込まれた食べ物を飲み込みきると、女神はオレの背中に手を伸ばし、
「ああぁ…」
今度は味わったことのないような快感が、体中を走った…。
すると、右肩がまたもぞもぞとし出して…、
「ちょ…、オレの腕…」
右肩から腕が生えた…。
「あなたの神経はあなたの腕の動かしかたを知らないだろうから、リハビリは必要ですよ」
ちょっと難しい言葉が多すぎて、何を言っているのか分からない。
残念ながら、オレの手や指は、ピクピクとしか動かない。動かすのに練習が必要とか言っていたのだろうか…。
「すげえ!オレもやってくれ!」
「あー、うー!」
「私も!」
他のやつも治してくれって言い始めた。ここには怪我で手足を失ったやつばかりいるんだ。
みんな治療してもらって大喜びで転げ回っている。めしを食わしてもらって元気になったってのもあるかもしれない。
そんな中、オレはまだ女神にお礼を言っていないことを思いだした。
「なあ、その、ありがと…」
「たいしたこと、できませんでしたけどね…」
女神の中では、人の手足を生やすことなんてたいしたことないのか?
「そか…。それ、魔法なの?」
「そうですよ」
「女神しゃまだけの魔法?」
「えっ…、私は女神ではないですけど…、まあ練習すれば魔法は誰でも使えるようになりますよ」
「すげえ!魔法ある、しぇかい!ちらなかった!」
「あの…、あなたの方がすごいですよ。あなたは…」
私は、男の子の心を読まずにはいられなかった。
男の子は一歳とは思えないほどの知識を持っていた。しかもその知識は…、私の前世の…母国の…。
「あなたは転生者ですか」
私は前世の母国の言葉で話しかけた。
「ええ?そうだよ!女神しゃまがオレを転しぇいしゃしぇたんじゃにゃいのか」
「えっ?だから、女神なんかじゃないですし…、転生の魔法なんて知りません」
舌足らずだけど前世の母国の言葉が返ってきた。
何言っているんだこの子は…。でもやっぱり転生者なんだ…。
「じゃあ…、女神しゃまが転しぇい者?」
「えっと…、はい…。女神じゃないですけど…」
ダイアナしか知らない転生のことを話してしまった。まあ相手が転生者ならいいか。
今この子に悪意はない。この子がこの世界に生まれてからの記憶…、申し訳ないけど読ませてもらった…。
「ううぅ…。わああん…」
「ツラかったですね…」
男の子は、転生者という自分の境遇の変化を理解できそうな者に会えて、泣き出してしまったようだ。
男の子は、前世の平和な母国でぬくぬくと暮らしていたのに、突然とても過酷な世界に放り込まれたのだ。さぞかし辛かっただろう。
この思いは、生まれつきこの環境で育った他の子たちとはかなり違う。他の子はここはこういう世界なのだと思っているか、ここに捨てられる前からもそれなりに過酷な環境で生活していたようだ。
それを考えると、仮にも貴族家に生まれた私は、とても運がいい…。メタゾール家は貧乏な貴族家だったけど、貧乏な平民の家に生まれたら、この子のように捨てられていたかもしれない。
私は男の子を抱きしめずにはいられなかった。
「あ、あああ、あの…、く、くくく、くるちい…」
「あ、ごめんなさい…」
男の子を胸に挟んで窒息死させるところだった。
あれ…、この子は赤ちゃんにしか見えないけど…、記憶を見る限りは前世も男だったワケで…、どうやら高校生までの知識を持っていて…。社会経験はなさそうで…。つまり、元高校生…。
思えば、お父様以外の男に触れたのはこの世界に生まれて初めてのような…。しかも胸…。しかも高校生…。
いやいや…、この子はハンディを負ってこの世界に生まれて、しかもすぐに捨てられて、今までみんなに助けられてなんとか生き残って来られたような子…。
高校生はいったん置いておこう…。今のは情状酌量の余地ありだ…。いや、私から抱きしめたんじゃないか…。私は当たり屋ではないし、痴漢のえん罪をでっちあげたりもしないよ…。
この子も別に、エッチな目で私を見ているわけではなさそうだ。まだ肉体がそのように感じるようにできていないのだろう…。
さてこの子には、記憶を見る限り名前すらない。言葉もままならないようだから、この辺りの事情を記憶に教えてもらおう。
といっても、この子はたいしたことを知っているわけではない。この子はこの辺りから遠くに行ったことがないのだ。そりゃそうだ一歳児だもの。
みんなの記憶覗いてみるか。
「ねえ、あなたたち、私の農場で食べ物を作りませんか?」
大きな子は、四肢の一部失ったせいで、親に捨てられてしまったようだ。
小さな子は、物心着いた頃からここにいて、働くことすら知らないようだ。
「オレ、脚を治してもらったからなんでもするよ!」
