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ふたりは其の妖祓と申し候―永遠の妖狐―  作者: つゆのあめ/梅野歩
【参章】夜の静けさに攫われて
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<四>妖狐のわらべ歌




 翔には片手ほどだが理解者がいる。


 初めてできた妖の友人雪之介を筆頭に、自分の子守りをしてくれるキジ三毛猫のおばば。そして妖に慈悲慈愛を注ぐ頭領であり北の神主、比良利。


 神主が身を休める憩殿と呼ばれる建物に入った翔は、神主の自室前の縁側に腰掛けていた。

 中庭に見えるのは満目一杯のヒガンバナ。独創的な姿をしている花弁の、見事な紅色は心奪われる。此処の巫女が用意してくれたそば茶を啜りながら、いつまでもヒガンバナ畑を眺めていると背後から髪を撫ぜられた。

 視線を持ち上げると執務を終えた六尾の妖狐、赤狐の比良利が頬を崩している。今日も真っ白な浄衣(じょうえ)姿だった。


 突然の訪問にも拘らず、彼は不快な顔一つせず翔を受け入れてくれる。妖達が慕う理由が垣間見える一面だ。

 隣に腰を下ろす頭領は齢二百過ぎ、おばば同様、翔のことを子供扱いにする。その証拠に翔を“ぼん”と呼んでいるのだから。


 理由もなく訪問してしまったのだが、比良利は訪ねた理由には触れず、


「妖の世界はどうじゃ?」


 少しは環境になれたか、と一笑した。糸目の向こうには優しい眼が見える。それを見つめ返した後、翔はヒガンバナ畑に視線を戻す。



「凄くいいよ。みんな優しいし、妖と触れ合うことは楽しい。その反面、人の世界が居心地悪くなっちゃって。同じ人間だった筈なのに、夜を怖がる人間に首を傾げたり、燦々と太陽の光を浴びる人間を理解できなかったり。比良利さん、逢魔時って知っている? なんでも魔物や災禍に遭遇する確率が高い時間帯を指すらしいんだけど」



「人間が不吉としている時間を指しておる、あれか。夕暮れ時だったかのう」



 うん、翔は小さく頷く。

 幼馴染が言っていた逢魔時は、多くの妖にとって起床する時間帯。これから活動するための時間帯で、何かしら心弾む時間だ。それを不吉と言われてしまい、なんとも複雑な気分になってしまった。翔自身は逢魔時と呼ばれる時間帯が好きだったのだから。

 朝昼より、夕夜を好むようになってしまった自分。太陽より月に恋焦がれるようになってしまった自分。にぎやかな街より、静かな森を愛するようになってしまった自分。これは妖の血によるものだろう。価値観が少しずつ変わり、人間にいる幼馴染達とずれが生じているため困っていると悩みを打ち明ける。


 こんな自分は変だろうか?

 シュンと耳を垂らしていると、再び髪を撫ぜられた。


「戸惑いは当然のこと。主は生粋の人の子だったのじゃから」


 顔を上げれば、比良利が口角を緩める。


「今までその世界がすべてじゃったお主の前に、新たな別の世界が現れ、その住人となったのじゃ。世界を知ることにより、捨てる価値、拾う価値があろう。時にそれが間違いそのものなのではないか? と思うこともあろう。苦楽を共にしていた友人と価値がずれ始めているのであれば尚のこと。簡単に受け入れるなど、誰もできやせぬよ」


 自分だって到底できやしない、比良利は六尾を夜風に揺らしながら肩を竦める。


 「比良利さんにもあった?」翔が問いかけると、「勿論じゃよ」子供に分かるように頭領は強く頷いた。

 自分は狐から妖になった身。食物連鎖が成り立つ野生の狐として日々を過ごしていた。化け狐になり、人の容を作れるようになって戸惑いが山のように現れた。例えば二足歩行、例えば衣服、例えば道具の使用。挙げれば切りがないと言う。

 今でこそこうして衣服を身につけ、二足で歩き、道具を使用しているがそれに慣れるまでどれほどの時間を要したか。


 だからこそ翔の価値観のずれや戸惑いは分かるのだと比良利。新たな世界を知り、その価値観を知ること。得ること。培った今までの価値を捨てる戸惑い。よく理解できると彼は言う。


