<了>今昔、桜の下に在る
五月終わりの某日。
真ん丸に弧を描いている満月の夜に、幼馴染の“十代目南の神主内輪就任式”が行われた。
妖の社ではなく、人の世界の神社で行われた宝珠の御魂を授かる就任式。
本来は神職に携わる者達のみしか参加が許されない席に、朔夜と飛鳥は招かれる。曰く五方結界を張った感謝の意を受け取って欲しいと、翔が赤狐に頭を下げ、わざわざ人の世界で内輪の就任式を催すよう頼んだようだ。
妖の、しかも特別な地位に就く者しか出席できない儀式に人間が出席する。
前代未聞のことらしいが、赤狐は二人の出席を許してくれた。
人間に無慈悲と言われる北の神主だが、本当は寛容のある化け狐なのだろう。
内輪の就任式が終わると彼は朔夜と飛鳥に頭を下げ、この恩は忘れないと一笑を向けてくれた。翔がこよなく慕う己の師匠だと謳っていたが、赤狐の感謝を目の前にして、納得せざるを得ない。対峙した際は恐怖しか感じられなかったが、こうして向かい合うと、話せる狐なのだと改めて思い知ることができた。
また翔も新たな頭領として、南の地を代表し、人ながらも五方結界を張ってくれた人間たちに感謝を述べ、紅のヒガンバナを贈った。
日本人に忌み嫌われる花だと知っていても、彼は贈らずにはいられなかったのだろう。これは妖の愛すべき花だから。
だから笑顔で花を受け取り、妖の感謝を素直に宝物とした。妖祓が妖に感謝されるなど、そうはない出来事。宝物にして損はない。
そして季節はめぐって翌年の四月。
高校を卒業した幼馴染は、月輪の社で開かれた本就任式により名実ともに十代目南の神主となる。
齢十八。
最年少神主と謳われた彼は多くの妖達に祝福され、新たに名を刻む。不安も多くあるそうだが、彼なら何があっても大丈夫だと信じていた。
一度夢を見たら、それに向かって走る男だと知っている。
もしも、彼が駄目になりそうだったら、それこそ間違いを犯しそうになったら、きっと回りが止めてくれる。
それは妖の世界にいる者達も然り、人の世界にいる者達も然り。
自分達も必死に止めるだろう。幼馴染がしてくれたように、何かあれば駆けつける。守ってくれた彼を、今度は自分達が守るのだと走り続ける。
また架け橋の夢を叶えるため、双方の世界から橋作りをする。共存の夢と許し合える関係を目にしたい一心で。
けれども、忘れてはならない。
自分達は決して架け橋の完成を目にすることはできない、残酷な運命を持った者だということを。
「――今年は僕達が一番乗りかな。ああ、見事に咲いているね」
幾十年の春。
夜が更けた池の畔と、そこを彩るような桜の並木道に和泉朔夜は、コンビニのロゴが入ったビニール袋を手にぶら下げ、相棒の楢崎飛鳥を率いて訪れていた。
天を仰げば、本体から千切れていく桃色の花弁は見事に舞を見せてくれている。感嘆の息を漏らしてしまいそうだ。
何年経っても桜の魅力は変わらない。
満開に咲く桜は、咲き誇る姿より、散る間際の姿の方が美しく思える。日本人特有の散る美に魅了されているせいだろうか。
飛鳥と共にいつまでも桜を見上げていた朔夜だったが、ふっ、と木の一本に妖気を感じ、視線を持ち上げたまま首を捻る。
「なんだ。いるんじゃないか。まったく、声くらい掛けてくれたらどうだい?」
太い枝の上に乗り、間近で桜の舞を観賞している白い狐。
どうやら今年も彼が一番乗りのようだ。
相変わらず、花見好きの妖のようで、散っていく桜の花びらを恍惚に見つめ、三尾を忙しなく振っている。
