表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/84

<十四>坊主、東雲千景(参)




 息も絶え絶えに飛鳥の家の門を潜ると、玄関前で膝をつく。



 もう走れないと汗を滴らせる飛鳥、上がった息のせいで言葉も出ない朔夜、そして家の門をしっかり閉めて追っ手を確認する翔。大丈夫だと判断したようだ。自分達に駆け寄り、怪我はないかと身を案じてくる。

 返事もままらないため、大丈夫だと手を挙げて示す。飛鳥も同じように笑みで返事。それを素直に信じた翔は上がった息もそのままに、「よかった」助かったと呟き、地べたにへたり込む。


 放心状態になってしまった彼に大丈夫かと声を掛ければ、感情を取り戻した翔は半べそを掻き、ちっとも大丈夫じゃないと涙ぐんだ。

 いきなりわけの分からない高校生達には襲われるし、綺麗な女子大生のお姉さんには鉄パイプを振り下ろされるし、足は速いし、皆しつこいし。踏んだり蹴ったりだと喚いて身を震わせた。それはそれは目を瞠るほど泣き喚いた。

 襲われる経験など皆無の翔にとって、それだけ多大な恐怖だったのだろう。

 言葉にならないくらい怖かったと洟を啜り、あいつ等は何なんだと行き場のない憤りを自分の膝にぶつける始末。その動揺っぷりに朔夜と飛鳥は冷静を取り戻し、もう大丈夫だと慰める。


「しょ、ショウ。怪我しているじゃないか!」


 どす黒い紫に腫れ上がった右の手の甲に気付き、朔夜が頓狂な声を上げる。


 率先して自分達の前に出たせいだろう。

 いくら自分達のためだとは言え、こんな怪我を負うほど盾になる必要などなかった。妖祓の職を担っている自分達は、それなりに身を鍛えている。一般の翔がいるから出せなかった一面だが、本当はヒト一人くらいなら大人でも相手にできるのだ。

 なのに戦闘ド素人の幼馴染は集団に向かって走っているのだから、なんと感想を述べれば良いのか。

 怪我の指摘に翔は未だ肩を震わせながら、手の甲に視線を流す。「ほんとだ」気付かなかったと彼はしゃくり上げた。


「逃げるのに無我夢中だったからっ……どこで怪我したかも覚えてっ……ねぇや」


 頭が真っ白だったと翔は言う。

 本能のままに動いていたと当時のことを語った。それこそ自分達を守る行為すらも。

 「ショウくん、無理し過ぎだよ」苦笑いを零して飛鳥が軽く抱擁する。好きな相手が抱き締めてくれているにも関わらず、彼はなされるが儘に吐露した。すべて自分のためにした、と。


「お前等に、何か遭ったら……それが一番こわかった。怪我なくて……よかった」


 安堵したように力に笑みを零す幼馴染に、朔夜は苦笑いしか浮かべることができない。

 本当に彼は幼馴染の関係が好きなのだ。己の怪我すら見えないほど、緊急事態に強く、誰よりも奔走する。だからこそ朔夜は思い改めるのだ。彼にだけは“妖祓”のことを秘密にしなければ。もし自分達が命を張って妖を祓っていると知ったら、なりふり構わず自分達を守りに来るだろう。

 それだけ彼の緊急事態に対する胆の強さには舌を巻いたのだ。阿修羅にすら見えたあの時の彼に目を細め、感情を隠すように瞼を閉じて、そっと開く。


「ショウ。傷を冷やそう。立てるかい?」


 片膝を立て、相手を落ち着かせるように声を掛ける。


「む、無理だ……も、ワケわかんねぇもん」


 状況に混乱している翔は膝が笑っていると告げ、スンスンと洟を啜る。

 飛鳥が目前にいても恐怖心を剥き出しにする幼馴染。そりゃそうだろう、あんな襲われ方を経験したら誰でもトラウマになる。妖限定で襲われることに慣れている朔夜と飛鳥は顔を見合わせると、しゃがんで彼の腕を取った。

 よいしょ、の掛け声と共に翔の腕を首に回して立ち上がる。足腰立たない彼を支えながらゆっくりと玄関へ歩む。「なんでお前等、そんなに強いの?」一人でパニクっている自分が情けないと翔は眉を下げた。