「時に野生の狐を見ると昔を懐かしむこともあるものよ。わしも、何も考えず野山を駆け回っていた、と」


 一端の狐だった自分がまさか妖となるとは思いもしなかった。

 軽く頭を振り、北の神主は懐から煙管を取り出す。懐紙に包んでいた煙草を先端に詰めると、指先に青白い火を点して口に銜えた。一連の動作すら、狐だった頃の比良利には成しえなかったことなのだろう。

 比良利が紫煙を吐く。白い靄は夜風に攫われ消えて行く。恍惚にそれを見送り、翔は己の尾を膝にのせる。


「比良利さんは妖になって幸せ?」


 未だに慣れない己の尾を優しく撫でる。触り心地はまずまずだ。

 尾の毛を一本一本指で抓み、すーっと滑らせていく。これが自分の尾だなんて夢のようだ。


「過程で苦難はあったものよ」


 応答者が語り部に立つ。狐から“妖の器”になって丸三年を費やし、妖に成熟。縁があって宝珠の御魂に見定められ、四代目北の神主として就任した。

 口で説明することは簡単だが三年と指す単語には、幾多の葛藤があったと比良利は言う。妖になる不安、並の狐よりと違う生き物になる畏怖、宝珠に見定められた際には妖の頭領になるべきか苦悩した。

 思い出すことも億劫なほど当時の自分は苦難を強いられ、嘆きを口にしたに違いない。

 けれども比例して多くの幸せを噛みしめたのも事実。幸か不幸かと問い掛けられたら、迷わず比良利はこう答えると言う。


「幸せじゃよ。長生きはしてみるものよ。主のような妖に出逢えたのじゃから。これからもわしは、ぼんのような迷える妖達を導いていく存在となりたい」


 愛する同胞が悩んでいるのならば共に悩み、解決の糸口を見出す契機となろう。

 愛する同胞が苦しんでいるのならば共に苦しみ、悪の根源を絶やすために尽力しよう。

 愛する同胞が喜びに浸っているならば共に喜び、幸福を絶やさぬよう身を捧げよう。


 これは比良利の持論であり、神主道なのだという。

 楽ではないことは重々承知。妖の頂点に立っているのだから、負う責務も大きい。導く存在とは決して容易ではない。それでも自分は妖のため、彼等の平穏を守るためにこの道を歩むのだという。それがこの比良利の宝珠の御魂に見定められた天命なのだから。


 壮大な語りに口を開けて聞いていた翔だったが、見る見る瞳に光を宿し、「俺も思えるようになるかな?」比良利のように妖となった自分を幸せと思えるようになるだろうか? 相手の返事に期待を寄せる。

 赤狐は笑声を漏らし、幸も不幸も感じ方は己次第だと諭した。

 己が幸福だと思えるのならば、その人生は幸福だろう。不幸だと思うなら、その人生は不幸だろう。評価するのは誰でもない自分。同じ物事でも捉え方により、百八十度違ってくる。

 ただ翔の結論が出るのは遠い先の未来だろうと比良利は語る。今は前に進み、己の道を見極めてみることが重要。振り返るのは十年、二十年後でも良い。


「ぼん、主はこれから百年。二百年と年月を生きるじゃろう。妖狐の寿命は千年以上、しかし何処で命を落とすかは分からぬもの。じゃから精一杯、この瞬きを生きるが良い。時に寄り道をするのも良かろう。振り返れば、良き思い出となるのじゃから」


 この世界に対する視野を大きく持ち、幾つもの出会いと別れを繰り返して成長するがいい。


 幾度目だろうか。比良利に髪を撫ぜられ、乱されてしまう。

 ぶるっとかぶりを振ると、「二百年か」翔は果てしなく長い年月を口にし、想像もできない時間だと微苦笑を零す。比良利はあっという間だと言うが今の翔には御伽噺のように思えた。百年と聞くだけでも長いというのに、それの二倍の時間があるのだから。


「青葉は今、百五十歳前後。比良利さんは二百歳前後。うーん……比良利さん、百歳になっても俺はこのまま?」


「妖になると年の取り方に差異が出てくるからのう。妖狐は老いが遅くなるぞよ」


「そっか。なら、人間がじいちゃんばあちゃんになっても俺はこのままなんだ。寂しいな、知り合いは老けていくのに俺だけ老けないんだ。比良利さんも寂しくなかった? 狐時代の仲間が先に逝ってしまうなんて」