「私も手が動けばなんでもやるわ!」
「食べ物って作れるの?すごい!」
言葉が分かりそうなのは、男の子の他にこの三人だけかな。脚を治した十五歳くらいの男のと、腕を治した十三歳くらいの女の子と、指を治した九歳くらいの男の子だ。
「わかりました。ちょっと馬車を呼ぶので待っていてください」
「「「はい!」」」
この三人以外には同意を得てないけど、この三人が保護者ってことで。
私は自分のロングスカートの裾を掴んで、スカートの内側に影収納扉を開き、影収納からスマホを取り出した。
「ブロンズ?馬車の手配をお願いします。位置をチャットで送ります」
『了解です』
もちろん、ブロンズとの会話はこの世界の言葉だ。
「今の…、しゅまほ?」
「そうです」
今度は前世の言葉だ。
スマホやタブレットという言葉はこの世界になかったから、そのままの音でこの世界に取り入れちゃったけど…。
「しゅまほ、あったんだ…」
「農場に行ったらあなたにも渡します」
「なあ、女神しゃまはただの人間なのか?おしめしゃまか?」
「えっ?そ、そんなわけないじゃないですか。どう見ても平民でしょう?」
おかしいなぁ。今日は平民の服を着てきているし、どっからどう見てもただの平民のはずなのに。
まあ、お姫様ではないけど、もうすぐ王妃なんだよね…。あながち間違ってはいない。
「オレ、しゅラム以外ちらないから、平民とか言われてもわかんないよ…」
「そうですか…」
そうか、この世界の標準的な服装も何も知らないんだ。
「さて、一歳児に働けとは言いませんから、学校で勉強するといいでしょう。とくに魔法は早く身につけるべきです。魔力は幼い頃から育てるのが有利なんですよ。あなたも優秀な魔法使いになれます」
「えっ…。学校…。魔法、勉強しゅる!魔法ちゅかいになりゅ!」
男の子の心に火が付いたようだ。前世からすれば、魔法の存在はとてもわくわくするだろう。私もそうだった。
しばらくしてブロンズが馬車を引いてやってきた。御者としてリメザが乗っている。
メタゾールと違って、王都ではまだ、無人で馬だけが引いている馬車は暴走馬車と見なされてしまうし、馬が単騎で走るのもおかしい。かといって、ヒト型に変身しても手足に蹄の残ってしまうブロンズでは、ヒト型で歩いてくることもできない。できないことはないだろうけど…。
「ご主人様…、こんなところに来てまで…」
「嫁は探してませんよ!」
「いえ、そのようなことは言っておりません…」
リメザの私に対する扱いがひどい。
リメザは緊張しがちな子だから、あまりものをはっきりとは言わないけど、心を読む魔法をフル稼働していたから、言いよどんだその先まで分かっちゃったんだよ…。
「さあ、皆さん、馬車に乗ってください」
「すっげー!」
「ふかふか~!」
「美味しそうな匂い!」
「「「「「わー」」」」」
ふふふ。馬車の部屋やベッドを荒らしほうだい。ごめんねリメザ。洗濯がんばってね。
「なあ、あの…」
「私はアンネリーゼです」
男の子は前世の言葉で話しかけてきた。
男の子はやっと私が女神でないと理解して、その代わり、私を何と呼んでいいか分からなくなってしまったようだ。
もうそろそろ心を読む魔法のフル稼働モードはやめてもいいかもしれない。でも、言葉を喋れない子も多いんだよな。面倒なので、このまま続行。
「アンネリーじぇ…、オレは…」
「名前は皆さんでつけ合ったらどうですか?名前を持っていた子もいるのかも知れませんが、ほとんどの子には名前がないのでしょう。あなたたちは助け合ってきた家族なのでしょう。これからは食べ物に困るようなことはさせませんが、それでも家族で助け合って生きていくとよいです」
「うん。しょうする」
「それと、前世の言葉はやめましょう。まだこの世界の言葉に慣れていないのかもしれませんが、それは学校で学んでください」
ここまでは前世の言葉で話した。そしてこの世界の言葉に切り替えて話を続ける。
「ではここからはこの世界の言葉でお願いします」
「わ、分かった」
この世界の言葉を使うように促すと、男の子はこの世界の言葉で返事をした。この世界の言語の文法があやふやで、少し片言だ。
「ブロンズ、行き先は第二メタゾールです」
「ぶひひい」
第二メタゾールまでは三十分。ちょうどお昼ご飯の時間だ。
「リメザ、リゾットを作ります」
「えっ、ご飯が炊ける頃には着いてしまいますが」
「私が影収納内で炊きます」
大鍋に米と水、根菜や豆、塩やハーブを入れて、蓋をする。
鍋の底に影収納の扉を開き、中身を影収納に移す。
影収納を閉じて、中身を火魔法で加熱しつつ、影収納の体積を小さくして加圧。
影収納の扉を鍋の蓋の裏に開いて、米を鍋に移す。
三分でできあがり!
