11 王都へ
デビュタントパーティまであと一ヶ月となった。
「何のんびりしてるのよ。そろそろ行きましょうよ」
「はい、そうですね」
デビューを控えた五人の娘はヒルダの屋敷でお泊まり会をした翌日、そこから王都まで一緒に旅をすることにしたのである。
数年前までメタゾール領から王都までは馬車で三十日と言われていた。馬車の速度はせいぜい時速十キロ。馬も生き物なので一日五時間程度しか走れない。つまり、メタゾールから王都まで一五〇〇キロくらいである。
しかし、王都までの街道は、アンネリーゼが二歳の時に綺麗に整備されている。
そして、アンネリーゼの馬車は、魔物素材のゴムを使ったタイヤや、エアサスペンションなどを備えており、安定して速度を出せるようになっている。しかも、車室内は、アンネリーゼだけが使える影収納を魔道具化して、空間を拡張してあり、中の重量を無視できる。
さらに、アンネリーゼの愛馬は、アンネリーゼの施術により魔改造されているのだ。しかも、アンネリーゼに無理矢理光の精霊を付けられて、自身で身体強化の魔法を使えるようになっている。
さまざまな改善を重ねた結果、アンネリーゼの馬車は時速八十キロで連続十時間走り続けることができるようになっていた。
つまり、アンネリーゼは王都まで二日で行けるのだ。
「そうですね、早めに行って、王都で遊ぶのもいいかもしれませんね」
「もう早めじゃないわよ。一日しか余裕がないわ」
「それでは私の馬車に荷物を積み込んでください」
「ちょっと、アンネ、あなたの馬車に荷物を積んだら、あなたたちはどこに乗るのよ」
ヒルダの疑問は当然である。いつもメタゾール家三姉妹とエミリーの四人が乗ってきている馬車が一台しか見当たらない。
「中を見ればわかりますよ」
「何これ…。どうなってるの?私の部屋より広い…」
アンネリーゼの馬車は、四人乗りの小さな馬車の外観とは裏腹、中の空間は影収納で拡張されて、3LDKほどの広さがあった。
まず、廊下があって、廊下から各部屋への扉がある。
この影収納は魔道具と闇の魔道石で維持されている。闇の魔道石は、他の魔道石と同様に魔物を倒せば手に入るが、アンネリーゼ以外には用途不明なので、一般には出回っておらず、集めるのに苦労した。
内部の空間はコンテナのようになっており、馬車の外装にはめ込まれている。この影収納はかなり広いので、積んである魔道石では二日しか維持できない。魔道石への魔力の補充を怠ると、影収納内のコンテナが実際の大きさに戻ってしまい、馬車の外装が破壊されてしまう。
使わないときは、屋敷の地下に3LDKを置いておける空間を作ってあり、そこに魔法を使わずに実物大で保管してある。
移動中はもちろんリビングですごす。残りの三つの部屋のうち、一つは五人娘の寝室、一つは女性使用人の寝室、一つは男性使用人の寝室である。ダイニングキッチンにはアンネリーゼの開発した冷蔵庫の魔道具も設置してあり、数日分の食材がある。ウォークインクローゼット兼倉庫、バス、トイレ付き。王都に二日で着くとはいえ、途中の街の宿屋で一泊する気はなく、馬車で一泊する気満々である。
「ここがクローゼットです」
「馬車の中にクローゼットがあるなんて意味不明よ…」
ヒルダはもちろん、それぞれのメイドや執事も呆れるしかない。
メイドと執事がクローゼット兼倉庫に荷物を積み込んで出発の準備が整った。五人のデビュタント娘と、メタゾール家、プレドール家、テルカス家でそれぞれメイドと執事が一人ずつ、合計十一人の旅が始まった。ちなみに、御者はメタゾール家執事のダズン。時速八十キロで走る馬車の外で強烈な風にさらされながら十時間もすごさなければならない。ダズンはアンネリーゼにこき使われている。しかし、ご褒美のためにどんな過酷なことでも耐え抜く。
「馬車なのに揺れないんだね」
「えっ、もう走ってるの?」
シンクレアとヒルダの疑問は当然である。馬車が移動しても、影収納の中では振動はもちろん、加減速や旋回の慣性力も受けない。車窓をスクリーンに映しただけの、臨場感がないアトラクションのようなものである。
「ほんとうだわ…。景色が…、なんだかものすごく速く流れているのだけど…」
四人乗りの馬車に着いている小さな四つの窓が、二十畳のリビングに対して割り当てられている。その窓の外の景色は、時速八十キロで流れているのだ。
「エミリー、そろそろ昼食の準備をしましょう」
「かしこまりました」
「えっ、アンネが作るの?」
料理をする伯爵はいない。ヒルダの疑問はもっともだ。
「一泊だから、私が屋敷で作ったもの再加熱するだけですけどね」
