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<九>動物憑きの三味線



 てん、てけてけてん、てんてんてんてん。

 てん、てけてけてん、てんてんてんてん。

 てん、てけてけてん、てんてんてんてん。


 てんてんてん、てん、てけてけてん、てんてんてんてん。


 てん、てけてけてん、てんてんてんてん。

 てん、てけてけてん、てんてんてんてん。

 てん、てけてけてん、てんてんてんてん。


 てんてんてん、てん、てけてけてん、てんてんてんてん。


 てん、てけてけてん、てんてんてんてん。

 てん、てけてけてん、てんてんてんてん。


 てんてんてん、てん、てけてけてん、てんてんてんてん。



 一室から妖達が闇に溶け消える。

 目と鼻の先の距離にいたにも関わらず、三匹は雲隠れのように姿を消してしまった。

 なおも聞こえる三味線の音。これは幻聴なのか、残響なのか。それにしては明瞭に聞こえる弦を弾く音。三つの音は各々折り重なり、壁天井畳に跳ね返って不気味に音色を充満させている。

 朔夜が腰を上げたため、彼の背中に縋っていた飛鳥もつられて立ち上がった。生唾を呑んで周りを見るが一向に演奏者の姿は見えず、音は鳴りやまない。

 「さてと」相棒がどこから探そうか、と能天気に微笑を零し、首を捻って飛鳥に視線を流す。笑い事ではない事態に陥っているにも関わらず朔夜は努めて冷静だった。あんな賭け事をしたというのに。いくら自分のためだとは言え、己の身を賭けるなど何を考えているのだ。

 それについて窘めると、男として当然の義務を果たしたまでだと朔夜。飄々とした面持ちで飛鳥の非難を右から左に受け流す。彼の言い分としては飛鳥の身に何かあれば、もう一人の幼馴染が黙っていない。張り飛ばされるのはごめんだ、らしい。

 折角男の義務を口にしたというのに、後述の言い分はすべてを台無しにする言の葉である。相変わらず朔夜は女心が分かっていない。


 しかし、今はそのことについてお小言を漏らしている場合ではない。


「勝てるの?」


 てんてけてん、てんぺけてん。てんてけてん、てんぺけてん。

 聞こえてくる三味線の音に警戒心を抱きながら朔夜に勝算を尋ねる。当然、勝てる見込みがあると踏んだ上の勝負事だよね? 飛鳥の疑問に朔夜は肩を竦め、握り締めていた数珠を簡単に鳴らすと一足先に扉の前に立った。


「勝負はやってみないと分からないよ」


 どんなに低級な妖怪でも、舐めてかかればその時点で自分達の敗北は決まりだ。

 つまるところ、勝算など念頭にも入れていなかったのだと相棒はどこ吹く風で笑った。飛鳥は呆れかえって物も言えない。そんな覚悟で賭け事に乗ったというのか。彼に助け欲しいと縋ったために、強く毒を吐くことはできないが、もう少し交渉の手立てはあったのではないだろうか。

 けれども朔夜は口とは裏腹に、余裕のある面持ちで飛鳥にこう言葉を重ねる。


 ドアノブに手を掛けた彼は笑みを深くし「負けるつもりは毛頭ないけどね」


 それは妖達に対する宣戦布告他ならない台詞。

 彼はハナッから三匹に勝つつもりなのだ。そして情報を得るつもりなのだ。自分達を奔走させている、腹黒い袈裟を纏った妖についてを。

 法具を構えておくよう指示させたため、飛鳥はペンライトを持っている左手とは反対の手で愛用の呪符を五枚指に挟んでおく。既に勝負は始まっているのだ。何が起きるか分からないため、心構えを作っておかなければ。

 廊下に出ると三味線の音が強くなった。演奏者が近いのだろうか。闇が包んでいる通路には気配も姿も感じられない。

 程なくしてペンライトの光が忙しなく明滅した。スイッチをオンオフにするが明滅は止まらない。“ポルターガイスト現象”だろう。飛鳥はペンライトの先端を見つめ、不可解な現象を分析する。


 ポルターガイスト現象。

 此方の分野では霊魂や妖の介在によって引き起こされる不可解な現象を差す。

 基本的には目前ペンライトのような発光、明滅。物体の移動や音の発生などが挙げられる。一般人が遭遇すると悲鳴を上げるほどの恐怖現象だろうが、飛鳥は専門職に就いているため恐怖そのものは抱かない。

 「ペンライトは使えるね」朔夜は己の持っていたペンライトを右、左に向け、明滅の速度を測る。


「ポルターガイスト現象は霊魂や妖が近くにいればいるほど、強い異常が起きる。ということは、ペンライトの明滅が激しい方に行けば妖のところまで(いざな)ってくれる筈……うん、右だね。まずは二階を調べてみよう」


