第1話 夜の散歩(前編)
リクエストを頂きまして、番外編のスタートです。
内容は会議の日の夜から式典までの間の出来事。
ナナ視点では語れなかった部分になるので、内容としても補完に当たるのではと思います。
まずは若君視点で、「第65話 決意」の日の夜の話になります。
やっと二人きりになれた。
仕方のないことだが、会議の後もバタバタしたままナナとゆっくり話すこともできなかった。愛する女性に求婚して受け入れてもらったにもかかわらず、その余韻に浸ることさえできなかったのだ。せめてキスの一つもしたかったのに、そんな暇も隙もなかったんだからな。まったく。
やっと解放されたのは夜もだいぶ更けた頃だったが、サラに少しだけナナを貸してほしいと頼み、いっしょに散歩することが叶った。
だが、あまり暗いところでは顔が見えない。日本と違って町に降りても店は開いていない。
城内で明かりのあるところでは邪魔が入る可能性が高い。かといって、こんな時間にどちらかの部屋では、結婚前の彼女の名誉を傷つけかねない。さて、どうしたものか。
二人でゆっくり話せるところを思案していると、ナナの提案で城壁の上がいいのではということになった。彼女の力で跳んだのだが、この力は俺も習得したいと思う。今は猫じゃないのに、だっこされてジャンプなんて様にならないだろう? 絶対逆がいい。
城壁はかなり広い空間で、一部ベンチになっているところがある。そこへ二人で町を見下ろす形で腰を掛けた。日本の都会の夜のようにきらびやかではないが、月の下、やわらかい光に包まれる町もいいものだ。
ほっと息をついてナナを見ると、彼女が俺をじっと見ていた。
「ナナ」
微笑んで名前を呼ぶと、ナナはクシャッと顔を歪め、今にも泣き出しそうな顔をした。
「若君、ごめんなさい……」
突然謝られてギョッとする。まさか、婚約したことを後悔してるなんてことはないよな? 違うよな? そんなこと言っても断固拒否するからな!
「どうして謝るの?」
内心の嵐を隠して微笑みながらそう聞くと、ナナは苦しげな顔をした。
「私、勝手に貴方を諦めようとしてました。若君は信じてって、絶対守るって言ってくれていたのに。嫌な思いをさせましたよね。本当にごめんなさい」
「ああ、なんだ。そんなことを気にしてたのか……」
あせった。心臓に悪い。そうだ、ナナはすぐ自分を責める……。
プニッとナナの頬をつまむと、彼女は驚いたように目を丸くしたので、思わずフッと笑ってしまう。
「若君?」
「子どもの頃ナナが泣きそうになると、健人がこうやってナナのほっぺをよくつまんでたね」
「えっ、あ、そうですね」
「ナナ、そこは謝らなくてもいいところだよ。君は正しかったんだから」
俺よりも国民を優先されたことに寂しさがなかったわけではないけれど、ゲシュティで力を持つ者としては当然の判断だった。彼女は半分日本人だし王侯貴族でもないのに、絶対にそこが揺るがない。
「でも」
「ナナに信じてもらうだけの力が足りなかったのは俺のせいだ。不安にさせてすまなかった」
日本でも力を試せれば少しは違ったのかもしれない。せめて陛下がもう少し状況を知らせてくれていたらと、少々恨めしく思わないでもない。絶対手放す気はないと言っておいたにもかかわらずナナが俺から離れようとしていたのは、まず間違いなく俺のためだということも分かっている。
「ナナは、俺の前ではもっとわがままになっていいんだよ。俺はたくさん甘えてほしいし、頼ってほしいんだ」
タキや警邏のお兄さんには素直にできていたそれを、一つ身に戻った俺にはまだできないことが分かって、それがとてももどかしい。
『私のことなんて、守ろうと思わなくていいんです』
日本でナナがウィルフレッドに言った言葉が蘇る。あの時のナナは本気だった。あんな胸を抉るようなことを、俺の前で二度と言わせたくない。
