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EP/1:木枯しは季節外れの嵐を呼んで

《Chapter2-1》

 ニワトリが先か卵が先か、という言葉がある。

ヒヨコが卵から産まれ、それが成長してニワトリになるという生物的な流れは、今の時代、幼い子どもでもわかるだろう。しかしこの使い古された比喩的な表現は、その視点を少し変えると、世界に数多あるジレンマの一つについて考えた哲学的な表現とも捉えられる。『ボク』自身もこの言葉を知ったのは先日の現代文の授業がきっかけだが、どうしてなかなか面白い表現方法だと思った。この慣用句には幼い子どもでも理解しているニワトリの起源は卵だという考えと、そもそもその卵は成長したニワトリが産んだものであり、つまりは卵が起源なのではなく卵を産んだニワトリこそが起源なのではないか、という考え方があるという事を現している。卵からヒヨコが産まれ、ヒヨコが成長してニワトリになり、そしてそのニワトリが卵を産む、それはまるでジャンケンのような相関図が描かれ、関係性の始まりと終わりが掴めない状態になる。つまり、この言葉が表現しているジレンマとは何が起源であり原因なのかという当時の哲学者たちが抱えた悩みを象徴した言葉でもあるのだと僕は考える。その昔、いわゆるインディアンとよばれたネイティブアメリカンの人々の間では、時間とは常に繰り返されているという思想があったらしい。すなわち、世界やそこに生きる生命には起源という発想がなく、すべては循環しているというものだ。他にもこの慣用句については宗教的な捉え方や考え方は多く存在するらしいが、今のボクには正直な話、チンプンカンプンだった。調べれば調べる程、難しい表現や歴史が垣間見えてくる。その先を頑張って調べていくと、そもそもボクは何について調べていたのかを忘れてしまうほどの情報量だった。以前、この言葉についてとある女子生徒に質問してみたところ「うーん、難しい話はわからないけど、卵も鶏肉も好きよ。親子丼なんて最高だと思うわ。卵もニワトリも、ありがたく残さず食べる事が大事なんじゃない?」という返事だった。もう少しあの言葉に関する考え方について聞きたかったのが、聞く相手を間違えてしまったのだろうか。たしか卵を産むニワトリと食用になるニワトリはオスとメスで違うんじゃなかったかな。なんて事を考えてしまう。

往々にしてこういった表現を用いる論文や文献においては、物事の起源と原因について考えるのは何の意味もない、無益な考慮だという表現を指す事が多いそうだが、ボク自身はその女子生徒に質問した事はあまり無益だとは思えない。


そうか、あいつ、親子丼が好きなのか。ボクも親子丼は好きだ。


「……ですから、何度も申しあげていますように、そういったお気づかいは、その、えぇ、ありがたいものではあるのですが、今回は不要です。」

なにかが走り書きされた小さな黄色い付箋の就いた書類、まだ手つかずのファイルたちが山のように積み上げられた机の向こう側、右肩と頬で受話器を挟めながら、おそらく目上の人間と通話している『彼』は明らかに不慣れであろう敬語を話しながらも空いた両手でパソコンに文字を打つ作業を止める事はなかった。

「そうです、えぇ、今、はい。目下全力で制作中です。は?いえいえ、こちらからは何度も提出したのですが、その都度、返却と言いますか、やり直しの通知が。え?いや、ですから報告書に関しての判断はそちらが下すものですよね。」

なにやら意見や情報の行き違いがあったのだろうか。彼の言葉は今までと変わらない敬語ではあるが、言葉の内面からは少し刺があるように思える。ボクの立場で言えた事ではないのかもしれないが、目上の人に対してその雰囲気は少々問題になるのではないだろうか。生徒や教師の間、先輩と後輩の間でも言葉遣いに関しては学校でも問題になる事が多い中で、この機関室の中でとっくに成人している大人がこんな事では、教育上、ボクの様な生徒の前であまり見せてほしくない姿だ。もっとも、ボクは彼が本気で起こった姿や言動に関してはこの学校の中でも一、二を争えるレベルで詳しいと自負している。と言っても、それはあの女子生徒のように密着取材や彼の調査に協力しているのではなく、身をもって体験したのがその理由になるのだが、この場合もボクの立場からは偉そうに言えた事ではないのかもしれない。


 ボクが彼と初めて話をしたのはボク自身が所属している委員会での活動だった。新入生と新しく赴任してきた教員と、彼の様な〈機関構成員〉の交流会の為にいくつか催し物が予定されており、ボクはその打ち合わせの担当だったのだ。最初にこの機関室に入った時は煙草の匂いとコーヒーの匂いが充満していたのをよく覚えている。当時からボクは【ブロウズ】がこの学校にいること自体あまり良く思っていなかったのだが、自分の任されている役職の責任を優先し、しっかりと仕事を全うしようと決めていた。しかし彼はボクを見るなり「催し物のネタを手伝ってほしい」と懇願してきたのだ。彼曰く、毎年行われている交流会のネタが尽きてしまい、何をやろうか悩んだまま当日を迎えてしまったらしい。ネタが決まっていないのなら最初からそう言ってくれれば、こちらも予めそういう前提で打ち合わせを進めていたのに、なんてダメな大人なんだ、これだから【ブロウズ】なんかに所属している人間は。なんて思っていた。当日は仕方なくボクや他の委員会の生徒の協力もあって、なんとか交流会を無事に終える事が出来たのだが、それから彼は校舎内で会う度に「あの時はありがとう、今でも覚えているよ。」と声をかけてくれるようになった。

