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<十>相棒の才



「合図をしたらそこを退いて。朔夜くん」



 ポーチから持参しているすべての呪符を取り出した飛鳥は、束を畳の上に滑らせる。それはまるでトランプを横一列で並べたようである。

 「何を」驚きの顔を作る朔夜に対し、「あっちの死霊は数が多いからね」此方も数で対抗するしかないではないかと飛鳥。列の上、四枚の札を手に取ると素早く部屋の天井四点に貼り、小瓶に入った清めの塩を前方へぶちまける。


 これで結界の準備は整った。

 部屋への侵入を阻止することは不可能だろうが、侵入者を怯ませることくらい容易だ。

 飛鳥は朔夜にそこを退くよう指示する。少しの間ではあるが、自分が時間を稼ぐ。その間に何か策を練って欲しいと頼んだ。こういう役は朔夜の方が適任だろうから。


「飛鳥。それは危険だ」


 ところが相棒は動こうとしない。口は勿論、態度でも反対の意を示しているのだ。

 一度に持参した呪符を操る。それはつまり、全霊力を呪符に注ぐということ。飛鳥の精神力は持つかどうか分からない。危険過ぎると朔夜は険しい面持ちで此方を睨む。確かに、これほどの量の呪符を操ったことなど飛鳥の経験にはない。根こそぎ霊力が失われるのも目に見えている。

 それでも、やらなければならない。たった今、朔夜が言ったではないか。自分達のみで解決しなければいけない、そういう環境を念頭に置いていけ、と。

 自分がこの役をやらずに誰がやる?


「時間は限られているからね。なるべく、早く策を考えてよ朔夜くん」


「なっ、飛鳥待って!」


 己の体内にめぐっている霊力を右の手に集約すると、それを呪符達に向かって叩きつけた。

 横一列に並んでいた呪符が一斉に宙へと舞い上がる。「祓ノ九字護身」集約した手の中指と人差し指を立て、「一ノ黒点」呪符の一枚に霊力を注ぎ、「二ノ筋」それを媒体にして、「三ノ門」すべての呪符に霊力を張り巡らせる。

 「無茶だ飛鳥!」必死にドアノブを押さえ込む朔夜がやめるよう声音を張るが、飛鳥は結ぶ印と紡ぐ詞をやめようとはしない。


「四ノ界、五ノ滅、六ノ魔と七ノ破を祓いの念に封ずる。さすれば八ノ廻は九ノ印にて打ち砕かん――祓ノ九字護身!」


 全霊力を呪符に注ぐと、それが眩く白に発光する。

 宙を舞っていた呪符は意志を宿したかのように飛鳥と呼応。天井の四隅に貼っている呪符も見る見る光を放ち、纏うそれで部屋全体を覆う。「朔夜くん!」退いて欲しい意味合いを込めて名を呼べば、相棒は手早く数珠を取り払い後ろへ飛躍した。

 瞬く間に扉が全開になり、無数の死霊達が飛び込んでくる。それは犬の死霊であったり、猫の死霊であったり、それ以外の動物の死霊も見受けられるが飛鳥には把握する余裕がない。部屋に撒かれた塩を嫌がり、呻き声を上げる死霊達に向かって指を差し「散!」念のこもった呪符を飛ばす。

 雨あられのように舞う呪符。目につく死霊に貼り付き、その身を消散させていく。数に応じて調伏していく呪符に口角を持ち上げる飛鳥だが、既に息は上がっている。


「一度にっ、こんなにもっ……調伏したことっ、あったけな。おばあちゃんの修行よりきついかも」


 片膝をつくと、此方へ避難してきた朔夜が駆け寄って来た。嬉しい光景ではあるが、今は彼に甘んじるわけにはいかない。

 伸びてくる彼の手を払い退けるように、印を組みなおすと相棒に下がっているよう命じる。

 自分の心配をしている暇があれば、策を考えて欲しい。このままだと共倒れするだけだ。なんのために自分が無茶をしているのか考えてもらいたいものだと毒づき、目を眇めて扉の向こうに狙いを定める。

 