「そうじゃのう、やはり寂しいものじゃ。狐の寿命は約十年。もう親兄弟の顔は憶えておらぬ。じゃが、不思議と思いは残っているのじゃ。彼等と過ごした思いは」


 いつか見送る側に立つであろう翔に寂しい本音と、いつまでも残る思いを語った比良利は不安を見せる自分に気付き、一つ歌を教えようと告げた。

 自分が教えるのは妖狐のわらべ歌。千年以上生きる妖狐達の感情を歌ったもので、これを歌っていると不思議と慰められると彼は言う。歌なんかで慰めになるのだろうか? 訝しげな気持ちを抱く翔を余所に、煙管の灰を地に捨てた比良利が静かに口を開く。


“一尾お前さんに向ける笑みくりゃさんせ。

 二尾お前さんと悲しむ涙くりゃさんせ。

 三尾慕情の花が咲き、四尾別れを惜しむ情もあり。

 五尾切なさ時にあれども、六尾怒りで我を忘れることもあれども、あるいは七尾弱き心に打ちひしがれることもあれども。

 八尾強き心が芽吹き、九尾お前さんと生きる喜びに目覚めぞよ。

 嗚呼、九つ尾っぽにゃ情がある。まことに嬉しきかな嬉しきかな。”


「妖狐は九本まで尾を持つと言われておる。わしやぼんのように宝珠の御魂を持つ妖狐は例外として、基本的に百年単位で尾が増えていく。この歌をどう解釈するのかは歌い手の自由じゃろうが、わしは九尾まで生きた妖狐の想いそのものを歌ったものじゃと思う。九百年も生きた妖狐は数えきれない出逢いと別れを繰り返したことじゃろう。怒り、悲しみ、挫折を味わったこともあれば大きな喜びに浸ったこともあろう。それらの想いは妖狐の中で忘れることなく、留めておるのじゃろうな」


「忘れ、ることなく?」


「尾っぽに情という想いを秘め、彼等の想いと共に生きてこうとする。そんな妖狐の勇ましい様がわしの目には浮かぶ。思い出が擦り切れようと、想いは残るものじゃと……たかが二百の小僧は思う。じゃから好きなのじゃよ。この歌は」


 翔の尾が自然と揺れ始める。

 態度で歌が気に入ったと示しているのだが、本人は気付かない。気付いているのは子に歌を教えている神主だけだ。

 「もっかい」アンコールをし、今度は頑張って歌詞を覚えると相手に申し出る。翔のやる気に免じ、神主はもう一度歌ってくれた。妖狐のわらべ歌を。耳を傾けるだけで、なんとなく慰められるのは宿った言霊の力なのだろうか?

 縁側で歌を教えてもらった翔は、話し相手となってくれる比良利とツツジの甘酒を飲み、酔いしれたまま夢路を歩き始める。

 行儀悪くその場で寝ころんでしまうが、神主は笑って許してくれた。己の尾を腹に掛けて毛布代わりにする。その上から、赤い尾が二本のせられたのだが翔は既に夢心地に入っていた。





「まだまだ幼子じゃのう。十余年足らずしか生きておらんのじゃ、子供も子供よ」


 甘味の強い甘酒を漆塗りの器に注ぎ、神主はそれを勢いよく煽った。


「三尾の妖狐、白狐の南条翔。お主は宝珠の御魂に見定められた妖。道を開くのは主じゃが、できることなら……わしの対となって欲しいものよ」


 対となる南の神主を失い、早九十九年。

 ようやく宝珠の御魂が新たな妖を“頭領”の器として見定め、こうして身に重宝を宿している。子供の才は凡だろうが、比良利はこの目で見ている。彼が宝珠の御魂の力を解放している様を。それだけで彼に大きな素質があると言える。

 話し相手となっている限り、この子供は物事に一途でまっすぐ。妖と人の両方を愛せる輩だ。きっと好き神主となろう。

 幼馴染が妖祓という点は気掛かりだが、比良利は妖を愛し、妖を導くもの。常に妖のことを想い生きているため、子供に天命を受け入れて欲しいと願った。

 しかし子供も所詮一端の妖にしか過ぎない。彼が苦悩し、無理だと言って断念するのなら、それも運命だと思って受け入れよう。



「南の地では瘴気が広がり、妖が暴君と化しておる。早く何とかせねばならぬのじゃが、わしは北の地の頭領。南の地の瘴気を鎮めることはできぬ、ぼんの持つ白の宝珠の御魂でなければ」






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