もっとも、ボクと彼が最も深く関わるようになったのは、二か月前の夏休みが最たるものだと言えるだろう。


「はぁ?ですからそれは、そちらの独断で何度も何度も書かせているってことですよね?うちの高校の夏休みなんてずいぶん前に終わっているんですよ?何が気に入らなくて何度も書き直しさせるのかはわかりませんが、本部は提出した翌日には確認と依頼完了確認のハンコをすぐ送ってきましたよ?本部が終わったと処理したものを、なんでその下部である支部が突き返してくるのでしょうか。前々から思っていたのですが、組織云々ではなく人としてどうかと思いますよ?」

上下関係について貴方の口からそんな言葉が出るなんて、きっと電話の向こうの上司も考えてはいなかったんだろうな、なんてボクは考える。

ボクは今、この機関室と呼ばれる部屋の中で書類整頓の作業を行っている最中だ。過去数年間の間に電話で言い争いを続けている彼が受け持った相談や依頼についてまとめられた書類を年ごと、月順、日付順、依頼者別、カテゴリ別に分けてファイルに挟んでいくという作業は、一見すると簡単な作業で、最近のパソコンなら簡単に終わらせてしまうような案件なのだが、彼はどうしてもそういったパソコンに任せるという事に対して信用がないらしく、こういった作業は基本的に手作業で行っているらしい。もちろんこれは彼が機械音痴であることを棚に上げているのは間違いないのだが、本人曰く、手作業で確認すると、その時の事を思い出せて身が締まる想いになれるそうだ。初心忘れるべからず、という発想にはボクも賛同できるが、実際本人ではなくボクがその過去の書類と向き合っている時点で、彼の言葉の説得力の低さが浮き彫りになってしまっている。


「……だから、何度も何度も同じ事を言わせんな!本部が認可したレポートだったんだろうが!いい加減にしろよ!さっきの事も、ぶっちゃけ余計なお世話なんだよ!上は上らしくドッシリと構えていればいいんだ!お前は昔からそうだもんな、肩書ばかりが偉くなって、態度だけじゃなくアタマまでデカくなってんじゃねぇのか!?さっさとそっちが報告受理しないとオレも次の仕事に取り掛かれないんだよ!あれ、もしもし!?聞いているのか!?」


あ。キレた。

「あ。切れた。」


【1977年に施行された学習指導内容全改訂、学校側の生徒への対応や教育方針が少しずつ変化した〈ゆとり教育〉が施行されてから数十年が経った頃。学校内における生徒や教員同士の、在りもしないはずの権力や立場による格差社会的差別や「いじめ」の凶暴化や陰湿化が大きな問題となっている。加えて以前から学校側が抱えている国の少子化による経済的な問題がより顕著となり、学校運営にとって多くの弊害が連日ニュースを騒がせている。この問題の解決を図った政府はその対策案として、各学校が校内環境を改善、修復することを目的とした「公立学校においてのみ認可される第三者機関、公的な機関の設置案」を国会で提唱した。学校の治安は学校が守る。この案は国内中で物議を醸し、相当な時間と話し合いが繰り返されたが、最終的には半ば強引ともいえる手段で可決された。この法案は、小・中・高・各大学・専門学校、養護学校などの枠組みに関わらず、全ての公立学校自身の判断によって、公的な解決機関の設置が認められるものだった。しかし、この案が可決された都心の一部では、先行的に施行された学校においても反対派は多く、生徒やその保護者、教員たちのゲリラ的な反対活動によって、自治機関自体が排除、撤廃された学校も多く存在した。問題解決のための機関設置により、さらに環境が悪化していくという悪循環が生まれ、いつしか法案自体の撤廃の声が多く上がるようになった。そこで政府は、反対派と推進派の中立案として、公立の学校の、義務教育を終えた、本人の希望によって進学している学校に的を絞り、一定の期間を設けて公的機関の実験的に設置、その効果と実績を観察することを発表した。これにより、とある街を拠点に、反対派地域、推進派地域、そして中立派地域の各3校には、政府公認の第三者機関が設置されることになった。】

「まったく、現場の事を考えずに好き勝手やるやつっていうのは本当に困ったものだよな。キミの周りにもそういう奴いないか?反論ばっかりでまともな意見の一つも出さないような。頼んで置いた事を忘れてどっかに行ってしまうような、そういうやつ。」

「まぁ、いないと言えば嘘になりますけど……。」


そして現在。推進派と反対派のちょうど真ん中に位置するこの公立高校における問題解決のため、政府の認可によって、その校内において独立性と公的な立場が認められた公的校的機関。the Bird Raised Of Wise、通称BROWZ【ブロウズ】。

【賢者の鳥】を名乗る組織での校内における問題解決が、彼の仕事である。


「でも、そういうのを言い訳にしてわざわざ放課後にキミを呼び出して、こうやって仕事を手伝ってもらっている時点でオレの言葉や行動に説得力はないのかもな。ははは。」

ボクは無言と言う形で、彼の言葉を肯定する。

ボクは彼から『セイトカイ』と呼ばれているこの学校の生徒だ。今年の春に行われた交流会でのパントマイムが先か、夏休み中にボクが起こした〈保健室爆破事件〉が先かは分からないが、今は売店にある人気の紙パック紅茶を報酬に、内緒で仕事を手伝わされるような間柄の人間だ。


