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2017年/短編まとめ

うんと背伸びしてみなよ

作者: 文崎 美生

思ったよりも華奢な指先が、煙草を挟め、口元に寄せる。

前屈みになりながら、手元を覆うようにして使い古されたジッポーライターで、その煙草に火を灯す。

ジリジリと灰が増えていく音が響く。


敵軍の死体を踏み付け、硝煙でくすんだ空へと昇っていく紫煙。

薄い唇から吐き出されるそれに、どうしようもなく心奪われたのが、特殊部隊に属して初めて戦場へ飛び出した日だった。


***


基地内の壁を伝って歩き、目当ての扉を開く。

鼻を突く薬品の匂いと、全体的に白っぽい部屋の中に、目当ての人物はいた。


「オイ、とっとと閉めろよ。んで、俺の仕事の邪魔すんな」

「……せんせぇ」


デスクに向かってガリガリと何かを書き付けながら、こちらを振り向かずに言った先生。

この部屋――医務室の主である軍医の先生は、俺の呼び掛けに椅子を回し、俺をその視界に入れた。

赤い縁眼鏡が、蛍光灯の光を受けて光る。


一瞬見開かれた赤い目は、瞬きの間に細められ、先生の体は回転椅子の背もたれに沈む。

ギシリと金具の軋む音がした。


「……弾は」

「貫通してます」

「汚さず入って座れ」


腹部を抱えながら歩く俺は、扉を後ろ手で閉めて、言われた通りに座る。

汚さない、と言われても、既に俺の手も軍服も汚れていて酷いのだが。


溜息を吐きながら、救急箱に合わせてその他の医療器具を出す先生。

汚れ一つない白衣と、その中のよれたシャツを見ていると、先生が問答無用で俺の軍服を捲り上げた。

「確かに貫通してんな」という呟きと共に、何故か舌打ちが聞こえる。


「残ってたら抉り取ってやろうと思ったのにな」

「ヤメテクダサイ」


傷口を見下ろす先生の目が薄ぼんやりと光ったように見え、体が固まる。

ぐちゃり、と果実が潰れるような音共に、傷口を抉られるところまで想像をした。

しかし、現実は傷口に浴びせるように消毒液を掛けられる。


痺れるような痛みに、一度床を踏む。

水で濡らしたらしいタオルで、固まりつつある血液を拭われ、再度消毒液を掛けられる。

待って、順番がおかしい、そんな声すら出せずに、ちょ、ま、じゅん、痛い、を繰り返す。


「しっ、け……つぅ……」


強い力で先生の腕を掴むが、はァん?と形の良い眉を歪められ、ガーゼを引っ張りだしながら「ああ」と頷く。


「止まってっから関係ねェわな」


救急箱からガーゼを引っ張り出す先生。

止まってる、その言葉に視線を腹部へ落とせば、既に洗浄された傷口。

ぽっかりと空いた小さな穴からは、何も流れ落ちていない。

そのくせ、痛みだけは一丁前に残っているようで、先生が「内臓に傷が付かなくて良かったな」と言ってる間も、俺は奥歯を食い縛る。


「焼くか、煮え油か」

「普通に軟膏で!!お願いします!!」


焼くか煮え油か、なんていつの時代だと冷や汗が流れ出る。

鋭い舌打ちと共に軟膏が取り出され、中のものを傷口に塗り込まれた。


まず、腹部の銃創は、即死しない代わりに、馬鹿みたいな痛みと後日の死亡率が高い。

頭や心臓を狙われた方が楽だ。

それをかつては、傷口を焼いたり、煮えたぎった油を掛けるという、非人道的に思える処置をしていた。


痛む箇所を眺めていると、ガーゼを貼り付けられ、グルグルと真っ白な包帯を巻かれる。

最後の方は、それが解けないようにとギュッと締められ、痛みと圧迫感で呻く。


「アイツもそうだけど、お前も大概だな」

「っぐぅ、くるし……」

「傷の治りが早いのは良い事だが、直るからって考えで馬鹿みたいな特攻を仕掛る」


オラ、終わったぞ、と勢い良く傷を叩かれ、声にならない悲鳴を上げた。

痛みで背を丸めていると、ガチャガチャと器具を片づける音が聞こえてくる。

視線だけを上げれば、白衣の裾が揺れているのが目に入り、俺は口を開く。


