推しの幸せのためならば婚約破棄でも喜んで、私は推しを推しに推す
季節の花々に彩られ、天使が水瓶を傾ける様を象った壁泉が涼しげな音を立てている王立学院の中庭。
王侯貴族の子息子女が通うこの学院の庭の一角に設けられたガゼボで、今日も私は婚約者とお茶を楽しんでいる。
「フィオナ、来週の創立記念パーティーのことだけれど——」
少し高めの穏やかな声で、語り口も柔らかにそう話しだした婚約者の彼ウィリアム様はこの国の王太子。
宰相の孫娘であり王宮にも頻繁に出入りしていた私とは言うなれば幼馴染で、家格から言っても婚約に至るのは当然。
幼少時に決められていた結婚相手だったけれど、不満はないどころか畏れ多いほどだった。
ウィリアム様は尊敬できる心根を持った素敵な人で、見目だって麗しい正しく王子様だったから。
彼は、文武両道を地で行く聡明さと巧みな剣術を身につけている頼れる男性で、どちらも人並みは遥かに超えているのにチラとも鼻に掛けない謙虚な方。
なのに外見は、何処にそんな人並み外れたお力が? って疑問に思うほど細身で、身長があって縦に長いからか華奢に見えてしまうくらい。
お顔も女性的な柔和さを湛えた笑顔が基本でいらっしゃるから尚更ね。
だけど実はしなやかな筋肉を纏っておられるから、触れる機会があると一気に男性だって意識させられて毎回ドキッとしてしまうのだわ。
穏やかで物腰柔らかで優しくて、謙虚で弛まぬ研鑽を重ねられる頼りになる素敵な方。
王妃様譲りの美しい顔立ちに陶器の肌まで持っていらして、サラサラとした髪は王様と同じ薄茶色。
前髪が少し長めで目にかかりがちなのだけど、その向こうには優しい眼差しを投げかけるコバルトブルーの瞳が輝いている。
更にはスッと通った高い鼻梁に、パーツだけ見たら少女のようなぷっくりした唇。
ああ、なんて美しい王子様で——
「あああああああああぁああああああぁぁあああああっっっっっっ‼︎」
バチンッと頭の中で何かが弾けた感覚と共に、脳内に一気に雪崩れ込んできた記憶によって、私は絶叫しながら物凄い勢いで立ち上がった。
どれくらいの勢いかっていうと、爆発でもして弾け飛んだのかと思うほど椅子は後方に吹っ飛ばされて転がっているし、飲みかけのカップはソーサーごとテーブルから落ちて派手に割れ、辺りに赤茶色の液体と破片が撒き散らされたほど。
「……ど、どうしたんだ……急に、フィオナ……」
ウィリアムが驚いてあんぐりと口を開けてこちらを見ているが、それ以上に驚愕しているのは私の方だ。
何から驚けばいいかもはやわからないくらい、整理できずに脳内を大量の情報が巡っている。
しかし、まず認識すべきことはこれだ。
ここ、乙女ゲームの世界だ。
そう、いま眼前で目をまん丸くして驚いている王子様を、最推ししてどハマりしていた乙女ゲーム。
その世界に私はいる。
経緯は思い出せないし原理もわかんないけど間違いない!
いるもん!
だって目の前に!
愛してやまないあの王子様ウィリアムが!
「えーーーっ! うそうそうそうそマジマジマジマジ⁈」
さっきまでのフィオナなら絶対に口にしない言葉を大声で放ちながら、穴が開くくらいウィリアムを凝視する。
困惑顔だけど絶対そう!
え、すごい、生きてる。あの私の推しが目の前で。
「きゃーーーーーーーーっ! 嘘ぉっ! すごいっっっ‼︎」
両手を天に掲げて狂喜する私に、ビクッと肩を震わせるウィリアム。
驚かせてごめんなさい、でも抑えられないのこの喜び!
推しが! 私と! 直接喋ってるんだもの!
触れ合えてるんだもの!