「馬鹿だなぁ、ショウくんは。私達だって混乱しているよ。でもショウくんが守ってくれたからね」


「そうそう。此処で格好をつけないと、何処で見せ場を作るんだい?」


 それくらいの役割くらい譲ってくれても良いだろう? 翔に言うと、ようやく彼が力なく笑った。

 思い出したかのように傷が痛み始めたようで、「手の甲が痛ぇや」ついでに右腕も負傷しているみたいだと翔は教えてくれる。

 彼の足元に邪鬼が縋ろうとしているのを見つけ、朔夜は素知らぬ顔で化け物を踏みつけた。これ以上、妖と親友を関わらせるわけにはいかないし、プライドも許さないのだ。化け物と関わるばかりに碌なことがない。妖は人を傷付けるばかりだ。


 飛鳥の家に上がると、リビングにいた彼女の母親と来客が顔を出した。

 来客改め楢崎家妖祓長、飛鳥の祖母、楢崎(ならざき) 紅緒(べにお)は大変礼儀に厳しい人間で、それは朔夜の祖父以上。本当ならば顔を合わせたところで会釈と挨拶を交わさなければならない。でなければお小言の一つでも頂戴することだろう。

 しかし三人にその余裕はなく、紅緒もまた様子に事情を抱えているのだと理解。怪我人である翔をソファーに座らせると、何か遭ったのかと話し掛けてきた。救急箱を取りにリビングを退室した飛鳥の代わりに朔夜が事を説明。襲われた旨(と妖のこと)を妖祓長に伝え、ソファーに視線を流す。


 動揺が抑えられない翔は足元にすり寄ってきたアメリカンショートヘアを見るや、「ミミ。元気か」ぬくもりを求めるように飼い猫を抱っこして気持ちを落ち着かせようとしていた。

 にゃあ、愛嬌ある声で鳴いている猫に頬を崩し、膝に置いて頭を撫でている。

 飛鳥が戻って来るとミミは飼い主の下に颯爽と向かった。慰めにきたのか、遊んで欲しかったのか、飼い主に似て気まぐれな猫だ。


「羅刹丸のことは僕の祖父から一報が届いていることだと思います。先程、妖と接触しました。襲い掛かってきた集団も羅刹丸の仕業かと」


 飛鳥と彼女の母親の手によって応急処置を受けている翔を見やりながら、朔夜は妖祓長に報告する。

 菫の柄が入った着物の袖を微かに靡かせながら紅緒はなるほど、と首肯。怪我人を一瞥した妖祓長は「少しお待ちを」おもむろに台所に向かうと、やかんに水を入れて湯を沸かし始めた。

 そう時間を置かず、マグカップを持ってソファーにいる翔にそれを差し出す。


「これを飲んで気を落ち着けなさい」


 柔和に綻ぶ紅緒は彼と視線を合わせるために、両膝をついた。孫を守ってくれてありがとう。感謝を述べると翔は何もしていないと力なく返事し、カップを受け取った。

 中身はハーブティーのようで良い香りがリビングをほのかに満たす。

 程なくしてソファーに凭れていた怪我人が瞼を下ろした。くったりと背凭れに身を預けて眠りにつく幼馴染に薄手の毛布が掛けられる。飛鳥が何か混ぜたのかと紅緒に尋ねると、「妖祓用にブレンドしたレモンバームを淹れただけですよ」催眠作用の強いハーブティーを淹れただけだと答えが返ってきた。

 恐怖心を煽られていた彼に簡単な催眠療法を促しただけで、紅緒自身は何もしていないと言う。妖に襲われた人間によく施す対処法なのだと飛鳥の母親が補足を付け加えた。


「こんなにも早く効き目が表れることも珍しいのだけれど、翔くんはよっぽど気が張っていたのね。恐怖が強かった分、安堵も強いのよ」


 暫くは起きないだろう。

 飛鳥の母はそっとしておこうと一笑し、テレビの音量を下げるためにテーブルに置いていたリモコンを取る。

 「ショウくん。凄かったもんね」飛鳥が同意を求めてきた。朔夜は小さく頷き、「僕等を守るために必死だった」まさか大人数相手にあそこまで冷静な判断をして自分達を守ろうとするなんて。彼のようなタイプは目的が明確であればあるほど強くなるタイプだろう。特に幼馴染を大切にする男だ。がむしゃらだったに違いない。