 右に向けるとペンライトの明滅がひときわ忙しなくなった。

 相棒が先導役を買ってくれたため、飛鳥は彼の後ろについて行く。右隣の部屋に移動するだけだというのに、古い床板が軋むせいで体が自然と強張ってしまう。


 実を言うと、玄人抜きでここまで本格的に妖祓の仕事をするのはこれが初めてなのだ。

 一人前の称号を得てひと月ほど経つが、任される仕事は玄人の指示による簡易な仕事ばかり。自分達の判断で仕事をすることがなかったため、飛鳥は上手くやっていけるかどうか不安で仕方がなかった。が、朔夜と一緒なら大丈夫だろうと考えを改める。幼少から彼と修行をしてきた。よき相棒として苦楽を共にしてきたのだ。きっと大丈夫、彼と一緒ならきっと。

 (私だってショウくんの仇を取りたいんだから)幼馴染の命をぞんざいに扱われた怒りと、喪うかもしれなかった尊い命への恐怖は朔夜だけが抱いているものではない。


 気を引き締めて朔夜と右隣の部屋に立つ。

 朔夜が細心の注意を払いながら、そっと部屋の扉を開くとてん、てけてけてん、てんてんてんてん。てん、てけてけてん、てんてんてんてん。てん、てけてけてん、てんてんてんてん。三味線の音が一室を満たしていた。並行して、『いろはにおえど、ちりぬるを。わがよたれそ、つねならん』歌声が聞こえる。あれはいろは歌だろうか。凛と澄んだ声音が詞を謳っている。

 飛鳥と朔夜は目でアイコンタクトを取ると、勢いに任せて部屋へ飛び込んだ。相手の姿をろくに確認すらせず、朔夜は数珠を、飛鳥は呪符に霊力を溜めてそれを放とうとした。


 だが驚きのあまりにそれは霧散してしまう。部屋には演奏者以外誰もいないと思っていたのだが、それは間違いだったようだ。

 窓辺に立って三味線の弦を弾くのは犬憑きの右近。一心不乱に三味線の弦を指で抑え、撥で弦を弾いて歌を紡いでいる。演奏者を囲むように構えているのはおびただしい死魂。数を数えるのも疎ましいと思える、その膨大な数に二人は絶句してしまう。


「これは犬の死霊」


 六畳ほどしかない狭い一室に、これほどの死霊を短時間で呼んだのか。朔夜の驚きと犬の死霊の猛威、どちらが早かっただろう?

 青白い炎を纏った死霊が猪突猛進、捨て身で此方に向かって来る。まともに食らえば犬の死霊が自分達の霊力を食らい、その力を吸い尽くそうとするだろう。そうなれば最後、命が危ぶまれる。

 四方八方から飛んでくる死霊を目にした飛鳥は素早く持っていた呪符を一枚残してすべて放つと指で印を組み、自分と朔夜を囲むように四点を取った。


「一ノ黒点、二ノ筋、三ノ門を。四面魔封!」


 瞬く間に放たれた呪符が各々呪符と線を結び合う。

 間一髪。死霊達が身をぶつける前に結界を張ることができたため、その攻撃を回避することができた。「助かったよ」ホッと胸を撫で下ろして礼を紡ぐ朔夜に安心はできないと飛鳥は印を結んだまま苦言を漏らす。

 結界を張ることには成功したものの、こうも数が多いと攻撃を受け止めるだけで精一杯だ。それどころか、死霊の数が多すぎていつまで攻撃に耐えられるか分からないと渋面を作る。結界が壊される前にどうにかしなければ。


『ういのおくやま、きょうこえて。あさきゆめみじ、えいもせず』


 いろは歌を紡ぐ右近の弦を弾く速度が上がる。


『歌えや踊れや犬の御魂よ。わっち達は己の人生を花とするために此の世に留まっている。妖として此の世に留まっている。人生とは無常なもの。ならば同胞よ、わっち等と共に華々しく散ろうぞ』


 嗚呼、我等の思いをいろは歌に籠めて。


 “色は匂へど、散りぬるを。我が世誰そ、常ならむ。有為の奥山、今日越えて。浅き夢見じ、酔ひもせず”。


 さあ、もう一度。いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす。

 何度でも、いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす。

 永遠と、いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす。

 この無常は永久に、いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす。

 魂散るまで、いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす。


 繰り返される歌が、三味線の音色が、次第次第に二人の鼓膜を麻痺させる。耳と頭が割れそうに痛い。

 結界を張る飛鳥の手が震え始める。音色が混乱と痛みを引き起こして仕方がない。ただの三味線の音色だというのに、聞いているだけで吐き気がこみ上げてくるのは何故だろうか。唾液が酸いてき始めた。

 また、右近のいろは歌に共鳴した犬の死霊達の士気が高まった。怨念すら感じるいろは歌に、彼は何を思い、何を感じて自分達に牙を向けているのか。


 身を投じて結界を壊そうとする犬の死霊達に身の危機を感じた相棒が、片耳を左手で抑えたまま素早く数珠を翳す。

 いろは歌に負けじと大きな声で祓いの詞を紡ぎ始める朔夜。


 だが、それは妖を祓うためのものではなく、自分達の身を守るための詞だった。


 暗紫に光る数珠が一閃を放つと、飛鳥を含んだ皆が目を瞑ってしまう。

 相棒は視界を奪った隙に結界を張っている飛鳥の腕を取り、死霊の包囲網を強引に突破。廊下に飛び出すと飛鳥の手に余っていた呪符を表に貼り、「術を!」此方に命令を下した。未だに視界が奪われていた飛鳥だが、声を頼りに印を結んで呪符に念を送る。