その上婚約までして——
「——ああぁぁあああぁぁあああぁぁあああああっっ‼︎」
今度は絶叫と共に地面に崩れ落ちたもんだから、ウィリアムが明確に怯えだす。
ごめんなさい、でも構っちゃいられないわ。大変なことに気づいてしまったから。
だって宰相の孫娘で侯爵家の令嬢で王太子の婚約者でフィオナっていえば、それってさ。
私ってば、作中の悪役令嬢だ。
「ぬぅうううぅぐぅぅうぅっっ!」
今しがた零したお茶でびちゃびちゃの地面に伏して頭を抱えて呻く私に、王子は怯え通り越して慄いちゃってる。
だがしかしこれが呻かずにいらいでか。
だって私、ヒロインじゃなくて悪役なんだもの。
婚約破棄されて断罪されちゃう悪役令嬢フィオナなんだもの。
そりゃ呻きもするでしょうよ、愛する推しが目の前にいて、婚約までしてるのに!
この人は来週の創立記念パーティーで真に愛する人=ヒロインに出逢っちゃって、その後嫉妬に狂ってヒロインに嫌がらせしちゃう私を半年後の卒パで断罪して婚約破棄するんだから。
何この天国から地獄。
物凄くエグい角度での滑落。
せっかくゲームの世界なのに、目の前にあのウィリアムがいるのに、なんで私フィオナなの?
酷いよ神様、酷いや酷い。邪神に堕としてその存在を滅殺して——
「フィ……フィオナ……大丈夫か? どこか具合でも? とにかく茶器の破片で怪我をしたらいけないから、こっちにおいで」
地面に這いつくばったままの私の側へ来て、ウィリアムが顔を覗き込んできた。
心配そうな表情で私を立ち上がらせようと手を差し伸べてくれている。
ああ、なんて優しいの。
その上美しい。
長い睫毛を瞬かせた青い瞳にこの距離で映り込ませてもらえる日が来るだなんて……神様ありがとう、一生涯の敬愛を誓います。
今ここで死んでも何の悔いもな——
天にも昇る心持ちで神に感謝した刹那、ガツンと大きな音がしたかと思うと側頭部に衝撃が走り目の前が真っ暗に。
以降の事は憶えていなかったけど、寮の自室で目覚めた時に侍女から聞いた話では、急にふらつき頭を地面に打ちつけてガチ昇天もとい失神したそうで、ウィリアムがすぐさま抱え上げて医務室に運び込んでくれたらしいわ。
……それってもしかしてお姫様抱っこだった?
ああっ!
なんで意識失ってたの私!
バカバカバカバカもったいない!
こんなチャンス二度と無いかもなのにぃっ!
「——そう、かもじゃない。二度と無いんだ……」
大事をとって寝かされたままだったベッドの上に身を起こし、急に冷静になって呟く。
そう二度とない。婚約破棄までのカウントダウンは既に始まっているのだから。
私はベッドから足を下ろし、姿見の前まで行く。
胸の辺りまであるブロンドの巻き髪、意志の強そうなつり気味の大きな瞳、気を抜いているとへの字になる口。
どっからどう見ても悪役令嬢フィオナだ。
ああ、なんてこと。
よりにもよって王子に固執するが故に捨てられてしまう自業自得な女が今の自分だなんて。
どうしよう。
このままシナリオ通りなら、私は彼が真実の愛に目覚めたと知ってヒロインに嫉妬し殺っちまう勢いで嫌がらせを敢行したあげく、卒業パーティーで衆人環視のなか悪事を詳らかにされ婚約破棄からの最果ての修道院送りになることに……。
出来るなら破滅は回避したい。
ウィリアムとだって結婚したい。
王妃になりたい、贅沢したい。
でも運命の出会いを果たすパーティーまでは数日しかないし、何より私はこのゲームを愛してる。
大好きなシナリオを改竄するなんて、無理だ。
このまま割り振られた悪役を演じるしかない。
でも、それでも良いと思えている。
何故なら私は心からウィリアムを愛しているから。
フィオナは彼に不満なんてなかったけれど、彼はフィオナに諦観に似た気持ちを持っていた。
フィオナは淑女たるもの淑やかに奥ゆかしく、特に男性には主張せず従いなさいと躾けられてきた貴族の娘。
ウィリアムが何を言おうとも暖簾に腕押し、柳に風とばかりに通りいっぺんの受け答えしかしないつまらない女。
それに彼は飽きていて、結婚だってせざるを得ない惰性のような気持ちでいた。
そこへ天真爛漫溌溂として明るいヒロインの登場で心を奪われちゃう。
そして彼は彼女と一緒にいることで今まで感じたことのないくらい心が充実していると気づくの。