「僕等しか見えていなかったんだろうけど、ショウのそういう一面が時々怖く思える。自分すら見えていない気がして」


「そう、だね。あの時のショウくんはきっと私達のことで頭が一杯だったんだと思う。じゃなきゃ普通、狂気じみた人間に向かってラケットで対抗しないよ」


 幼馴染を大切にするあまりに、そういう行動が目立つ。彼は元々行動力のある男だから。 

 「私達から卒業できるかな?」常に一緒にいたがる翔を見つめ、飛鳥が眉を下げた。このまま自分達に囚われたままの生活を送っていては、いずれ門出で支障が出る。いつだって彼は自分達を追い駆けて来るのだ。彼が自分達から卒業する姿など今のところ想像もつかない。

 朔夜は肩を竦め浮き沈みするソファーにゆっくり腰を下ろすと、今は寝かせておいてやろうと力なく笑う。彼の寝顔を一瞥。阿修羅のような面持ちは消えていた。気まぐれ猫が再び、彼に歩んで膝を陣取っているものだから笑ってしまう。


「まあ、お義母さん。これを」


 テレビの画面を見ていた飛鳥の母が声を上げた。

 ただならぬ事態に思わず一同はテレビを見つめる。そこには速報と画面右上に表記されたニュースが報道されていた。若手のキャスターが険しい顔で駅前を歩いて出来事を伝えている。

 二人は驚愕した。此処で通り魔事件が起きたというのだ。犯人は既に捕まっているようだが、同刻に近場のバス停、そして小学校付近でも通り魔事件が発生しているという。同じ地域で三件別々の通り魔事件が生じていることに専門家達が各々意見を述べているが、一般人である彼等の意見など何の役にも立たないだろう。画面上に透けて映っている邪鬼を見れば、この事件の元凶が手に取るように分かる。

 「そこまでして“僕達”が欲しいか」先程、顔を合わせた東雲を思い出し、朔夜はクッと顔を顰めた。これは自分達に対する新たな挑発だ。


「邪鬼は人間の心、特に負の心を利用する妖でございます」


 テレビの前に立つ紅緒が人間に憑りついている邪鬼の生態について語る。

 通り魔事件を起こした人間は日頃から巨大な“負”の感情を抱いていた者達なのだろう。そういう人間を凶暴化させることなど鬼にとって容易いこと。羅刹丸は無差別に人間の心を利用したのではなく、今回は凶暴になりやすい人間を狙ったのだ。

 自分達を襲ってきた学生達も、きっと凶暴化になるような闇を抱えている者達だったに違いない。人の心など読めないものだ。表向きは表裏なく愛想を振りまいていても、中身が本当にそうなのかどうかは限らないのだから。


 このままでは被害が拡大するだろう。

 紅緒は飛鳥の母に視線を送り、自分達で羅刹丸を討伐する姿勢を見せた。既に新人妖祓の手で負える事件の範囲を超えたのだと判断しているようだ。


 しかし、朔夜は引き下がれない思いを抱いていた。

 紅緒の前に立ち、もう暫くだけ自分達にこの事件を担当させてくれないだろうかと直談判する。未熟であるがゆえに事件の被害が拡大しているのは承知の上。申し訳なさと不甲斐なさで胸がいっぱいになる。だが、これは自分達が担当している事件。まだ手に負える範囲だと訴え、どうか自分達に任せてはくれないだろうかと紅緒に頭を下げた。 

 「貴方達に解決できますか?」既に何人もの一般人が巻き込まれているのですよ、紅緒が厳しく詰問する。


「貴方達を捕えるため、妖は何人もの一般人を利用しています。あそこにいる翔さんも被害者の一人、二度も危険に晒されています。妖祓は常に弱き人間を守り、己の持つ力を持って敵を討つための存在。貴方達に羅刹丸を討つだけの力が果たして本当にございましょうか?」