「アンネって料理できるのね…」
「一泊?」
一泊二日で王都に着く計画であることをヒルダとシンクレアは知らない。シンクレアの問いかけを聞く前にアンネリーゼはキッチンに行ってしまった。
「さあ召し上がれ」
「これはスープ?白くてドロドロだけど…、良い匂い…」
「クリームシチューです」
ヒルダが見たこともない料理だ。
「美味しいわ!」
「このパン…、柔らかいし、ほんのり甘い…」
シンクレアが知っているのは、堅くてしょっぱいパンだけだ。
「それは生地に卵と牛乳を練ってあるんです。パンにシチューを付けて食べても美味しいですよ」
「ほんとうだわ!」
蚕様の森で、コカトリスとミノタウロスの魔物が繁殖してきたので、ハンターに卵と牛乳を採るお仕事を依頼した。それで、卵と牛乳を領内に流通させるようにした。
そこでお菓子以外の料理も少しは作ったよ。屋敷の料理人や街の宿屋、食堂にもレシピを公開した。卵と牛乳はうちでしか採れないし、日持ちもしないから、レシピが他領に広まってもあまり意味がないと思う。
ちなみに、コカトリスとミノタウロスは、増えすぎたらハンターに肉として持ち帰ってもらおうと思う。どちらも結構強いみたいだから、高ランクのハンターでないと倒せないみたいだけど…。
コカトリスとミノタウロスは試食したんだ。油は少ないけど、美味しい鶏肉と牛肉だったよ。
「セレスもカローナも、いつもこんなに美味しいものを食べてるの?」
「ええ、そうよ」
「でもここ最近ですわ。それまでは…」
クレアはセレスとカローナを、まるで罪人のように責め立てている。
カローナは、アンネリーゼがレシピを公開する前の屋敷の食事を思い出して、遠い目をしていた。メタゾール家の食事はヒストリア王都にある平民向けレストランにも劣っていた…。
「ちょっと、これがお茶なの?まろやかで甘いわ!」
またもやヒルダは怒っている。
「お茶に牛乳と果糖を入れたんですよ」
「たいして美味しくないお茶がこんなに変わるなんて…」
この世界のお茶は緑茶っぽいのだけど、渋みとかコクがなくて抜け味だ。これは、ほとんどシュガーミルクだ。
「デザートはプリンアラモードです」
「んーっ!なんて甘いの!」
「まろやかでほろ苦さが良いわ!」
シンクレアとヒルダにも大好評だ。
「二人は毎日こんなお菓子まで食べているというの?」
「ええ!」
「はい」
ヒルダはまたもやセレスとカローナを罪人として裁き始めた。
「私、アンネを嫁にもらうわ!それで手を打つわ!」
「いいわよ。ヒルダは私の父?母?になるのかしら?」
ヒルダとセレスタミナはよくわからない司法取引をしてる。
「でもこの食材はどこで手に入るのかな?」
シンクレアは真面目に、シチューやプリンを調達する手段を考えている。
「これはですね、メタゾール領で育てている魔物から採れるのですよ」
「魔物って育てるものなのかぁ…。アンネにはホント、驚かされるね…。魔物を飼うなんてうちの領じゃ無理だよぅ…」
あの無人島は素材の宝庫だと考えていたこともあったけど、別にあの無人島に限らず、どこに生息する魔物も素材として価値があると思うんだよね。ただ、魔物は凶暴で危険なため価値の分かる者が魔物を見る機会が少ないんじゃないかな。
魔物は驚異としてハンターや兵士に狩られるだけ。ハンターは専門家じゃないから、何に価値があるか分からない。例えば、蚕様にハンターが出会っても、糸で自由を奪ってくるやっかいな魔物としか認識しないんじゃないかな。
運良くゴム素材になる魔物とかは広まっているけど、私が見て回ればいろんな素材になる魔物が見つかるんじゃないかと思っている。私が行かなくても、ハンターに護衛をしてもらって専門家が魔物のすみかに行けば、色々と便利な素材が手に入りそうなんだけどね。そういう発想は誰もしないのかな。
日が暮れた。今日はここまでだ。街道から少し外れて、土魔法で入り口のない砦を建てて、馬車を囲む。この程度の砦は一秒もかからずに建築できる。
ちなみに、昼食の間も馬車は走り続けたので、御者をやっているダズンは昼食をもらえなかった。時速八十キロで走っているので、パンを片手にかじながらなんてことも不可能だった。前世の国の高速道路なんかとは違うのである。
アンネリーゼの男の扱いは酷いのかもしれない…。でも…、
「ダズン、お疲れ様でした。背中をこちらへ」
「はい。×××!」
この一押しのために生きている!十時間ものあいだ、猛スピードの馬車を御すのに集中して、強風にあおられるという苦行を強いられようと、一生このお方に着いていく。
酷い中毒状態であった。
