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EP/2:一葉落ちて天下の秋を知る

《2-1》

 年齢を重ねる度に、季節が変わる事に気づくのが遅くなっている気がする。

オレが幼い頃、夏であれば17時までには家に帰るという保護者との約束が、秋になれば暗くなる前に帰るという約束に変わる事が多かった。これは同じ門限時の刻でも日没が早くなっている事を考慮しての事だったのだが、オレは保護者からそう言われる前に「あ、そろそろ暗くなる前に帰って来いっていうパターンになるな」と自分で気が付くことがほとんどだった。それは暦上の理由やニュースで秋めいてきたことが伝えられる前に、毎日外で遊んでいた事で日に日に気温が低くなっている事や、陽が落ちる時間が早くなっている事、夕日で鰯雲が赤く染められている事に幼ながらに気が付いていたからなのだろう。ところが今の年齢になり仕事が生活の中心になってからは、朝に働いて夜に帰るという流れが定着し、意識しないと空なんか見上げないのが当たり前になってしまうものだ。そういう視点で考えると、オレの職場のように息抜きがてら遠目で野球部の練習を見学できる環境があることはとても恵まれているのかもしれない。あの頃、目に映っていた景色が今よりもずっと濃い色だったように思えるのは何故なのだろうか。

「すまないな、急に呼び出したりして。明日は土曜日だから学校は休みだろう?あまり遅くまで付き合わせるつもりはないが、帰りはオレが車で送っていくことは親御さんには伝えてあるから安心してくれ。」

「は、はい。えっと、ありがとうございます。」

オレは自分が子どもだった時の事をなんとなく思い出しながら、緊張で顔を強張らせている女子中学生へ声をかけた。ウチの高校の生徒や職員以外の人間がこの機関室に訪れるのが久しぶりな事もあり、今時の中学生は何を好んで飲むのかなんて全然わからなかったので、オレは今回のカウンセリングの発端になった『彼女』に頼んで、購買部でココアを買ってきてもらった。

「そんなに緊張しないで大丈夫なのよ。別にこのお兄さんは、これから貴女を尋問してなにかを聞き出そうなんて微塵も思っていないのだから。だから安心してね。」

『彼女』はそう言いながら中学生を機関室のソファに自然な流れで座らせ、テーブルにココアを運んできてくれた。

「ありがとうございます。あの、この間会った時と雰囲気がかなり違うんですが、本当にシンブンブさん、なんですか?」

「あー……まぁ、今は深く考えないで大丈夫だよ。彼女の言う通り、オレも彼女もキミになにか危害を与えたり、圧力をかけるつもりもないから安心してほしい。なんだったら楽な座り方で構わないから。オレは教師でもないし、そんなこと気にしないからね。」

オレの話に合わせるように、彼女も中学生に向かって優しく微笑みかけた。

『彼女』はシンブンブと同じ体にいるもう一人のシンブンブのようなものだ。初めてであったのは去年の冬だが、シンブンブと同様、オレの活動のサポートをしてくれている。オレが彼女の事に対して違う人格の人間と断言できないのは、彼女の存在が心理学で言うところの解離性症候群、いわゆる二重人格とは異なる点が多いからである。彼女とシンブンブは異なる人格ではあるが、お互いを同じ人間だと認識し合っており、記憶や体験の共有が可能なことから、一言で二重人格とは言い切れない状態なのだ。しかし、今それを中学生に説明しても混乱するだけだと考えたオレは、詳しい説明を省いて本題に取り掛かる事にした。彼女自身も中学生に詳しく話し始めないことから、おそらくはオレと同じ判断に至ったのだろう。

「えっと、じゃあ改めて。今日はわざわざ来てくれてありがとう。早速で申し訳ないんだけど、先日、キミから彼女に話した内容を、もう一度聴かせてもらえるかな。」

中学生は彼女の雰囲気の違いに納得していない様子だったが、目の前に出されたココアを一口飲むと、オレの言葉に小さく頷いてくれた。




行き詰り気味だったお嬢についての調査は、久しぶりに機関室へと訪れた彼女によって、新たな展開を迎えていた。普段のシンブンブなら学校に来ているかどうか、むしろ起きているかどうかも疑わしいような時間帯に機関室をノックしてきた時は多少驚いたが、機関室に訪れた時の様子ですぐにシンブンブではなく彼女である事に気が付いた。

「どうした、噂の幽霊探しは進展しているのか?もし万が一、遭遇できたなら是非ともサインをもらってきてくれよ。」

彼女はオレの軽口に小さく肩をすくめる程度の反応しか見せず、落ち着いた様子で機関室に入ってきた。彼女は肩まで伸びた淡く茶色い髪を紅葉がデザインされた髪留めでまとめており、肌寒い気温が続くようになった最近は制服のブレザーの下にベージュのカーディガンを着ていた。普段は首から小型のデジカメを下げている事が多いが、今日は特にそういった特殊な装備はしていなかった。

「残念だけど、とてもシャイな幽霊さんみたいなの。みんな見かけているのに、声をかけたらサッと逃げて行ってしまうのですって。目立ちたがりの恥ずかしがり屋さん、おまけにそれが幽霊だなんて。稀有な存在よね。」

彼女はそう言うと、相談者の応対用に用意されているソファに座って鞄から数枚の書類を出し始めたが、彼女はそのまま話を続けた。

「そんなことより、まずは『あの子』の代わりに謝らないといけないわ。貴方から書類整頓を手伝いうように言われていたんですってね。あの子ったら、そんなことアタシに教えてくれなかったの。だから私もわからなかったから、本当にごめんなさいね。」

「なに、気にしないでくれ。オレはお前じゃなく、シンブンブに手伝うように言ったんだからな。存在しないものを追いかけている暇があるならって言ってな。」

そうか。アイツ、わざと記憶共有しなかったんだな。

と言うか、そんな事もできるのか。

「あら、貴方は幽霊について否定派なのね。」 

「いや、まぁ、いたら面白いとは思うけどな。普通に考えて幽霊はちょっと、な。」

オレは彼女の言葉に歯切れの悪い言葉を返してしまう。彼女は「ふぅん」なんて答えていたが、オレは彼女に変な誤解をされていない事を心の奥底で祈った。

「そんなことより、お前の方でなにかあったのか?まさか、その事を謝る為にこんな朝早く此処に来たのか?」

「いいえ、それだけなら今日の放課後でも大丈夫だったのだけれど、それだけじゃなったのよ。あの子が目が覚める前に私が先に起きてしまえば、おそらく今日一日は私でいられるわ。そうしないと、あの子はこの件についても一人で動き始めてしまうわ。」