恒例となっている幼馴染水入らずの花見行事。白狐は毎年のように楽しみにしてくれる。そのため、朔夜と飛鳥も積極的に参加しているのだ。
元を辿れば、自分達が企画した行事である。参加しないわけにはいかない。
「ショウくん。下りておいでよ。一緒に観よう」
飛鳥が手招きすると白狐は素直に応じ、人目がないことを確認してから桜の木から飛び下りる。
よしよし、飛鳥は近寄ってくる狐の頭を撫でる。
クンと鳴く白狐に、彼女はまた一つ笑みを零す。撫でる手はあの頃よりも張りがなく、皺が目立っていた。
えくぼを作る飛鳥の横顔を見ると、ああ、歳を取ったと痛感。
自分も己も本当に歳を取った。今年で五十になるのだ。老けたと感じて当然だ。
今も続けている妖祓の職に、体がすぐに悲鳴を上げてしまうのも、歳を取ったからだろう。最近は走ることさえしんどい。
「ああ、もう。君は元気だな」
飛鳥の手から離れ、桜の並木道を足軽に走る白狐が振り返って来る。
クオン、急かすように鳴いてくるため、今行くと片手を挙げた。
「元気だねショウくん。あんなにはしゃいじゃって」
ふふっとおかしそうに笑う飛鳥に、朔夜はあれでも中身はおっさんだと相手を親指で差す。
「同じ五十のおっさんとは思えない活きの良さだよ。まったく、いつまでも子供なんだから」
「ショウくんは子供なんだよ。少なくとも、私達が生きている間は、ずっと」
子供、そう、子供なのだ。
彼は今もなお、あの頃の姿、高校生のままの姿で今世を生きている。
自分も飛鳥も、いいおっさんにおばさんとなった。年々老けていく姿を目の当たりにしているせいか、彼はいつ頃か、自分達の前で人の姿を見せなくなった。
クオン!
耳を立て、早く来いと促す白狐に、「急かすなって」朔夜は肩を竦めて、飛鳥と桜の並木道を歩む。
待ちきれなくなったのだろう。来た道を戻り、白狐が自分達の服を食んで引っ張る。やることなすこと、本当に子供くさい。
「少しは待てを覚えたらどうだい? おっさんは足が重いんだよ」
クオンクオンクオン、激しく吠える狐は怒っているらしい。
「朔夜くん。ショウくんは犬じゃないって」
どうやら“待て”という言葉に過剰反応を起こしたらしい。
そりゃごめん、朔夜は眼鏡のブリッジを押し、子供っぽい口調でおどける。あの頃のようにおどける。
ふんふんと鼻を鳴らす白狐が、くるっと尾を向けてまた先を走り出す。
夜更けということもあり、人目も気にせず、桜の並木道を優雅に駆ける。闇夜のせいか、白い毛並みは大変目立つ。
「あと、どれくらい三人で花見ができるんだろうね。朔夜くん」
飛鳥の陰りある声音に、朔夜は何も答えられずに息をつく。
こうして白狐を見守る日も、あと五十年あるかないか。
今も双世界の共存の架け橋は完成しておらず、この数十年で幾度も妖と対峙した。並行して、頭領の幼馴染と対峙してきた。
本当に幾度も対峙し、その度に挫折、涙、悔恨を噛みしめてきた。
現在の朔夜は妖祓の長として活躍している身。一番に衝突し合う関係だ。
一方、飛鳥は妖祓でありながら、殆ど祓う仕事をしていない。持てる知識を活かし、妖や人を癒す仕事をしている。
だが、やっぱりいざとなると白狐と対峙する身分。異種族として衝突してきた。
異種族の共存など夢物語なのでは。
そう思う夜もあれど、朔夜は諦めずに妖と向かい合う日々を過ごしている。幼馴染が諦めていないのだから、夢に便乗した己が諦めるなど格好悪い。