「シルバー、あなたもよく頑張ってくれました」
「ヒヒーン!」
栗毛の馬、シルバー。ちなみにメス。シルバーも、アンネリーゼの一押しのために生きている。ダズンと馬、扱いが同じであった。これぞまさしく、馬車馬のように働く、である。
アンネリーゼは前世の固有名詞を覚えていないのに、馬といえばシルバーというのを知識として思い出して名付けた。
ダズンと馬をねぎらったあとは、みんなで夕食だ。
「夕食は何かしら!」
「玉子スープとオムレツです」
「黄色いのがふわとろで美味しいね!」
「こんな美味しいお肉、初めてだわ!」
試食に使ったコカトリスとミノタウロスは、大量に余ったので冷凍して取ってある。それを使って、チキンとふわふわ玉子のスープと、牛肉と玉葱のオムレツを作った。
でも調味料が塩と果糖だけじゃなぁ…。それでも、この世界の人には大好評だった。
ところで玉子ばかり食べてコレステロールが心配だ。
「ここは何の部屋なの?水?お湯?」
「お風呂です」
「お風呂?」
風呂という単語を知っている者は少ない。当然、男爵令嬢風情のシンクレアは知らない。
「ここでドレスを脱ぎます」
「えっ、ちょっと、あ~れ~」
アンネリーゼは、シンクレアを意味もなく回しながら、ドレスを脱がした。
「何やってるのよ…」
「ヒルダも脱ぐのよ」
「あ~れ~」
セレスタミナもヒルダを回しながらドレスを脱がした。セレスタミナは、なぜ回さなければならないのか理解していないが、アンネリーゼが人を脱がせるときによく回しているようなのでまねているだけである。
「お背中を流しますね!」
「えっ、アンネが?ああん…!」
「お次はクレア」
「あん…!」
毎月のお泊まり会でマッサージはしているので、昇天するほどではない。それでも、何度でもやってほしいほど気持ちいいのである。
「たまにはカローナ」
「えっ、わたくしからで…、ああん…」
「えー、いつも私が先なのにー」
「最後にセレス」
「うふふっ、待ってまし…、あああん…」
「洗い終わった方から湯船にどうぞ」
「「「「はーい」」」」
屋敷のバスタブは四人用だが、馬車のバスタブは六人用に設計した。みんなで入りたいからね。
「はぁ~…。お湯につかるのがこんなに気持ちいいなんて…」
「ホントだねー。アンネはいつも気持ちよくさせる天才だよね」
初めてのお風呂に、ヒルダとシンクレアはご満悦である。しかし、初めてのお風呂が馬車の中とはこれいかに。
「そうなのよ。私は遭難していたところを助けてもらったけど、その日から毎日天に昇りっぱなしよ」
「わたくしも同じですわ。アンネには助けてもらいっぱなしです」
「私は皆さんが気持ちよさそうにしている顔を見るのが好きなんですよ」
あと、可愛い声を聞くのも。
「分かるわ、その気持ち」
「そうですわね、理解できます」
「たまにはアンネを気持ちよくさせてあげたいわ」
「どうしたらアンネを気持ちよくさせてあげられるかなぁ?」
「私は皆さんと一緒にいられるだけで幸せですよ」
「いいわ。じゃあみんなでアンネを抱きしめましょう」
「「「はい!」」」
「ええっ?」
はー…。幸せだ…。
「お風呂から上がったら、これを飲んでください」
「はぁ」
風呂上がりはフルーツ牛乳だ!アンネリーゼ以外は誰もネタを理解せずに、ただ美味しいと言っている。
寝るときはいつものお泊まり会と同じように、一つのキングサイズベッドに五人で、組んずほぐれつである。でも、マッサージはお風呂で済ましてしまったので、寝るときは抜きである。
翌朝は玉子サンドイッチ。以前もいったけど、私は交流電源が六十Hzの地域に住んでいたので、スクランブルエッグやゆで卵のサンドイッチを普及させる気はない。玉子焼きサンドだ。お菓子と間違われないように塩味だ。
土魔法で砦を潰して出発。相手に土魔法使いがいたら、砦なんて意味ないなぁ。
とアンネリーゼは思っているが、一瞬で建物を建てたり崩したりできるのはアンネリーゼだけである。
デザートはクレープ。具材は、ホイップクリーム、アイスクリーム、カスタードクリーム、果物をセルフサービスでトッピング。
昼食は牛カツとチキンカツ。油がいっぱいあるので揚げ物をしてみたかったんだ。衣にも玉子を使ってあるんだよ。
ただ、ミノタウロスもコカトリスも筋肉質なので、肉としてはちょっと堅い。焼き肉にはできないかな。
デザートはクッキー。配合を変えただけの牛乳玉子パンともいう。それに、クレープのときと同じ具材をセルフサービスで挟む。うむ、そろそろレパートリーが尽きてきた。
「ねえアンネ、玉子焼きを食べたいわ!」
