<二>子が子なら親も親
飛鳥が帰宅したのは午前様過ぎのことである。
彼女は妖祓長の命令で隣町まで赴き、相棒と共に妖獣と呼ばれる動物の化け物の巣を駆除していた。妖は好んで人を襲うような輩ではなかったようだが、ねぐらにした場所が悪かった。化け物達は保育園が所有している小さな畑に穴を掘り、土の中に身を隠していたのだ。サツマイモが埋まっている場所の近くに巣を作ることで食糧問題を解決していたらしい。はた迷惑な妖達である。
妖達が幼児を襲わないとも限らないため、周囲の目を警戒しながら畑に潜り込み、朔夜と土を掘り返して妖達の巣を駆除した。当然、そこに住む妖獣は腹を立てて自分の住処を守ろうと牙を向いてくる。一たび怒れると危険な妖で鋭利ある牙を突き立て、自分達の骨肉をかみ砕こうとしてきた。
幼児が大怪我を負う可能性があると判断し、群れを成す妖獣達を調伏。掘り返した畑をある程度戻す時間を含めると合計で三時間余りを要し、二人で重労働をこなす羽目になってしまった。
心身くたびれて帰宅した飛鳥はリビングのソファーに荷物を放ると、すぐさま入浴をしに浴室へ直行する。シャワーで土と砂を綺麗に洗い流し、湯の張った浴槽に浸かって半身浴を楽しむ。
リビングに戻る頃には二時五分前となっていた。テーブルには母親の睦美が着いており、一人娘の登場を待っているようだ。
母と目が合う。
お疲れさま。目じりを下げる母に手招きされ、誘われるがまま席に着くと熱々のカフェオレを出してくれた。仕事を終えたカフェオレは最高なのだ。飛鳥にとって一息つける幸せな時間だった。
桃色の下地と寝転がる黒猫の絵柄が入ったマグカップを手に持ち、湯気だっているカフェオレに口をつける。マドラーで混ぜたばかりなのだろう。カップの中で小さな渦ができている。鼻孔を擽るほろ苦い香りと甘い苦みを楽しむ。魔法のように肩の力が抜けた。
「疲れた。おばあちゃんったら、今日もいきなり連絡を寄越すんだもん」
まだほのかに濡れている髪を手櫛で梳き、飛鳥は脹れ面を作る。
「妖祓に休息という休息はないものね。特にこの地域一帯は妖が凶暴化している。私もよく悩まされたわ」
睦美が苦笑いを零す。年頃の娘の心情を理解しているようだ。
今日の出来事について聞かれたため、有りの儘に話す。朔夜と畑に居ついてしまった妖達を調伏し、巣を綺麗に埋めたこと。畑を元通りにしてきたこと。全身が土まみれになってしまったこと。重労働にも関わらず、誰も感謝してもらえないこと。どれも飛鳥の不満でしかなかった。
妖祓は妖を祓い、街を守るために暗躍する人間達だ。
それゆえに自分達の働きは一般の人間には知られておらず、何をしても誰にも働きを認めてもらえない。見返りを求めるわけではないが、少しくらい知らない誰かに労ってもらいたいものだと飛鳥は常々思う。それだけのことを自分達はしているのだから。
睦美は苦笑いを濃くする。これも飛鳥の気持ちに同調しているのだろう。
「今日だって本当はショウくんと最後まで過ごす予定だったのに、ファミレスに置いてきちゃった。あまりにも私達が約束を破るから、ショウくんが激怒しちゃって」
不本意の土壇場キャンセルだと彼に言い訳もできない。妖祓を秘密にしておくことも楽ではないものだ。
「そう。翔くんとの約束を。それは悪いことをしてしまったわね。彼は貴方達が好きだから」
「ショウくんも幼馴染に対する“好き”が重いよ。一ヶ月に何回誘いの連絡をしてくるんだか分かったものじゃないもん」
翔の気持ちの比重に愚痴を言うつもりはないのだが、少しは自分達から卒業してくれないだろうか。何かあればやれ遊ぼうだの、三人で過ごそうだの。自分にだって幼馴染以外の友人がいるし、付き合いというものがある。毎度のように幼馴染三人で遊べるわけにはいかないのだ。
恋多き年頃の飛鳥は、三人で遊ぶのではなく異性と遊びたい気持ちが優っていた。片恋相手とデートをしてみたいものだ。相棒とではなく、異性として一日を過ごしてみたらどんなに素晴らしいだろう。
(デートは憧れるな。友達は彼氏を作ったって自慢しているし)
恍惚に己の妄想に浸っていると、「面倒見が良いのは翔くんの方よ」睦美が頬杖をつき、三人の関係を指摘する。目を丸くする飛鳥に対して母は吐息をついた。