彼女は真剣な表情でそう言うと、鞄に入っていたクリアファイルをオレに差し出してきた。

「なんだ、それ。」

「貴方と私宛にですって。読んでわかるようなものなら苦労はないわ。」

オレは彼女から渡されたクリアファイルに入っていた紙を広げ、その内容を読む。

「……なんだ、これ。」

「だから、読んでわかるようなものなら苦労はないわ。」




「……で、このメールをこの学校の【ブロウズ】であるオレに読んでもらう為に、キミが高校まで来てくれたんだな。」

「はい、図書館にいた人たちに聞いてみたら、シンブンブっていう人に言えば機関の人に渡してもらえると聞いたので、シンブンブ先輩を探していたんです。運良く生徒会の人に聞く事ができたので良かったのですが。」

中学生はそう話すと、マグカップにわずかに残ったココアを飲み切った。

「うーん。キミはこのメールについて、なにかわかることはあるかい?どんな事でも構わない、オレよりもキミの方がお嬢の事をよく知っているだろうからね。」

中学生はオレが差し出した紙を受け取り、改めてその文面に目を向けてはいるが、読み終えたタイミングで眉をひそめ、首を横に振った。

 お嬢と中学生は、家が近所と言う事もあって小さい頃から良く遊んでいた幼馴染だそうだ。年齢は少し離れていたので同じ学校に通えたのは小学校までだったそうだが、お嬢はよく中学生の勉強や部活についてのアドバイスをしていたらしく、中学生の方もお嬢の事を慕っており、なにか小さな悩みでも真っ先にお嬢に連絡を取っていたと話してくれた。しかし最近は朝、玄関先でも会う事がなく、気になって何度か自分から連絡を取ってみたが、お嬢からは返信はなかったそうだ。

「やっと連絡が返ってきたので安心しましたが、読んでみたら、こんな文章で、違う意味で心配になったんです。このメール以降は返事も来ないし、ウチの親に聞いてみたら先輩の部屋のカーテンはずっと閉まったままで、外に出てもいないと言っていたので、急いでメールを印刷して先輩の高校に来たんです。私には先輩が何を言いたいのかわかりませんが、お二人なら、なにかわかるかなって。」

中学生はお嬢が心配な一心で、何が起きているかも分からない不安を抱えたままオレ達に会いに来てくれたらしい。しかし、今のままではオレ達にもお嬢からのメッセージの真意については理解できていない。オレは今の状況でこのまま中学生をここに拘束させるわけにはいかないので、18時を回って陽がすっかり落ちたタイミングで、今日のところは彼女を助手席に乗せて中学生を家まで送ることにした。帰りの車の中では、中学生がウチの高校についていろいろ質問してきたが、オレの代わりに彼女が全て応えてくれていた。家に着く頃には彼女と中学生はすっかり打ち解けており、別れ際にお互いの連絡先を交換していた。年齢は違っても、こういうところは若い女の子同士と言うか、距離が縮まる早さはさすがだなとオレは感じていた。

「あの後輩ちゃん、とても良い子だったわね。あんな子に慕われているなんて、お嬢先輩の噂に違わぬ人望を感じたわ。」

「あぁ、そうでなければ、お嬢の言う通りにわざわざ部活を休んでまでオレのところに訪ねて来ないだろうな。」

オレは右腕で頬杖をしながら彼女の言葉に応え、再び学校に向けて車を走らせる。オレは彼女についで家の前まで送っていくか聞いてみたが、彼女もまだ学校でやる事があるらしく、結局は二人で学校に戻ることになった。

車内ではオーディオから控えめな音で音楽が流れている。

たしかこれは、最近若い連中の間で流行っているバンドの曲だったな。

なんて名前だったっけ。えぇと。

「それで、貴方はどう思ったのかしら。」

オレが流行りのバンド名を思い出そうとしていた時、彼女は窓の外を見ながら話し始めた。

「正直なところ、私にもまだあの文面に込められた真意はわからないわ。でも、表向きに書かれた字だけを読んでも、お嬢先輩があまり身の安全が保障されているとは思えない状況なのは確かね。」

彼女の言う通り、オレとシンブンブ宛に書かれたとされるメールにはお嬢自身の今の状況が明確に書かれていたわけではなかったが、文面を察するに、これはオレ宛のSOSだと捉えて間違いないものだった。おそらくあの中学生も、文章の意味はわからないと言っていたが、助けを求めていることは察していたはずだ。

「早合点はあまり推奨しないが、オレも急ぎの案件だってことはわかった。学校に着いたら詳しく教えるが、オレが今調査していた案件とも関係が深そうだ。お前はどうする?まだ存在しない不審者を追いかけるか?」

オレの言葉に、彼女は先ほどと同じように肩をすくめた。

「貴方、そんなに幽霊の噂が嫌なの?そんなに怖がらなくてもいいでしょう。私もあまり幽霊は信じていないわ。」

心の中にいくつか懸念されていた嫌な予感のうち、その一つが現実となってしまった事に気付いたオレは、彼女の言葉への返事の代わりに大きな溜め息をついた。


「ところでお前、お嬢にはちゃんと先輩って付けるんだな。」

「あら、そんなの当たり前でしょう。」


「自分の尊敬している人が、何も知らない他人に見下されていたら不愉快でしょう?もしあの中学生が貴方の事を少しでも小馬鹿にしていたら、私も同じようにお嬢先輩のことを際限なく罵っていたと思うわ。私は、自分がやられたら自分でやり返す主義なの。誰にもそんなこと頼まないわ。もちろんそれはあの子も同じはずよ。」