「そうですわ!ヒルダとクレアにも教えてあげましょうよ!」
「それは何かしら?」
「お菓子?」
「わ、分かりました」
覚えてたか…。
牛乳と果糖で玉子焼きを作った。
「あれ、なんだか細いわね。まあいいわ。こうやって食べるのよ。はい、カローナ!」
「はい!」
どうせ全員と交代して食べるんでしょ。さっきクッキーを食べたのに、四本も玉子焼きを食べるなんて無理だよ…。だから、細めに作った。ってか、棒状のものなら何でもいいよねえ。
セレスとカローナが得意げに説明してくれる。それをヒルダとクレアが食い入るように見ている。
「きゃーっ!クレア、一緒に食べましょ!」
「うん!」
短くなっていく玉子焼き。目を瞑る二人。接触する唇。赤らむ頬。
「「……」」
食べ終わって唇を離したあとも、見つめ合う二人。
「次はアンネと食べるわ!」
「えー、私も!」
「順番にお願いします…」
「ちぇー、じゃあ先にヒルダがどうぞ」
「うふふっ」
二人とも私のこと好きだなぁ。セレスとカローナの方が美人だよ?
予定どおり、四人と玉子焼きを食べた。細く作ったし、油も少なめにしたけど、先にクッキーを食べていたし、みんなおなかがいっぱいになった…。げぷっ…。
そして、日が落ちる頃に王都に到着。ちなみに、道中、盗賊に襲われることはなかった。盗賊は、そもそも時速八十キロで走るものを見たことがなく、仮に見かけたとしても魔物か何かだと思っていた。
「宿はどうするのかしら?」
ヒルダは心配していた。暗くなってからでは、十一人もの大所帯が泊まれる宿などなかなか見つからない。
「みなさん、こちらでいいですよね?」
「これは宿?って貴族の屋敷じゃないの?」
「これは私の建てた王都邸です」
「さすが伯爵様ね…」
「ヒルダもクレアも是非泊まっていってくださいね」
「助かるわ」
「はーい」
王都邸というのは、地方貴族の別邸である。といっても、王都の土地は高く、土地税もかかる。そして、屋敷を管理するための使用人も必要だ。そのため、子爵と男爵で王都邸を持っている者はいない。
もちろんプレドール子爵家もテルカス男爵家も王都邸など持っていない。伯爵家でも王都邸を持っているのは半分程度である。アンネリーゼはその上位半分に仲間入りである。
そもそも、財力だけでいえば、ガラス製品がヒットしてほくほくのアンネリーゼは、すでに侯爵家の上位に相当する。侯爵とは伯爵の一つ上だ。侯爵ならかなり大きな王都邸を持っているが、アンネリーゼは権力や財力を誇示したいワケではないので、妥当な屋敷を構えた。とはいえ、メタゾール領にある屋敷よりはだいぶ大きい。アンネリーゼが一人で建てたから建築費や修繕費もタダだ。だから、王都邸の維持などアンネリーゼには容易い。
アンネリーゼは、私が建てたと言ったが、実際にアンネリーゼが土魔法を使って全て建てたのである。普通は、アンネリーゼが指示して建てさせた、と取られる発言であるが、アンネリーゼならどちらを意図して言っているかわからない。というか、もはやどっちでもいい、とヒルダとクレアは考えていた。
メタゾール家の王都邸の外観は、伯爵が持てる程度のものなのであるが、中身はお風呂や水道、シャワーがあって、なかなかにハイスペックだ。内装は、美術品を飾ったりはしていないが、自領で生産できるガラスの花瓶やシャンデリアなどで装飾して、それなりの美観に務めている。
何より、この世界ではまだ普及していないガラス窓がある。昼間ならガラス窓から光が差し込み、屋敷内はとても明るい。
「お帰りなさいませ、アンネリーゼ様」
「ごくろうさまです。えいっ、やぁっ、とぉっ!」
「「××!」」
「「あああん…!」」
出迎えてくれた使用人をねぎらい、背中を軽く押してあげた。
男の声は聞かない。メイドさんの声は聞きたい。最近いつも女性のときは、ついうっかりわざと消音魔法を忘れてしまう。
「これがメタゾール家の王都邸…」
ヒルダは辺りを見回している。
「うちの屋敷と同じで飾り気ないと思ったら、上のあれは何なの?宝石があんなにいっぱいあるよ!」
「あれはシャンデリアというのですよ」
テルカスの屋敷も、美術品など置いていない。シンクレアは相変わらず正直者である。でも上を見上げると、無数の宝石がちりばめられた幻想的な光を放つシャンデリアが目に入り、心を奪われた。
「これは私も初めて見たわ。見事ね。王族でもこんなものは持っていないんじゃないかしら」
セレスタミナの王族の目線にもシャンデリアはとても綺麗に写った。
「メタゾール家のお屋敷には、ほんとうに美術品がなにもありませんものね。伯爵家なのか疑ってしまうところです」