たとえどちらが先だったとしても、この人とボクが今のような関係性になっていたのかと考えると、案外、無益だとわかっている問いかけも捨てたものじゃないと思ってしまう。




《1-2》

「完成してみれば、あっという間だった気がしてくるから不思議だよなぁ。」

オレは機関室の窓の縁に寄りかかるように腰掛けて、少し離れた真新しい建物を見ながら煙草を吸っている。夏休みはとうに終わったが、生徒たちは秋の学園祭に向けての準備で盛り上がっており、学校全体が活気に満ち溢れている。外の景色には漲るような緑よりも少し寂しげな茶色や紅が目立つようになってきており、風が冷たくなってきている事や日の沈む時間が早くなっていることに加え、視覚的にも秋の訪れを感じさせてくれている。

都会と呼べるほどの規模ではないが、田舎とも言えないほどの小さくもないこの街にあるこの公立高校には、他の高校と比べると緑や山といった自然が多くある。オレがこの高校に赴任した当初にそれについて学校長に質問したところ、元々は今の街並みが完成する前からこの学校が建てられ、当時は山の奥にある新しい学校として有名だったそうだ。そこからどんどんと土地開発が進み、人口が増えていくのに合わせるように住宅街や商店街などが栄え、現在の街並みに落ち着いたのはほんの数年の出来事なのだと、校長は昔を懐かしんだ柔らかい表情で話してくれたのを覚えている。

「【ブロウズ】のニイチャンから見ればあっという間だろうけど、これに関わってきた職人さんたちからすれば、春から建設が始まったこの図書館の完成は、俺にとっても職人たちにとっても待ちに待ったことなんだよ。」

オレが座っている窓の縁の外側、機関室の外にある小さな花壇の横で缶コーヒーを飲みながら煙草に火を付けている彼はこの工事の現場監督で、オレは『シュニン』と呼んでいる。工事期間中は何度もオレのところに来て色々話したり煙草を吸ったりした、いわば最近できた友人のような人物だ。ハッキリとした顔立ちをしており、目がギラギラとしているのが印象的だ。あまり背は高い方ではないが、がっちりとした肩と腕に少し浅黒くなった肌。おそらくは彼も現場出身の人間なのだろう。オレも日頃から彼と現場の職人が密に話し合っている姿を何度も見かけた事もあるし、その様子も決して険悪なものではないことから、職人たちからも信頼されている人物なのだろう。時折すれ違う教員や生徒とも挨拶を交わしているようで、特に男子生徒からは良い先輩として慕われているようだ。彼は建設作業が無事に終わった達成感からきているのであろう清々しい表情で、完成した新しい図書館を見ている。オレも彼と同じ方向を見ながら煙草を吸い、反対の手に持ったコーヒーを口に含む。

「最初に工事が始まった時はうるさくて敵わなかったけど、慣れれば気にする事もなかったもんなぁ。しかし、前の図書館と比べるとずいぶんと大きくなったものだな。主任さんのところに学校からなにか特別な注文でもあったのか?」

「あれ、なんだいニイチャン。なんも知らないの?」

彼はオレの言葉が意外だったのか、ただでさえ圧力のある眼を見開いて、窓の外側から機関室の中に身を乗り出してくる。今でこそ慣れているが、初めてこうやって距離を詰められた時は少々たじろいだ。

「この学校の図書館は、これを機に一般開放されるらしいよ。と言っても、ほとんどは近くの中学校や小学校に向けたものらしいけどね。また騒がしくなるなぁ。ま、慣れれば気にもならなくなるんだろうけどね。」

なるほど。そういえばこの間、セイトカイからそんな話を聞いたような気がするな。

図書館が完成すれば今よりも相当忙しくなるので、手伝えるかどうかわかりませんって。

まぁ、本来ならセイトカイの手を煩わせる必要はないはずなのだが。

「まったく、アイツはまた余計な事に首突っ込んでいやがるな……。」

「ん?ニイチャン、なんか言ったか?」

日頃の愚痴がつい漏れてしまったのらしい。オレはシュニンの言葉を苦笑いで有耶無耶にしたが、実際のところ愚痴を吐いて済むようなら吐けるだけ吐いてしまいたいと言うのが本音である。一つの大きな仕事を成し遂げたシュニンとは対照的に、オレは仕細かな事や生徒たちからの相談案件に追われる日々だ。夏休みが終わり、新学期が始まってからは生徒からの相談や依頼がやたらと多く、主に人間関係(恋人や片思いの相手)に関する内容が多かった。

本来ならば、オレの立場上、学校全体や生徒たちの心身の安全に関わる問題かどうかを機関支部と本部による会議で判断し、調査するに値する、もしくは早々に解決するべき案件であれば、正式な書面とカウンセリングによって、オレの所属する【ブロウズ】の調査は始まる。こういった調査においては細かく計画を立て、それを支部に報告、本部からの了承を得てから計画の実行という流れが基本となっている。そして計画が実行されて行くた度にその都度報告書を作成、支部と本部からその報告書の確認を得てから次に段階に移るのがオレ達の〈調査〉とその問題の〈解決〉と呼ばれる活動の一連の流れだ。なぜ機関がそこまで細かな報告を推奨しているかと言うと、それは【ブロウズ】が置かれている環境やその存在に対する賛否が原因となっている。機関の存在やその公平性が国会を通じて法的に認可されたものでも、生徒の保護者や教員も含めた学校関係者の全員がその法案に賛同している訳ではない。公立の学校に【ブロウズ】を設置することや、むしろ機関の存在すら認めていない個人や団体が今でも多く存在しており、この学校でも二カ月ほど前、夏休みの学校内で反対派の活動がきっかけで最終的には校舎の一角が爆破される事件が起きているのだ。どんな相談がどんな真相に辿り着くか見当がつかない以上、迂闊に依頼を安受けしてしまうようなことは許されない。