《2-2》

「なに、それ。」

「さっき話したでしょ?このメールを解読するのよ、これから。」

そういって目の前に座っている女子生徒は、鞄からクリアファイルを取り出してボクの前に差し出してくる。ボクはその中に挟まれていた紙を取り出して目を通す。

「……なに、これ。」

「それがわかんないから一緒にやるんでしょぉ?ほら、まずはこの漢字だらけの文をひらがなに戻してみるところから始めるわよ!」


土曜日。本来なら学校に来る用事なんて部活動や仕事を片付けに来た教員くらいのものだろうが、ボクは来月に差し迫った学園祭の打ち合わせの為に学校に来ていた。正しくは、本来ならその為に学校に来ていたはずだったが、ボクは今なぜか機関室でシンブンブと二人で机を挟んで座っている。打ち合わせ中の生徒会室に突然現れたシンブンブは「ちょっとコレお借り拝借します」という不思議な言葉を放ち、ボクをここまで強引に引っ張ってきたのだ。シンブンブは照れる様子もなくボクの右手を掴んで大股で歩きつつ、機関室に到着する間に詳しい事情を話してくれた。

「つまり、これが件のお嬢先輩からのSOSメールで、幼馴染である中学生が届けてくれたと。でもこの文章にはもしかすると助けを求める以外の暗号めいたものも込められているんじゃないかと。それでセンセイがカウンセリングに行っている間、キミはこのメールの解読を任された、と。」

ボクは印刷されたメールにもう一度目を通しながら、シンブンブに今の状況の確認をする。

「そうなの。でもアタシそういう暗号とか、隠されたメッセージとか、ミステリ的な推理って全然できないのよ。でもキミならできるかもって思ったから、忙しいところ申し訳ないけど、任意で同行してもらったってわけ。」

任意。ボクは一言だってこの同行を認めた事はなかったはずだが、どうやらシンブンブにとってはあれが任意での同行らしい。週が明けたら、委員会や学園祭の実行委員にちゃんと事情を説明しよう。もちろん、シンブンブには任意同行の本来の手筈も。

「うん。まぁ、それは構わないけど、それよりも本当にこのメールにそんな暗号めいたものが含まれてるのかはぎもんだけどね。」

ボクはそう言いながら、シンブンブに握られた右手の感触を思い出しつつ、渡された紙を機関室の応接机に置く。



件名:久しぶり

本文:急にごめんね。ウチの高校にいるシンブンブさんに頼まれていた校内新聞に載せる「不安」がテーマの詩なんだけど、私は今ちょっと家の事で学校に行けなくて。時間がある時で構わないから、このメールを印刷して渡してもらえないかな。新しく完成した図書館は中学生のあなたでもはいれるし、彼女に言えば、すぐにわかってくれるはずだから。あと、なんだか恥ずかしいから印刷したらメールは消してね!(笑)


暗くて永遠の様な、夜がまた私を襲ってくる。

永遠の家族の愛も、奈落の蠍によって毒された。

擦り寄る蛇が、落日に眠る魂を狙っている。

今日の終わりを願い、明日を待てずに時計を進める。

夜明けを告げる天秤の鳥へ。



お嬢先輩から中学生へ送られたメールは、件名も含めてこれが全文だ。

「件名は中学生への挨拶、本文の前半はシンブンブへ渡してほしいって意味なんだろうけど、うちの校内新聞に詩を載せるようなコーナーなんてあった?」

ボクも一応は生徒会に所属する身なので、そういった生徒による学校内での活動はある程度把握しているはずだが、そんなコーナーがあったのは初耳だった。

「うーん、詩に限った話じゃないけど、少し前までは生徒からの詩とか俳句、コラムなんかを載せる企画はあったのよ。でも最近はバンド愛好会のライブの告知なんかに使われているみたい。アタシは取材班だから、記事の企画までは関わっていなかったからさぁ。」

そう言いながらシンブンブは鞄から校内新聞をいくつか取り出し、投稿コーナーの部分を指さしてくれた。その欄にはたしかにバンド愛好会のライブ告知が小さく載っているだけで、詩や俳句の投稿は見当たらなかった。

「過去の記事も調べてみたけど、お嬢先輩の名義で投稿されたものはなかったみたい。当然ペンネームを使っている可能性も考えたけれど、過去の投稿内容から言ってその線は薄いわ。いくら人望があるって言っても、他人の活動の告知なんかを請け負うようなタイプじゃなかったみたいだし。」

シンブンブは、普段の向こう見ずな行動からは考えられないような冷静な判断と真剣な表情で説明してくれた。もちろんボクもその考え方に反論はない。おそらくお嬢先輩は校内新聞の投稿コーナーをカモフラージュに、シンブンブへこのメールを届けてもらう事が目的だったのだろう。先ほどシンブンブから聞いた話によれば、お嬢先輩は会社の社長である父親から家の外へ出させてもらえない状況にいる可能性があるとのことだった。もしそうならば、外への連絡手段である携帯やパソコンなどの通信機器の内容も父親に見られていることも考えられる。こういった緊急時の連絡手段は現実にもしばしば見られるもので、例えば宅配ピザに電話をかけるふりをして警察に連絡し、家に強盗が来て立て篭もっている状況を隠語やメニュー表などを利用して伝え、犯人逮捕へ繋がったという実例もあると聞いた事がある。お嬢先輩も限られた条件の中で、今の状況を外部へ伝える方法を考えた結果、このような方法に至ったのだろう。文末にも自然な形でメールを消すよう指示がされており、お嬢先輩も当然送信したメールは消去していると考えるのが妥当だ。しかし残念な事に今の時代、送信履歴から消去したとしてもメールを復元する方法はいくらでも存在しているのも、また事実だ。だからこそ、お嬢先輩はあのような文章にしたのだろう。

「なるほど、じゃあ、何についての暗号なのか、そういう情報はないの?」

「それなのよぉ、問題は。隠されたメッセージがあると言っても、それが何を示すものなのかが見当つかないの。アイツに聞いても、そういうのは同じ目線に立てるお前が一番わかるハズだ、なんて言ってカウンセリングに行っちゃうし。助けてほしいって意味なら解読しなくたってなんとなくわかるでしょう?わざわざこんな小難しい言葉使ってくるんだもん、絶対なんかあるはずなのよ。キシャのカンってやつ。」

どこの女弁護士だ、なんてツッコミが出そうにもなったが、ここは抑えるべきなのだろう。ボクは小さく咳払いをして、メールから目を離さずに机に出されていたホットココアを一口飲む。