彼女といることが幸せなんだって。
彼は私にとって心のオアシス、生きる糧。
彼が生きていてくれるだけで私は生きていけるし、彼が幸せになれば私も幸せになれる。
例え彼の世界に私がいなくたって、彼が毎日を笑顔で過ごしてくれていたら私は満足。
乗車率二〇〇%の通勤電車にだって、今この瞬間も彼は幸せなんだって思うだけで毎日笑顔で乗り込んで行けたほどだもの。
だから私決めたわ。
この悪役令嬢フィオナを全力でまっとうすると。
愛する人に真実の愛を手にして幸せになってもらう為に、私は甘んじて婚約破棄されようと。
鏡の中でキリッと決意の表情を浮かべるフィオナがこちらを見ている。
凛々しく勝ち気そうな顔立ちだが、藍色の瞳が少し悲しそうだ。
私はたまらずフィオナに話しかける。
「ああ、フィオナ泣かないで。貴女は王子のことを愛してるわけでもないプライドだけが山より高い性悪なつまらない女で、ヒロインに酷いことするのは王太子妃になりたい強欲さからって言われてきた。けどフィオナとして生きてきてわかったわ。貴女ちゃんと王子のこと愛してたのよね」
私は鏡の中のフィオナを撫でる。
「王子に失礼がないように、常に淑女然とした大人びた言葉を選んで、恋愛感情を口にするなんてはしたないと思っていたからいつも澄ました態度でいたのよね。本当は笑いかけられる度にドキドキしていたし、毎日ときめいて婚約者ってことが嬉しくて仕方なかったのにね」
言えなかったのね可哀相に、と鏡の中の輪郭をなぞってから私は自分で自分を掻き抱いた。
「でも大丈夫よフィオナ。貴女もこちら側にいらっしゃい。彼の幸せそれ即ち私の幸せ。彼を推す側に回れば、婚約破棄されようが修道院送りになろうが関係ないわ。何処かで生きている彼が幸せなら、自分が何処にいてどんな境遇だろうと幸せになれるんだから。それが推すということ。そしてそれこそが推しの力。だからウィリアムに幸せになってもらえば、あなたも私も幸せになれるわ」
私は鏡の中の自分に笑いかけると、善は急げとばかりに嫌がらせの予行演習に励んだ。
そして、早くもやってきた運命の出会いを齎す創立記念パーティー当日。
普段は制服の生徒達も今日はドレスや正装に身を包んでいる。
私もパーティーを楽しむ人々同様ドレスアップして、ウィリアムにエスコートされながら会場へと入る。
王太子と有力貴族の娘。
さぞお似合いのカップルに見えていることでしょう。
これが最後の触れ合いと知っていても幸せだわ。貴方の婚約者でいられたのですもの。
心がちょっぴりセンチメンタルな旅に出て行きかけたけど、それはまだ早いと気を取り直し私はヒロインを探す。
貧乏令嬢な彼女はご馳走を前に食欲を抑え切れず、ベタに立食ブースでもりもり食べ散らかしている予定。
そこを通りかかったウィリアムの服にアンチョビソースを飛ばしてしまうことが二人の出会い。
のはずが、立食ブースには誰もいない。
「フィオナどうしたんだ、そんなにキョロキョロして。今日はなんだか忙しないね」
ウィリアムが何か言ってたけどそれどころじゃない。
私は盲点に気づいて非常に焦っていた。
これは貴族の通う学園を舞台にした乙女ゲーム。
攻略相手がウィリアム一人ではボリューム不足で売れないわけで、当然他にも数人用意されているわけよ。
もちろん私はウィリアム一択だったからついプレイヤー気分で自分中心に考えてしまったけど、ヒロインには攻略相手の選択権がある。
このパーティーでここにいないということは、もしかしたらヒロインはウィリアム以外に……。
「——いやいやいやありえませんからっ! うちの子じゃないとかありえませんから! 一択っしょ! ウィリアム一択っしょ! 他いくとか信じらんねーですからっ!」
普段、人様のご趣味ご嗜好に口を出さない私だけれど、今日ばかりは推しの幸せがかかっているのでついつい口汚い言葉が。
良家の子息子女の集う場所で突然こんなこと口走っちゃったもんだから、視線が一気に集まってくる。
ウィリアムなんか驚きすぎて時が止まっちゃってる。
やべっ、と思ったけど、私はこちらへ視線を送るため振り向いた一人の女の髪が靡くのを目の端に捉えた。
オレンジと言った方がいいほど明るい茶色のミディアムヘア。