しかし、校内で仕事をしていれば生徒が機関室に直接来てしまう場合も多くある。だからと言って勇気を持って機関室まで来てくれた生徒たちを「正式な手順を踏まえてから出直せ」と無下にするわけにもいかず、オレは一応、話を聞くだけという名目で対応していたのだ。それが瞬く間に生徒たちの間で広まったらしく、気がつけば生徒たちが順をなしてオレを訪ねてくるようになってしまっていた。もちろん生徒たちには予めオレから直接、こういった相談に対して調査や解決に向けた行動はせず、あくまでアドバイスだけだと伝えてあるのだが、それでも昼休みや放課後に機関室を訪れる生徒は今でもいるのが現状だ。普段はなかなか言いづらいような内容を家族を除いた年上の社会人に相談できる環境と言うものは生徒たちにとって貴重な機会なのだろう。オレとしては生徒たちに頼ってもらえるのは機関員として冥利に尽きるのだが、その対応で仕事が後手に回り、時間が足りなくなって行くのも現実なのだ。

「いや、本当はこんなにのんびりとしている暇はないんだけど、どれだけ馬車馬のように働いていても仕事は減らないんだよなぁ、って。」

「ははは、ニイチャン毎日忙しそうだもんな。【ブロウズ】ってのは、生徒の恋愛相談も受け付けているのか?だったらウチの若い奴らのもよろしく頼むわ。」

シュニンはおそらくオレを励ますつもりで冗談を言ってくれていたのだろうが、今のオレは苦笑いしかできなかった。彼は缶コーヒーを飲み終えると、図書館の方から職人さんに手招きで呼ばれ、灰皿に煙草を押しつけた。シュニンは「またね」と一言言うと、こちらを振り向かず手だけで挨拶をして自分の仕事場に戻って行った。


オレは今、生徒の恋愛事情とは別に、何人もの生徒から同じ相談を受けている。


人間とは、他人から「絶対に関わるな」や「絶対に調べるな」と念を押されて言われると、むしろ余計に首を突っ込みたくなるものらしい。これは心理学的にカリギュラ効果とも呼ばれ、禁止されている事や規制されている事にこそ興味を持ってしまうというものだが、オレ個人としては心の底から関わってほしくない、調べてほしくないという願いを込めて、あのアホの子には注意をしたはずだった。しかし、「アタシたち生徒には真実を知る権利があるわ!そしてその為にはきっちりとした取材が必要なのよ!」と言って飛び出した以来、機関室には顔を見せていない。機関室に相談に来た女子生徒にもあいつの行動について聞いてみたが、どうやら学校にはいるものの、授業以外はほとんど教室におらず、いつもの取材用の道具が入った鞄を持ってどこかに行ってしまうらしい。どうせあいつの事だ、止めたところで勝手に動き出すのは想定の範囲内だったが、今回の相談に関しては可能な限り関わってほしくない。もちろんセイトカイもその相談内容については知っており、自身の所属する生徒会もあまり真に受けていないらしい。この間、書類整理を手伝ってもらっていたセイトカイにその話をしてみたが「いくらなんでも非現実的過ぎますから」と言って相手にしていなかった。オレ自身も、今は別件で案件を抱えているので、この先それについて調査するつもりも支部に報告するつもりもないが、アイツが意気揚々と取材しているとなると、あまり良い予感がしない。


オレは、完成した新しい図書館に向かう彼の背中を見送って、自身の机に置いてある生徒からの手紙に目を向けて、無意識に大きなため息を漏らす。


機関員さんへ

この間は相談に乗ってもらって本当にありがとうございました。お陰であの子とも無事に連絡が取れました。ところでウチのクラスでは最近、放課後になると機関室の前に見た事のない制服を着た男子生徒が歩いているという噂話がブームになっています。白い髪をしていて、髪の隙間から覗く顔も青白く、ズボンのポケットに手を入れたままふらふらと歩いているそうです。そしてその男子生徒はこちらから声をかけても反応せず、そのままどこかへ歩いて消えてしまうそうです。俺は幽霊なんて信じませんが、公的機関の人間としてどう思いますか?今度この間のお礼にあの子とお菓子でも差し入れしますので、その時にいろいろ聞かせてください。




〈1-3〉

 この高校の図書館は造りこそ古かったが、貯蔵されている本や資料の量はなかなかのものだった。元々は地方の大学で扱っていた本をそのまま譲り受けたそうだが、各言語の辞書や歴史の資料を始めとした遺跡や美術品、建造物から食文化についてなど多岐に広がる専門書もあり、授業で使う資料としても充分過ぎる程の内容のものが揃っていた。もちろん、教科書で扱われる文芸作品を始め、毎年なにかしらの章を受章した作品やネットで話題の作品など、高校生でも手に取りやすい作品も積極的に入荷している。電子媒体が主流となりつつある現代だからこそ、生徒が紙媒体である本に興味を持ってもらおうという学校をあげての取り組みが功を持しているのか、この学校の生徒は図書館で本を借りている生徒が多い。オレ個人としても、気になった本があれば駅前の本屋よりも先にここの図書館に足を運ぶほどだった。そういった利用者の増加も背景にあったのか、今年になって新しく建てられた図書館は以前のものよりも規模が大きく、内装も外装も地元出身の建築家によってデザインされた近代的なものになった。加えて今年からはこの学校の図書館を近隣の小中学生にも開放することになり、絵本やマンガ、さらには雑誌や新聞、映画や歴史的資料のDVDなども入荷し、子どもたちに勉強のきっかけとして使ってもらえるようになっている。もちろん、外部の生徒を受け入れるということもあり、この図書館には専門の学芸員や警備員も駐在する事になっている。利用する際には各学校から配布されている学生証を窓口に提示し、入館時間と退出時間を明記する決まりになっている。利便性を考えれば、ICカードによる管理が一番効率的ではあるが、ICカードの悪用や図書館内でも問題が起こる事を鑑みて、敢えて人による窓口での受け付けが採用されている。ただ、この高校の生徒及び教員には別でICカードが配布されている。これは外部からの生徒とは違い、普段の授業や自主学習、教員向けに館内に設けられた会議スペースなどを気軽に利用できるように配慮されている。入口は一階と二階とどちらにも用意されており、一階は校舎から渡り廊下に出た先に、二階は連絡通路で校舎と繋がっている造りになっている。どちらの入り口も駅の改札のような構造になっており、ガラス張りの窓口に受け付けと警備員が常にいる状態で、校内の生徒や教員はそこのある改札機のような機械にICカードを反応させて出入りできるようになっている。