本当だったら色々時間をかけようと思っていたのだ。状況が変わっていたのはこちらに戻る前からわかっていた。だが、思っていた以上にタイミングが悪かったのだ。すべてが駆け足になってしまったから、求婚にナナが頷いてくれるかヒヤヒヤした。本当なら求婚するときは、一生忘れられないくらいロマンチックな想いをさせようと決めていたのに。あんな破れかぶれに近い求婚など、今思い出しても冷や汗が出る。
「俺も必死だったけど、結果的にナナは俺を選んでくれただろ。謝るよりも、もっと甘えてほしいな。愛しい俺の、未来の奥さん?」
おどけてそう言った途端、ギュッと抱き着かれて心臓が跳ね上がる。
タキの頃には当たり前だった行為も、ウィルフレッドの部分がまだ慣れていないのだ。それでも彼女がスキンシップに積極的なのは嬉しくて、そっと片手でナナの背を抱き、もう片方の手で彼女の頭を撫でる。ナナが微かに震えているのは泣いているからだろうか。
「ナナ、泣かないで」
ナナはただ首を振ってますます強く抱き着くので、そのまま髪を撫で続ける。
そういえば、ショートカットも可愛いって、ナナには伝えただろうか? ウィルフレッドとしてはショックを受けていたけれど、テイバーとしては、髪を切ったナナは大人っぽくなってますます魅力的だと思ったんだ。ただこちらでは奇異に映るのが困ったものだ。こんなに可愛いのにな。
思えばナナは、俺の前でだけは泣き虫だった。そんな姿を知ってる奴なんて他にはいないだろう。――ああ、陛下とチェイス様の前でも泣かれてしまったか。チェイス様のときは俺のことで泣いたとはいえ、ハンカチを借りることになったのは少し面白くない。さっさと返させないと。
今日は色々なことがあった。彼女がどれだけ不安だったか、怖かったか。それを思うと胸が痛む。それもこれもぜんぶ、俺が不甲斐なかったせいだから。
ちゃんと俺が安心させることができていたら、ナナは絶対揺るがなかった。あんな風には悩まなかった。泣いているよりも悲しそうな笑顔をさせることなんてなかった。
ナナの頭にキスを落とす。
「好きだよ」
なにものにも代えがたい、唯一の女性。彼女がおぼれるほどの愛を注ぎたい。俺を守ってくれたように、俺は君を守りたいんだ。そのためにも強く、もっとずっと強くならなければ。
ナナが上級仕立て士としてゲシュティに残るとなると、彼女を守る方法は限られていた。分身ができない体にもかかわらず、規格外の力を持つナナ。上級仕立て士と騎士の力、両方を併せ持つとも、まったく違うとも言えるそれが、上層部だけとはいえはっきりと知られてしまった。それ故に、彼女がただの平民として生きることも、独身でいようとすることも無理だったことを、当事者である彼女は知らない。
良くも悪くも興味を持たれ、利用しようとする輩は後を絶たなかっただろう。
まだ俺以外、もしかしたらあとは陛下ぐらいしか気づいていないとは思うが、ナナは俺たちと違って服飾の力は不要だ。利用しているときはあえて力をセーブして、まわりに合わせているにすぎないし、実際ほとんど補助程度に使用しているにすぎない。服飾の実験は、俺たちの力を想定してシミュレーションしているだけなのだ。
どうしてそんなことが出来るのかまだわからないが、何もなくてもある程度自在に力を操れるのは、ネアーガを引きはがしたときに確信した。しかも俺たちと違って、偏った特性があるわけでもなく、おおよそ万能。
だからこそ、一番安全なのはナナを日本へ帰すことだった。
ナナが知らない、気付かないこと。
それを本人に気取られないためにも、強くなりたい若君です。
次は後編。
余談ですが、求婚の後キスの一つもできないよう阻止したのは、ワイアット(ナナのおじいちゃん)かもしれません。