こちらを見やった瞳は萌葱色。
テラスに出て行こうとしていた小柄な女と目が合って、私は叫んだ。
「見つけたヒロイン!」
自分のことだとわかったようで、ヒロインは肩をビクッと揺らした。私は驚いている周囲の者を掻き分けて彼女の下へと歩み寄る。
「良かった! パーティーに参加してないかと思っちゃった。まだ間に合うわ。貴女が向かうのはテラスじゃなくて立食ブースよ、ほらっ!」
私が彼女の手を取ろうとするとバッと拒否するように振り払われた。
「立食ブース? 何故ですか? パーティーで向かうのならテラスでしょ?」
「え?」
「え?」
こういう時ってものすごい勘が働くものね。
不思議な会話に私とヒロインは互いに見つめ合って同時に気づいた。
あ、この人私と同じでゲーム世界の住人になった人だって。
「まさか私以外にも同じ境遇の方がいるだなんて」
「驚きますね。こんな信じ難いことが同時に起こっているんですもの」
と、一瞬芽生えた仲間意識だったけど、私はすぐさま話しを戻す。
「それなら話しが早いわ。彼はもう会場に入ったから、さぁ、立食ブースでもりもり食べてきて!」
「彼が会場に入った? さっきから何言ってるんです? 彼はテラスで一人パーティーを眺めているんですよ?」
噛み合わない会話に再び見つめ合って私はようやく気づいた。
このパーティー会場で出会える人物がもう一人いることに。
「……貴女、もしかして……焦がし筋肉狙い?」
「他人の愛しい人をそんなラーメンのトッピングみたいな蔑称で呼ばないでください! そうです、私は騎士団長の息子くん狙いです!」
なんと! 悪い予感が的中!
ヒロインの彼女は、こんがり小麦肌に筋肉美がご自慢の騎士団長の息子狙い!
これはまずい。
彼は硬派で男らしいマッチョ系イケメン。
対してうちのウィリアムはほっそり柔和な中性系王子様。好みが真逆だ。
「……一応聞くのだけれど、ウィリアムルートに行ってみる気って……」
「ないです。私筋肉こそ正義と思ってますので。白ウドみたいなウィリアムはちょっと」
「白ウド⁈ もやしとか言われるより希少な感と通っぽさがあってちょっと受け入れかけたけど、白ウド⁈」
くぅっ! やはりか……。
この女はウィリアムに目もくれない。
このままではまずい。
ウィリアムに幸せが訪れなくなってしまう。
どうにかしなくては。
「そう……筋肉。貴女ご存知ないのね? ウィリアムはああ見えて着痩せするタイプで、服の下には割としっかり筋肉纏ってるのよ」
「服の上からでも一目でわかる筋肉に惚れぼれするんです。見てるだけで彼の逞しい身体に抱きしめられて、あの筋肉群に埋もれて……な妄想が捗るんで」
なんだ筋肉群て。
「い……いやいや、チラリズムの極意というか、ギャップこそ恋愛の真髄でしょうが。ふとした瞬間に気づく筋肉っていうのもそそると思うのよ? 腕を組んだりダンスなんかで向き合った時にね、支えてくれる腕が細く見えるのにしっかりしてるな、って思うときゅんと来るんだから。こんなに細身なのに、お姫様抱っこだって実はきっと軽々してくれちゃうんだろうなって想像したり……やっぱりあの時してくれたのか——」
「あの、さっきから何なんですか? よく見たら貴女フィオナじゃないですか。ウィリアムの婚約者の。それがどうしてヒロインの私にウィリアム勧めてくるんですか? 貴女そうなったら婚約破棄されちゃいますよね?」
「決まってるじゃない。ウィリアムにはヒロインと結ばれる幸せ街道を爆進して欲しいからよ。その為なら私は悪役を喜んでこなして笑顔で修道院へ送られるわ!」
「貴女がそのまま結婚して幸せ街道作ってあげればいいじゃないですか。ヒロインが別ルート行ったら他の攻略相手達はヒロインに鞍替えしないんですから」
そう、このゲームはどのルートも愛されヒロインが無自覚に婚約者のいる攻略相手を心変わりさせちゃうストーリー。
一応手を替え品を替えしてるけど、結局婚約者は全員悪役とバレたりジョブチェンしたりでざまぁ展開してヒロイン正義のハッピーエンド。
裏を返せばヒロインさえいなければ婚約者達は闇堕ちしなかったわけで……と、ちょっと脳みそ働かせて物語を読んじゃうと後味悪くはある話だ。
だから彼女の言いたいことはわかる。
