彼をうんざりさせるものはケチャップ
秋山玲於奈はごくごく平凡なオタク男子高校生である。
将来に希望を持っておらず、勉強やスポーツ、その他の個人的な趣味に没頭するわけでもない。ついでに言えば友達も少ない。同じことを繰り返すだけの毎日だ。
しかし彼は自分の人生に空しさを覚えたことは一度も無かった。むしろ誰よりも生の喜びを享受していると自覚していた。
それは彼が齢十六にして己の生まれてきた意味を見つけているからだ。
「なあ、俺があの娘と付き合ったらどんなデートしたらいいかな? やっぱり千葉のアミューズメント施設? 初デートで行ったら失敗するって有名だけど、俺とあの娘だったら別にただ二人で並んで立っているだけでも楽しめると思うんだよ」
学校帰りのバーガーショップ。玲於奈は唯一の友人にデートの相談を持ち掛けていた。
彼の表情は真剣そのものであり、話を聞いていた周囲の人間からは恋に悩む微笑ましい若者に見えていただろう。
しかし目の前に座る友人、小野寺はその異常性を理解していた。
「あのさぁ、秋山氏。いい加減に脳内彼女のこと『あの娘』って呼ぶの止めなよ。やっぱりそれはおかしいって」
そう、玲於奈に彼女など居ないのである。彼は彼女も居ないのに真剣にデートの計画を練っているのだ。
友人に否定された玲於奈はナゲットを振り上げ、反論を口にした。
「俺のあの娘を妄想なんかと一緒にしないで欲しいね。俺は空想と付き合っているんじゃない。いつか出会う理想の彼女のことを話しているんだ。それともお前は理想を追い求める人間にどうせ無理だとでも言うつもりか?」
「そんなつもりはないけどさぁ」
小野寺は若干口ごもった。
「秋山氏の理想の追い求め方は何て言うかちょっと不健全なんだよ」
「『頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても平等に思いやりを持って接するが、まだキスもしたことが無いほど初心で年下の彼女』を求めることのどこが不健全だ! 誰だってそういう相手を探し求めるものだろ!」
大声を出して、ナゲットを振り回す。すると慣性で飛んだケチャップが袖に付着した。
「うわっ、飛んじゃった」
慌ててナプキンで拭きとるも、良く見える場所に赤い染みが残ってしまった。それを見ていたら急に気持ちがなえてきて、玲於奈は椅子の背もたれにもたれかかった。
「はぁ~。早く理想の彼女に会いて~」
会ったことも無いのに気持ちは募っていく。相手の存在しない不思議な恋煩いだ。
玲於奈の想いは本気であり、それを叶えるためだけの熱意もある。だがあまり派手に探す努力はできなかった。高校二年生である彼にとっての年下となれば高校一年生か中学生以下になってしまう。他校の女子高生や中学生をじろじろ見ていると、高校生でもお巡りさんから職質を受けることになるのだ。流石に小学生と付き合おうとは思えない。
「もうちょっと妥協してさ、同級生と付き合おうとは思わない? 今、教室で秋山氏の隣の席の田島さん、美人だし成績もいいし、性格も悪くないんじゃない?」
「あの娘以外の女子なんか案山子にしか見えない」
にべもなく言う玲於奈を見つめて、小野寺はどうしようもないと首を振った。
「そんなに会いたいなら、もう魔法のアプリにでも頼るしかないね」
「魔法のアプリ?」
玲於奈は顔を起こし、目を小野寺に向けて訊き返した。
オカルト好きの小野寺はときどきこうして妙な都市伝説の話を持ってくる。だいたいはどこかで聞いたことがある話の改変版なのだが、魔法のアプリは玲於奈も聞いたことのない話だった。
「うん、何でも願いを叶えてくれるアプリなんだって」
「へえ、それはいいな」
ぜひとも欲しい。それで早く理想の彼女に会って、薔薇色の日々を送りたい。
しかし小野寺の次の言葉で、玲於奈のわずかに高まった期待は地に落とされた。
「すごいよね。ニュートンもそれで万有引力を発見したらしいよ」
「……ニュートンの時代にスマホはないだろ」
二人はその後もだらだらと暇をつぶし、小野寺の塾の時間になったところで別れた。
平凡な高校生活。そして人生。このままであれば玲於奈は生涯独身となる運命だったのかもしれない。夢とは叶わないものの方が圧倒的に多いものだから。結局のところ、夢を掴むのは一握りの人間だけである。
しかしこの日玲於奈は偶然、夢への扉を開くこととなる。
きっかけは一枚のチラシだった。
駅のホームで電車の待ち合わせをしていた時、目の前の柱に貼られたチラシが目に入った。まだ張られて日が浅いのだろう。真新しい紙だ。
『叶えたい夢がある人必見の神アプリ!』
そんなありきたりな見出しが書かれている。その下には短い本文とQRコードが用意されていた。
小野寺の言っていた魔法のアプリのことを思い出しつつ、暇だった玲於奈の目はそれを追いかけてしまう。そして本文の一部に目を止めた。
『理想の彼女に出会えます!』
理想の彼女。玲於奈の人生の最終目標だ。その文字を見るだけで心が動かされる。
決してそのアプリが魔法のアプリだと思ったわけではない。ましてや広告の内容を真に受けたわけでもない。どうせ出会い系か何かだろう。
だが、人は自分が興味がある分野だとついつい引き寄せられてしまうものだ。
