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小説競作企画・参加作品

もう一つのクォンタム・土星に魅惑された恋人たち

作者: 檀敬

土星に魅惑された恋人たち 【あなたのSFコンテスト・参加作品】

「あなたはこのコンパートメントね」

 女性生活担当官は一人ずつ名前を確認しながら案内していく。

「はい」

 一人ずつ減っていく、地球から来た新人達。

「君はそちら、そして貴女はこちらのコンパートメント」

「オッス」

「はい」

 男女一人ずつが廊下の左右にあるコンパートメントへと消えていった。残りは二人。男と女。女性生活担当官は突き辺りの扉を指差して言った。

「あなた達はこのコンパートメントね」

 その指示に男女がそれぞれ答える。

「分かりま……え?」と女。

「は、はぃ?」と男。

 戸惑う男と女。その横で女性生活担当官はニヤリとしていた。


 土星。

 太陽系でこれほど見事な『環』を持つ惑星はない。

 その土星の、公転半径一ギガメートル、第六番衛星・タイタンのすぐ内側の軌道に投入された、宇宙ステーションの規模をはるかに超えた、千人規模の人間が滞在する宇宙施設、それが『サターン・ISC(土星・インターナショナル・スペース・シティ)』である。

 それは、土星からの太陽光反射と土星自体からの放射熱や土星の大気である水素やメタンを用い、OVG(オービット・ベジタブル・ガーデン[軌道菜園])やWLF(ウェイトレス・ファーム[無重力農場])、RS(ランチ・サテライト[牧場衛星])やAFM(アグリ・ファクトリー・モジュール[農業工場宇宙施設])をも擁した、まさに『コロニー(植民衛星)』と呼んでも差支えない規模なのだ。


 その『サターン・ISC(土星・インターナショナル・スペース・シティ)』に、今年の四月に滞在勤務者の交代があった。地球から来た十数名が配属されたのが、そのうちの男一人、女一人が野口伊織(のぐちいおり)であり、佐野千明(さのちあき)だった。

 野口伊織の職業は「エンジニア」で、特に制御システムの保守点検を担当する部署である。なので、土曜や日曜にシステムメンテの予定が組まれることは普通だった。

 佐野千明の職業は「ナース」で、メディカルセンターで看護業務を担当しているので、土曜日曜に夜勤を含む交代勤務のシフトは普通のことだった。

 二人は同じ年歳の二十三歳で、地球での地上業務はそこそこに経験があるのだが、互いに初めての宇宙施設勤務で、土星に滞在するのも初めての二人だった。


 しかし、当局の恣意的手違いで、男の伊織と女の千明が一つのコンパートメントでルームシェアをすることになってしまったのだ。もちろん、土星派遣前に地上での書類確認は、当局の手によってキッチリと行われていたのだが、伊織と千明の二人の、それぞれの書類確認はこんな調子だった。

 伊織は漢字に疎くて「千明」を「せんめい」と読んで、男性と思い込んでしまったのだ。

 千明は「いおり」という名を何にも疑わずに女性と思い込んでしまったのだ。

 男女の指標などはとうの昔に書類上では取り払われていたので、男女の判断は微妙だった。けれども二人は、それ以上の確認もせずに出発前の地球でその主旨に合意をして署名を行ってしまったのだ。

 そして、それは現地のコンパートメントの気密扉の前で発覚した。そこで、伊織と千明の二人はお互いを指差したのだ。

「あーっ、男だ!」

「あーっ、女!」

 千明と伊織とがそれぞれ、そう叫んだ。

「『伊織』って女の子の名前じゃないの?」

 女性生活担当官に詰め寄る千明。

「『せんめい』だと思ってたよ。俺、漢字は苦手なんだよなぁ」

 静かにうな垂れる伊織。

「申し訳ないですが……他のコンパートメントに空きは有りません。それにメンバー交代やルーム交換の希望も出ていませんので、このままで暮らしていただくしかありません。幸いにして共用スペースを挟んで二つの部屋の仕様ですので、支障はないと思いますが?」

