彼と彼女と宿敵の
「くそ、逃がした」
玲於奈は今しがた赤城が消えていった虚空を見つめて歯噛みした。
相手は自分のことを特別なタイプの分体、エボリューションだと言っていた。できればここで倒しておきたかった。
しかし逃げてしまったものは仕方がない。なにより一番重要な敵はまだ残っている。
彼は気持ちを切り替えると、マップを確認しながら巴の下に向かった。
宿敵ワイズを相手に巴は、予想外の苦戦を強いられていた。
この日、何発目か分からない紅一刃炎を使用する。
「はあああ!」
広がる一閃。そして火山が噴火するような激しい爆発。
強い光を前に目を細める。
しかし、
「シハハハハ、無駄だということが分からんのか」
余裕な態度でワイズは炎の中から出てきた。
思わず舌打ちが漏れる。
彼女の現在のスキルは刀Lv8と生命Lv4だ。そして紅一刃炎はレベルが上がったとは言えまだまだ体力消費は大きいようだ。すでに一度生命を使用して回復している。
「誤算だったかな、わしがスキルを持っていることは」
ワイズはンベエと舌を出したかと思うと、それを大きな水龍に変化させた。そして辺りの火を舐めるようにかき消していく。
気持ち悪い姿だ。十九個の脳を得てどれだけ知性を発達させても品性は手に入らないらしい。
舌をしまいおえるとワイズは訊いてもいないのに話し出した。
「これは水スキル三つ目の技で水龍と言ってな、本来ならばこの急流に敵を飲み込み、溺死させる能力なのだ」
「だったらそうしてみろよ」
相変わらずお喋りな奴だと巴は思いながら返事をした。
「シハハハハ、そうしたらどんな目に遭わされるかぐらいわしは見抜いておるぞ。舌の中でその爆発を起こすつもりなのだろう。そうはさせん」
彼女は黙って刀を振り、どうするか考えた。
しばらく体力勝負を仕掛けて粘ってみたが、相手は一向に疲れを見せない。その体力はさすが荒神だと言うべきなのだろう。このままでは先にバテるのは自分だ。
それならば次はいつもの方法で、残切を重ねるしかない。
巴は作戦を立てると、刀を構え、目の前の巨体に駆け寄った。いきなりは残切を使用しない。セオリー通り、閃華の中に混ぜていく。
しかし、初太刀がワイズの足で防がれた時だった。
急に刀が重くなった。刃の部分に何かが張り付いている。
「っ……!?」
動揺し、体勢が崩れたことと相まって一瞬動きが鈍らせてしまった。
致命的なミスだ。
その隙を逃すことはなく、ワイズの太い脚が彼女の身体を強く殴った。
腹部に強い衝撃。巴は何度も地面をバウンドしながら地面を転がっていく。
遠くでワイズが笑った。
「シハハハハ、残念だったな。このスキルは貴様の刀と相性が悪いらしい」
刀を支えに立とうとすると妙に身体が重い。まだ自分はやれるはずなのに。やっと宿敵に会えたのに。復讐の機会をようやく得たのに。
見れば殴られたところに、刀と同じ何かが付いていた。それがやけに重たく、動きを阻害しているのだ。手で掻き毟るがねばねばとしてなかなか取れない。
「何をした……」
「それは水スキル二つ目の技だ。鉛水と言い、殴った箇所に錘を張り付ける」
巴は舌打ちをした。
刀に付けられた分は再召喚すれば取れる。だが胴体はまずい。立ち上がれない。
「さて、食事の時間といこうか」
ワイズが口を開き、近寄ってくる。
「寄るんじゃねえよ! こっちに来るな!」
「シハハハハ、キーキーと良い声で鳴く」
「てめえ!」
こうなれば腕だけを振って口に刀を突き立ててやるかと巴が覚悟を決めた時、ワイズが急に後ろに下がった。
直後、塩酸臭い液体と一粒の小石が降ってくる。小石は半分糸に代わっており、糸には口が付いていた。
「大丈夫だったか」
落ち着いた、ゆったりとした声が後ろから聞こえてくる。
目で確認しなくても誰だか分かった。
「ここからは俺がやるから」
玲於奈が、巴を守るように彼女の前に立った。
玲於奈が見つけた時、巴は食われそうになっていた。