 調伏しても調伏しても減らない死霊。元凶は三味線使いだろう。彼等が楽器を使って歌い、死霊を呼び寄せているに違いない。

 幸い、死霊は部屋に撒いた塩によって動きが鈍くなっている。音さえどうにかすれば、容易に乗り越えられる障害だ。


 だったら音を掻き消してやれば良い。

 刹那の時間でも妖力の宿った音が消えれば、死霊達は主を見失って混乱する。使い手も歌声を止めるだろう。

 飛鳥は両手で拳を作ると調伏が終わった呪符を天井や壁畳に貼り付けさせ、溜まった霊力を一気に放出させる。二重、三重の波紋が生まれた。傍らの波が近く波を呑み込み、更なる大きな波紋を生み出す。その波紋は一帯の音波を掻き消し、爆発的な霊力の波紋と化した。

 コンマ単位で死霊達の動きが鈍くなる。すかさず残りの呪符で死霊達を調伏し、数を一掃していく。


「飛鳥大手柄だ! 後は僕がやる。数が減ればこっちのものだ」


 策を思いついたらしく、相棒が数珠を持った手を扉向こうに翳す。

 「妖金鎖(あやかしかなぐさり)」法具に蓄積された霊力が具体化され、それは光り輝く鎖と変化した。連なる鎖が標的に向かって飛んでいく。手ごたえを感じたのか、相棒が術と連鎖している数珠を勢い良く引いた。

 すると二つの三味線が釣れた。右近と左近のものだったらしく、三味線の後を追うように犬憑き達が部屋に飛び込んできた。

 朔夜の口角がつり上がる。丸腰で自分の前に現れたことを後悔するがいい。そう言わんばかりに、畳を蹴って駆け出すと合わせた両手を各々犬憑き達の腹部に押し当て、術を発動する。


「金鎖・縛!」


 数珠から新たな鎖が生まれ、うねりを上げて犬憑き達の体に巻き付いていく。それはまるで蛇の動きのよう。

 太い鎖が彼等の動きを封じると、見る見る体を絞めて苦痛を与える。畳に叩きつけられるように倒れた犬憑き達を見下ろし、「動けば動くほど絞まるよ」含み笑いに冷たさを纏って朔夜は釣れた二本の三味線を両手に持ち、そっと肩を竦める。


 これで二体同時に仕留めたことになる。さすがは相棒だ。

 残るは一体を仕留めれば此方の勝ちなのだが、飛鳥も術を解いてその場に座り込む。大粒の汗を顎まで滴らせ両肩を忙しく上下運動させる。死霊達の調伏に全霊力を注いだせいで、指一本動かすことも難しい。立つことも儘ならない。


「君は休んでいて」


 自分の状態を見透かした朔夜が此方に背を向けたまま声を掛けてくる。正八は自分が仕留めると宣言した。

 次に、死霊を呼ぶ三味線を壊すべく持っていた二本の楽器のうち、一本を畳に向かって振りかざす。『それは無いだろ!』右近と、『あっし達の演奏道具じゃい!』左近が血相を変えた。


 構わず相棒は右手に持っていた三味線を叩きつける。


 しかし、それは壊れる悲鳴を上げず畳と衝突する前に飛び出した妖が掻っ攫っていく。

 それどころか、もう片方の三味線も掻っ攫い、妖は朔夜の前に毅然と立った。『兄者!』犬憑き達が喜びと安堵の声を上げる中、『感心しまへんなぁ』猫憑きの縦長な瞳孔が膨張する。ぎらぎらとしている眼光が静かな闘志を宿していた。


『わて等の大切な弦楽器を壊す。それがどういうことか、分かってはります?』


 飄々とした口調の中に籠った怒気が、やけに畏怖の念を感じさせる。飛鳥は固唾を呑んでしまう。


「さあね。僕は妖の価値観がよく分からないから」


 恐れを知らないのか、朔夜は平然と笑ってのけた。

 肝が据わっていると言うべきか、挑発と言うべきか、判断しがたいところだ。


 大層不機嫌に鳴く正八だが、表情は相反して妖笑を零した。

 含み笑いを浮かべる猫憑きは『ご尤もどす』双方、お互いの価値観など分かりやしないし、分かり合えない。朔夜に同意だと正八。

 だからこそ同族でない相手を物理的に傷付けても、精神的に傷付けても、それこそ“食”らっても心が痛まないのだと猫憑き。ぺんぺん、ぺんぺん、二度撥で三味線の弦を弾くとすり足で三歩ほど前へ。


