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Ⅶ 「むくろ」

 神田が起きて、あるいは、起こされて、気づいた時には見知らぬ場所にいた。

 頭痛と吐き気に苛まれ、俯いた。口を覆おうとする手が、出ないことに気付く。

 椅子に縛られた体。口はテープで塞がれ、手は後ろできつく縛られ、足は椅子の脚に固定されている。椅子ごと体を動かそうと努めるが、無駄に終わった。床と四つの脚は、完全に糊着されている。動こうとする意志があるとも、結果は絶望しか生まない。

 辺鄙なコンクリート部屋の中にいること、彼女は別段恐れはしなかった。壁面に血の掠れ、穿かれた穴、衝撃で崩れた跡を見てさえも。首を回して、後方のふた隅に、迷彩のスカーフを巻いた長身の男と、ロングコートの襟を立て口元を隠している先ほどの女を見た。ふたりとも腕を組んで、ひっそりとそこに佇んでいる。男は目を見開き天井を仰ぎ、女は目を瞑って床を見ている。

 今度は真っ直ぐ、前方にある壁を穿いてガラスがはめ込まれた先にある、もう一つの部屋を見た。右手にはそこへ通ずる鋼鉄のドアがある。

 そして、その部屋の真ん中に、神田と同じような状態にされて、背を向けた身が、いる。拘束された四肢を自由にしようと、足掻いている様子が鮮明に見えていた。

 だからこそ、見えているからこそ、彼女は、叫ばずにはいられなかった。

「むくろっ!!」

 名前を言われても、彼女はぴくりとも反応しなかった。同じように、じたばたと体を揺らしているだけ。

 だから、何度も同じように叫んだ。

 けれど、何度やっても結果は同じ。

 不思議に思うも、身の声が自分に伝わっていないことに気づいて、防音だと判断した。

「むくろ、っていうのかい? あいつの名前は?」

 ぽんと、頭に白鞘が乗って、神田は抗うように頭を振って、後ろへと視線を向かわせる。

 先ほどの二人とは違う、白鞘の刀剣を持つ若い男が、待ち構えている。茶のスーツを着こなして、風体こそ端正に見えるが、出で立ちが、あの二人とは違うことに神田は呆然としていた。

「なら、俺が本当の骸にしてやるよ」

 男が言って、右手のドアを解錠して、少ししてから身のいる部屋へと姿を現した。無地の黒布で、目隠しをした状態で。処刑人の様だ、と神田は思った。過る思いが、彼女を不安にさせる。

 後方から聞こえる足音に、身が気付いた様子で、体を震わせた後、横でぴったりとくっついて立ち尽くす彼に視線を注いでいた。神田からはその横顔だけが見える。頬には無数の涙のラインが、幾重にも描かれている。恐ろしさから、泣いているのだ。

 ぷつりと、何かのスイッチが入る。それから、微妙のノイズが、部屋の中を奔った。

「神田。お前が、巷でヒーローと言われているのを聞いたのだよ。そして、私たちはそれを良くは思わないのだ」と石橋の声が部屋に響いた。古臭い放送で。「我々は独自のコミューンを形成してきた。戦時後の良き大蘭を取り戻そうと、意思表明した人間たちが集まったコミューンだ。表向きでは、内部の人間が俗界から隔離されたこの敷地で農業を営んでいるだけの団体だが、コミューンの本質は違う。今の、今現在の悪しき大蘭を、悪しき人々を粛清して、一旦零に戻すのだ。そこに、我々の賢いコミューンの人間たちを住まわせ、良き町、大蘭町の完成を目指す。けれど、それにはきちんとした台本が必要なのだ。今はまだ、君に言う必要はないがね。いや、今後とも、といった方がいいか」