「ふーん、新しくなったとはいえ、一階は今までの図書館とほぼ変わらない構造なんだな。二階にはマンガとか雑誌、絵本。お、映画まであるのか。へぇ、凄いもんだ。」

時刻は昼休み。オレは出来たばかりの図書館に足を運んでいた。まだ新品の匂いが多く残っている図書館には既に多くの生徒がおり、各々が各々の目的で利用しているようだ。

「前よりテーブルも椅子も増えているし、ガラス張りだから中は明るいな。二階は、ラウンジか。へぇ、まるで大学の図書館みたいだ。」

「そうなんだよ、都内にある図書館と比べても、そんなに遜色ないだろ?いずれは学生だけじゃなく、土日や祝日限定で地域の人たちにも開放する計画もあって、バリアフリー対策も万全さ。小さな子どもや赤ちゃん連れの家族、お年寄りや妊婦さんなんかも来る想定だからね。そしてなにより、今回担当したデザイナーがふんぞり返ったようなタイプじゃなかったのが救いだったね。」

新しい図書館に少々興奮気味のオレの横で、シュニンはイタズラっぽい笑顔でそう話した。

「高校生には少し贅沢過ぎる造りかもしれないけれど、身近にしっかりとした公共施設があるっていうのは他県や都心に進学した時でもいい経験になる。他人と共有するスペースでの過ごし方は大切なマナーの一つだからね。」

なるほど、確かにそういう考え方も学生に向けての教育の一つなのかもしれない。オレはシュニンの言葉に感心しながら、二階の奥にある会議スペースに入る。この会議スペースは教員や学校の委員会で使う以外にも、部活動でのミーティングや一般の方向けのカルチャー教室などでも利用してもらう目的で設置されたらしく、ホワイトボードや映像を映せるようなプロジェクターも備わっている。

「で、話ってなんだい?ニイチャンの方から呼び出してくるなんて珍しいじゃないか。」

シュニンはそう言いながら会議スペースの椅子に腰かけた。ワイシャツの腕をまくり、赤いネクタイをしているシュニンはキャスター付きの椅子でコロコロと移動させながらオレが椅子に座るのを待っているようだ。おそらくシュニンが座って遊んでいるこの椅子も、機関室でオレが使っている椅子よりもずっと質の高い椅子なのだろう。座った時の安定感がまるで違う。いいなぁ。この椅子。うん。良い。

「いや、ちょっと聞きたい事があってね。図書館の事じゃなく、シュニンのところの会社についてなんだ。厳密に言えば、そちらの会社の会長さんについてなんだけど。」

「ウチの会社?構わないよ。オレが知っている事ならね。」



質問:幽霊って、信じる?


〈二学年 女子 ブンゲイブ 購買部前〉

ユーレイ?シンブンブちゃん、どうしたの急に。うーん、そうね。個人的にはいてほしいとは思うかな。ほら、私もいろんな本を読んだり、部活では物語制作なんかもしているから、そういう科学では証明できないような存在が合っても良いとは思うの。もしかして、噂の男子生徒の幽霊について調べてるのね?誰かが学校に忍び込んでる可能性はないのかしら。でもあの警備じゃそんなの無理か。あの警備員さん、この間駅前で隣町の女子高の生徒と歩いてたわよ。お子さんかしら。


〈二学年 男子 キタクブ 渡り廊下〉

お、ブンちゃん。おはー。相変わらず頑張ってんね。ん?幽霊?いるわけねーってそんなの。最近ウチのカノジョもその話してたけど、見た事ない制服着てるんだってね。俺はやった事ないけど、他校に忍び込むのなんてそんなに難しい事じゃねぇよ?でも教室とかじゃなくてあの機関の人のところで見られてんだよな。そんなところで何がしたいんだろ。そんなことより、最近学校に出入りしてる工事の人たち、あっちの方がヤバいぜ。若い職人さんたちが体育館の裏で煙草ポイ捨てしてんだって。お陰で俺まで疑われて大変なんだよ、ブンちゃんの力でなんとかしてよ。頼むわマジで。


〈三学年 女子 ビジュツブ 美術準備室前〉

ああ、あの噂についてかな?みんな好きだよね、そういうの。私そういうの苦手なんだ、階段とか、お化けとか。いないに越したことはないんじゃないかしら。昔は神様とか悪魔とか、わからないものをそういうモノに当てはめてたんじゃないかしら。ま、それは個人的な見解だけどね。それより今はちょっとバタついててね。ほら、いま三学年で学校に来てない子がいるって話、聞いてない?それ、ウチの部員なのよ。家の事情とかで学校にこれていんないらしいんだけど、ケータイに連絡しても繋がらないのよね。私も隣のクラスの女子から聞いたんだけど、家に電話しても本人と話させてもらえないんだって。展覧会も近いから機関員のセンセイにも相談はしたんだけど、あの人も忙しいのかな。アナタも、なにかわかったら教えてね。