 片意地を張っているのであれば、すぐさまこの事件を玄人である我々に譲りなさい。紅緒は朔夜に命じた。

 「ございます」間髪容れずに朔夜は答えた。言い切れる根拠など本当は何処にもない。人の心を制御する鬼を討つだけの力があるかどうかなど、本当は朔夜にだって分からないのだ。

 だが引き下がれない。どうしても東雲、否、羅刹丸は自分の手で討ちたいのだ。親友の仇を討つためにも。きっとそれは飛鳥も同じなのだろう。制する声は聞こえない。


 射抜くような眼光を受け止め、長の指示を待つ。

 ソファーから毛布がこすれる音が聞こえた。それを合図に楢崎家の着物の帯に挟んでいた扇子を取り出し、閉じたまま先端を此方に突きつける。


「三日以内で決着をつけなさい。それができないようならば、我々が動きます。宜しいでしょうか?」


 物怖じすることなく朔夜は答えた。


「お約束します。三日以内に、敵の首を必ず」


 既に出現する情報は手に入れている。後はその場所を探すだけなのだと朔夜。

 ただ、入手した場所を探しても見つからないのだと紅緒に伝え、玄人の知識を借りる。こればかりは経験が物を言う。頼らなければどうしようもないこともあるのだ。

 得た情報が誤報なのだろうか。掻き集めた情報を紅緒に報告すると、「目に見えるものだけを信じてはなりません」彼女は情報は真だろうと目を細める。


「見つからないなら“正しく見えるもの”を疑いなさい。我々が結界を使うように、妖もまた結界を使います」


「……結界」


「妖をよく知りなさい。常に妖は知性ある生き物、侮れば最後、我々の敗北は決まります。智があるのは人ばかりに限りません。覚えておきなさい。妖は私達の予想を遥かに上回る生き物だということを」


 紅緒の言葉に突き動かされるような念を抱く。

 朔夜は持ち物を軽くするために通学鞄をその場に置き、教科書類を取り出した。

 飛鳥を呼ぶと二人で必要最低限の物を確認し合い、妖退治に備える。「飛鳥。朔夜くん。これを」ベテラン妖祓から餞別を頂戴する。それは手の平サイズの呪符だった。呪符は全部で四枚手渡される。護身用の呪符だと飛鳥の母が力なく頬を崩した。これを使えば、数分の間、小さな結界を張れるとのこと。何か遭ったらこの呪符で身を隠すよう助言される。


 親として本当は危険なことはさせたくないのだろう。

 怪我だけはしないよう再三再四、注意をしてくる。無理だと思ったら引き返しなさい、己の力の程度を知ることも修行だと飛鳥の母は諌めるように告げた。

 「分かったよ。お母さん」飛鳥が素直に返答し、ショウくんのことをお願いと視線を流す。


「ショウくん、無我夢中で私達を守ろうとしてくれたから精神的に疲弊していると思うの。目が覚めたら適当に理由をつけておいて」


「ええ。大丈夫。彼のことはお母さんに任せておきなさい。飛鳥、気を付けて。朔夜くんも、無理だけはしないでね」


 朔夜は会釈をし、彼女に倣って幼馴染のことを宜しくお願いしますと頼んだ。

 もしも目が覚めて自分達がいなかったら、きっと彼は心配して探すことだろう。外に出たと知ったら、危険も顧みずに追い駆けて来るに違いない。もうこれ以上、一般の彼を巻き込まないためにも此処で見張っておいて欲しいのだ。


「翔くん。貴方達のことが好きだものね」


 ひっつき虫のようにいつもついて来たっけ、可笑しそうに笑う飛鳥の母が再び頷いた。任せろという意味だ。


 リビングを出るためにドアノブに手を掛けた。

 その際、一度だけソファーの方に振り返る。自分達を必死に守ろうとした“一般人”に苦笑を零し、「今度は僕達の番だよ」自分達が守る番、仇を討つ番だと言葉を残した。当然の如く眠り人から返事はなかった。


  代わりに妖祓長から一言。



「身を引き締めていきなさい。妖はまた人間を使うやもしれません」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