「彼は飛鳥と朔夜くんを放っておけないのよ。昔から貴方達は何かあれば翔くん、翔くんで泣きついていたもの。思い出にあるのは小学校一年生の秋。初めての運動会を前に貴方と朔夜くんが大泣きして帰ってきたことを憶えているわ。どうしてだと思う? 貴方と朔夜くんがいつも一緒にいるからクラスの男子達にからかわれたのよ」
記憶にない。もう十年も前のことなのだ。憶えているわけがない。
「はやし立てられることに慣れていなかった飛鳥と朔夜くんは、下駄箱で泣いていたらしいの。二人とも大人しい性格だったから反論のやり方が分からなかったのね。大べそを掻く二人を更にはやし立てた男子達の前に現れたのが翔くん。二人を泣かしたことに怒ってねぇ、一人で喧嘩をしたほどなのよ」
翔はわんわん泣きじゃくる二人の手を引いて自分の家に連れて帰ったため、自分と朔夜の母で迎えに行った。下校中、翔はこう繰り返していたらしい。『三人なら馬鹿にされないから』と。
後に保護者が呼び出される事態となった喧嘩だと睦美。翔は二人を泣かせたのは向こうだと言い、怪我をさせた男子達に対して絶対に謝ろうとしなかったという。
「こうしてはやし立てられる度に貴方達は大泣き。翔くんは喧嘩。結果はいつも保護者呼び出し。本当に参っちゃう日々だったわ」
昔話に花を咲かされても飛鳥の方が困ってしまう。殆ど記憶に残っていないのだから。
「翔くんは飛鳥や朔夜くんが泣いたり困ったりすると、真っ先に飛んで来る子だったの。今でも執拗に貴方達に構うのは名残が体に染みついているせいね。だから、幾ら朔夜くんを射止めたいからってあまり邪険にしないように。彼は貴方のことが好きなのだから。必死に隠しているみたいだけど」
失礼な、邪険にはしていない。
不機嫌になる飛鳥に、「翔くんと付き合う気はないの?」睦美が興味津々に話題を振ってくる。子が子なら親も親だ。揃って恋バナが好きなのだから困ったもの。
自分には好きな人がいるのだと食い下がるように答えると、「私なら振り向くんだけどな」母は笑声を漏らす。
「あんなに好きだと態度で示してもらったら嬉しいものじゃない? クールで優しい朔夜くんもいいけど、素直で気遣い上手な翔くんも捨てがたいわぁ。飛鳥っていつも二人に挟まれているから美味しい立場にいるわよね。飛鳥は硬派で優しい朔夜くんと一途な翔くん、どちらを選ぶのかしら」
ぺらぺらぺらぺら、睦美の喋りは止まらない。
「私は飛鳥みたいに一途ではないから相手が振り向いてくれなかったら、ころっと他の男の子を選んじゃうのよね。ほら気持ちに応えてくれると嬉しいものじゃない? ああでも、鈍感な子を落とすのも楽しいものよね」
ぺらぺらぺらぺら、まだ止まらない。
「振り向いてくれない幼馴染と、一途な幼馴染、ありがちなドラマではありがちだけど実際目の前で繰り広げられているとドキドキするわね。あ、選ぶならちゃんと選ばないと、その内二人とも他の女の子に取られちゃうわよ」
もう取られているかもしれないわね。母の意地の悪い言の葉に苛立ちを覚える。
好き勝手に喋るだけ喋っておいて、挙句の果てに待っていたのはちゃんと選べ。この発言である。だから母親と己の恋愛話をしたくはなかったのだ。いいように解釈されるのだから。
根拠もないのに大丈夫だと反論すると、「男の子を甘く見ちゃ駄目よ」語り部が頬を崩す。
「男の子は女の子よりも精神年齢が低くて、女の私達から見ればお子ちゃまなところが多い。けれどね、ちょっとしたきっかけである日突然大人になるのよ。それこそ自分の手の届かない道を進んでしまう。油断しないことね」
男の子はいつまでも傍にいてくれるような大人しい生き物ではない。
やや物寂しそうに語る母の表情の変化に気付く。昔何かあったのか? 睦美の過去に触れるとこれでも色々あったのだと声を窄めてはぐらかされた。興味を抱いた飛鳥が過去に踏み込もうと身を乗り出す。是非とも母の恋愛話を聞いてみたい。
やはり親も親なら子も子である。飛鳥も人様の恋バナには積極的だった。
仕方がなさそうに睦美は嘆息を零し、「お父さんには内緒よ」少しだけ過去の風呂敷を紐解いてくれる。