 次の瞬間、瞬く間もなく朔夜の懐に入り鳩尾に撥の持った拳を入れる。

 ほぼ条件反射で拳を受け止めた朔夜の体が反った隙を逃さず、鳴き声と共に猫憑きが体を捻って後ろ回し蹴りをお見舞いする。

 「朔夜くん!」相棒の体が側らの壁に叩きつけられる光景に飛鳥は悲鳴を上げたが、本人はあまり気にしていないようだ。「ふざけは終わりだ妖」口悪く舌を鳴らす彼は助走をつけるように壁を両手で突き、勢いに任せて猫憑きの下へ。三味線を抱えている正八に数珠を巻いている右の拳を振り下ろす。


 どうやら正八にとって三味線は己の体よりも大切なものらしく、楽器を疵付かぬよう抱えていたそれを真上に放り、朔夜の攻撃を紙一重に避けた。

 そのまま軽やかな足取りで後転。楽器を受け止めるや否や、『いろは反魂の歌』正八は握り締めていた撥を弦に当てて演奏を始める。てんてんてん、てけてけてん、刻まれていく音調。それに合わせて猫憑きがいろは歌の詞を紡ぐ。


 歌声に惹かれたように彼の三味線の周りに光り物が浮遊する。

 めらめらと青白く燃えている火の粉のようなそれは猫の死霊なのだろう。ああやって死霊を呼び寄せているのだ。飛鳥の張った結界のおかげで召喚された死霊の動きは鈍い。しかし油断はならない。

 相棒に気を付けて、と注意を促す。が、それは既に朔夜の耳には届いていないようだった。

 一点の曇りもなく宙を翔けて来る死霊に数珠を向け、詞を唱えながら己の霊力を集約。「妖滅閃光!」 暗紫に発光していた数珠から彼の蓄積された霊力が眩く放たれ、死霊達の身を貫いて浄化していく。


『厄介な術どす』「厄介な歌だね」

『ほんま性悪や』「ほんと悪趣味だよ」

『術者そっくりやわぁ』「歌い手そっくりだよ」


 ならば、その術を、歌を、胸糞悪いそれを出す前に決着をつける。

 後転から綺麗に着地した正八。死霊を祓い終えた朔夜。互いに畳を蹴り、各々懐に潜ろうと俊敏に動く。正八が朔夜の懐に入ろうと身軽な体躯を活かそうとしても、それを朔夜は許さず。反対に朔夜が持ち前の鋭い判断力を活かして正八の懐に入ろうとしても、それを正八は許さず。畳を蹴って勢いをつける朔夜、後転して天井に足をつける正八、双方はまったく譲らずに力は均衡を保っていた。


 もはやその動きは外野を圧倒するもの。

 霊力を使い過ぎて動けない飛鳥も、束縛されている犬憑き達も、唖然として彼等を見守るしかできない。三人にできることと言えば、狭い六畳一間の戦を邪魔しないように身を壁側に寄せることくらいである。これはあくまでも勝負事だと彼等は覚えているだろうか?

 尖った爪を出して天井から畳へ着地する正八。数珠を握り構えを取っていた朔夜。互いに一呼吸を置くために、背後へ大きく飛躍する。拍子に朔夜の学ランからボタンが二つほど取れ、正八の着物の袖に焦げが滲んだ。