とはいえ架け橋は、あまりにも時間を要する。朔夜は確信していた。己が生きている間に、架け橋が完成することはないだろう、と。
せめて自分が生きているうちに、夢の一片が見られたら良いと思っている。
「僕達はショウを置いていく。あいつは、人間の僕達には考えられないほど果てしない時間を生きていく。人間から見れば永遠ともいえる時を生きていく」
白狐は見送ってくれるのだろう。
散りゆく桜を見守るように、散りゆく人間を、最後の最期まで見守ってくれるのだろう。
それは寂しいことであり、哀しいさだめでもある。
すべてを覚悟して、今、自分達と共に生きる三尾の妖狐、白狐の南条翔。
彼はまぎれもなく和泉朔夜と楢崎飛鳥の幼馴染であり、己の大切な親友であり、同じ時を生きる同志だ。
いつまでも一緒に生きることは無理だけれど、最後まで彼と夢を見ることはできる。
そして、自分達が散りゆく時、彼は三人で紡いだ想いを抱えて夢を見続ける。そうしてくれる奴だと朔夜は信じている。
「もしも、寿命尽きる僕達のことでつらくなる日が来るなら、僕は迷うことなく言うね。僕達に構うことない。お前の思いたい通りに生きろって」
例えばこの先、余命宣告をされたとして。
自分達のことで幼馴染が気に掛け、前に進めなくなってしまったら、迷わずこう言ってあしらう。自分達を忘れて先に進め、と。
忘れることが不可能だとしても、散りゆく相手を気に掛けて前に進むこと、夢を追うこと、民を想うことに躊躇わなくて良い。
そうしている暇があるのならば、夢のために少しでも足を動かして欲しい。なにより、足枷になりたくない。
少しだけ我儘を言うのであれば、ふっと思い出した時に幼馴染を気に掛けてくれたら、それでいい。
こんな奴等がいたと、思い出してくれたらそれで良い。
「そうだ、酒を買って来ていたんだっけ。夜桜といえば酒だからね」
缶に入った日本酒を飛鳥に見せ、片目を瞑る。
わぁっと歓喜の声を上げた彼女は手を叩き、早速飲もうと頬を崩した。
「ショウくん、戻っておいで。一緒にお酒を飲もう。朔夜くんが買ってきてくれたよ」
途端に活き活きとした足取りで戻って来るのだから、彼も現金な性格のようだ。
しかし、ここで簡単に酒を渡すのは面白くない。朔夜はあらかじめ用意していた缶酒を飛鳥に渡した後、「ショウにはこれ」悪戯に購入していたリンゴジュースを鼻先に置く。
え、と言わんばかりの顔を作る白狐に、朔夜は白々しく唸った。
「いやぁ。未成年に飲ますのは犯罪だからね。ジュースで我慢してくれよ」
総身を逆立てた白狐が、久方ぶりに自分達の前で変化する。
人の容に変えた彼、南条翔は穢れのない真っ白な浄衣を纏い、あの頃と変わらない姿で「誰が未成年だ!」勢いよく食い下がった。
フーッと漏らす威嚇の鳴き声と、三尾をゆさゆさとくねらせる姿は憤りの証。翔は怒っていた。
「俺はお前と同じ五十だ馬鹿野郎。酒よこせ!」
「いくつになっても、ショウは成長しないな。親父の可愛いジョークだろう? こんなことで怒るなんて、君は本当に若い若い」
うりうりと眉間に寄っている皺を人差し指で押してやる。
冗談になってねぇとしかめっ面を作る彼を見るや、「可愛いなぁ」飛鳥は翔の頭を撫で、慰めにお菓子でも買ってあげようかと微笑む。
「飛鳥までひでぇ! 高校生に見えたとしても、菓子の慰めはねぇだろうよ!」
揃いも揃って子供扱いなんて、いじめとしか言いようがないと翔。
そろそろ可哀想なので、缶酒を寄越してやれば、不貞腐れ面のままかっ攫ってしまう。