「うんめー!」
「美味しいわ!」
「こんなの初めて!」
言葉の分かる三人は、初めての味を大絶賛。
「「「「「わー」」」」」
言葉の分からない子たちも感動している。
「うまい…」
転生者の男の子はこの世界で初めての暖かい食事に涙している。
米の存在に驚いている様子はない。米どころかパンにもほとんどありつけなかったのだ。米があるかどうかを考えることもなかったのだろう。
みんな今までこんなにたくさんお食べ物を腹に詰め込んだことなどないだろう。あまりたくさん一度に詰め込むと、身体の調子を崩す。だけど、この子たちは食べたいという気持ちを抑えられないだろうから、せめて消化に良いものを食べさせてあげたい。
「さあ、着きましたよ」
第二メタゾール領は、農地や魔物の放牧地がほとんどだ。二十人住める家はないので、適当な土地に土魔法で大きな家を建てた。
「しゅごい…、これが魔法…」
「ドアと窓、家具などはあとで運ばせます」
家には、家具はもちろん、ドアも窓もない。でも、ここには子供を襲うような者はいないし、とりあえずこれでいいや。
「これはこれはアンネリーゼ様」
第二メタゾールで農夫をやっているおじいさんだ。
「ごきげんよう。この子たちを農園で雇いますので、仕事を教えてやってください」
「かしこまりました」
「小さい子は無理に仕事をさせる必要はないです。最低でも一日四時間は学校に行かせてください」
「あの…、オレを…」
転生者の男の子は、転生者のよしみで、側に置いてくれないかと言いたいようだ。だけど、それを許してしまうと、他の子も全部同じように扱わなければならなくなってしまう。
さっきもそのように言いたかったようだけど、話題を切り替えて先を言わせなかった。でも、ちゃんと答えるしかないようだ。
「特別になりたかったら、能力を示すことです。能力の高い者は、執事やメイドに取り立てられます。魔力のトレーニングは始めるのが若ければ若いほど有利です。あなたは魔力の高い魔法使いになれる可能性を秘めています。
だけど…、その…、申し訳ありませんが、今はあなただけを特別視するわけにはいかないです」
「そか…」
「あなただって、自分を育ててくれた仲間を差しおいて、自分だけ貴族としてぬくぬくと暮らすのは気が引けるでしょう。
でも、これからの暮らしは、今までと比べものにならないほど、ぬくぬくであることは保証しますよ。
一日の大半を学校すごし、帰ったら家族が待っている、前世と同じような暮らしをできます。
あなたなら、言語以外の座学を飛ばして、魔法に専念すればよいでしょう」
「わかった。オレ、しゅごい魔法ちゅかいになって、アンネリーゼの役にたちゅ」
最近、メイドは募集しているけど、執事は募集していないとは言いづらい。
ああ、私が男女差別の禁止法を提案しておきながら、自分でいちばん差別してるじゃん…。いやいやこれは雇用機会均等法とは関係ないよねえ…。
さて…、スラムに住んでいる者のうち、働く意思があるけど、怪我や病気で働けなかった者を、あらかた再就職させた。二〇〇人いたよびっくりだよ。
ハンターだった者はそのまま王都のハンターとして復帰したし、働き口のない者には第二メタゾールでまずは農業にでも携わってもらう。
でも第二メタゾールの農業で受け入れるのはそろそろ限界だ。
スラムに直接出向いてよかった。この目で見なければ解決策も分からなかった。働きたいのに働けなくなった者たちを救えてよかった。
問題は、働く意思のない者たちだ…。これも二〇〇人いる。彼らをどうしたらいいのか分からない。放っておいたら死んでしまうのだろうけど、死んだ分また補充されてくるのだろう…。
強制労働でもさせたらいいのだろうか…。
解決策が思いつかないので、王都のスラムのお掃除はこれで中断だ。私は聖女ではないのだ。やる気のない者にまで手を差し伸べることはできない。
他の領にスラムはあるのかな。少なくともメタゾールにはない。メタゾールは身寄りのない子を自主的に近所の家庭で引き取ってくれるような、心温かい民の集まる領だ。
でも他の領がそうとは限らない。プレドールもテルカスもたいがい田舎で似たようなもんだったけど、どうかなぁ。
あっ、ヒストリア王国も、全員に一押ししたつもりだったけど、スラム民まで行き届いてないんじゃない?
「…ンネお姉様!」
ギクっ!