 荒呼吸を整えながら正八が大きな口端をつり上げる。


『子供でも妖祓どすなあ。ほんまやりますわぁ』


 久しぶりに汗だくになるまで体を動かしたと正八が肩を竦める。

 ハッ、朔夜は相手を嘲笑するように鼻で笑う。


「78の体には、少しきつい運動じゃないかい? 手加減してあげてもいいんだよ」


『おおきに。その皮肉、優しさとして受け取っとくどす』


 皮肉を零せる、それは呼吸が整った合図だ。

 再び朔夜と正八が互いの懐に入るために駆け出す。塵埃、そして塩が彼等のせいで部屋の空気に舞い上がる。飛鳥は埃にむせ、犬憑き達は塩を盛大に嫌がった。

 それすら本人達の目には入らないのだろう。勝利を勝ち取るために、相手を術を出させないために、双方懐に入ろうと足を踏み出して回り込もうと相手の動きを読んでいる。

 これでは埒が明かない。均衡が崩れない限り勝負はつかないことだろう。夜明けまでに勝負がつくかも怪しい。


 誰もがそう思っていたが、均衡の決壊は突如訪れた。


 あれほど懐を譲ろうとしなかった双方のうち、片割れの正八に変化が現れたのだ。

 疲労がきたのか、はたまた体に不都合がきたのか。朔夜の動きが正八の動きを上回り、若き妖祓の拳が妖の懐に入る。これには正八が驚愕、彼の眼が零れんばかりに見開いた。

 咄嗟に歌い手が三味線の弦を弾き、二人の間に死霊を呼びだしたために拳は彼の下まで届かず。

 けれども霊力を纏った拳の衝撃は彼の身に届いたようで、猫憑きの身が木の葉のように飛んだ。



『兄者――!』



 犬憑き達の叫び声と共に、妖の身は窓硝子を突き破って外へ。


 しかし、猫憑きは宙返りをすると静かに柔らかな土に着地した。

 痛みは些少しか感じていないようで、己の身に目を向けることはない。寧ろ視線を流しているのは大切だと訴えていた三味線。彼は本体に疵が入っていないか隈なく視線を配っているが、遺憾なことに弦の一本が切れていた。あれでは演奏は無理だろう。

 『あ、兄者の三味線が』窓辺まで器用に移動した右近が生唾を呑み、『これは不味いぞよ』隣に立つ左近が恐れおののいて身を萎縮している。


 兄と慕っている猫憑きの三味線の弦が切れた。

 それだけで二匹がここまで恐怖の念を抱くとは……良からぬことが起きるのではないだろうか。


 飛鳥が部屋にいる朔夜に視線を流した刹那、突風が頬を過ぎる。

 風が横切った、それだけのことだというのに何故、彼が片膝をついて右腕を押さえているのか飛鳥には分からずにいる。


「さく……やくん?」


 戸惑いの声を漏らしながら彼に呼びかけた。


 押さえている指の隙間から体液が滴り落ちている。

 血相を変え、鉛のように重たい体に鞭を打って彼に駆け寄ると「飛鳥。離れろ」今のは妖の爪撃だと朔夜。飛鳥が窓の向こうを振り返れば、此方を嘲笑うかのように大きな口をくわっと開け、弦の切れた三味線を片手に爪を構える正八。眼そのものが紅に染まり、どこが瞳孔なのか分からない。怒れているのだと容易に理解する。


 ぺらぺらと使っていた人語を一切合財喋らず、妖は猫のように鳴いて再び爪撃を飛ばす。

 畳に置いていた呪符を拾って構えるが、霊力が爪先も残っていないため結界が張れない。かろうじて攻撃の軌道が逸れたために、身を切られる事態だけは避けることができた。


 だが連続で爪撃を飛ばされたら回避は不可能だ。

 「来る」朔夜が飛鳥の体を突き飛ばした。横倒しになる飛鳥が急いで体を起こすと、爪撃を封魔結界で防いでいる朔夜の姿が。利き手が負傷しているため、結界を張るのにも苦労している様子。

 しゃらくさい、次から次に飛ばされる爪攻撃を弾きながら朔夜は窓枠を飛び越えた。そして結界を解き、獰猛な妖の下へ。


 猫憑きは大切な三味線をぞんざいに地へ捨てると持ち前の爪を朔夜に向け、二戦目に突入する。


 参戦してやりたいが、飛鳥も霊力を根こそぎ使っている。

 かえって足手まといになるだけだと分かっているから、様子を見守るしかできない。嗚呼、正八の動きが先程よりも速くなっている。懐に入る余裕すら朔夜にはないようで、爪の攻撃を紙一重でかわすばかりだ。