「会長の、お孫さんが?」

「ああ、オレもわかった時は少し驚いたけど、そちらの会社の会長さんのお孫さん。うちの学校の三学年の生徒なんだよ。最近になって急に連絡もなく学校に来なくなって、担任の教員が家に連絡したそうだが、本人に取り次いではくれないらしく、父親が家族の事情で休ませているとしか答えてくれないらしい。担任曰く、成績も優秀で人間関係にも問題があったとは思えないそうだ。ま、それについてはオレも調査したから間違いなさそうなんだけど。シュニンの方で、なんかそういう話を聞いたり、話題になっていたりしないかなと思ってね。」

 今から一カ月ほど前、オレは三学年の女子生徒が急に学校に来なくなったという相談を受けた。相談に来たのは女子生徒の担任と、その女子生徒が所属する美術部員の二人だった。本来ならオレは学校内における公的な立場が認められている為、生徒の家庭の事情にまで口を出せるような立場ではない。しかし相談に来た美術部員によると、学校内でのトラブルはなかったらしいが、部活から帰る道中で彼女は、家に帰りたくない、と頻繁に呟いていたらしい。担任もその事は知っていたらしく、万が一、家庭での暴力や虐待などで彼女の身になにかあってからでは遅いと考え、オレのところに来たのだ。

「そうだったのか。うちの会長は二カ月ほど前に亡くなってさ、会長のお孫さん、俺たちはみんなで親しみを込めて『お嬢』なんて呼んでいたんだけど、告別式でもお嬢はずいぶん泣いていたよ。たしか絵が好きになったのも会長の影響だったらしくてさ、昔から会長が現場に顔を出す時は必ずお嬢も一緒に来て、職人たちが作業しているのをスケッチしていたよ。俺はそれ以来お嬢とは会っていなかったが、まさかここの高校だったとはね。」

シュニンは懐かしむような表情でその女子生徒、『お嬢』について話してくれた。

お嬢は県内で行われる油絵や絵画の展示会などで常に賞をもらっており、その界隈ではお嬢の存在を知らない人はいないほどの有名人らしい。この学校でも周囲からの人望は厚く、性別を問わず人と接する事ができる人物だったそうだ。彼女の祖父であるシュニンの会社の会長は、一代で今の会社を立ち上げ、会社を大きく成長させた有能な人物で、引退後はその座を息子であるお嬢の父親に譲り、趣味であった美術品の収集をしながら隠遁生活を送っていたそうだ。しかし、父親はお嬢が中学の頃に離婚、受け継いだ会社をいずれお嬢に継いでもらう為に父親としては勉強に集中してほしかったそうだが、お嬢は父親の思いとは違う、美術への道を志していたらしい。それが原因で親子ケンカも絶えなかったらしく、その度に祖父が間に入って仲介していたそうだ。そんな中、祖父が二か月前に急逝し、それ以来今までよりも頻繁に怒るようになった親子喧嘩も仲介する人物がいなくなってしまったことで、今までよりも長く、そしてその様子も激しいものになっていたと会社関係者の間でも話が広がっていたとのことだった。

「社長の気持ちもわかるけど、今の時代、わざわざ世襲制にこだわる必要はないと思うんだけどね。今の社長は先代より仕事にもお嬢にも厳しかったからなぁ、年頃の女の子には窮屈だったんじゃないかな。それに今の社長、どうも仕事熱心過ぎるんだよ。社員総出で参列した告別式でも外でずっと電話していたし。仮にも自分の父親の葬儀だぜ?」



〈三学年 女子 バレーボールブ 体育館前〉

あ、シンブンブちゃん。今回はなんの取材?あぁ、あの謎の男子生徒の話ね。あれ、私も見たよ。え?うん。普通に見たよ。部活の練習で遅くなった日に、部室の鍵を職員室に返しに行ったんだけど、その途中で機関室の前でウロウロしてる人を見たの。見なれない姿だったけど、胸元にエンブレムみたいなものがあったから、たぶんどこかの制服だと思うんだよね。何かブツブツ言っていたみたいだから、どうしたんですか?って声をかけたらこっちを見てきて、何も言わずにどこかに歩いて行っちゃったの。気になって追いかけたんだけど、もうどこにもいなかったわ。幽霊って感じはしなかったなぁ。本当に、普通にそこにいる人って感じだったわよ。シンブンブちゃんも遅くまで学校に残っていたら、もしかすると会えるかもよ?




〈1-4〉

 人生には必要だと言われているモノが多い。どちらかと言えばむしろ多過ぎてしまっている気がする。それは食糧や水分、酸素や血液などのように生命の継続として絶対に必要不可欠なモノを除いて、果たして幾つ必要なものが挙げられるだろうか。文明の基で生きていく為の言語、外を歩く為の服や靴、それを手に入れる為のお金。そしてそれらがなぜ必要なのかと言う理由、言わばモラルや常識も必要だ。しかしこれに限っては国や地域によって何が尊重されているかは異なる為、全てが一律に統一されている訳ではない。だからこそ国や地域によって異なる文化が生まれ、その積み重ねが歴史となって今に続いている。しかし、この文化の違いという理解を各々が持つことによって、先に挙げた必要不可欠なモノが一転してくる。例えば服に関しても、果たして日本人が連想する服と他の国々の人が想像する服は同じだろうか。胸が露わになった状態のものも民族服として尊重している文化も多く存在すれば、性別によって肌の露出を極力控える事が正しいとしている国も存在する。服も靴も、文化も常識も、善も悪も、信仰する対象さえも。今の時代で言えば、携帯電話や車もそういった部類に分けられるのかもしれない。つまり『アタシ』が何を言いたいかって言うと、アタシたちの生活に欠かせないものなんて呼ばれているモノたちは、本当は在るに越したことはないモノが多いってこと。しかし、そんなアタシでも人間が人生という道を歩んで行く為に絶対に必要だと信じているモノがある。