カローナは元公爵令嬢。メタゾール家の屋敷は、伯爵家としてはちょっと恥ずかしいと思っていた。
「お二人の前では、どんな宝石や美術品もかすんでしまうのですよ。だから屋敷の飾りなど不要です」
「どんな宝石よりも美しいなんて…、うふふっ」
「そんなに褒めないでくださいまし…」
アンネリーゼは女の子を美しく飾るのは好きだが、物や景観を飾ることにはあまり興味がなかった。ガラスの花瓶やシャンデリアは、原価がほぼゼロだから飾っているだけである。
「あらあらアンネちゃん!やっと来たのね!」
「お母様!」
「ねーたま!」
「リーナ!良い子にしてた?」
「リーナ、いーこ!」
バレーボールを二つ携えたリンダと、アンネリーゼに向かってドッジボールのように飛んでくるメリリーナ。メリリーナは三歳になって、ドッジボールが上達している。
ドッジボールを受け止めたアンネリーゼ。アンネリーゼ以外に受け止められる者はいない。
二人はアンネリーゼの王都訪問に合わせてやってきていた。アンネリーゼの愛馬、シルバーほどではないが、もう一頭優秀な馬を育ててあるのだ。
「アンネの…姉君?」
「アンネには姉君がいたの?」
リンダを見たヒルダとシンクレアは、リンダのその若くて美しい姿に、先ほどアンネリーゼがお母様と呼んだことも忘れて、姉君と言ってしまった。
「うふふ、アンネリーゼの姉、リンダです。よろしくね!」
「お母様…、普通に信じてしまいますのでやめてください」
「えー、いいじゃない!」
「えっ、母君でしたか…」
「私のお母様より若くて綺麗だね!」
「うふっ、ありがとっ!」
シンクレアは相変わらず正直者だ。
私が育てた自慢のお母様だけどね、お母様は友達を騙すのをやめてほしい…。
「この子はリーナっていうの?」
「リーナはリーナ!」
「可愛いね!アンネによく似てる!」
「気をつけてください。ものすごく力が強いので…」
「どういうこと?おいで!リーナ!」
「あーい!」
「えっ?ぐぇ…あわわわっ!」
「それ、いちばん危険なやつ…」
ヒルダがリーナを呼ぶと、リーナはドッジボールになってヒルダに飛んでいった。リーナの頭はヒルダの腹に激突し、ヒルダはキャッチできずに、後ろに倒れた。
「いたたた…」
「ものすごい速さで飛んでいったよね…」
「おいで、は危険です。覚えておいてください」
「ええ…、覚えたわ…」
「私は馬車を片付けてきますので、皆さんはくつろいでいてくださいね」
「「「「「はーい」」」」」
影収納で拡張された馬車は、そのままでは魔道石の魔力を消費し続ける。馬車を地下の格納庫に移動して、空間を拡張したコンテナを外装から取り出して、コンテナにかけられた影収納の魔道具を停止させる。すると、馬車サイズのコンテナが3LDKのサイズに戻るのだ。そしてそれをそのまま地下の格納庫に置いておく。
これやっておかないと、魔道石の魔力が切れたとき、コンテナが元の大きさに戻って外装を突き破ってしまう。
馬車の中身の、生ものや下水などを使用人に整備させる。飛行機の整備みたいなものだ。
あとはアンネリーゼしかできない闇の魔道石の魔力の補充をやっておく。3LDKサイズのコンテナの運用は、今のアンネリーゼの魔力ではけっこうカツカツなのである。
「アンネリーゼ様、皆様お待ちです…」
「はいはい…」
エミリーが風呂の脱衣所の前でうろうろしていた。アンネリーゼが地下から帰ってきたのを見つけると、早く風呂に入るよう催促した。
あっという間に普段着のドレスをエミリーにひんむかれて、浴室に入った。そこには…
「遅いわ、アンネちゃん!」
「ねーたま!」
「遅いわよ、アンネ!」
「遅かったね!」
「待ちくたびれたわ!」
「遅いですわ!」
知ってた…。初めて会った女の子をお母様が裸でもてなすのを…。まあ、もてなすのは私なんだけど。
「ああ~ん…!」
「あああん…!」
「はあ~ん…」
「うふん…」
「はぁはぁ…」
「きゃはははは!」
アンネリーゼは考えた。ここは王都邸。付近に建物のないメタゾール領の屋敷とは違うのだ。声が隣の屋敷に漏れてしまう…。
どうすれば、ついうっかりわざと女の子の可愛い声を聞くことができるか。今までは風魔法使って口元から空気の振動を遮断するようにしていた。それでは、自分にも声が聞こえない。
そこで、土魔法を使って壁が振動するのを防ぐようにしたのである。これで、部屋の外に声が漏れることはない。だが、この音声遮断魔法は、壁や床全体を操作するため、魔力の消費が激しい。
でもおかげで、六人の女の子の可愛い声を聞くことができたぞ!