「確かにお嬢先輩も同じ高校生だからね、高校生が思いつくことは高校生が一番理解できるはずってことなのか。うーん。」

暗号の解読。映画や小説などで暗号が使われる場面と言うのは、そのほとんどが隠された財宝の在り処や、自分を殺した犯人を示すダイイングメッセージなどが通例なのだろうが、今回の場合、なにを隠しているのか、何を知らせようとしているのかが全く分からない。そもそも周囲の人間に何かを隠して伝えなければいけないような事があるのだろうか。しかし、だからと言ってそれについてお嬢先輩の関係者に確かめる事や、周囲のミステリファンにこのメールを見せて解読してもらう事もおそらくは不可能だ。本来ならば【ブロウズ】の活動に生徒が加担することはあまり望ましい事ではないし、その上でシンブンブがボクに手伝いを頼んできたという事は、ボクをこの件に関わらせることをセンセイに許可されていると考えるべきだろう。本当ならボクも【ブロウズ】の活動の手助けをするのは本意ではない立場だが、センセイには返しきれない恩と後ろめたさがあるのも事実だ。

「それにしてもヒントと言うか、ここまでする目的すら見えないなぁ。」

おそらく暗号自体はセンセイが言った通り、高校生が考えつくレベルのものだと思って間違いないだろう。もしお嬢先輩が生粋のミステリファンだとしても、トリックを解くだけでなく思いつくレベルとは少し考えにくい。シンブンブの取材によると、旧図書館の頃にお嬢先輩が借りた本なども調べたようだったが、そのほとんどが美術に関するもので、暗号に繋がるようなものはなく、周囲への取材でもそういったミステリに関する話題は挙がらなかったようだ。シンブンブはおそらくメールの原文を必死にひらがなに直しているのだろう。これと言って何か話す様子もなく、紙に文字が描かれていく音だけが静かに響いている。


ボクはふと、あることを思いつく。


「あのさ、別に悪意があって言うんじゃないんだけど、聞いても良い?」

「ん?ほうひはの?」

ボクがその変な口調に驚いて前に目を向けると、シンブンブはメールの文章を違う紙に書き写しながら、いつの間にか小さいビニールの袋から最近発売されたクルミ入りのブラウニーのお菓子を口の中いっぱいに頬張っていた。

「……せめてボクにも一つくれよ。ちゃんと手伝うって言ってるんだからさ。」

慌ててお菓子を飲み込んだシンブンブは「ごめんねぇ」と笑いながら食べかけのブラウニーを半分に割ってボクに差し出してくれた。これではまるでボクがお菓子をせがんだみたいになってしまうじゃないか。ボクはお菓子を受け取りながらも、すぐにシンブンブに本当に聞きたかった事について話す。

「参考までに聞きたいんだけど、その、シンブンブじゃなくて、彼女はこのメールについてなにか言ってた?」

シンブンブの中にいるもう一人の彼女。ボクは奴休み中に彼女と話して以来、あまり接する機会はないが、彼女もボク達と同じ高校生のはずだ。彼女はこのメールについてどう思ったのだろうか。

「あぁ、あの子?そうね、ずいぶん詩篇的な文章を書くのね、とかなんとか言ってたけど、なにか他に意味が込められている事についてはあの子も同じ考えだったわ。ていうか、そもそもセイトカイに手伝ってもらう案も、あの子がアイツに提案したのよ?」

ボクはシンブンブの言葉に安心したような、驚いたような、不思議な気持ちだった。彼女はボクの存在についてなにか思うところがあるのだとばかり思っていた。あの事件を起こしたボクが休学空けに機関室に挨拶に行った時も、センセイもシンブンブもおかえり!と書かれた小さな横断幕を持って「罪を憎んで人を憎まず、だぜ。」と親指を立てて迎えてくれてはいたが、彼女とはあれ以降一度も話せていない。だからと言ってシンブンブに彼女と話したい、なんて軽はずみに言うべきではないとも思っていたので、結局は何も話せないまま秋を迎えてしまったのだ。

「そ、そうなのか。ボクはてっきり、夏休みのことで彼女から良く思われていないと思ってたから、少し意外だったよ。」

シンブンブもボクの言葉が意外だったのか、メールの本文をひらがなに戻す作業を止めてこちらを見てくる。

「え、そうだったの?もう大丈夫なんじゃないかな。もしそうだったら、たぶんそんな提案してこないと思うんだけど。あ、なんなら今から直接話してみる?」

ボクはシンブンブの言葉に動揺してしまった。日を改めてならともかく今からと言う事はつまり、今ボクの目の前で彼女とシンブンブが入れ替わると言う事だろうか。それは確かに興味深い事ではあるが、シンブンブと彼女について詳しい事情を知らないボクには、その入れ替わる事が心身の負担になるのではないかと心配になってしまう。

「そ、それって大丈夫なの?なんと言うか、入れ替わって話した後に急に疲れて眠ってしまったりとか、一日に入れ替われる回数が決まっているとか、そういうもの負担になったりしないの?」

「アハハ、なにそれマンガの読み過ぎだって。大丈夫よ。ちょっとだけ待ってねぇ。」

シンブンブはボクの言葉が可笑しかったのか、笑いながらそう言うと持っていたシャーペンを机に置き、応接用のソファに寄りかかって目を閉じた。

シンブンブはゆっくりと、眠るように呼吸をしている。

汗ばんでいる様子や、苦しそうな様子はない。本当に大丈夫なのだろうか。




「でもホントに大丈夫なのかい、あの二人だけで行動させちまって。」

カウンセリングを終えて一息ついていたオレがお茶を飲み終えたタイミングで、棚の奥から心配そうな声が聞こえた。

「あいつらなら大丈夫だって。今頃必死に暗号文と向き合っているか、彼女とセイトカイが久しぶりに顔を合わせた頃じゃないかな。もしあの二人が言い争いになったとしても、それはそれで必要な事だよ。夏休みの一件以来、まともに話してなかったみたいだからさ。」




目の前に座っている女子生徒が目を開けた瞬間、先ほどまでシンブンブだったはずの人間が、そうではなくなっている事にすぐ気が付いた。顔も声も服装も、口の横に着いたブラウニーのかけらも何も変わっていないのに、こんなにも違う人間のように感じるのか。ボクは何も言えないまま、『彼女』をぼうっと見つめていた。


