彼女の荒神との戦い
「なんだよ、あれ……」
近づくにつれて物音が大きくなり、地の底から響くような謎の鳴き声まで聞こえ始めた時、玲於奈は周囲の民家の屋根に上って状況を観察した。
するとそこにはトラック並みの大きさの化け物が居たのだ。もはや八本足意外に蜘蛛の面影はなく、体はテカテカと黒光りしており、下あごからは二本の白い牙が飛び出ている。
その牙の隙間から絶え間なくヨリイト虫がわらわらと這い出て来ており、一瞬だけ黒い絨毯に見えた。
きちんと周辺には糸が張りめぐらされているため一見逃げ場のないように見えるが、巣の主が大き過ぎるせいで、運動会の綱引きに使われるくらい太い糸が一メートルほどの間隔を開けて敷かれているだけとなっていた。隙間を飛び回れば踏まずに済みそうだ。少女もそうやっているのだろう。
そしてやはり、周囲の家々に焼け焦げた跡は無かった。一度もあの大爆発のスキルは使われていないと察せられる。
そのために苦戦を強いられていると思うと胸が痛くなる。
「あ、居た!」
粉塵の中に、玲於奈は見事な身体捌きで敵の攻撃をかわす少女の姿を見つけた。果敢に刀を振り回しているが、周りのヨリイト虫を追い払うのが精一杯のように見える。何かスキルを使っているのか、刀を振る度に赤い光がちらついていた。
玲於奈はそのあまりのレベルの高さに戸惑ってしまった。
少女は劣勢のようだが、それでも技量ははるかに玲於奈よりも上だ。手を出す隙など無い。どっちにしろ、彼のことなどお呼びでなかったのかもしれない。
玲於奈ははらはらとした気持ちで目の前の戦いを見守るしかなかった。
当然だが、少女が負けた時は玲於奈が戦わなければいけない。そうしなければ帰れないのだから。
彼はそのことを理解し、承知していたが、スキルのレベル上げを続ければ、RPGよろしくそのうち簡単に倒せるようになるのではないかとどこか楽観的に考えていた。
しかし今、それはどこまでも甘い考えだったと知った。いくら硬い糸を出したところで荒神の外皮を貫ける気がしない。
(あれはよほど威力のある技でないとあれはダメージにならないぞ)
玲於奈がそう考えたその時、少女がミスをした。
足元の糸に捕まったのだ。尻餅を突き、無防備な姿をさらしてしまう。
わっとヨリイト虫が少女に覆いかぶさり、あっという間に埋め尽くす。
そして─
「ブォオオオオオオオオオオオ!」
待ち構えていたように荒神が身構えた。
牙を使って地面をえぐりながら少女へと向けて突進する。
「やばい!」
玲於奈は出遅れたことを悔しがりながら走り出した。走りながら雨降らしを発動する。
だが今更間に合うはずもない。
荒神の巨大な牙が少女へと差し迫る。少女はヨリイト虫を引きはがすのに精いっぱいで身動きが取れない。さらに動けば余計に地面の糸が引っ付いて行く。荒神の速度が上がっていく。玲於奈にはどうすることもできない。ついに、─
─ガァアアアアアン
彼女はヨリイト虫ごと吹き飛ばされた。
少女の小さな体が宙を舞う。宙を飛んでいる間、パーカーのフードがパタパタとはためくのが玲於奈の目にも映った。
「っ……」
吹き飛ばされた辺りへ行くと、少女は地面を這いずり、必死に立ち上がろうとしていた。
「おい、大丈夫か! しっかりしろ!」
玲於奈は少女に駆け寄り、手を伸ばした。
頭から大量の血が出ている。地面を滑った時にぶつけたのだろう。他にもパーカーの肩やわき腹にも穴が開いていて、そこから血がにじんでいた。
急いで治癒を使用する。どこまで効果があるのか分からないが、今はスキルの力を信じるしかない。
すると少女が顔を上げ、玲於奈を見てカッと目を見開いた。
「な……っ!」
「立てるか? 早く逃げよう。蜘蛛たちがやってくる」
しかし彼女は力を貸そうとする玲於奈の手を払いのけると、地面にグッと手をつき、無理やり自力で身体を起こした。ゆっくりと、だが何よりも力強い動きだった。そしてそのまま召喚した刀を杖にして、膝をガタガタと震わせながらも、自分の二本の足でしっかりと立ち上がってみせた。
「お、おい……」
玲於奈はまごつき、それしか言うことができなかった。
彼女はふらふらで、今にも倒れてしまいそうだ。そのはずだ。家の屋根よりも高く、何十メートルも飛ばされたのだ。その怪我は交通事故に遭ったよりも深刻だろうし、骨が折れていてもおかしくない。もし肩を押したりしたら間違いなく転ばせることができるだろう。しかし、なぜだか玲於奈は少女が倒れる未来を想像できなかった。想像させない“熱”が、少女からは発せられていた。ありていに言えば、彼女の気迫に押されたのだ。
立ち上がった少女は玲於奈の方を振り向き、いきなりガバッと胸ぐらを掴んだ。
「なんでここに来た!」
血走った目で怒鳴りつける。その表情は鬼よりも恐ろしい。
突然のことに玲於奈は目を白黒させながら答えるしかない。
「なんでって、それは、君がもしかしたらピンチなんかじゃないかと思って……」
事実、今はひどい怪我をしている。
しかし少女はチッと舌打ちをすると、玲於奈を突き飛ばし、短く「さがってろ」と命令した。
玲於奈は何か言いかえそうとして口を閉ざす。少女はもう全神経を敵に集中させていた。
前からは大量のヨリイト虫たちが迫って来ており、その後ろには荒神オオクサレアラシも控えている。再度牙を地面に突き立て、こちらに突進しようとしているらしく、そのための距離を取っている。
対する少女は腰を落とし、静かに刀を水平に構えた。
あの技の構えだ、すぐに分かった。
刀が徐々に熱を帯びて、赤白くなっていく。しかし切っ先が一点に定まらない。手が震えているせいだ。
満身創痍の状態で、そんな技を使って大丈夫なのかと玲於奈は心配になった。いや、大丈夫なわけが無い。体力の消耗は間違いなく傷に障る。だが今更止めることもできない。
少女は、刀を振り下ろした。
地平線までつんざくような赤い閃光。それに続いて爆発が起こる。揺さぶるような衝撃が身体中を駆け抜けた。
視界の中ではヨリイト虫たちが次々と爆発に飲まれ、赤い炎に焼かれていく。
玲於奈は手で目を覆いながらその様子に感嘆していた。
この光景を見るのは二度目だったが、変わらずすさまじい。
だが、今度の炎は全てを焼き尽くすほどに激しいのに、どこか不安定で危うい気もした。
爆発が収まったころ、玲於奈の使った雨降らしがようやく発動した。雲を集めるのに時間がかかったせいで遅くなっていたのだ。雨はすぐに土砂降りになり、たちどころに砂ぼこりを晴らしていく。
雨の中、ぐらりと少女の背中が傾いた。
二回目ですけど、まどマギ再放送今晩からですよ! 録画しました?
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