 白鞘を持った男が、胸に口を近づけて、喋る素振りを見せ、

「石橋よお、喋るのも良いが、早く用件だけ済ませてくれ」

 放送から、彼の声が聞こえた。

「町田、少し急ぎ過ぎた。神田と長年の付き合いだった友人とが、離れ離れになってしまうのだぞ? いくら私とて、そこには辛いものがあるのだよ」

白鞘を持った町田が、舌打ちをする。それきり、胸元から顔を逸らしてしまう。

「神田、君は私たちの粛清に加担してきてくれたんだ。それは、君がこの娘の借金の肩代わりをすると言ったところで、始まっていたんだ。最初の頃、君は粛清の依頼をきちんとこなしてくれていたよ。表面上では、脱税をした社長、売春を職業とするやくざ、強姦魔、強盗、そこらの不良、といった風に、いつも無駄な正義を掲げた依頼をしてばかりいたんだよ。…あれは、全て嘘だ。そこにいる優秀な情報源のブロンドのティーとミリタリーな西柴君が教えてくれてね」

 神田が隅にいる女を睨んだ。ティーは、未だに目を瞑って俯いているのみだ。西柴も先ほどと同じ。何一つ変わっていない。

「神田と言う人間は、正義を持っていると、ね。安っぽい正義だよ。嘘を全て飲みこんで、無実の人間も巻き込んだ粛清を展開してくれているとは」

 それまで黙りっきりだった神田が、そこで口を開く。

「あんたらが騙していたんじゃないか!」

 放送口の石橋が、ぐっと胸に迫りくる何かを飲み込んで、

「神田、騙した騙されたの問題じゃないんだ。結果としては、君が殺人を犯したのは事実だろう? それも、さぞ楽しそうに」

 言われて、神田が黙った。何も、答えられなかった。

「人に暴力を振るって簡単に殺しを行って、抑制心が無い。実に素晴らしかったんだ、君は。けれど」と石橋が言った。少し間を開かせる。「今更、大蘭のヒーローにさせはしない。それは、大分危険なことなんだ。少なくとも、我々にとっては、ね。」

 ヒーローと、神田は言葉を聞いて、胸中にある闘志が、疼いた。そしてやはり、公望が言っていた通りだ。そうすれば、この場の結果は。

「もはやお前は、身の為ではなく、己の為に我々に従ってもらう。なにもかもだ、仔細に記録していたお前の殺人劇を、今度お前が我々に逆らった時に暴露させてもらう。そして、今ここで、我々の片鱗を、三人の片鱗を、見てもらう」

 あちら側の部屋にいた町田が、天井を仰ぎ見た。迷彩バンダナの人間と、同じような行動に見えたが、彼の場合は、なにかの決心をした素振りに見えた。

「石橋。マイクは?」

「切っておけ。私の元に、そんな不快な音声を入れるな」

「オッケー」

 そうして、放送が打ち切られた。微量のノイズ音も、もはやしない。

 神田は、身が今しがたどのような状況に置かれた人間なのか、薄々気付いてはいた。けれど、それを事実だと認識できる筈があるだろうか。

 よもや、命まで救われて、友達とまでなり、大蘭での数年を過ごした人間を、こんな場所で、こんな状況で、下衆な人間たちに、下等な人間たちに、命を奪われる必要性が、どこにあるのだろうか。

 神田は伝わらないとも知っていながら、非情な人間たちを前にして、身の名を何度も呼んだ。そうして、この場が打開できないことなど、分かっている。分かっていても、愛すべき人の死に際に、その名を呼ばずにいられようか。

 ティーが、神田の口を押えた。最初、神田はそれに押し負けて涙を流すだけしていたが、次第に噛み付き、顔を横に縦に振ったりして抗った。けれど、耳元で、「辛抱だ」と呟いたティーの声を聞いて、ぱったりと止めてしまった。