「お久しぶりね。ちゃんと顔を合わせるのはたしか、夏休み以来かしら。」




《2-3》

 この学校の購買部は、おそらくどの学校のそれと比べても明らかに異質なものだろう。生徒用に入荷された文房具や参考書類、ジャージや体育用の靴、おそらく女子生徒からの要望が反映されているのであろうお菓子や飲み物類、さらには乾電池式の携帯用充電器や絆創膏、リップクリームにヘアワックス、そして少年少女たちがジャンプして喜びそうな週刊誌のマンガまで入荷されている。その有象無象の商品が陳列された棚の奥、旧式のレジスターが設置されているものとは別のカウンターテーブルには、小さな椅子が二つほど用意されており、一見すれば喫茶店の一角の様な構造になっている。オレは今、その椅子に腰かけ、ここのボスである『オバチャン』から温かい緑茶をもらっていた。白髪のままの短い髪を紺のヘアバンドでまとめ、背は低いものの年齢を感じさせない真っ直ぐな背中をしているオバチャンも、オレの向かいで腰掛け、カウンターのある場所の真上に設置された換気扇をフル稼働させながら煙草を吸っている。

「さすがにこの時間帯の喫煙はやばいかな。」

「ヒヒヒ、なに言ってんだいセンセイ。それ、もう三本目じゃないか。だいたい、ここはこのババアの領域だからね。管理さえ正しくできていれば自由なもんさ。」

オバチャンはオレの言葉を不敵に笑いながら返してくる。この購買部はオレに支給されている機関室と同様に、オバチャンの意志こそがこの購買部のルールなのだ。

「とはいえ夏休みでもない限り、子どもらが来るような日は吸わないようにしてるよ。それに、ちゃんとほら、消臭スプレーもあるから大丈夫さ。」

オバチャンはそう言うと、カウンターの下から衣類用の消臭スプレーを取り出してイタズラに笑いながらオレに向けてくる。

「それにしても、センセイも土曜日だって言うのに忙しいね。ブンちゃんの影響かい?」

オバチャンはシンブンブの事をブンちゃんと呼んでおり、二人はずいぶんと仲が良い。以前聞いた話ではオバチャンは夏休みに旅行で熱海に行ったそうだが、その際も教員ではなくシンブンブにだけお土産を買ってきたそうだ。

「どちらかと言えば逆だよ、それ。まぁ、オレも今回の案件は早めに解決させたいからね。あまり放っておくと面倒な事になるのは間違いなさそうなんだ。」

「ヒヒ、なら早くブンちゃんやカイくんの手伝いでもしてあげたらどうだい。」

オバチャンが呼ぶカイくんとは、おそらくセイトカイの事だろう。オバチャンは長い呼び名がキライらしく、いろんな生徒や教員にあだ名をつけているようだ。今となってはセイトカイもそう呼んでくるようになったが、オレの事を最初にセンセイなんて呼び始めたのも、たしかオバチャンが最初だったはずだ。

「で、どうなんだい今回の案件は。あのお嬢って女の子のことなんだろ?聞いた話じゃ、父親に反抗したのが原因で学校に来れていないそうじゃないか。」

このオバチャンの凄いところは、シンブンブのように取材や聞き込みで情報を得るのではなく、いつの間にかそういった情報を得ていることだ。しかもその情報は恐ろしいほど正確なもので、どの件においてもデマが存在しない。以前それについて尋ねたところ「生きてきた年季の違いさ」とだけ教えてくれたが、その詳細はオレも把握できていない。

「オバチャンには隠しても無駄っぽいから話すけど、ま、その通りなんだ。さっき改めて担任の教員にカウンセリングしてきたけれど、やっぱり大元の原因は進路についてみたいだな。父親と上手くいっていないのもお嬢の周囲の証言で裏が取れたし、けっこうナイーブな問題だよ。どうしても父親の会社を継ぐのが嫌なんだそうだ。気になって会社についても少し調べたけれど、お嬢がそういう気持ちになるのもわからなくはないけどね。」

「ふぅん、たしかにあのお嬢って子のお家がやっている建設会社、あまり良い評判は聞かないねぇ。新参の会社っていうのは、ああいう事でもしないと生き残れないのかね。」

このオバチャンは、本当になんでも知っているんだな。

アイツも負けてられないな。



「っくしゅん」

彼女はボクとの話の途中で、小さなくしゃみをした。

「ごめんなさい。急に鼻が痒くなってしまって。それで、どこまでお話ししましたっけ。」

「えっと、去年の冬休みの頃までは聞かせてもらったよ。」

シンブンブと彼女が入れ替わってから、ボクは彼女に聞きたかった事について少し話す事が出来た。あの夏休みから何をしていたのか、最初にセンセイと会った去年の冬休みに何があったのかなど、今までなんとなくシンブンブの方には聞けなかった事について、彼女はまるで小さい子に物語を読み聞かせるようにボクに優しく話してくれた。

「それにしても、あの子が急に私を呼んだから一体何事かと思ったけど、まさかアナタからお呼びがかかるなんてね。」

「いや、呼んでもらったいうか、シンブンブとの話しの流れでキミと直接話してみたらって言われて、あれよあれよと言う間にキミが目の前にいて、なんだかごめん。」

ボクの言葉に彼女はゆっくりと首を横に振り、優しく話を続けた。

「いいの、気にしないで。私もキミとちゃんと話しておきたかったのは事実ですし、いろいろ話せてよかったわ。ここだけの話、あの子もセイトカイの事をけっこう気に入っているみたいなの。これからも仲良くしてあげてね。」

シンブンブと同じ顔と声でそんなことを言われると、ボクはどう反応すれば良いかわからなくなってしまう。彼女もボクの反応でそれを察してくれたのか、今度は少しイタズラっぽい表情で笑っていた。

「キミが休学空けに機関室に来た時、あの人も言っていたと思うけれど、罪を憎んで人を憎まずって言うのは私も同じ意見なの。もちろん、キミがあの人の言葉を無視して保健室を爆破させた事は許されないことかもしれないけれど、今キミは、自分が本当に見極めるべきモノについて考えながら行動しているのでしょう?だからこそ、本当は【ブロウズ】の設置に反対していても、こうやってあの人の手伝いをしている訳なのだから。」