「あの、先生」

「あ?」

「この事、隊長には黙ってて下さい」


少しばかり大きな音を立てて、救急箱の蓋が閉まった。

振り返った先生は、温度を感じさせない目で俺を見下ろし「何で」と淡白に問う。


「……だって、言ったら怒られる」


無意識のうちに唇が尖る。

デスクに輿を押し当て、体重を後方に掛けた先生が、何かを考え込むように顎を撫でた。

先生は良く怒鳴り、怪我をしてくる度にポコポコとお説教を飛ばすので、怖いは怖いが、慣れつつある当たり前でもある。


そんな中、思い浮かべる隊長は、表情筋を動かす気力さえもなさそうな、気だるげな姿。

だが、一度戦場へ出れば、珍しい緑の瞳が野生動物のように光り、迷いなく地面を蹴る。

いつだって一切の躊躇なくナイフを振るい、銃を構える隊長を見てきて、そんな人の役に立ちたいと思い、同時に、足でまといにはならないようにしようと思った。

紫煙がくすんだ空に溶けていくのが、瞼の裏に蘇る。


「悪ィな、それは守れそうにねェわ」


眼鏡を押し上げる先生。


「だってアイツ、お前より先に此処に来たし」

「えっ」

「手当終わったら来るようにってよ」


先生の目と口がニィ、と弧を描く。

それに反して俺の顔からは、血の気が引いて見えていることだろう。

そう見えているはずだが、先生の口からは至極楽しそうに「アイツの目を誤魔化せると思ってる時点で、詰めが甘いんだよ」と俺に告げる。


静かながらに確かな怒気を滲ませ、医務室へやって来た隊長は俺の怪我を知っていて、報告をして戻って行ったと言う。

火の付いていない煙草を噛み締めていた、と言われて苦し紛れに乾いた笑い声を漏らす。


器具を片付け終わった先生は、ペンを握り、デスクに向かい直した。

ついで「そこに置いといた軟膏とガーゼと包帯持って行って替えろよ」と言われ、それらが入ったらしい紙袋を持ち上げる。

中身を覗けば、取り敢えず一日分入っていた。


明日にはまた医務室へと、足を運ばなくてはいけないらしい。

「とっととアイツのところ行けよ」という言葉を受け、医務室を追い出される俺は、扉を閉めて、息を吐く。

傷を負った上に精神的にも足取りが重くなり、隊長の個人部屋が遠い。


「……怪我は」


射撃訓練所辺りの廊下は、出窓が付いていて、その出っ張りに腰を下ろす隊長がいた。

溜息を吐きながら、俯きながらで、声を掛けられるまで分からず、慌てて足を止める。

ガガッ、と自分の足に足を引っ掛けながら振り返れば、煙草を咥えている隊長。


軍服ではなく、黒いシャツとパンツという軽装だが、細められまた緑の瞳は、ナイフのように鋭く俺を射抜く。

喉元がヒクリと動いたが、ズレたサングラスを上げるだけに止める。


「えっと、薬、貰って来ました」

「そう」


紙袋を掲げるが、隊長の目は直ぐに逸らされ、ジッポーライターを取り出す。

煙草に赤い光が灯ったと思ったら、じわじわと燃えて灰が増える。

壁には、火気厳禁の貼り紙がされているが、隊長はそんなことお構い無しのように、紫煙を燻らす。


「……死ななくて良かったね」


薄く開いた唇からは、感情の込められていない言葉と共に紫煙が吐き出される。

体に良くない煙が、鼻と口を通って俺の肺を焼く。


「生きてて良かったね。そうじゃなきゃ、そうして立ってられないもんなぁ」


煙草を咥えた隊長が、ゆっくりと地に足を下ろし、俺の前に立つ。

長いアッシュグレーの髪は、毛先に向かうにつれて色が抜けている。

緩く傾げられた首に、敬礼をした。


「つ、次は……」

「……ふぅ。死んだら、次はないよ」


紫煙を顔に吹きかけられ、噎せる。

そんな俺を見た隊長は片目を眇めながら、自室のある方向へと歩き出す。

残った紫煙に、紙袋を握る手に力が入り、グシャリ、音がした。

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