第30話 魔獣
「秋になると魔獣が目覚めるのは知っているね?」
「はい、もちろんです」
実際山で遭遇したこともある。
膝に乗ったタキをなでながら、私はその時のことを思い出して、ぶるっと震えた。そんな私を見て、陛下はいたわるような優しい微笑みを浮かべたが、すぐに厳しい表情に戻る。
「だがここ数百年程は、十四・五年に一度、季節外に魔獣が現れたとの報告がある。しかもそれらは、秋冬に出るものとは比べ物にならない大物だ」
これも分かっているだろうという陛下のいい方に、私はこっくり頷いた。その魔獣のひとつに私の母は襲われ、日本に落ち、二度とゲシュティに帰ることができなかったのだから。
「周期で考えれば、今年か来年あたりに現れる可能性が高い。僕は、その調査をしてるんだよ」
もちろん一人ではなく、調査団としてチームを組んでいるという。もちろん、陛下自らが出なければいけない調査ではない。それでも、陛下自らの希望で調査の指揮をとり、あわよくば封印を。出来れば倒したいと考えているのだそうだ。
大きな魔獣は、時に町一つを飲み込むこともあるという。
いつどこに現れるのか正確な予測がつかないが、過去の記録をさらい、今は北と南の辺境に調査に向かっているのだという。
陛下は人の何倍もの仕事をしてるのだ。力の強さが並大抵ではないとはいえ、疲れないわけがない。
「君のお母さんが襲われたのが、約三十年前だ。レシュールに少女が飲み込まれた、と」
レシュールは、別名冥界の門番とも呼ばれる魔獣だ。
開けた口の奥は冥府につながっていると言われるほど昏いからだという。冥界の女神を守り、女神のために力を集めるのが仕事と伝えられ、その姿は――
「母は、大きな白い蛇のような魔獣に飲み込まれたと話していました。その動きは早く、目にしたときにはもう、逃げることも叶わなかったと。……そして、長い長い時間おちてゆき――気が付いたら日本にいたそうです」
その時の母は、一時的な記憶障害で自分のことも分からなかったらしい。記憶が戻るのに三日はかからなかったが、見知らぬ世界で記憶が戻った後のパニックは相当のものだったという。
「そこでたまたま出会ったのが、妙に肝のすわったうちのおばあちゃんたちだったそうです。母は、自分は幸運だったと、何度も言ってました」
そして、父と出会えたから、と。
彼に会うために、自分は遠い世界を超えたんだと、少女のような瞳で繰り返し話してくれた母。
――それでも私は時々考えるのだ。突然異世界から来た女の子の話なんて、自分なら信じただろうか、と。
ゲシュティの力は、ゲシュティの外では全く使えない。自らを証明できる何かなんて何もないし、身を守るものも場所も人も何もないのだ。それを考えると、母はどれだけ恐かっただろうと思う。
そして、そんな母を迷わず保護した美鈴おばあちゃんたちは、本当にすごいのだ!
「ケイのことを知った時、僕は王都にいた。ちょうど即位してすぐのことだ。ソラにいたら、あの子を危険な目に合わせずに済んだのかもしれないのにっ! ……守ってやれなかったことを悔いたよ。絶対に仇を討とうと思っていた」
当時を思い出したらしい陛下は、怒りで歯ぎしりの音が聞こえそうなほど顔をゆがめた。
「陛下は、母のことをご存知なんですね?」
「ああ。――僕は、ソラの出身なんだよ」
「そうだったんですね」
陛下の言葉から、母を大事に思っていてくれたことが伝わってくる。それはうまく言えないけれど恋情とは違う何かで……。
ソラは小さな町だ。もしかしたら幼馴染とか、兄妹のような関係だったのかもしれない。そんな風に感じたのが伝わったのだろうか。陛下は一転いたずらっぽいおどけた表情になり、
「僕は、ケイのおしめだって替えたことがあるんだぞ?」
と笑った。
陛下と母は五つ違いらしく、小さなころはよく遊んでやったんだと胸を張る陛下がおかしくて、私はクスクスと笑った。
「やっぱり、仕立てのことで遊びに行ったりしてらしたんですか?」
のちの王と上級仕立て士の娘。
子ども同士なら、身分の垣根がなかったのかもしれない。
でも陛下は聞こえなかったのか、その質問には答えてはくれなかった。だが、その次に飛び出した言葉に、私は息をのむ。
「そして、十四年前にも大型魔獣が現れた。ネアーガだ」
十四年前――自分が初めてこちらに来たころだ。
ネアーガは黒い獅子のような魔獣だ。冥界の門番レシュールのつがい、もしくは冥界の女神の伴侶の仮の姿ともいわれている。
病魔をもたらし、死の町を作る……悪魔。
「その時は、どうなったのですか。病が蔓延したのですか?」
記憶にはないので、どこか遠くの町のことかもしれないが、それでも恐怖に肌が粟立つ。
「いや。――――おそらくあの時のネアーガは、なんらかの力を求めていたのではないかというのが、調査で出た結果だ」
「ちから?」
魔獣が人のどんな力を欲するというのだろう?
「襲われ、けがをしたものは多いが、命を奪われたものはいない。だが……」
陛下の言葉に、もしや? という考えが頭をもたげる。
「その時にも、どなたか襲われたのですか?」
レシュールに飲まれた母のように、ネアーガに飲まれた人が……。
「ああ」
その時フルリと震えたのは私だろうか。それともタキだろうか。
「人々を食おうと襲い掛かるネアーガに立ち向かったものがいる。強い光を放ち、魔獣を祓ったものが」
「……どんな騎士様だったんですか?」
その方は間違いなく英雄だろうと思った。
病魔をまき散らすことも、大勢の人が死ぬことも防いだ人。
頭の中で勇猛果敢な騎士を想像するが、陛下は静かに首を振った。
「まだ騎士ではなかった。八つになったばかりの、ほんの、子どもだったのだ」
「え……」
たった八歳の子ども?
「彼はその結果、半身をネアーガに飲まれた」
ひゅっと息をのむ。
半身。それは、分身した片方をさす言葉だったはず。
「ということは、貴族のお子様だったんですね。その方は……今は平民に?」
今はもう大人になられたであろう、かつての英雄を想う。
一人は戦い、一人は政。そんなことを、体一つで行うなんて無理な話だ。子どもとはいえ、責任感の強い方なら平民に落ちるのは悔しかっただろうと思う。子ども時代に未来を絶たれたことを、その方は悔いているだろうか。それとも……。
「いや。今も次期領主として頑張っているよ」
「え?」
思わず目をぱちくり。
「なんですか、その人。超人ですか?」
「ふふ。ある意味、そうかもしれんな。ほら、そこに見えるだろう。今うちの娘と踊っている男だ」
陛下の指さした先にいた人物は……
次回「失われた半身」です。
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