彼女はボクの考えについて話しても否定はしなかった。彼女こそ、本来ならボクのように【ブロウズ】の反対派である人間とはあまり関わりたくないのだろうと思っていたが、ボクの考え過ぎだったのだろうか。

「ただ、あの時の様な事をもう繰り返さないでほしいの。手っ取り早く言うのなら、もし次にあの人の忠告や言葉を無視したのなら、削ぎ落すわ。」

「……。」

先ほどまでの雰囲気とは全く違う、どちらかと言えば初めて出会った時に近い空気感をまとって、彼女は明らかにボクに警告を発した。一体ボクは何を削ぎ落されるのだろうか。ボクの頭にいくつか候補が流れるが、どれも気分の良いものではない。

「そんなことは置いておいて、キミは私に、お嬢先輩からのメールについて聞きたかったのではないの?」

「あ、あぁ、うん。その事なんだけどね。シンブンブは解読の事で頭がいっぱいだったみたいだけど、きみはどう思っているのかなって。」

短い時間とはいえ、時間にして小一時間程の間、主旨がずれてしまっていた。ボク達が今やるべきことはお互いのわだかまりを解消する事ではなく、目の前にあるお嬢先輩のメールについてだった。少し焦って壁にかかった時計を見上げるボクを尻目に、彼女はメールが印刷された紙を手に持ち、改めてゆっくりと目を通している。

同じ身体に、同じ目、同じ脳なのに、見たものや聞いた事についての記憶共有は人格が入れ替わる際に自動的にされるのではなく、お互いがお互いに共有させる必要があると思ったものを選んで共有させるのだそうだ。つまり、この間シンブンブがボクに全ての書類整頓を任せて幽霊の目撃証言を取りに行った事は、シンブンブが意図的に記憶を共有させなかった為、彼女はそれについて何も知らなかったそうだ。


シンブンブがそうして都合の悪い記憶を共有しなかったように、彼女もシンブンブに共有していない記憶があるのだろうか。例えば、去年の冬の事件の真相とか。


「そうね。父親の目を欺く為とはいえ、なにか他の意味がない限りはここまで凝ったモノを書く必要は無かったんじゃないかしら。私もこういった詩的表現とか暗号的な表現は得意ではないから、あまり偉そうなことは言えないのだけれど。」

彼女はメールについての率直な思いを話すと、小さな声で「力になれなくてごめんなさいね」と言ったが、ボクは慌てて彼女に謝らないで構わないと言う旨を必死に伝える。冷静に考えれば、もしシンブンブがこの暗号を解けたのなら彼女にもその記憶や情報については共有するはずだ。

「暗号の内容については別に構わないんだ。どちらかと言うと、キミに話したかったのは内容のことよりも、その暗号の目的について聞きたかったんだ。なんでお嬢先輩は暗号を使ってまで、このことを伝えたかったんだろうってずっと考えてて、どうしてもそこがわからなくてさ。」

「目的?それはさっきも言っていたじゃない、監視している父親がメールの内容を見てもその意味がわからないように、助けを求める為でしょう?」

彼女はボクの言葉の意味についてはあまりピンと来ていないようだった。もちろん彼女が言っていることは何も間違ってはいないし、お嬢先輩の目的もおそらくそれに間違いはないだろう。

「うん、そうなんだけど、その。目的っていうのは外部の人間にメールを無事に届けることと、もうひとつあるんだよ。だからこそこの暗号なんじゃないかな。でもボクには、これがなんに開け方なのか、全然思いつかないんだ。」

「……開け方?」

彼女はそう言いながら首をかしげている。

ボクはシンブンブが用意してくれたホットココアを飲み干す。少し時間が経ってしまったせいで少し冷めてしまってはいるが、その丁度よい温度と甘さのおかげでボクは少し冷静に彼女に向かって話をすることができる。

「うん。実はキミと話している間に、暗号解けちゃったんだ。たぶん、これで合っていると思うんだけど、でもこれ、何に使うのかがわからないんだよ。」




お時間をいただきまして、ありがとうございます。早速ですが改めて、お嬢ついてお聞きします。お嬢は周囲の人間に、普段から父親に対する不満を言ったり、担任であるあなたになにか相談してくることはありましたか?


「はい、私が最初にセンセイのところに相談に行った時は、美術部の生徒も一緒にいたでしょう?ですからちゃんとお伝えできなかったのですが、お嬢はよく私に、進路についてどうするべきかと、よく相談に来ていました。」


では、その際になにか気になる事はありませんでしたか?最初に機関室にいらっしゃった際に言えなかったようなことも含めて、どんな些細な事でも構いません。


「そう、ですね。お嬢が私に進路について相談してきた時、何故お父さんの会社を継ぐのが嫌なのか話を聞いた時、私はてっきり、美術の道を志していることが理由だと思っていました。美術に関しては、お嬢はとても有名な生徒ですからね。でも話を聞いていくうちに、もし継ぐことになっても、それは仕方がない事だ、と言っていたんです。三者面談の時はあんなにお父さんと言い争っていたのに。でもそれも……」


それからなにか言っていましたか?


「はい。お嬢は、もし自分がこのまま会社を継ぐことになったら、それはそれで考えがあるんです。あんな父の会社を潰すには、自分が継いでしまうのが一番の近道なのかもしれませんから、なんて言っていました。それに、おじい様から預かっているモノがあるから、私が会社を無理やり継がされる事は絶対にないんだけど、とも話していました。」


預かったモノ、ですか。


「はい、何を預かっているのかまでは話していませんでしたが、父親がずっと探しているものらしく、私が学校にいる間に、私の部屋に入ってきた跡があるとか。祖父の部屋にも何度も探しに行っているとか、私にはイマイチ何を言っているのかはわかりませんでしたが、おそらくお嬢は、祖父から預かったものを父親に見つからないようにしているみたいです。それが今、お嬢が学校に来れていない理由になるのかどうかはわかりませんが、担任である私からの正式なご依頼として、受理して頂けるでしょうか。お嬢になにがあったのか、調べて頂けますか。」