思わず玲於奈はQRコードを読み取り、リンク先のアプリをインストールした。所詮は電車が来るまでの暇つぶしだと自分に言い訳しながら。
新しく表示された『ドリームキャッチワンダーランド』というアイコンをタップして、利用規約に同意。ユーザーネームを登録。そして願いの欄に『頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても平等に思いやりを持って接するが、まだキスもしたことが無いほど初心で年下の彼女が欲しい』と記入した。
たったこれだけ。この気まぐれな行いが玲於奈の運命を変えた。
そしてこれが〈彼女〉との関係の始まりでもある。
次の瞬間、玲於奈は真っ暗闇の中に立っていた。
「停電?」
最初に出てきたのはそんな言葉だった。
だが停電のはずがない。彼は先ほどまで駅のホームに立っていたのだから、太陽の明かりに照らされていたはずである。仮に停電だったとしても、真っ暗になることはありえない。何よりすぐ近くで街灯が点いているではないか。
そこでひゅうと、気持ちのいい、夜風と呼ぶにふさわしい風が吹いて、玲於奈をさらに混乱させた。
何故だろうか。あらゆる情報が、今が夜だと知らせている。先ほどまで昼だったはずなのに。
徐々に目が慣れてくると、さらなる奇妙な点を発見した。
玲於奈の両わきをブロック塀が囲っている。つまり彼は狭い道の真ん中に立っているのだ。当然ながら彼が先ほどまで居たホームにそんなものはなかった。
「ええー」
どうしたらいいのか分からず、玲於奈は立ちすくんでしまった。
何か大規模な事件が起きたのかと思い、ニュースを確認しようとその場でスマホを使って色々試すも、電話もネットも全く機能していないようだった。使えるのはライトやカメラなどのスマホに付属する機能、そして例のアプリぐらいである。
「もしかして、いや、もしかしなくても、このアプリが原因か?」
スマホの画面から突然理想の彼女が飛び出て来て一緒に住むことになる展開までは想定していたが、急に知らない夜の街に放り出されるのは予想外だ。
玲於奈がアプリを起動して色々と調べようとした時、遠くから物音が聞こえてきた。彼は素早く反応し、物音がする方をじっと見つめた。
徐々に物音は大きくなる。それはキュルキュルと古い木が軋むような音だった。
(荷車?)
荷車ではない。
一番近くの街灯の下、最初の一匹が現れた瞬間、玲於奈は大きく目を見開いた。
それはでかくてもさもさと毛の生えた蜘蛛だった。後ろからも続々とやってくる。大きさは子犬ほどであり、八本の足をカサカサと動かして大量に迫ってくる。足の先がオレンジ色の蛍光色に光っており、暗闇の中でのそれは鬼火を連想させる。
目の前の光景に玲於奈は、
「わああああああああああああああああああああああー!!!!!」
大声を上げて逃げ出した。
これまであらゆる理想の彼女に出会うパターンを脳内で予習していた玲於奈だったが、巨大な虫に出会う状況は一度も想定したことがない。
間違いなく彼の生涯で最も速い走りで見知らぬ夜道を駆け抜ける。その圧倒的スピードのおかげでぐんぐん得体のしれない虫との距離は広がっていった。
だが、悲しいかな。文化部で電車通学の彼に全速力で走り続ける体力があるはずもなく、すぐに息が切れてしまった。
後ろを見ると、まだ謎の虫たちは追ってきている。先ほどよりも数が増えたようだ。
「ハァハァ、オェ……。くそ……」
急な運動をしたことで脇腹が痛み始めた。
(逃げ切れるか……?)
逃げるしかない、死にたくなければ。
一瞬浮かんだ不安を押し殺して、玲於奈は再び走り出そうとする。
その時だった。
「邪魔」
凛とした声が響いた。
玲於奈の横を冷たい風が通り抜けていく。
目に入ったのは小さな後ろ姿と、体形に合っていない白の厚手のパーカー。
「お、おい」
声をかける玲於奈を無視して、その人物は前に出た。
手には長い刀を持っている。
「こんなに集めて……」
そう呟くと、腰を落として水平に刀を振り上げた。
素人の玲於奈から見ても堂に入った構えだった。思わず逃げるのも忘れて見入ってしまう。
気が付けば、振り上げられた刀が白く染まり、高熱を発していた。発せられる熱気に顔を焼かれ、玲於奈は思わず一歩さがる。
蜘蛛たちが迫ってくる。だが目の前の小さな背中に虫を恐れる様子は毛ほども無い。
そしてある程度の距離まで虫たちが再び近づいて来ると、
「はぁああ!」
刀が振り下ろされた。
鋭い一筋の炎。見る者の虚を突くような一瞬の間をおいて、炸裂。
爆発が起き、轟音と爆風が巻き起こる。
見る者の目を焼く閃光に、玲於奈は思わず腕で顔を覆った。
いったい何が起きているのかちっとも理解できなかった。彼はただ可愛い彼女が欲しいと願っただけなのに、どうしてこうなってしまったのか。
しばらくして爆風が収まり、玲於奈がゆっくりと目を開けると、そこには焼野原を背景に一人の少女がイヤホンを付けながら気怠そうにスマホを弄っていた。
スマホからピコンという音が鳴った。
ヒロイン「いや~、さすがわたしだな~。カッコイイな~」
玲於奈「自分で言うのか……」
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