「まだ私が中学だったわ。とある近所の男の子に好意を寄せられていたの。その子は“視”えない人間の子、所謂霊力のない子で毎日のように私に話し掛けては好意を惜しみなく見せてくれた」
母にもモテ期があったのか。飛鳥はふんふんと相槌を打つ。
「当時の私は素っ気なかったわ。“視”えない子と“視”える私が付き合える筈がない。分かち合える筈がない。常に妖祓が念頭にあったから彼の好意を無視していたのよ。可愛げのない態度だったと思うわ」
空になったマグカップを見つめ、睦美は思い出を懐古する。その面持ちは何処となく少女を思わせるような、若い表情だった。
「そんなある日、彼の家に不幸が遭ったわ。彼の父親が事故で亡くなったの。いえ、表向きは事故として片付けられた」
「表向き、は?」
「ええ。飲みの帰りに用水路に落ちて亡くなったの。当時彼の父親は飲酒をしていたし、帰路も外灯がない暗い道。誤って落ちたのだと警察は判断して事故だと片付けた。でもね、彼は知っていたの。本当は父親がひったくりに遭った末に殺されたのだと」
彼は気付いていた。父親が持っていた通勤用の鞄がないことに。遺品として戻って来る筈の愛用鞄がないことに。誕生日に母から貰ったそれを大切に使用している父を知っていたため、彼は戻って来ない筈がないのだと思ったのだ。
「彼は見て聞いてしまった」
周囲の目を気にしながら会話する刑事と警察官を。事故の裏はひったくり事件だということ。そして犯人は自分達の上司、警視の息子なのではないかということを。だから隠ぺい工作をするのではないかと嘆息をついている姿を。マスコミに事が知れたら自分達の立場も危ういのではないか、被害者どころか自分のことしか心配しない警察官の姿を。
その日を境に彼は人が変わったように勉強を始めた。それこそ自分が憂慮してしまうほど、彼は休み時間も放課後も机にかじりつき、教科書や参考書を開いていた。自分への好意すら忘れるように。
「事件担当の警官と犯人に復讐する。父の無念を晴らす。それが彼の口癖だった。馬鹿みたいに好きだと言ってくれたのに、目標を見つけた途端、脇目も振らず勉強の毎日。クラスで後ろから数えた方が早かった成績だったのに、気付けば学年トップ。執念の結果ね」
そんな彼の背を見守り続けていた自分に恋心が芽生えたのは、間もなくのことだった。睦美はそっと目を伏せる。
「中学卒業間際、彼に妖祓のことがばれる事件が起きた。妖が学校に現れ、調伏しようと奮闘していた私の姿を彼が目撃したの。ふふ、“視”えない彼に助けられたのだけれど、彼自身は随分と混乱していたわ。そうよね、妖なんて一般の子が信じられる筈もない」
結局、妖を調伏後に彼に正体を明かし、事情を説明したと母は言う。
すると彼は疑いもなく話を信じ、母の道を応援したそうだ。自分は自分の行きたい道を行く。だからお前も頑張れ、そう言って微笑んでくれた彼を今でも忘れられない。あの笑みはとても切なかった。睦美は瞬きの回数を多くする。
「私は彼からの告白を待っていたの。もう一度、彼に好きと言われることがあれば振り向こう。気持ちに応えよう。そう決めていたのに、結局最後まで好きとは言ってくれなかった。彼には既に行きたい道があったから、小さな恋愛なんて目じゃなかったのね」
いつまでも関係が続くと現状に甘んじていたのかもしれない。
卒業後、彼と連絡を取り合うことはなくなった。成人式にも同窓会にも顔を出さなかった彼は、風の噂で警察学校に合格したのだと知る。父親の無念を晴らすために警察の道を歩んだのだろう。果たして無念を晴らすことに成功したのかどうか、睦美には分からないという。
「毎日のように私の隣にいたのに」
いつの間にか先の先に駆けてしまった。
力なく笑い、母がマグカップを持ってキッチンへ向かう。流し台でカップを洗う母を目で追い、「その人に会いたい?」ついつい野暮な質問を飛ばす。
母は小さく頷き、昔話をしたいとやんわり笑う。
「あの頃の気持ちを伝えたいと思うわ。それこそ思い出として。いい大人だもの。今なら、なんでも笑い話になりそうよ」
そういうものなのだろうか。若い飛鳥には分からない世界だ。
視線をマグカップに戻すと、縁に口をつけて中身を飲むために傾ける。今は恋愛に無頓着な相棒、そして一途な幼馴染が隣からいなくなる日も来るのだろうか?