 これで少しの間、死霊達は廊下に出てくることはできないだろう。

 けれども、あれだけの数だ。呪符がどれだけ持ってくれるか、これは時間の問題だろう。残りの三味線使いも気になる。少しばかり対策を検討しなければ。


「相手は強敵だね」


 まだ眩む目を手の甲でこすり、飛鳥は視界を取り戻そうと瞬きを繰り返す。

 敵を舐めていたわけではないが、正直これほどの力を持っているとは思わなかった。動物憑きは低級の妖として扱われていることが多いため、実力はある程度自分の中の物差しで測っていたのだ。ゆえにこれは想定外のことだと飛鳥。

 ひとつ、今の出来事で言えるのは三味線使いが死霊使いだということ。右近の演奏と歌声によって死霊が(つど)ったのだから、間違いないだろう。

 同調を示す朔夜だったが、「嘘だろ」扉の方に目を向けて目をひん剥いた。貼ったばかりの呪符がもう剥がれ落ちそうなのだ。それに気付いた相棒は飛鳥の腕を取ると廊下を駆け出す。


「考える暇すら与えないなんて、無慈悲な妖達だよ」


 朔夜の声音には焦燥感が滲んでいる。

 幾ら才はあろうとお互いに新人の妖祓、まだまだ教わった通りのことしかできないためにアクシデントには弱いのだ。

 急な傾斜を転がるように駆け下りると右の通路に『退屈どすなあ』、左の通路に『右近はあっし達の中でも一番未熟な腕じゃぞ?』猫憑きと犬憑きの片割れが三味線を構えていた。

 とにもかくにも待ちくたびれたようだ。使い手は歌いたそうに体を忙しなく揺すっている。


 持っていたペンライトから破裂音が聞こえた。

 明滅していた電球の導線が切れ、本体が粉々に砕けてしまったらしい。

 それだけ妖達の妖力が大きいということだ。妖達のポルターガイスト現象に耐えられなかったらしい。これは目前の動物憑き達に謝罪しなければならない。低級霊と称するにはあまりに失礼な腕の持前なのだから。


「挟み撃ちとは策士的な考えじゃないか」


 皮肉る朔夜の隣で飛鳥は本当にお嫁入りしなければいけないかもしれない、と生唾を呑んで不安な未来を想像する。

 正八のお嫁になる。それはつまり、恋人らしいことをしなければならないということで。正八を恐る恐る見やり、容姿等を確認。ついつい泣きたくなった。


 背丈は自分よりも少し低く(犬憑き達は自分と同じくらいの背丈。160前後)、顔は猫、胴は人間な妖のお嫁さんになるなんて! あのお顔でちゅーとかされた日には失神し、湿疹が出そうである。

 それならちっとも振り向いてくれない相方を思うより、幼馴染の好意を素直に受け入れて円満にカレカノライフを楽しんだ方が断然マシである。悪女になって三人の関係を壊した方がマシである。悪女万歳である。もはやそっちの方がパラダイスだ!


「でもでもまだ諦めないよ! 私は朔夜くんのロールキャベツな一面を見ていないんだかっ、うわっと?!」


 自分の世界に浸っていた飛鳥の体が抱え込まれる。

 朔夜が両サイドの攻撃を回避するために斜め前の部屋へ滑り込んだのだ。

 自分の身を抱えてくれる朔夜に感動を覚えるが一室に入るや否や、畳の上に身を落とされる羽目になり、彼に対する評価はプライマイゼロだと飛鳥は嘆きを口にする。


「何ぼさっとしているんだ飛鳥!」


 素早く扉を閉め、ドアノブに数珠を巻き付けた相棒から強い口調で諌められ、思わず首を引っ込める。

 そこまで怒らなくとも良いではないか。確かに自分の世界に浸っていたことは謝罪するけれども。

 ぶつくさと愚痴る飛鳥に、「油断が命取りになる」朔夜は更なる注意を促す。今の自分達の状況は芳しくなく、更に頼れる妖祓の玄人もいない。新人の自分達のみで解決しなければいけないのだ。一匙の油断ですら命取りになる。

 そういう環境に立たされていることを。そしてこれからも立たされることを念頭に置いておくよう釘を刺し、相棒はガタガタと揺れるドアノブを懸命に押さえつけた。


「くっ、妖力が上がっている。死霊を集わせているせいか」


 壊れそうなほどドアノブが振動している。

 ノブに巻き付けている数珠が首の皮一枚でなんとか侵入を阻止しているのだ。

 考える余裕が欲しいと苦言する相棒の姿を目にした飛鳥は、ようやく自分の置かされている状況をはっきり自覚した。

 ふざけた交渉、勝負事であるが、両者は真剣勝負なのだ。それは飛鳥が思っている以上のこと。朔夜はそれを知っていてハナッから真剣に勝負に取り組んでいる。何より自分の命を賭けて、交渉の条件を緩和してくれたのだ。だったら自分もそれに報いることをしなければ。



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