急いで拾っておいた石を投げる。これで勝負が決まれば良かったのだが、残念ながら避けられた。それでも敵を巴から引きはがすことには成功したので十分だろう。
巴には、だから言ったじゃないかとか、一人で抱え込みすぎるなよとか、いろいろ言いたいことはあったが、短く安否を尋ねるにとどめておいた。今は目の前の敵に集中しなければいけない。
ワイズがにわかに興奮して言った。
「おお! やっと来たか。待っていたぞ、秋山玲於奈!」
「俺を待っていた?」
「そうだとも。……む、赤城はどうした?」
「あいつなら自閉空間とやらに逃げて行ったぞ」
玲於奈が答えると、味方が減ったはずなのにむしろワイズは嬉しそうな声を出した。
「ほっほう。赤城を退けてきたのか。さすが稀なる魂だな」
「稀なる魂……?」
眉をひそめ、相手の言った言葉を繰り返す。繰り返したところで意味は分からなかったが。
ワイズは早口になり、口から泡を飛ばして言った。
「そうだ、お前のことだ、秋山玲於奈。お前を初めて見つけた時からわしはずっとお前を見てきた。ミツマタノチノミに絡まれた時、お前の頭を鉛水で保護してやったのもわしなんだぞ。あいつらに取られてはかなわんからな。もともと先に見つけたのはわしだったんだ」
「……どうしてそんなに俺を?」
意味が分からなかった。巴との因縁があったのではないのだろうか。自分はむしろ部外者であるはずだった。
そこでワイズはいくらか気を鎮め、ふむと唸った。
「自分が何者か知らんのか。ルーレットであれほどの武器を得ておきながら。しかし無知とはそういうものかもしれん」
「ルーレットに何の関係があるって言うんだ?」
まったく先の見えない話に玲於奈が眉をひそめると、ワイズはちらりと後ろの巴を覗き見た。
「そこの子娘もそうだが、シークレットを引いたのは運ではない。あのルーレットは本人の魂の質に反応して出目が決まる。高級な魂を持つ者は当たりを引き、低級な魂しか持たぬものは外れを引くようにできている」
「じゃあ……」
「そうだ! その中でもあのナイフを引いたお前は特に特別だ! 知らずに身体が動いたことはないか? 勝手にスキルの正しい使い方が分かったとこは? それらは全て、貴様の魂が選択したことなのだ!」
ワイズはよだれを滝のように口から出しながら叫んだ。
自分がそんなに高尚な存在だとは信じられなかった。平凡な一介の高校生に過ぎないと思っていた。
「信じようと信じまいと関係ない。さあ、貴様の存在をわしに寄こせ!」
ワイズが大きく口を開け、水龍を出してきた。
咄嗟に障壁を張り、ガードする。
しかし、障壁に当たる直前、龍の首が二股に別れた。
「なっ……!」
巴であれば刀で龍の首を斬り払えたのであろうが、こういう時、玲於奈に対抗策は存在しない。腕を大口に変え、龍の頭に噛みつこうとして、そのまま飲み込まれる。
「玲於奈!」
流される直前、巴が自分の名前を呼ぶのが聞こえた。
(分かってるよ!)
このまま押し流されるわけにはいかない。なんとか脱出しようと、腕の口を開ける。そしてそのまま全て飲み干そうとした。しかし相手の水は全てスキルによるものなので、玲於奈の大口が無限の容量を持つように相手の水にも限りがない。
玲於奈は水から鋼糸を突き出すと、それで触ったもの全てに掴まった。数秒後、運よく近くの家の玄関の段差に引っ掛かり、そこを頼りに必死に抜け出す。
「ゲホッ、ゲホゲホッ」
スキルを解除したワイズが話しかけてくる。
「まだ意識があるのか。面倒な奴だな」
ワイズは玲於奈を殺すことはできない。生きたまま口に入れなければ存在を獲得することはできないからだ。理想としては今の攻撃で気を失わせておきたかった。
だが、ひっそりとワイズはほくそ笑んだ。すでに布石は打った。あとは上手く口に運ぶだけである。
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