私の立場から言ってもそうしたい気持ちは十を何乗したら表せられるかわからないくらいだけど、そうはできない。
「ダメよ! そりゃ、このまま結婚したいけどフィオナじゃダメなの! だってあの人はフィオナに魅力を感じていないんだもの! フィオナは優秀だから結婚したら王太子妃として、その先は王妃として職務や公務は完璧にこなす有能さはきっとあるわよ? でもつまらない女が一緒にいたって味気ない日々を送らせることになってしまうんだもの! どんなに愛していたって私じゃダメなの! 好きでもない女と結婚したって彼は幸せにはならないんだから! 彼が幸せになる方法はただ一つ! 貴女と結ばれることだけなの!」
「好きでもない人と結ばれても幸せじゃないって言った人が、好きじゃないって散々伝えてるウィリアムと私を結ばせようとするとかどういう了見です⁈」
「そこはウィリアムの幸せが最優先事項だからさっ☆!」
「さっ☆! じゃないですよ! 大体ですね、私仮にウィリアムと結婚しても彼のこと愛しませんよ? 好きじゃないですし、筋肉成分足りないし。筋肉求めて浮気するかも。そうしたら彼幸せどころか不幸ですよ?」
こいつ……泣き落とす勢いでここまで言っても折れないとか……筋肉マニアめ。
しかし私だって折れるわけにはいかない。
彼の幸せのため、必ずこのヒロインと結ばせてみせる。
私はバッと手をあげると高らかに宣言した。
「プレゼンしまーすっ!」
「ぷれぜん?」
「ウィリアムの素敵なところを今からプレゼンするわ! これ聞いたら絶対好きになっちゃうから、きっと筋肉なんて頭の隅にも残らないくらいウィリアム一色になっちゃうから!」
「はぁ⁈ なりませんか——」
「いきまーす!」
ヒロインを遮って、私はウィリアムの好きなところを列挙しだす。
「まず基本的な情報として押さえておいていただきたいのは、彼はこの国の王子、しかも長子の王太子であるということ。将来君主として絶対的な権力と財力を手にする彼と結婚するってことは未来の王妃になるっていうことで、贅沢三昧の煌びやかな生活を送れる上に敬愛までくっついてくる栄誉ある地位を手にできるってことなのよ? 国のトップに立ち民衆を率いていく王となる彼を、間近で見つめながら支えられるという重責ではあるけどこの上ない幸福だって得られるわ」
「すみませんけど、私、責任は回避したい世代なんで」
「次にお伝えしたいのは美しい容姿! 見てあの涼しげな青い瞳に色素の薄いサラサラの髪。もう見ただけでいい匂いするわってわかる中性的で美しく整った顔立ち! 実際するしねいい匂い! ちょっと高めの声なんかも物腰柔らかで聞いただけで身体に力入らなくなっちゃうくらいキュンキュンしちゃうし。ふふって控えめに漏らすその声と真っ白な歯をこぼして柔らかく微笑む口許と優しい眼差しなんて、まさに理想の王子様スマイル! 会話の合間に微笑まれる度にぽーっとなって数瞬意識飛んじゃうんだから」
「意識がその度に寸断されてたら脳に異常が出てそうで怖いんですけど」
「さらにさらに! そんな無双の容姿を持ちながら、明晰な頭脳を備え、剣の腕前だって一流なんですからね? しかもそれをちょっとも自慢したり頑張ってるアピールしない謙虚な方。文武両道なんて贔屓設定って思われるけど、フィオナとして側で見てきたから知ってるわ。幼い頃から厳しく仕込まれて、悔し涙を流してボロボロになった日々の賜物だって。彼は尊敬される王太子たりうるために、幼い時分から己を律し謙虚に研鑽を続けてきた素晴らしい努力家なの!」
「私の彼だって厳しい訓練くらいしてますぅ」
「そのうえもちろん優しいのよ。気配りだって忘れることはないし、もう完璧よね! 本当完璧! ああ、もう本当、なんて素敵な人なのウィリアム! 完璧な王子様よ!」
「……あの、プレゼンなんて仰々しいこと言ってましたけど、それキャラの基本情報じゃありません? それくらいでしたら私も存じ上げてますけど」
あら、一応はやり込むタイプなのねヒロインちゃん。
そうここまでは一般プレイヤーなら知っている彼の姿。
しかしここからが彼の本当の魅力プレゼンタイム。
関連商品を買い漁り仕入れた情報にプラスして、フィオナであったからこそ知り得た彼の愛らしい部分にノックアウトされるといいわ!