ロマン。そう、浪漫である。

人生には浪漫が必要なのだ。


たしかロマンと言う言葉を最初に漢字に変換したのは夏目漱石だった気がするけど、要するに自分の中に燻ぶるわからないモノへの欲求とか、それを追求していく様を表しているとアタシは思っている。その行動自体に意味や価値がないとしても、どうしようもなく魅かれていくモノに浪漫を感じるのだとアタシは思っている。山を登り続けるのは、そこに登った事のない山があるからであり、別に頂上に持参した水筒を取りに戻る訳ではない。歴史に心が動かされるのは、今自分のいる場所で自分の知らない時代を生きた人がいたという事を城跡や遺跡などを通じて感じることができるからなので、その場で歴史を再現したい訳ではない。なにかを追いかける、なにかを目指して行動すると言う事に意味があるのだ。そしてそれは、確固たる自分の存在意義にもなりえるのだ。しかし。

「まったくもってロマンがないわ。どういう事なの。」

アタシは連日の取材活動によって入手した情報をまとめる為に、最近になって新しく完成した図書館の一階で資料を作成している。ここなら調べたい事があればすぐに資料をさがせるし、パソコンも使用できるのでネットでの検索も可能だ。おまけに空調設備も完備されている為、肌寒い日が多くなってきたこの時期の活動にはもってこいの場所であり、どこかの誰かさんが住み着いている部屋のように、うっすらと残った煙草の匂いもない。

「季節外れの幽霊話なんてやっぱり存在しないのかな。夏に出てきてこその存在なのかも。」

アタシが男子生徒の幽霊の噂について最初に耳にしたのは『アイツ』の資料整頓を手伝っている時に、何故か一緒になって手伝っていたセイトカイとの会話がきっかけだった。本当ならセイトカイもアイツに相談しようと思っていたらしいが、アイツは他の案件と急遽決行が決まった書類整頓に追われ、話すに話せなかったようだ。

「それにしても、まさか運動部の上級生がほぼ目撃しているとはねぇ。」

幽霊取材は思わぬ展開になっている。聞き込みを重ねる度に、見たという目撃談が増えていくのだ。アタシの立場としては情報が多い事に越したことはないのだが、これは単なる人探しではない。あくまで季節外れに現れた幽霊を追いかける取材なのだ。そもそもこちらは幽霊を追いかけるというモチベーションで取材を始めた以上、心の片隅に置かれていた本物の幽霊と出会えるかも、という期待を返してほしい。アイツが関わるなってしつこく言ってきたのはこうなることが分かっていたからだったのかな。でも、そうならそうとハッキリ言ってほしいものだ。たとえ年上の女性から日本人の心情は察しと思いやりが基本だと教えてもらっていたとしても、アタシにそんなこと期待しないでほしい。

とはいえ、アタシは今回の取材で得た情報は何一つ無駄にするつもりはない。

遅い時間に訪れる、幽霊ではいない、実在する人物、機関室の近くを歩く、見た事のない制服を着た、顔色の悪い、白髪の男子生徒。果たしてこれがどうやって、どこに繋がっていくのだろうか。

「あ、シンブンブ。ここにいたのか。」

不意に後ろから声をかけられたアタシは、思考を止めて席の後ろに振り向く。

「ん?あ、セイトカイじゃん。やっほぉ。」

「やっほぉ、じゃないよ。センセイの手伝いもせずになにやってんだ。本来ならあれはキミの仕事だろう?おかげで最近忙しいったらないよ。学園祭の準備もあるのに。」

セイトカイは少し息を切らしながら、アタシの向かいに座った。

「ん、センセイ?アンタまでそんな呼び方するようになったの?」

この学校では、アイツの事を機関員と呼ぶ派と、センセイと呼ぶ派の二派に分かれている。一部ではおっさんとかニイチャンなんて呼ばれているらしいが、アタシは一貫してアイツと呼び続けている。だって、アイツはアイツだもん。センセイって感じじゃないし、ニイチャンなんて呼び方は好きじゃない。そういえば『あの子』はアイツの事、なんて呼んでいるんだろう。

「あぁ、購買部のオバチャンがそう呼んでいたから、ボクもそうしようと思って。ほら、キカンインさんって長いし、呼びづらいからな。それにボクもまだ【ブロウズ】の存在を認めたわけじゃないからさ。」

この男は保健室爆破しておいて何を言っているんだろ。

と口に出さなかっただけでもアタシは自分を褒めてあげたい。

「そんなことより、シンブンブを探している人がいたぞ。」

「アタシを?誰?あ、まさかバスケ部のやつらじゃない?なんか知らないけど最近ずっとカラオケかゲーセンに誘ってくるのよ。適当に断っているんだけど、しつこくてさ。」

アタシの言葉にセイトカイはなんだか不機嫌そうな表情で「違う」と答えた。

「近くの中学校の生徒だったよ。女の子。なんか、渡したいモノがあるんだって。」



「わざわざすまなかったな、いろいろ聞けて助かったよ。」

「いやいや、なんか役に立そうな話があったなら良かったさ。いつもニイチャンの場所で煙草吸わせてもらっているし、このくらいならね。」

オレとシュニンは会議スペースから離れ、校舎へと続く渡り廊下を歩いている。かなり話しこんでしまったらしく、気がつけばもう十六時を回っていた。学校に来ていないお嬢の情報を学校内部のみで集めるには少々無理があったので、シュニンの協力のお陰で今回の大まかな全貌が見え始めた。