 やり手な感じの細い金縁のメガネを掛けた女性生活担当官が二人を威圧するように睨んだ。

「で、でも!」

 詰め寄ろうとした千明。だが、女性生活担当官に軽くあしらわれてしまった。

「それに、地球出発時点での合意はお互いになされていますからねぇ」

 一呼吸をおいて、女性生活担当官は二人をキッと睨み付けた。

「合理的な不都合があれば考慮しますが、合理的でない理由による拒否はお二人ともに『強制送還処分』となると思ってください」

 女性生活担当官の言葉に千明と伊織は何も言えなかった。数々の試験をパスしてやっと辿り着いた『サターン(土星)ISCインターナショナル・スペース・シティ』の職場だ。その立場をそう安々と不意するなんてことは出来ない。

「何か『合理的な不都合』が発生しましたらご連絡を。それでは、ふふふ」

 二人の様子を確認した後に捨て台詞を残して女性生活担当官は去っていった。残された千明と伊織は無言でコンパートメントに入り、黙って左右に分かれて別々の部屋に入っていった。


「お風呂に入るけど、絶対に覗かないでよね!」

「覗きませんよ!」

「早くトイレから出てくれよ!」

「うっさいわね!」

 こんな調子で、最初の一週間は顔が合えば文句を言ってケンカをしていた伊織と千明。食事の時間が重なる、洗濯がかち合う、風呂場で出くわす、トイレに入れない、等など、生活習慣の違いからくる衝突であり、どんな組み合わせでも多かれ少なかれ発生する事例ではあるのだが。

 十日ほど過ぎると、お互いに行動パターンを分析したり気配を感じたりして、大きな衝突は無くなっていたが、小競り合いはまだ絶えなかった。

 そんな小競り合いも変化が生じ始めていた。口ゲンカの最中に伊織がハッとして急に黙り込んだり、悪くもないのに「ごめん」と謝るようになった。そんな伊織の様子に、今度は千明もハッとして「あ、いえ、そんな。決してあなたがね、悪い訳じゃ……ないわ、うん、そうよ……」と、口ごもるのだった。

 伊織は、料理を作ったり、洗濯をこなし、お風呂やトイレの掃除もしたりと、意外にマメでキッチリとした生活態度だった。もちろん、千明もきちんとした生活態度を持った女性であり、それゆえに伊織のマメさに嫉妬したりする時があった。

「それ、あたしに対する嫌味?」

「そんなつもりじゃ……」

 千明の言葉に、困惑する伊織。

「でも、キレイな方が気持ちいいから。そう思いませんか?」

「ま、まぁ、それはその通りなんだけど……」

 伊織の言葉に、今度は千明がタジタジになる。

 そんなやり取りの末に出来たのは、男女が暮らすに際して有りがちなことではあるが、掃除当番と食事当番を決めたルールだった。ルールは単純明快で『掃除当番と食事当番を毎日交代で行う』ということだけだ。ただし、洗濯については自分のモノは自分で行うことと取り決めた。


 しかしながら、こうしたルールはすぐに破られ、もとい破って、いやいや破綻してしまうのが常である。一般的には、必ずそうなるはずなのである。伊織と千明に関しても確かにルールは破られた。破られたのだが、それが意外な方へと進展したのだった。

 キッカケは『洗濯物』だった。

 その日、千明は当番であるお風呂掃除をしようとサニタリーに入った時、洗濯機の上に見慣れないカゴが置かれていて、その中に畳まれた洗濯物があった。不思議に思ってカゴの中を見ると、それは千明自身の衣料だったのだ。

「なに、これ? あたしの服じゃない……そういえば、昨日は洗濯機に放り込んでそのまま寝ちゃったんだわ!」

 そのカゴの中には、仕事着やブラウス、スカートはもちろん、ブラやパンティの下着もあり、しかもそれら全てがキレイに畳まれていたのだった。おまけに千明自身が畳むよりもキレイに! 千明はそのカゴを持って伊織の部屋をノックした。

