第52話 戦闘
競技場の熱気はすごかった。
最後の試合だし、前代未聞の王女対決だとか若君を見たいからだとかで、とにかく観客が多いのだ。王族の席と、私たち仕立て士三チームの観覧席はかなり上の方で多少ゆったりしているとはいえ、ここまで観客がすごいなら若君も私のことはわからないだろうとホッとする。
試合展開は大迫力だった。
「こんな試合、見たことがない」
そんな声がそこかしこから聞こえる。
クララ様以外の方も力の使い方が強化されているので、まるで次元が違うのだと陛下が面白そうに教えてくれた。娘でなかったらなぁという言葉には、どうにも苦いものしか感じないけれど。
馬上試合は一位はクララ様で、僅差で二位が若君。
やっぱり今朝動揺させてしまった影響かもしれない。
私は胸元をぎゅっと握りしめ、申し訳なさで帰りたくなってしまう。
私がいなければ勝てる? 私がいることには気付いてないよね?
このまま見ているのが怖い。
陛下やブライス様が、何か気付いているのか物問いたげに私を見るのを感じる。けど陛下にこっそりと、あとで相談させてほしいというとすんなり引いてくれる。私の心配よりも試合の方が気になるのは当然だ。
下馬競技の剣技は、会場が静まり返るほどの緊迫感だった。
最後に若君が相手選手の攻撃をよけ得点を入れたところで、地が割れそうなほどの大歓声が上がる。
「よかった」
ウィルフレッド様が優勝した。
チェイス様が、私の方は見ないでそっとハンカチを貸してくれた。いつの間にか涙が出ていたことに気付き、ありがたくお借りする。
あとで洗ってお返ししようとポケットにしまったとき、それは突然起こった。
「空が!」
誰かが叫んだ。
雲一つない空が、北の方からすごい勢いで黒くなっていく。
雲ではない。
「レシュールの大群だ」
それは巨大な白蛇が隙間なく空から海を渡ってくる、おぞましい光景だった。
季節外の魔獣。それがまさか王都に現れるとは誰も考えてなかったに違いない。パニックになる人々を、陛下たちが率先して避難させる。
でも私は動く事ができない。
「やっと見つけた」
無意識に唇の端が上がる。歓喜に震えが走った。
お母さんを飲み込んだ魔獣。でもあれはまだ小さい。まだ遠いけど、それでも多分大人の男性ほどの胴の太さだから、まだ子どもかもしれない。それでもやっと見つけた。
「ナナ!」
いつのまにか厳しい顔をした陛下が私の前にいた。目の端に長弓で矢を放つ、もう一人の陛下も見えた。
「おじさま」
あえて陛下をそう呼ぶ。肉親として話そうと思ったからだ。
「私、ずっとあいつを探してました。あいつを倒せば、お母さんはこちらに来ることが出来るかもしれないとずっと思ってたんです」
「だがケイは、お母さんはもういないんだ」
「そうです。私は間に合わなかった。それでも――あいつを倒したい気持ちは変わらない!」
魔獣を寄せ付ける体質かもしれないと考えたのは十歳くらいだっただろうか。それならきっとレシュールを探し出せると信じていた。
「お願いします。陛下はみんなを安全なところへ」
競技を終えた騎士たちが、次々と分身し、半分は市民を守り半分は手にした武器はそのままにレシュールに切りかかる。
弓矢やクララ様の雷撃が次々と放たれた。
私は目の前を見据え、大きな雷をレシュールに落とした。
轟音が響き、一瞬会場がシンとなる。
焦げ付き、真っ二つになった何体ものレシュールは、それでも蠢き暴れ続けた。
「親が来る!」
津波のように隙間なくやってくる小さな白蛇の後ろから、何倍もの大きさの白蛇が飛んでくるのが見えた。
「子どもを傷つけられて怒っている」
蠢く白い体に、赤い目、大きく開いた赤い口。
あれが冥界の番人。
大きな白蛇は音のない叫び声をあげると、冷たい風が巻き上げられ氷の刃が降り出す。
観客席の人はまだ逃げ終わっていない。
「クララ様!」
私は精一杯、競技場内で戦うクララ様を呼んだ。
「力を貸してください!」
彼女の保護の力は、今なら増幅すれば城内どころか町まで覆えるはずだ。
遠隔的に彼女の保護の力のゲージを上げていく。そして傘を広げるように天に手をかざした。何も考えてなかった。ただ皆を守りたくて必死だっただけだ。