「……そうね。ここまでは完璧な王子様としての彼の魅力。言わば表の姿。だけど私が本当にお伝えしたいのは彼の裏の顔よ」
「裏の……顔……?」
「そう。裏の顔。完璧な彼の知られざる姿それは——」
「それは……?」
「実は隙だらけでポンコツなくせに必死になって隠そうとして珍妙なプライド守ってる可愛い人なのよぉ!」
「隙……ポンコツ?」
怪訝そうにしているヒロインをよそに私はプレゼンを続ける。
「そう隙。例えば……彼ってば実は猫舌なんだけどね」
「猫舌って……隙とかポンコツって言うほどのものでは——」
「そうね。だけどウィリアムは何故だかそれを隠したいみたいなのよ。お茶の時間は他愛もないお喋りから入るものだけど、彼の場合些か長いし話題が尽きるのかループする時があるの。彼は誤魔化せてると思っているようだけど、私は気づいてるわ。あれ、カップのお茶が冷める時間稼いでるんだってね。いざ口をつけた時にはいつだってぬるいんだもの、バレバレよ。だからたまに意地悪して注ぎたてを飲むように促してやったりして。そうするとカップに口をつけた時に表情は変えないんだけど、手が尋常じゃないくらい震えちゃうのよ。熱いの飲めないって言えばいいじゃない。ふーふーしてもいいのよ? 零れて手にかかったのも熱いでしょうに無理して懸命に耐えて……バレてますけど……それがたまらなく可愛いの」
「……なんで言わないんでしょう、零すほど震えてるのに」
「恐らく彼自身、自分で完璧さを自覚しているからよ。それを守らなければいけないというある種のプライドね」
王太子たるものっていう意識を常に持ち続けてきた彼は、そういう部分でも己に厳しくあるのよね。
ただ残念なことに、隠しきれてなくて珍妙に映るんだけど。
「その可笑しなプライドで隠そうとしているものは他にもたくさんあってね、鳥なんかもそう。彼、本当は鳥が苦手なのよ。飛び立つ時の急に羽を広げるあれが怖いらしくて、鳥と遭遇した時にはさり気なく鳥との間に私を挟んで距離を取るの。巧妙な位置替えだけど、怖いものって急に飛びかかってきたらより怖いから目を逸らせなくなるじゃない? 進む先に鳥を見つけると凝視しだして生返事になるからすぐわかるのよね。たまに飛ぶと見せかけて飛ばずにフェイントで羽広げた鳥に、飛ぶなら飛びなさいよぉっ! って何故かオネェ言葉でうっかり怒っちゃったりもして……もう、怖いって言いなさいよ! 守ってあげるから! って、抱きしめたくなっちゃう可愛さなんだから!」
しかもその後は、記憶消されたんかってくらい瞬時に普通の態度に戻るから、今しがた怯えてた姿とのギャップが耐えられないくらい面白いのよね。
「他にはね、彼ってよく階段の最後の段を踏み外すんだけど、完全にガクンッてなって落ちかかってたのに何事もなかったように歩いて行くし……書類を読みながらお茶を啜る姿は物凄くカッコいいんだけど、ノールックでカップを置こうとする度に必ず落として割っちゃうの。でも床もズボンもビッチャビチャなのに涼しい顔してるのよ。秘書官だ給仕だが慌てて拭いてるのに。署名の時なんかもキリッとした顔でサラサラッと書き始めるけど、絶対一枚目は書き損じちゃうし。これは周りに教えてあげて最初に渡す書類は内緒でダミーにしてるんだけどね」
こういう部分だけみたらポンコツよ。
珍妙なプライド持ってるポンコツよ。
でも完璧な姿とのギャップが絶妙なのよ。