《2-4》

「解読できた?マジで?」

オレはセイトカイの言葉に思わず間の抜けた声を出してしまった。担任とのカウンセリングを終えて購買部に寄り道した後にオレが機関室に戻ると、セイトカイと彼女は応接用のソファに座ってココアを飲んでいた。その様子を見る限りでは、てっきり暗号なんてものに辿り着く事が出来ず、どうしたものかと途方に暮れているようにしか見えなかったのだが、どうやら意気揚々と暗号について語ろうとしないのは別の理由があるようだ。

「はい、一応は読み取れたと思います。ですが、その読みとれた暗号が何を示しているのかが全く分からないままなんです。彼女とも色々考えたのですが。」

セイトカイはそう言うと、ソファに静かに座ったままの彼女の方を見た。

「なんだ、お前が一緒でもメッセージの意図は掴めなかったのか。」

オレはセイトカイの視線の先にいる彼女に向けて声をかけてみるが、彼女はオレの言葉にこれといった反応はせず、少し疲れが見える表情で肩をすくめた。良く見ればセイトカイも少し表情に陰りが見える。よほど暗号の使い道について考えていたのだろうか。しかし彼女はまだメールが印刷された紙と向き合い、別の紙になにかを書き写しているようだ。

「なんだ、少し疲れているみたいだな。お前もセイトカイもあまり無理しなくても大丈夫だぞ。なんなら読み取った内容についても明日で構わないんだからな。」

「いえ。ボクが思いついた暗号に関してはそこまで難しいものでもないので、今簡単に説明してしまおうと思っています。彼女もその意見には賛同してくれていますし、まだ試してみたい事も残っているので、彼女にはその作業をしてくれています。ちょっと疲れた顔に見えるかもしれませんが、そこまで複雑な作業でもありませんので。センセイのお時間は大丈夫ですか?」

セイトカイはそう言うと、オレが座っている機関室のデスクにメールのコピーを置いた。

「そうか、それならオレの方は問題ない。話してくれるか。」

オレはそう返すと、渡されたコピーを手に、セイトカイの解説を聞く姿勢になる。

「わかりました。では少し長くなるかもしれませんが、説明します。」


「今回のお嬢先輩からのメールは、センセイもご存じだとは思いますが、根本の目的はおそらく外部の人間への救助を求める事で間違いないと思います。父親によって自宅、もしくは自室から出させてもらえない状況を伝える為にこのメールを幼馴染である中学生に渡し、セイトカイを通して【ブロウズ】機関員であるセンセイへ届けたのでしょう。自分が自宅で軟禁状態であること、父親が自分の何かを狙っていること、一日でも早く助けてほしいこと、これが本文を解読するでもなく感じ取れる内容です。問題はここからです。」

セイトカイはまるでテストの模範解答を説明する教員のようにゆっくりと丁寧に説明を始めた。委員会の仕事や立場上、こういった発表や説明に関しては多少慣れているようだ。

「解読するにあたってまず見てほしいのは、メールの各文章に共通する表現です。各行の文章は常に句読点で区切られていますが、これについては今は一旦置いておきます。一行目の〈夜がまた訪れる〉、四行目の〈時計を進める〉という文。これに共通するのは時間の経過を表す事です。夜が訪れることも時計を進めるということも、言い換えれば陽が沈む、もしくは夜が明けるのを待つという捉え方ができます。ボクはこれを太陽の動きに当てはめてみました。つまり一行目の文章では東から西へ、地図上で言う右から左への移動を表しており、登って沈むという太陽の動きと合わせて「左回り」を表していると考えました。同じように四行目の文章では、本文でも使われている時計を基に時間の針が進む方向、つまり右回りを表していると思いました。ここまでで何か疑問はありますか?」

セイトカイの言葉に、オレは特に反論はないことを態度で示す。セイトカイもそれを感じ取ったのか、オレに小さくお辞儀をした。彼女はまだ何かを書く作業を続けている。

「では続けます。次に見てほしいのは二行目と三行目です。これらには時間の表現は見当たりませんが、先ほどと同じく共通して使われているモノがあります。」

「うん。動物だな。」

オレの相槌に、セイトカイは頷いて返事をした。

「そうです。ここで共通するのは生き物を用いた表現、彼女の言葉を借りるのならば、詩的な表現を使っているのが最も目立つ箇所でもあります。二行目の〈蠍〉と〈家族愛〉、三行目の〈蛇〉。一見すると関連がなさそうですが、これらを繋げるポイントになるのは三行目の〈狙っている〉の部分です。まずはこれらを共通の表現に直す必要がありますので、明確に書かれていた蛇と蠍をヒントに考えてみました。これらの動物、生き物がもっとも身近に使われているのは干支と星座です。なので、ここでは蛇は〈巳〉と考えてください。干支の動物にはそれぞれ象徴している意味があります。家族愛を象徴するのは羊、つまり〈未〉となります。そして蠍はおそらく十二星座にある〈蠍座〉のことであり、先ほどポイントとなると言った〈狙っている〉という表現も、その形象から〈射手座〉を表しているのでしょう。」

セイトカイはそう言うと、応接用の机に置いてあった一枚の紙をオレに見せる。

「それは、時計か?」

「まぁ、そのようなものです。ボクにはあまり絵心がないのでそこはスルーしてほしいのですが、あった方がわかりやすいと思ったので、簡単なものではありますが一応用意してみました。」

たしかにセイトカイが用意したという時計の絵は数字の配置が歪になっており、時間を示す針も描かれていない。

「さて、センセイは各干支が方向を示す際に用いられる事はご存知ですか?たとえば、寅の方角であれば地図でいう東北東を表す、というように使われます。厳密にはそこからもう少し北を指すようですが、このメールではおそらくそういった細かな方向指定ではなさそうなので、わかりやすいように干支を時計の数字に合わせて配置してみようかと思います。干支の始まりである子年は12の場所に置きます。こうすることで、先ほどの寅の方角は時計で言う2の位置、地図で言う東北東の位置にちゃんと置かれます。」