『おい娘っ子! この術を解け!』


 と、窓辺にいた右近が尺取虫のような動きで近付いて来る。


 冗談ではない。解くわけないではないか。自分の霊力は既に底を尽きている。

 なのに、犬憑き達を解き放てば此方の不利は確定なのだ。舌を出して申し出を却下すると、『このままでは坊主が死ぬでよ』今の兄分は理性を失っているのだ。勝負すら忘れているだろうと左近が声音を張った。


 温厚篤実な兄分だが命の次に大切な三味線を壊されると理性が切れてしまう。

 それを取り戻すためには三味線を直すしかないのだと左近。ああなってしまえば、自分達ですら止めるのに苦労する。弦を張りなおせばきっと兄分の理性は戻るだろう。でなければ、目につくものを破壊していくばかりだ。それだけ怒れる行為を朔夜はしてしまったのだと、右近は嘆息をつく。否、自分達も三味線の一部を壊されたらああなってしまうだろう。

 だから兄分は止めに入ったのだ。自分達の理性を守るために。だったら自分達も兄分のためにできることはしなければ。


 そう言ってくる右近と左近だが飛鳥は迷うばかりだ。

 妖の言うことを鵜呑みにできるほど、此方も出来た人間ではないのである。ましては不倶戴天の敵だ。到底彼等の指示を素直に聞ける筈などない。



(だけど、このままじゃ)



 あ。


 飛鳥は思わず息を詰めてしまう。

 怒れて本領も本領を発揮している正八の目に留まらぬ速度に、負傷している朔夜が身を張って対抗している。剣呑とした面持ちで相手の速度を上回る動きを見せる朔夜。微かにだが余裕の笑みすら浮かべている。

 「うそ」すべての攻撃を回避している相棒の異常な身体能力に目を削いでしまう。自分でも攻撃を全回避するのは不可だというのに、彼はそれをやってのけているだなんて。


『ば、化け物かいな。あの坊主』


『あっし達の兄者にあそこまで対抗するなんて』


 身を捩って窓辺にしがみついた左近が外の様子に、このような感想を述べる。

 化け物に化け物と呼ばれてしまえば仕舞であるが、飛鳥はそれに返す言葉もない。本当にそう思ってしまいそうな自分がいるのだから。

 ふと飛鳥は気付く。正八の懐に入り込めた朔夜のことを。あれは正八が疲労したからではない。朔夜が相手の速度に慣れたのだ。相手を見切った朔夜は、その上を上回る動きで正八に拳を入れたのだろう。


 そうだ、きっとそうに違いない。


(朔夜くんは三兄弟の中で一番出来の良い、優秀な妖祓の卵だと言われていた)


 覚えるべき術やその時の状況に対する“呑み込み”が人三倍速いからだと、大人達は口を揃えて彼の才を褒めていた。

 あの時は聞き流す程度のことだと思っていたが(朔夜くんカッコイイと言っていたような気もする)、今になって分かる。相棒の才の凄さを。彼は紛れもなく“妖祓の天才”なのだ。

 「終わる」ぽつんと呟く。犬憑き達が怪訝な顔で此方を見てきたが、構わず飛鳥は終わりを口にした。


「朔夜くんは正八を完全に捉えた。この勝負はすぐに着く」


 いや、もう着いたと言って良いのだろうか。

 夜風に溶け込み、素早い動きで正八の背後を取った朔夜が数珠を巻き付けている右の手を振り翳す。眼鏡のレンズの奥に秘めた鋭い眼光と、状況を完全に呑み込んだ回転の良さ、迷いのない殺意、すべてが妖の上をいっている。


「動きが単純なんだよ」


 相棒が口角を持ち上げた。

 パターンのある動きを幾度も見せられたら、此方も打つ手の一つや二つが思いつくというもの。見極めもつく。

 お前など眼中に入れるほどでも、自分の敵でもない。そう言うと朔夜は霊力を集約した右の手を振り下ろして、理性を失っている妖の身を吹き飛ばした。ブロック塀に身を叩きつける妖が白目を剥いて気を失う。

 犬憑き達が兄者と悲鳴を上げる中、相棒は憮然と妖を一瞥し、「僕もまだまだかな」君のような妖に怪我を負わされるのだから、と言って皮肉を零す。

 熱気に包まれていたアパートの敷地は決着がつくと急速に冷え、一帯を寂然とさせたのだった。


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