「あんなに完璧で美しいのにこんなにも隙だらけなんだもの。私がいなくちゃって気になって世話を焼いてあげたくなっちゃう。母性本能くすぐられるって言うか完璧さとのギャップが愛おしすぎて……ああ、もう本当好き。狂おしいほど好き。とめどなく好——」
力説するあまり、うっとりと自分の世界へ入り込んでいた私はそこで我に返った。
ヒロインいねえ。
途中から相槌打たなくなったとは思ってたが、人がプレゼンしてる間にテラスに出て行きやがった。
「……にゃろう! 逃さん!」
私も急いでテラスに出ようとしたその時。
「フィオナ」
聞き慣れた優しい声で名前を呼ばれた。
振り向くとウィリアムが心なしかほんのり頬を染めて立っている。
その後ろでは会場中の人が私に視線を注いでいた。
そうだった、ここはパーティー会場で私は高位貴族の子女。
あるまじき振る舞いをオンパレードさせてしまった。これはまずい。
「あ……ウィリアム、様、ち、違いますの今のは、ちょっとした余興で……すぐに! すぐに彼女も呼び戻してきますから立食ブースの側で待機していてくださると——」
「君がそんな風に思ってくれているとは知らなかった」
「……え?」
ウィリアムはやっぱり頬を赤く染めていて、青い瞳もいつもよりキラキラと輝かせながら傍まで来ると私の手を取った。
「ずっと不安だったんだ。君はいつも落ち着いた態度で淑女然としていたから、何を考えているのか全くわからなくて。本当はこんなポンコツな私との婚約に不満があるのではないかと……」
「不満なんて一つも……それは貴方の方じゃ——」
「不満なんてない。あるとしたら君の心が読めないことくらいだ。本当は嫌われているのではないか、嫌々婚約しているのではないか、他に慕う者がいるのでは……いつか婚約解消を言い出されるのではないかと不安だった」
「……そんな……こと」
キラキラの瞳に射抜かれて動揺している私の手を、ウィリアムが嬉しそうな微笑みを浮かべてぎゅっと握りしめた。
「でも今やっと、君の気持ちが聞けた。君に幻滅されたくなかったから情けない部分は見せないように努めてきたつもりだったが……全部見通していてそれすらも受け入れてくれるほど好意を寄せてくれていたなんて。嬉しくてたまらない」
「う……うれしい……?」
ああ、とウィリアムは言って握ったままだった私の手にそっとキスを落とした。
「愛しているフィオナ。幼い頃からずっと。君と婚約が決まった時には嬉しくて、意味もなく城の端から端まで走って階段を転げ落ちたあげく骨折したほどだ。私の至らない部分まで好きでいてくれる君が婚約者で、私は幸せだ」
そう言ってウィリアムは真っ赤になって固まっている私を優しく抱き寄せた。
ほっそりして見えるのに私をすっぽり包めるほど彼の身体は大きくて、そっと抱きしめてくれる腕は優しいけど振り解けそうにないくらいには力強い。
想定外の抱擁に、え? 何これ、現実? と戸惑いながらも、ほら言ったでしょ。こういうギャップがたまらないんだって。と消えたヒロインに心の中で伝える。
彼の心音すら聞こえる程の近さに狼狽えつつ恐るおそる身を預けると、ウィリアムが私をぎゅっと強く抱きしめた。
愛する推しに抱きしめられるなんて、こんな幸せあっていいわけ⁈
と歓喜した心臓が爆速爆音で鳴り出す。
けれど狂ったように打ち鳴らされている私の心音と、不思議と重なって聞こえるもう一つの心音に、いいのかと思い直して私もウィリアムを抱きしめ返した。
だってほら、推しが幸せなんだから。
おわり
推しって人に薦めたらいかんのかな…と思いつつ
お読みいただきありがとうございました!