「え…、あ…、はい…。ごめんなさい…」
条件反射で謝ってしまった…。
「また嫁探しですか!」
「いえ、そのようなものを探したりはしていませんが…」
まったく信用ないなぁ…。でも、あの転生者の男の子が…、もし女の子だったら、他の子たちとの差を無理矢理にでも作って、連れ出したかもしれない…。
ああ、やっぱり雇用機会均等法違反だ…。いやいや、私の嫁を選ぶのに雇用機会均等法は関係ない。
「門番からの報告では、最近アンネお姉様がふらふらと出歩いていると」
「それはですね、スラムの民を」
「スラム!今度はスラムで嫁探しですか!」
「大丈夫ですって。もうマッサージしただけで嫁になったりはしません」
「というのはさておき」
「えっ…」
「スラム付近の住民から噂が立っているんです。聖女が現れたと」
「えっ…」
「スラムに住んでいた元ハンターが、失った腕を元に戻してもらい、ハンターに復帰したそうです。
そのハンターは、私が王になり王都が改革されていることを知りませんでしたが、仕事をこなして報酬を得て、補助金によりスマホを購入したそうです。
すると、スマホの中に聖女がいたらしいですよ」
「あっ…」
しまったあああ!私って公爵になったくらいじゃ顔は割れてないと思っていたのに、誰もがスマホの中で会えるキャラなんじゃん…。そりゃ、ゲームキャラが通りをほっつき歩いていたら、誰だってじろじろ見るよなぁ…。ゲームキャラじゃなくてエージェントキャラだけど…。
マイア姫が王になったんだから王を選べよ。なんで私を選んでるんだよ。
ああ、私って顔が割れているから、さらおうとするやつがいるのか。納得。
「長考は終わりましたか」
「えっ、あっ、はい」
なんか最近、マイア姫の前では、えっとかあっとか間抜けな返事しかしていない。
「そのハンターは、聖女信仰らしいです。
聖女信仰というのは、十五年前に突如、ハンターギルドに現れて、ハンターの傷や体力を癒やして回ったという、二歳くらいの幼女を崇めるものらしいです」
「まさか…」
「その二歳の幼女とは、アンネお姉様なのでしょう」
「たぶんそうです…」
「まあ、いいのではありませんか。アンネお姉様は事実、聖女ですし」
「私は聖女なんかではありません」
「何を言っているのですか。やっていることが聖女以外の何ものでもありません」
「私は欲望の赴くままにやりたいことをやっているだけです。皆が健康で健やかに暮らしている姿を見たいだけです」
「そんな欲望を抱くのは聖女だけです」
「あれ…」
私は前世のときから、私のマッサージで元気になって帰る人の笑顔を見るのが好きだったんだけどなぁ。
「王妃だとか公爵だとかいう肩書きでは、やはり二番手だと思うのです。
でも、聖女なら王と並ぶ…、むしろ王以上の威光があるでしょう。
ヒストリア王国では最初から聖女で売っていたでしょう。実際にヒストリア王国では、セレスタミナ王よりも人気がありますよ」
「うう…」
「聖女の何が嫌なのですか」
「私は崇められたりするのは…」
「じゃあ、エージェント・アンネリーゼにそう言ってもらえばいいでしょう。私を崇めないでください、私は皆さんの元気な顔が見たくて、好きなことをやっているだけです、って」
「そのようなことが…。あ、やってみます」
エージェント・アンネリーゼの知っていることを私が全部知っているように思っているのは困る…。
「アンネお姉様は、自分をメタゾール領民のように扱ってほしいのでしょう。崇めるのはしょうがないけど、拝んだり萎縮したりしないで、ラフに振る舞ってほしいと」
「そうですね。そうしてもらうことにします」
『それでは、王都民が次に拝んだり萎縮していたら、そのようにしてほしいとお願いすることにします』
「えっ、あっ、はい」
私の胸と胸の間に挟んだスマホがそう言った。
これは、領主が領民に、王が国民にメッセージを発信するための機能らしい。マイア姫の意思をエージェント・マイア伝えてくれる。そんな機能…、知らなかった…。
ただ、各領の領民は、領主の娘エージェントとエージェント・アンネリーゼのどちらかを選べるようになっているので、メッセージをエージェント・アンネリーゼにも伝えてもらうことができる。
その際に、エージェント・アンネリーゼは、政策にあまり関係ないことや、エージェント・アンネリーゼ個人に関することは発信してくれない。私の顔であることないことを言えないようになっている。そりゃそうだ…。
あっ、収穫祭のアナウンスとか、ダイアナがこの機能で発信したのか…。でも私にだけ知らせないのは、完全にいたずらだよね…。
もう、聖女でいいか。メタゾール領民も、私が聖女じゃないと思っている人は皆無だけど、それでいて、私のことをフランクに扱ってくれる。もちろん、タメ口とか不敬なことはしないけど。




