第5話 仕立て士レスリーとナナ
作業場に戻ると、ロドニー様が来ていることに気が付いた。今期試合第三位のロドニー様の式典服はうちの担当なのだ。その彼が窓際のテーブルで、私の三歳年上の従兄で上級仕立て士であるニコラスと、もう一人見知らぬ若い女性が話し合いをしている。
誰だろう? ロドニー様の関係者? それともニコラスの新しい弟子……は、ないか。
美しい女性だと思った。知的な雰囲気のあるキラキラした目、優しい微笑みをたたえた口元。小柄だけど均整のとれた体型。そして、しばらく彼女の髪が短いことに気づかなかったほど、その奇抜な髪型は不思議と彼女にしっくりと似合っている。
ふいに、猛烈な勢いでドレスのデザインが浮かび上がり、作業に入る前にササッと描いた。定番ではないけれど、きっと彼女ならこんなドレスも似合うはずだ。
「ねえ、あの人誰?」
作業の合間にこっそりカーラに尋ねると、彼女は一瞬驚いた顔をして、次に苦笑いをした。
「ナナ・モイラよ」
「えっ?」
「分からなかったのも無理ないわ。私もそうだったもの。あの短い髪型にも驚いたけど、全体的に雰囲気が変わったわよね。あの髪、レシュールの攻撃で切られてしまったらしいわ。あの噂、半分は本当だったみたいよ」
驚いてナナを見直す。風で髪がなびき、頬の傷があらわになった。化粧で薄くしているけれど、まだ新しい傷だとわかる。
レシュール襲来の後、テイバー様とナナが死んだという噂が流れた。それはすぐに収まったけれど、騎士を庇うため魔獣に飛び込んだ女の子が血まみれになったなんて噂が飛び交ったのだ。
ナナは上級仕立て士だから、それがナナだという噂は否定され、クララ様やガブリエラ様じゃないか、いや、見物に来ていた女性騎士でもあるセシル様ではないかと、情報は二転三転した。でも誰かが血まみれだったのだけは確かだと。
――それがナナだったというの?
仕事の合間にナナの側を通ったとき、襟元にも隠しきれない傷がちらりと見えて、ビクッとする。次に彼女が提案しているデザインを見て、背筋に氷水を大量にかけられたような気がした。複数の細いリボンなどの素材とフォント刺繍を組み合わせた、なんて緻密なデザイン。複雑すぎて一瞬では理解できなかったけど、少し聞こえたロドニー様やニコラスの興奮したような話から想像すると、ロドニー様の力を今までの倍以上は引き出すことが可能だという。
あんなもの、本当にできるの?
「どうしたの、レスリー。顔色が悪いけど」
席に戻った私に、小声でカーラが心配そうに顔をのぞき込む。
「ロドニー様の服の素材が、見たこともない水準でびっくりしたのよ」
それは、ナナが本当に上級仕立て士だという事実を、初めて突きつけられた瞬間だった。
上級仕立て士の娘なのに、その力がほとんどない私とは全然違う。本当の、本物の上級仕立て士なんだ、と。
ただそれ以上に、私はナナの傷を見たことで、初めて彼女が人間だったことに気がついた気がした。吹き込まれた悪意ある噂というベールがなくなれば、ナナはただの一人の女の子じゃない。
「ああ、ナナの腕はすごいわよね。独特だけど、次元が違うってああいう感じなんだね。あの娘の服の刺繍をちゃんと見た? あれを見たら、端から勝負にもならないわって思ったわ」
カーラが仕付け糸を外しながら、こちらも見ないでそう言う。
「それ、いつ気が付いたの?」
「選定式の時かなぁ。その後何回かすれ違った時とかに見て、すごいと思ってた。モイラさんとは別のセンスだよね。すごい一族だわ」
「そんなに前から気付いてたんだ」
「まあ、そうね。レスリーはかたくなに目隠ししてたけど、やっと見えたのね」
呆れたように笑われて、心底落ち込む。同じくらいすれ違ってたはずなのに、まったく気づかなかった。仕立て士としても大失態だ。
何よ、ギョーザは関係ない上に、私だけ見当違いな悪口を言ってたなんて。
私の母親世代のスタッフが、ナナの髪を見てヒソヒソしているのが聞こえる。とても嫌な感じ。でもついさっきまで私もそうだったことに、頭の中がグラグラするくらいの衝撃をうけていた。
私は今まで何を見てたの……。
自分の中で二つの感情がせめぎ合ってる。
やっぱり魔獣娘だから、人間離れした技術を持ってるのよという、醜い私。力のない国の血が半分流れてるのに、上級仕立て士の力なんてあるわけないと、無様な姿で叫んでいる。
もう一方で、あんなデザインや刺繍をできるようになりたい。腕を磨いて、上級仕立て士の腕に近づきたいと、夢見る私がいる。
夢は夢。力がなければ、どんなに技術を上げても上級仕立て士にはなれない。私はただの仕立て士で満足してたはずなのに……。圧倒的な力の差なんて、父を見たって感じたことがなかったのに。
あまりの差に、悔しいとさえ思えない自分に呆然とした。
やがてガブリエラ様がやってきて、別室で式典用の騎士服の試着をしてもらう。
仕立ては完成までに何度も何度も試着を繰り返すものなので、王族であっても何度も工房に足を運んでもらう必要があるのだ。でも王族でさえ通ってくることに、私は何か勘違いをしていたんじゃないだろうか。
急に、自分という存在が恥ずかしくなって、失礼がないか必要以上にビクビクしてしまう。
「今日はナナがいるのね?」
微調整の間、ガブリエラ様が楽しそうにそう言う。
「はい。今日から助っ人に入ってます」
「ナナには忙しくさせてしまうけど、大怪我をして間もないから少し心配なの。レスリー達も助けてあげてね」
「え、はい。もちろんです」
ああ、やっぱりそうなのか。
「あの……」
「なに?」
「ナナはどうして怪我を……?」
こんなことを聞くのは不敬に当たるだろうか。
「――まあ、話しても問題ないかしらね。レシュールに襲われたのよ」
「すぐ避難できなかったのですか」
「ナナは、特殊な上級仕立て士だから……」
「特殊、ですか?」
「私達騎士の力を上げ、自らも戦ったの」
「まさか」
平民が騎士に交じって戦う? 上級仕立て士に力があるとはいえ、それはけっして戦闘に使えるようなものではない。騎士たちと同じ素材を使ったって、攻撃できるような力ではないのだ。できるのは、素材に力を注ぎ、騎士の力を最大限引き出すようにするだけ。それだけ。
私には、それさえもできないけれど。
「本当、まさかよね。あの時……テイバーをかばって血まみれになったナナを見た時は、心臓が止まるかと思ったわ。大切な友人を同時に失うんじゃないかって怖かった」
本当に二人が無事でよかったと呟いたガブリエラ様に、私は息を飲んだ。
悪意ある噂という目隠しを、はじめて取ったレスリーでした。
上級仕立て士の仕事を身近で見てきたため、違いがよく分かるのです。
次は「仕立て士レスリーと上級仕立て士」です。
ブックマーク、評価・誤字報告ありがとうございます。
この作品は、未登録の方でも感想が書けます。
一言コメント大歓迎です(^^)