アンネリーゼは十九歳のリンダのことも女の子のうちに含めていることに気が付いていない。
そして、三歳のメリリーナの声も、他の子とは志向が違うけど、幼くて可愛い。
メリリーナは筋肉が凝り固まるような歳ではないので、ただ単にくすぐったいだけようである。それに、アンネリーゼほどではないが、光の精霊が自動回復してくれるのだ。メリリーナの光の精霊は、アンネリーゼの整体の魔法を見て覚えたようである。
自分も身体を洗い終えて、湯船でうっとりとしている女の子たちの中に自分も混ざる。なんて幸せなんだろう。
玄関でメイドさんの声を外に漏らしてしまったことに、いまさら気が付いた…。玄関ホールは広いから、振動を抑制するのはしんどいな…。
お風呂のあとは夕食だ。王都邸の料理人は、メタゾール領から連れてきた者だが、王都の味を知っている。王都ではハンターが魔物を狩ってきたりもするので、肉料理もあったりする。卵や牛乳はないが、王都では王都邸の料理人に任せることにした。
「アンネの料理はしばらく食べられないのね」
「うちの屋敷の料理よりは美味しいよ」
ヒルダとシンクレア、辛口である。
うーん、メタゾールの屋敷の料理と比べれば、まだ耐えられるんだけど…。
「「……」」
セレスタミナとカローナも不満を抱いていたが、ここで文句の声を上げずに黙って食べる程度には、できた人間であった。
しかし、アンネリーゼは、二人の表情筋から、二人が不満を持っていることを悟った。
「アンネちゃんのご飯がいいわ!」
「いらにゃーい」
お母様とリーナは正直者だ。
扉の影からこっそり覗いていた料理人が血の涙を流していた。
アンネリーゼは料理人が隠れていることに気が付いてしまった。
うーん…、明日から私が作らないとか…。それか材料を渡して、料理人に練習させるか。
「ヒルダの部屋はここ、クレアはそっちです」
「えー、私、アンネと一緒がいいわ」
「そうだよ、馬車でも一緒だったのにー」
知ってた。
「えっと…、私の部屋はこっちです。私たち三人は少し用があるので、先にこの部屋でくつろいでいてください」
「「はーい」」
アンネリーゼとセレスタミナとカローナは、ヒルダとシンクレアとそのメイドを部屋に残して去っていった。ちなみに、リンダとメリリーナは、風呂を出たときに自室に戻ったため別行動だ。
「アンネ、遅いわね」
「そうだね。探しにいく?」
「ええ」
「王都邸って立派ね…」
「部屋が多くて大変だよね」
片っ端から部屋の戸を開けているヒルダとクレア。
「もう、何部屋目よ!」
「六かなぁ」
バタンっ!