どこまでも素直で子供くさい五十のおっさんだ。いや、彼はまだ妖の中では子供の類いなのだろうけれど。
一頻り騒いだところで並木道から外れ、傍らの桜の木の根元に腰を下ろす。
各々持った缶を合わせ、乾杯をすると夜桜を肴に日本酒で喉を潤す。月夜と満開の夜桜と酒、なんて美しい風流なのだろうか。
ひらり、はらり、舞い落ちる桜の花びらを見つめていると狐が小さな独り言を漏らした。
「桜は何年経っても姿を変えないな。親近感を覚えるよ」
これから永遠という時を生きる白狐は先立たれる仲間を想い、寂しいのだろう。
妖の同胞は沢山いれど、百年の間に人間だった彼を知る者はいなくなる。とても寂しいことだ。
だが、その時は今宵のように桜を見上げて欲しい。
必ず思い出すだろう。自分達のことを。いつだって自分達の関係はここに在る。共に生きようとした人間と、狐の関係はここに在る。
「容は変わらなくとも、少しずつ歳を取っている。桜達も、ショウも。いずれお前もおっさんになるよ。ただ僕達より、老いるのが遅いだけ。それだけだ」
親友の頭を小突くと、彼は仄かに泣き、けれどもそれに勝る笑みを浮かべた。
辛気臭い空気を一掃するべく、飛鳥が彼に願い申し出る。頭領だけが舞うことを許される“神主舞”を見せてくれないか、と。
美しい桜の舞がここにあるのだ。今宵ほど素晴らしい舞台は他にない。
どうか、神に捧げる妖伝統の神主舞を人間の自分達に見せてくれないだろうか。思い出として、後世の妖祓に語り継ぎたいと飛鳥。
表向き嫌がる素振りを見せる白狐だったが上げる腰は軽く、並木道に立つ仕草は何処となく誇らしげだ。
「さてもこれは夢であり幻、今宵見たことは貴殿だけの胸の中に」
夜風が通り過ぎ、彼の浄衣が、長い三尾の体毛が、生える耳が静かに靡く。
ふたりに向かって深くお辞儀する狐は、懐から銀の扇子を取り出すと、それを開いて、大きく飛躍した。
月の光を浴び、優美な桜の花びらと共に舞う白き狐。
彼は夢まぼろしの存在、歪な存在、永遠を生きる者。なにより妖祓と苦楽を共にしてきた幼馴染。
いずれ狐の思い出となり、夢となり、幻となる幼馴染をどうか許してほしい。
夢の途中で消えていく幼馴染をどうか許してほしい。
共に生きることも、その夢を語り合うこともできなくなる脆い人間を、どうか、許してほしい。
そして想いは違えど、置いていく者も、置いていかれる者も、寂しいことを分かっていてほしい。
「ショウ。信じている、いつか君が必ず架け橋になってくれることを。僕達の関係を語り継いでくれることを」
飛鳥に視線を流せば、微笑ましそうに狐の舞を見つめていた。
彼女も信じている。
いつかの別れが訪れても狐は語り続けてくれる、この桜と人間の御伽噺を。自分達の関係はここにあったのだと、優しいやさしい語りを続けてくれることを信じている。
微かにしょっぱい日本酒を口内流し込み、朔夜は飛鳥と共に見守る。永遠を生きていく白狐を優しく見守り続ける。
いつか、この命が燃え尽きても大丈夫。この桜達が自分達の代わりに見守ってくれる。
だから、君は永遠の中で生きて。
第十代目南の神主、三尾の妖狐、白狐の南条翔、その命が尽きるまで架け橋の夢を追い翔けて――それが幼馴染としてのたったひとつの、願い。
(終)
其の狐と同じ場面、違う場面があったことだと思います。それは敢えてのことです。其の狐編を知る方、知らない方々、共々妖祓編として楽しんで頂ければ幸い。
これにて人間と妖狐の御伽話は仕舞いにございます。