「ちょっと! これ、どういうことなの!」

 扉を開けた伊織に、有無を言わさず千明は噛み付いた。

「洗濯はそれぞれでやるって決めたじゃない! これはあたしの洗濯物よ! どうしてこんなことをするの!」

 ひどい剣幕の千明に、おずおずと伊織がと答える。

「ごめんな。悪いなとは思ったんだけど、洗濯機が一台しかないから、洗い終わっていた君の洗濯物を取り出して、僕のを洗ったんだよ。ちゃんとキレイに乾かして畳んでおいたんだけど」

 それでも怒りが収まらない千明だった。

「あのね、経緯の問題じゃないの! ……あ、もちろん、あたしが洗濯を放っておいたのがいけないんだけどさ……だ、だからってあたしの洗濯物に触らなくてもいいじゃない!」

 千明の言い分に、伊織は頭をポリポリと掻きながら平然と答えた。

「大丈夫だよ。僕は慣れてるから。姉貴にいつも家事を押し付けられてさ、パンティとかブラジャーとかの畳み方もミッチリ仕込まれたから」

 伊織には全く悪びれた様子がなく、逆に戸惑いの色の方が濃かった。その様子に千明は唖然として、そして赤くなっていた。

「あ、あ、そう……と、とりあえず、お礼を言っとくわ、あ、ありがと……」


 このキッカケは、更に進展する。

 その翌日、食事当番だった千明は動揺していた。千明としては、伊織に下着を見られたことがショックだった。それに伊織の「慣れている」って言葉もちょっと気に入らなかった。