「あ゙…」
ヒルダが逆ギレして強めに開けたその扉の向こうには…。ヒルダは何も言わずに扉を閉めた。
「ん?どうしたの?ここもハズレ?」
「あー…、部屋に戻るわよ」
「えっ?まだ他に開けてない部屋…」
「いいのよ」
「えーっ?待ってー」
ヒルダは早歩きで、アンネリーゼの部屋に戻った。
ヒルダとシンクレアが、アンネリーゼの部屋で待っていると、アンネリーゼが扉を開けて入ってきた。続いて、セレスタミナ、カローナ。この三人は、顔を赤らめていて、ヒルダたちと目を合わせることができないでいる。
さらに続いて、リンダとメリリーナが入ってきた。リンダはニコニコとしていて嬉しそうだ。
「どうせみんなで寝るんでしょー。私も入れてほしいわぁ」
娘のお泊まり会に乱入する母親。何の躊躇もなく、ヒルダとシンクレアの座っているベッドに入った。
ヒルダはリンダの胸から視線を逸らすことができなかった。ヒルダのその視線に気がついて、ヒルダに視線を送ったセレスタミナとカローナ。さらに、セレスタミナとカローナのその視線に気がついて顔を逸らしたヒルダ。
ヒルダはさっき開けた部屋で見てしまった。リンダのおっぱいをくわえたセレスタミナとカローナを。
リンダは自分の胸に、ヒルダが視線を向けていたことに気がついて、
「うふふっ、ヒルダちゃんとクレアちゃんは、お母様と離れておっぱいが恋しいのね!」
卒乳という概念が欠如しているリンダ。ヒルダとシンクレアが、いまだに母親の母乳をもらっていると勘違いしている。
「えっ…、そんなんじゃないわ!」
「私は…、えっと…」
ヒルダはツンデレだ。言葉とは裏腹、気になってしょうがない。アンネリーゼはそれを見逃さなかった。それどころじゃないというのに。
クレアはまんざらでもない様子だ。リンダの胸をじろじろ見ている。
ヒルダもクレアも、先ほどお風呂でリンダの胸を拝んでいる。魅力的な女性の胸。女の武器。自分も将来、あれがほしい。そう思いながら拝んでいた。
しかし、その武器をセレスタミナとカローナがくわえていたのは予想外だ。それが本来の用途なのかもしれないが、物心ついたときにはすでに卒乳していたヒルダとシンクレアの記憶には、それをくわえていた記憶がない。
「遠慮しなくていいのよ。はいっ!」
「「はい…」」
リンダの胸は、歩くたびにたぷんたぷんと揺れて、ドレスからこぼれ落ちそうだった。ヒルダとシンクレアは、リンダがそんな危なげなドレスをなぜ着ているのだろうと疑問に思っていたが、なるほど、こうやって簡単に差し出せるようにするためのドレスだったのか、と納得した。
実際はそんなたいそうな理由はなかった。アンネリーゼはこのようにヒルダとクレアがリンダの母乳を飲む事態を想定済だった。だから、リンダの乳腺をさらに強化していて、それに伴ってメロンがバレーボール並に成長してしまったのだ。ところが、ドレスの調整を忘れていたために、今にもはみ出そうになっていただけである。
だから、セレスタミナとカローナ、アンネリーゼとメリリーナの四人が飲んだあとも、まだ二人分の母乳が残っているのである。正確には母乳は貯めておくものではないので、母乳生成能力が残っているというのが正しい。
ヒルダとシンクレアは、差し出されたおっぱいをくわえて飲み始めた。それは本能が求める味だったので、やめられなかった。
ああ、リンダお母様…。二人は領に戻れば実の親がいるにもかかわらず、そんなことを考えてしまった。
その様子を見ていたアンネリーゼはため息をついた。二つの胸を六人でシェアかぁ。乳腺の増強じゃなくて、増設…いやいや、それはない…。と、いつも怖い発想をして思いとどまっているのだ。
ああ、いつもみんな一度にいただこうとするから、待たなきゃいけないんだよね。時間を分ければいいのか。並列実行じゃなくて、タイムスライシングすればいいんだよね。
翌朝…、
「おはよう、ヒルダちゃん、クレアちゃん」
「あ…、おはようございます、リンダ様…」
ヒルダはいつもと違うベッドで起き、リンダの存在に気がついた。昨日のことを思い出して顔を赤くしつつも挨拶した。
「おはよう、お母様…、あっ…」
シンクレアは寝ぼけて自分の屋敷と勘違いして、リンダのおはようを自分の母親のだと思ってしまった。
「うふふっ、おはよっ。ヒルダちゃんも私のことをお母さんだと言ってほしいわ!」
「リンダ…お母様…」
「はい、ヒルダちゃん、おはよっ」
親と会うことのできないセレスタミナとカローナならともかく、ちゃんと母親のいるヒルダとシンクレアまで自分の子供にしてしまうリンダ。
実は、リンダは乳腺を異常に強化された結果、母性も強化されてしまっていた。だから、どんな子供でも、我が子のように可愛く見えてしまうのである。しかし、アンネリーゼはそんなことには気がついていなかった。
アンネリーゼとセレスタミナとカローナも起きた。メリリーナはまだ寝ている。
「私はリーナちゃんが起きたら行くから、みんな先に朝食をいただいていてね」
アンネリーゼはいつもどおり「はい、お母様」と返事をした。
セレスタミナとカローナはもう慣れたもので「「はい、リンダお母様」」と返事をした。
ヒルダは躊躇気味に「えっと…、はい、リンダお母様…」と返事をした。
シンクレアは順応力が高く「はーい、お母様!」と返事をした。
みんなのお母様、リンダお母様!