空が開いた。
黒くなった空の一部にスッと線が入ったかと思うと、割れたように白く開き、そこから丸い水晶のようなものが付いた杖がすごい勢いでクララ様のもとに降りてくる。
「天啓だ」
逃げるのを忘れたかのような声がざわざわと聞こえた。
「クララ様、それを使って!」
タキを抱き上げ競技場まで駆け下りながら叫ぶと、クララ様は一瞬私を振り仰ぎ、杖を手にして振り上げた。
「雷を網状にして、天に広げてください!」
目の端に、若君たちが子白蛇にとどめを刺すのが見えた。
次の瞬間、大きな白蛇から鋭い冷気とクララ様の持ったロッドから保護の網が放たれるのが同時に起こる。
網はどんどん範囲を広げ、それに当たった子白蛇が跳ね飛ばされた。
だが親白蛇とかなりの数の子白蛇は、すでに網の中だ。
騎士たちが親レシュールを捕縛しようとするが、レシュールが体を一ひねりするだけでみんな弾き飛ばされてしまう。
その中で若君が親レシュールの正面に回り込み、眉間を狙って剣を振り上げ閃光を放った。だがその瞬間、何かに捕捉されたように若君の動きが止まった。
誰かが叫ぶ声が聞こえる。
衝撃に怒りを増幅させたレシュールは大きく口を開け、放たれた渦巻く冷気が若君を凍らせた。
「ウィルフレッド様!」
駆け下りるのをやめ、私はひと飛びで会場に着地した。
迷わず若君に駆け寄る。
ゆっくりと倒れる若君の姿に心臓が凍り付いた。
嫌だ嫌だ嫌だ!
暴れる親レシュールのせいで、誰も若君に近づけない。若君は完全に凍り付いたように見える。
「ナナ!」
「クララ様、そのまま保護の範囲を広げていてください。ロイ様、クララ様の補助を!」
走りながら、すれ違う騎士の力を高め、次々に指示を出す。
「ウィルフレッド様、しっかりして!」
若君とタキを体の下にかばって、レシュールの攻撃をバリアで受け流す。それでもいくつかの氷の刃が私の体をかすめていった。
若君の体はぞっとするほど冷たく、カチカチに固まっている。
どうする、どうすればいい。
恐怖で体の奥が冷たい。
その時、若君の指に指輪が見えた。私が作った指輪だ。
「よかった、外さなかったのね」
相当気に入ってくれてたのだろう。若君が物は物として、私とは関係ないと考えてくれたことに心底感謝する。急激な温度変化は彼に影響は与えない。
これならまだ大丈夫だ。生きてる。きっと生きてる。
怒りで、頭の奥がカッとと熱くなっていた。
「許さない」
お母さんのみならず若君まで!
私の大切な人を次から次へと奪わないで!
親レシュールの放つ氷の刃が、いくつかバリアをすり抜け私の足や肩を切り裂いた。ぬるりと生暖かい何かが頬を流れ落ちたが、まったく気にならない。若君たちが無事ならばそれでいい!
相手が氷なら熱を放ってやる。灼熱の炎で焼き尽くしてやる!
光を熱に代え、灼熱の玉を作りあげる。段々視界が狭まるが、私は体をくねらせ大きく口を開けた白蛇の口内にそれを一気にねじ込んだ!
時間が止まったように音が消える。
次の瞬間、親レシュールは体を跳ね上げると粉々に砕け散って消えた。
「タキ……」
痛みのせいかどんどん視界が狭まり、もう点のようにしか目が見えない。
風の力で補助をしながら、私は若君を抱え上げた。
「タキ、ウィルフレッド様を日本へ」
日本に連れていけば、ここの力は消える。若君を縛る何かはきっと消える。だから……道を、開かなきゃ……。
音は聞こえるのに、目の前が真っ暗だ。腕の中の若君の冷たい体だけが、なんとか私の意識を繋いでいた。
ふわっと暖かな風が吹く。その時懐かしい声が聞こえた。
「ナナ、遅くなってごめん」
お兄さん?
「もう大丈夫だ。僕がついてる」
その声に泣きたいくらい安心したとき、温かな手のひらが私の顔を包み込み、お兄さんの唇が私の唇に触れたのが分かった。
次の瞬間、私は日本の部屋に戻れたことを感じ、ふっと力が抜ける。
消えゆく意識の中、遠くなっていく……ぼんやりとお兄さんの声が聞こえた気がした……。
「……美鈴? 僕だ………、うん……」
何も見えないまま意識を失ったナナ。
次は「日本」です。
ナナは、若君を日本へ連れてくることが出来たのでしょうか。