 見えない筈の町田が、身の背後へ立ち、神田に見せるようにして抜刀した。酷く煌めく、刀身が露わになる。

 身が、震えていた。

 もはや希望の光などそこには無くて、あるのは只々深い虚無の闇を見せる絶望のみだ。

 町田が、神田の口元を塞ぐティーを睨むと、抜刀した刀を思い思いに振って、部屋を隔てたガラスを粉砕した。高い音を立てて破片がそこらに飛び散る。

 神田は目を見張って驚いていたが、ティーは別段、表情を変える事はしないでいた。

「ティーよお。その口はそのままふさいどけ。けどな、耳は塞ぐな。最後の別れの挨拶ぐらい、させときたいだろう?」と町田が彼女らに刃先を向けたまま言った。「ただ、こっちの部屋にいる小娘だけの声でな」

 ようやくその時にして、神田の耳に身の泣く声が、届いた。

 神田さん、神田さん、と彼女も名前を呼んでいる。

 けれど神田が、それに応答する術を、持ち合わせていなかった。ティーの掌が先ほどよりぐっと圧迫してきていると、神田は感じる。

 助けて、助けて、と次第にその声は潰れて、嗚咽へと代わっていった。

 町田が、舌打ちをする。そうして、身の前に立った。

「お前はさあ、切られたっていう感覚もなしに殺してやるよ。視界が横になって、床にいった時に、ようやく判断できるさ。そうしてようやく、痛みが来る。次に、死が訪れるのさ。もうその時には、あいつの名前も言えないようになっているがな」

 言って、片手に刀を一線上に、横に振りかぶって見せた。刀身はもはや、彼の背後に回っている。

 身の体が、ぐっと竦んだ。

 神田が、身を乗り出す。けれど、枷に阻まれ、あえなく阻止される。

 一閃して、町田の刀が身の首を通っていった。

 見た者はいない。目を見張っていても、その速さについていける者はいない。

 反対側へ渡った刀に血はあるが、身の首は体にあるままだった。

 慈悲をかけたのだと、神田は思った。即座に、ティーの手を掻い潜る。

「むくろ!!」と、そう声を掛けた。

 けれど、応答はなかった。代わりに、玩具の笛を吹くような音が聞こえる。

 町田が、表情を歪ませながら、柄頭で、身のこめかみを突いた。

 ぐらりと、揺らいで、ゆっくりと、落ちていく。コンクリートの床に、鈍い音を立てて。

 動脈から噴出する血飛沫。断ち切られた頭。中枢を失った幼い体。

 一閃して、その場に居合わせる全ての人間が返り血を浴びる。

 神田が、誰よりも先に激昂して、叫びたてた。身の名を呼ぶ一方で、斬殺した町田を殺すと口から怒号が発する。

 町田が神田を一瞥して、床から何かを引きずり取った。彼女の視界に入って、掴まれたそれが身の首であることが分かった。

 髪を鷲掴みにして、それが投げ入れられる。

 またも鈍い音がして、神田の足元付近に転がった。血がそこらに付着する。

 もはや、名前を呼ぶ気力もしない。

 けれど、その瞳孔の光さえも失った身が、何か言ったように感じた。口元が、齷齪として何度か開いたり閉まったりする。

 神田には分かっていた。「かんださん」と、身が言っているのだと。死の寸前になっても、身は神田の名前を呼び続け、来てくれるのだと信じている。

 そうして、あの時の、記憶の内でも聞こえた「でも」と言った言葉の意味が分かった気がした。

(でも、私は、信じています。ヒーローが来てくれることを。ずっとずっと)

 神田が深く沈黙して、一番先に気付いたのが、町田だった。

「おいっ! 口元を見やがれ!」

 ティーが言われて、真っ先に神田の唇を見つめた。艶やかなそれに垣間見て、血が漏れ出している。

「そいつ、舌を噛んでやがるぞ! そのままだと窒息する!」

 けれど、誰もがそれを救える手立てを、考え付くことなど有りはしなかった。

 ティーが放心して、西柴が腕を組んで、町田が地団駄を踏んだ。


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