セイトカイはそう説明しながら、先ほどの時計の紙をもう一度手に取った。

「ここで改めて、これを使おうと思います。寅の方角が2に位置するのなら、メールで使われていた巳や未はどこに位置するかと言うと……」

「巳は5の位置、未は7の位置になるな。」

オレはつい、セイトカイの説明に被せるように言葉を発してしまった。

「そうです。ここはあまり詳しく話す必要はなかったかもしれませんね。」

「いや、すまない、つい。その、続けてくれ。」

せっかくセイトカイが説明してくれているのに、オレは少し大人気なかったかもしれない。オレが慌てて謝ると、黙々と作業を続けていた彼女が小さく笑ったのに気付き、オレはさらに情けないような、恥ずかしい状態になってしまう。

「は、はい。じゃあ続けます。先ほどセンセイがすんなり答えてくれたように、ここで先ほど出てきた蠍座と射手座も、この時計に当てはめてみます。各星座は人の誕生日に当てはめられますが、各月に各星座がきっちり分けられている訳ではありません。月をまたいでいるのがほとんどです。そこで、各星座が当てはまる誕生日の最終日を基に考えます。蠍座であれば11月22日なので11の位置に、射手座は12月22日までなので12の位置に置きます。こうすることによって、これまで表現されていたものがそれぞれの数字に部分に配置されました。二行目に出てきた未と蠍は7と11に、三行目の巳と射手は5と12へ。これでメールの各行に二つずつ数字が出てきましたが、各数字には必ず差がありますので、ここでその差を求めて各行の数字を一つにします。つまり、二行目の11と7の差は〈4〉。三行目の12と5の差は〈7〉となります。」

「ちょっとまて。ここで数字の差を求めるのには、なにか理由はあるのか?二つの数字を繋げて並べる事や、足すことも考えられんじゃないか?」

オレはセイトカイの説明を一旦止めて、気になった部分について質問を投げる。たしかにここまでは辻褄は合っていたが、数字に関しては他にも考えるパターンが多く考えられるからだ。

「もちろん、その可能性はまだ否定できません。各数字を並べることも、足す事も、数字同士で積や商を求める事も、他のパターンの可能性だってあります。正直、この考え方に辿り着いた時はボクも彼女もこれが本当の正解とは思えませんでした。ぶっちゃけた話、今もこれでいいのか疑っています。」

セイトカイはオレからの言葉に動揺する様子もなく、しっかりと答えてくる。

「ですが今は、一旦最後まで聞いてほしいんです。その上で、どこに矛盾があるかをセンセイに教えてもらいたいんです。もしかしたら、今日センセイが行ったカウンセリングで得た情報が活きてくるかもしれないですし。」

「……わかった、すまないな、何度も止めてしまって。」

オレはセイトカイの言う事にそれ以上は反論せず、もう一度説明を聞く姿勢に戻る。

おそらくセイトカイはああ言っているが、自分の考え方に多少なりとも自信を持っているのだろう。最後まで説明できる自信が、オレに聞いてほしいと言う意見に繋がっているのだと考えられる。そして、オレがカウンセリングに行った事をあげてきたという事は、オレがお嬢のメールを読み説くヒントになる話を聞いてきたと確信しているのだ。

「いえ、大丈夫です。後はまとめだけなので、すぐに終わります。ここまで出えてきた情報をまとめると、一行目は〈左回り〉。二行目は〈4〉。三行目は〈7〉。四行目は〈右回り〉。となります。そして最後に書かれている〈夜明けを告げる天秤の鳥へ〉の一文。一見する【ブロウズ】のエンブレムに鳥が使われていることから、機関員であるセンセイに宛てた手紙の文の締め括りとも捉えられますが、これも今までの考え方で読み解く事が出来ます。夜明けという表現は太陽の昇り沈みを表しているので、一行目と同じく〈左回り〉。天秤と鳥は生き物を使っているので二行目と三行目と同様に考えます。天秤はおそらく〈天秤座〉、該当する誕生日の末尾は10月23日なので、これは10を指し、鳥は干支で言う〈酉〉だと思われます。つまりこの時計表の位置で言えば9に位置に、そしてこれらの数字の差は〈1〉。これら全てのことを順に並べると、〈左に4回〉、〈7回右に〉最後に〈左に1回〉となります。したがってこのメールに隠されたもう一つの意味は、何かの扉、もしくは鍵を開ける為の手順の表しているのだと考えられます。」

セイトカイは全て話し終えると、短く深呼吸をして、オレの方をじっと見てくる。

「……恐れ入った。うん、すごいな。たしかに鍵や扉を開ける為の暗号と考えれば、数字に関しては差を求めるのが一番しっくりくるな。」

「はい。もちろん、これが正解とは限りませんが、少なくともこのメールからは、そう読み取ることは出来ました。」

モノは考えようと言うが、なるほど。

説明を聞けばたしかに納得はできる。

オレ宛に送ってくるには過剰なほど詩的だったのも、これで頷ける。

「ですが、ボク達にはこれが何の開け方なのか、何に使われる手順なのかまではわかりませんでした。もしかすると、このメールにまだ何か隠されているのかもしれません。」

セイトカイは暗号の対象となるモノがわかっていない事に納得できていない様子だったが、解読を頼んだオレ自身でさえもあわよくばなにか得られる情報があれば儲けもの、くらいに思っていたので、正直驚いている。しかも彼女を含めた本人たちは、まだそれについて他にも試している最中なのだ。

「つまり、お前たちにとってはまだ途中段階だってことだな。で、そっちの方はどうだ?何か見えてきたか?」

オレは先ほどからずっと机に向かっている、もう一人の解読班に声をかける。

「そうね。彼が説明してくれている間に、こっちもいろいろ見えたわ。カイがやったような方法とは少し違うやり方ですけれど、普通に文字を文字のまま読んでいたらこんなの気付かないわ。もちろん、説明の前にカイが言った通り、これが正解とは限らないけれど。」

「え、その、さっきから出てくるカイってなに。もしかしてボクの事?」

セイトカイは、彼女が自然と自分をあだ名で呼んだ事に気づいたようだ。

「あぁ、そうだな、カイだな。オバチャンもお前の事、そう呼んでたし。」

「えぇ、そうよ。カイだわ。呼びやすいのよ、とても。」

オレと彼女がセイトカイの方を見てそう言うと、セイトカイは少し恥ずかしそうな、解読の件についてとは違う意味で納得していないような、複雑そうな顔をしていた。

「さ、それはともかくとして。今度は私の説明を聞いてもらえるかしら。お二人とも、時間の都合はよろしいかしら。」


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