「あとはきっかけさえあれば行動できるが、こればっかりは本人からの依頼も必要だからな。どうにかしてコンタクトが取れればいいんだがなぁ。」

「あぁ、念のためオレからもお嬢の家や本人に連絡してみるけど、それにはあんまり期待しないでくれよ。社長に目をつけられたら、クビになるか海外に転勤になっちゃうからな。ウチの支店、フランスにもあるんだよ。ははは。」

シュニンはケタケタと笑いながらそう言うと、残っている仕事を片付けると言って駐車場の方に歩いて行った。そこまで大規模な会社とは思えないが、海外支店もあるのか。

シュニンから聞いた話によると、どうやらお嬢は不登校なのではなく、父親の意志で学校に行かせてもらえていないようだ。もちろん確実な証拠があるわけではないので教育委員会の委任状を持って突入、なんてドラマのようなことはできない。しかし、社長の自宅を兼ねて事務所に使われている家に仕事で何度か行った事があるシュニンや他の社員の話では、玄関にはお嬢のものと思われるローファーがあり、お嬢に父が離婚してから雇っているという家政婦が女性ものの服を干している姿を見ていることから、お嬢はどうやら自宅にはいる様子だったという。そして社長は自身の父であった会長が亡くなって以来、会長の遺産の事で親戚の間でずっと揉めているらしい。会長が集めていた骨董品や貴重な美術品たちを然るべき人や場所に鑑定してもらえば相当な金額になると知っていた社長は、葬儀が終わった後もずっと会長の家や部屋を訪れ、残されていた会長のコレクションを自分の車に積んでいたという目撃談もあったそうだ。「とは言っても、それがお嬢を学校に行かせない理由になるとは思えないけどな。」というシュニンの言葉の通り、遺産と娘の学業が繋がるとは思えない。生前はお嬢と祖父はとても仲が良く、お嬢が美術の道を志すようになったのも祖父の影響だそうだが、慕っていた祖父の死を悲しんでの行動なのであれば、逆に父親はどうにかして学校に行って欲しいと願うのが定石だろう。ましてや父親は自身の後を継いで欲しいと願っているのなら尚の事そうするはずだ。オレはシュニンや担任、美術部員から聞いた話を頭の中でまとめようとはするが、各情報が独立してしまっているせいで今回の件を順序良く整頓することができない。

「うん。とりあえず、購買部に行って休憩にしよう。」

オレは渡り廊下から校舎に入り、購買部へと足を向ける。その途中、オレは図書館の工事期間中に何度か見かけていた若い職人とすれ違った。彼はオレと目が合うと、小さく会釈をして図書館の方に走って行った。髪は脱色されて金色に近いが、年齢はまだかなり若い印象だ。オレと同じく購買部に寄っていた帰りらしく、手に持った白いビニールの袋には、菓子パンや飲み物が入れられていた。

「……オレもカレーパンにしよう。」

彼が走り去った後に残った香りがオレと同じ煙草の銘柄だと気付いたのは、それからしばらく経ってからの事だった。



「えっと、シンブンブさん、ですか?」

図書館からセイトカイに引っ張られて、アタシは校舎の正門前まで来ていた。セイトカイはそのまま仕事が残っているからと校舎に戻って行ってしまったので、アタシは今、全く見覚えのない中学生と二人きりになってしまっている。先ほどからずっと必死に中学の頃の後輩の顔を思い出しているが、目の前にいるこの子の顔は一切覚えていない。

「えっと、うん。そうだけど、キミとは初対面だ、よね?」

「えっと、はい。そうです、初めまして。」

思い切って聞いてはみたが、やはり初対面だった。

「……」

「……」

き、気まずい。これはなんの沈黙なのかしら。アタシを名指しで探していたと聞いていたので、アタシは会えばすぐに用件を話してくれると思っていたのだが、どうやらそれは淡い期待にも似た勘違いだったようだ。冷静に考えれば、近所とはいえ初めて高校に足を踏み入れ、しかも初めて会う先輩を前にすればほとんどの中学生はこうやって緊張するのかもしれない。目の前にいる中学生はまだ化粧気のない顔で、まだ運動靴を兼ねた学校指定のスニーカーの様なものを履いている。まだ一度も染めた事のないのであろう黒い髪は、きっちりと眉の上で整えられている。どうやらここは、先輩であるアタシが頑張らないといけないようだ。

「オホン。それで、わざわざ高校に来てまでアタシに用事って、どんな用件かな。」

アタシがそう切り出すと、中学生は少しホッとしたような表情で、手に持っていたカバンから白い紙を出して、アタシの方に差し出してきた。

「あの、これをシンブンブさんと機関員の人渡してほしいって頼まれたんです。先輩から。」


肌に触れて逃げて行く木枯らしが、正門前の木々を優しく揺らしていた。


「その先輩は、この高校の三学年で、美術部にいるんです。今、どうしても学校に来れないんです。私にはこの手紙の意味はわかりませんが、先輩は、自分の部屋から出してもらえない中で、私にメールでこれを送ってきました。どうかお願いです。お嬢先輩を助けてあげてください。」


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