「あたしの下着なのよ。ちょっとは、その、ドキッとして欲しいわ」

 そんなことを考えながら、料理の支度をしていたのだ。だからだろうか、千明は包丁で左手を深く切ってしまったのだ。

「ぎゃ!いたっ!」

 ドクドクと流れる血に、ナースである千明自身が取り乱して収拾が付かなかった。

「血がーっ! 血が止まらないっ!」

 騒ぐ千明に駆け付けた伊織が応急処置を施して、メディカルセンターに千明を運び込んだ。

「いつも沈着冷静な千明君が取り乱すなんて珍しいな。どうしたんだ?」

 千明を知るドクターが治療をしながら、そう呟いた。

「ベ、別に……」

 赤くなって目を伏せる千明を見たドクターは、伊織に言葉を掛ける。

「彼氏君、千明君の左手だが一週間は使えないから、申し訳ないが面倒を見てやってくれ。よろしくな」

 そう言われた伊織は素直に答える。

「はい、分かりました」

 しかし、千明は大声で反論をする。

「ドクター、違いますって! 彼はただのルームメイトですってば!」

 その様子を見て、ドクターは微笑んだ。

「分かった、分かった、フフフ……」


 コンパートメントに戻った伊織と千明。ダイニングテーブルでボーっとする千明を伊織は見つめていた。

「痛いのかい?」

 心配そうに千明に尋ねる伊織。

「……うん、大丈夫よ」

 か細い声で答える千明。

「ごめんね、当番が出来なくて」

 千明が申し訳無さそうに言う。

「いいよ、そんなこと」

 伊織が応える。

「一週間、僕がやるから大丈夫だよ」

 伊織の言葉に、千明は抗議する。

「ダメよ! ルールはちゃんとまも……」

 言い掛けた千明の口を、伊織は人差指で塞いだ。

「それこそダメだよ。ちゃんとドクターの言い付けは守らないと」

 爽やかな笑顔で伊織は千明に告げた。

「……はい……」

 しおらしくなった千明は頬を染めて小さく返事をした。

 その一週間、伊織は仕事をこなしながらも家事をほぼ完璧にこなした。伊織のその姿を、千明は頬を染めながらボーッと目で追っていたのだった。


「今日、抜糸したわよ!」

 コンパートメントの扉を開けて勢いよく入ってきた千明は、包帯の取れた左手を伊織に見せた。

「それは良かった。今日はお祝いをしなきゃねー」

 嬉しそうに微笑む伊織。

「これでやっと当番が出来るわ」

 当番が出来ることを嬉しそうに語る千明。

「ダメだよ、まだ本調子じゃないだろ?」

 たしなめる伊織に、千明は小さな包みを差し出した。ひどくモジモジする千明の顔は既に真っ赤になっていた。

「あ、あのね、これ、あたしからのお礼。一週間、ありがとう」

 包みを受け取りながらビックリする伊織。

「いいのかな、もらっても?」

 伊織の質問に、コクリとうなずく千明。包みを開けると、それは伊織が欲しがっていたスマートウォッチだった。

「わぁ、嬉しいなぁ。これ、欲しかったヤツだよ。これが欲しいってことをよく知ってたね。それに結構な値段がするのに」

 伊織は嬉しそうな反面、心配そうに千明を見た。

「だって、一緒に暮らしているのよ。それくらいは伊織から洩れ聞こえてくるわ。それに、あの、あたしのために、その、頑張ってくれて、えーっと、嬉しかった、から……」

 更に真っ赤になって話す千明。そんな千明をそっとハグした伊織。

「ぁん。なに、なに?……」

 急に抱きしめられた千明は驚きで言葉にならなかった。

「僕はね、地球で漢字が読めなくて良かったなぁって思ってるんだ」

 伊織の言葉に、千明は伊織の背中に手を回してから言った。

「あ、あたしもそう。勘違いして良かったって、今は思ってるわ」

 コンパートメントのシーリングサーフェイスライトが長い時間、二人の影を一つに投影していた。


『ピンポーン』

 コンパートメントの気密扉から来客と告げるチャイムが鳴る。伊織と千明は声を揃えて返事をした。

「はーい」

「はーぃ」

 伊織と千明の二人で揃ってコンパートメントの気密扉を開けるとそこに居たのは、初っ端に二人をこのコンパートメントを案内した、やり手な感じの細い金縁のメガネを掛けた女性生活担当官だった。

「こんにちは」

 にこやかに笑って立っている女性生活担当官にビックリした表情の伊織と千明だった。

「お二人でドアを開けたところをみると、どうやらお二人で仲良くやっている様子なのですね」

 更にニヤリと微笑む女性生活担当官。

「えぇ、まぁ」と伊織。

「なんとか」と千明。

「あっそう。ふぅーん」と、ニヤニヤが絶えない女性生活担当官。

「な、何ですか、その笑いは!」

 千明がちょっと脹れた。

「いえ、恣意的が意図的であったことを確認しに来ただけですので」

 深々と頭を下げる女性生活担当官。

「意図的?」

 伊織がしかめっ面をする。

「あ、いえいえ。何でもありません。そうそう、何か問題はありませんか?」

 何かを誤魔化すように話をすり替える女性生活担当官。

「特には、無いよね?」と千明の顔を見て、伊織が言う。

「えぇ、無いわ」と伊織の顔を見て、千明が言う。

「おほほほ、それならばよろしいのです。それでは、これにて失礼します」

 女性生活担当官は、お辞儀をしてスッと気密扉を閉めた。


 コツ、コツ、コツ……。

 ハイヒールの音を鳴らしながら、女性生活担当官は呟く。

「宇宙に足場を築くまでの禁欲時代は終わったわ」

 細い金縁の眼鏡を右手の中指で押し上げる。

「これからはヘリオスフィア全体、そして銀河宇宙へと進出するために、人類は大幅な拡大をしなきゃいけない。そのための布石ね、これは」

 女性生活担当官の口角が上がる。

「まずは『第一のカップルが成立』だわ」

 女性生活担当官は上機嫌で、壁や床の全体がほんのりと明かるいサターン・ISCの通路を、颯爽と歩き去った。

最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。


【Appendix】

『SF』=「Saturn Fascination」

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