アンネリーゼは影収納に入れておいた玉子と牛乳と果糖と菜種油を王都邸の料理人に提供した。そして、スライスしたパンを玉子と牛乳に浸してから焼いたフレンチトーストを料理人に伝授しながら作った。数日間は卵料理が食べられることだろう。
「さて、パーティまでの二十八日間、どうするのかしら?」
三十日かけて来るところが二日で到着してしまったのだ。ヒルダの疑問はもっともだ。
「みなさん王都は初めてですよね」
「私は初めてだよー」
「ええ、そうよ」
地方貴族であるシンクレアとヒルダは王都に来たことがなかった。というか、最果ての町から王都に来たことのある幼女なんて、アンネリーゼくらいのものである。
「今日は王都の平民街でお買い物をしてみたいんです」
「それは良いね!」
「なるほど、良いわね」
ちなみに、セレスタミナとカローナは、アンネリーゼが非常識な移動手段を持っているのは知っていたし、計画も聞いていた。
アンネリーゼは、一年前に、セレスタミナとカローナを養女にする手続きをしに王都に来ていたが、そのときはとくに王都散策はしなかった。
また、アンネリーゼは諜報員に王都の流行などを探らせているが、料理の味などは自身で体験するべきだと思って、友人との王都ぶらり旅を計画したのであった。
「というわけで、これに着替えましょう」
「なるほど、平民に化けるのね」
「私は普段着とあんま変わんないなー」
「うふっ、平民のワンピースだって、なかなか可愛いわ」
「そうですわね。平民文化も捨てたものではありませんね」
ちなみに、アンネリーゼが二歳のときは、かなりくたびれたワンピースだったし、幼女だったし、貴族なんて誰も思わなかった。ところが…
「ねえ、あなたたち三人は無理よ…。どう見ても平民じゃないわ」
「そうだねえ。平民のワンピースが可愛いんじゃないよ。アンネたち三人が何を着ても可愛いんだよ」
アンネリーゼは自身の血流をコントロールして種として強くなっているため、出会った頃のセレスタミナと同じくらい、つまりデフォルトの王女級に美人なのである。
セレスタミナは、アンネリーゼに整体で鍛えられて、もはや世界一の美人といっても過言でない。
カローナもセレスタミナに続く美人である。さらに、プロポーションだけでいえば、カローナの方が上である。
そもそも、長い髪を維持できるのは、貴族か裕福な商人くらいのものである。しかも、毎日風呂に入っているメタゾール家三人娘の髪の毛の輝きは王族でもなかなかまねできるものではない。
「おかしいですねえ。お母様は商家の娘なので、私が平民の服を着て平民に見えないはずはないのですが…」
「ふふふっ、心配しなくても、ヒルダとクレアも可愛いわよ!」
「そうですわね。ここ数ヶ月で見違えるように綺麗になりましたね」
「そ、そんなこと…あるわよ…」
「やっぱり?そうだと思ったんだー。嬉しいなっ!」
セレスタミナとカローナによって論点をすり替えられた。ヒルダはデレた。クレアも自分が綺麗になっていることに気が付いていたらしい。
毎月開かれるお泊まり会。令嬢同士の交流、というのは建前で、アンネリーゼからマッサージを受けたいがために、ヒルダが積極的に開いている。あくまで気持ちいいからやってほしいのだが、全身の血行が良くなることにより、人間に種として求められる強さと美しさを得られる。
ヒルダとシンクレアは貴族であり、貴族には見目の良い者を伴侶に選ぶ権利があるが、二人は貴族の中では下の方であり、しかも田舎者。平民と比べれば、比較的可愛いという程度であった。しかし、アンネリーゼのマッサージを受け、都会の伯爵令嬢クラスまでランクアップしていた。
「じゃあ、この格好でも大丈夫ね!」
「「「「はい!」」」」
こうして、平民の服を着た、平民に見えるわけない五人娘の王都荒らしが幕を開けた。
■リンダ・メタゾール(十九歳)
■メリリーナ(三歳)
■愛馬
二歳の時に王都に連れていってくれた馬。
アンネリーゼに精霊を付けられており、身体強化を使える。