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ふたりは其の妖祓と申し候―永遠の妖狐―  作者: つゆのあめ/梅野歩
【零章】妖、それは人を惑わすもの
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<一>少年、ただ者にあらず





『えー、またかよ。お前といい、あいつといい、ドタキャンが多過ぎるんじゃね?』




 少年、和泉(いずみ) 朔夜(さくや)はガラケーを片手に夕暮れの街並みを駆け抜けていた。


 傾いていく日差しは天高い空やそれに向かって伸びようとするビル、蟻のように小さな人間達を茜色に染めていく。吹く風は夏めいて、季節はすっかり皐月の頃だと昨夜は思って仕方がない。暖かな陽に酔いしれそうだ。


 しかし過ごしやすい季節になったとはいえ、この時間帯になると肌寒い。

 薄手の上着は必需品だ。学ランでなければジャケットを羽織っていたことだろう。


『聞いてんのかよ』


 ガラケー越しに聞こえてくる不満げな声は幼馴染のもの。朔夜は銀縁眼鏡のブリッチ部分を軽く押すと、「ごめんごめん」相手に平謝りした。


「塾の課題の存在をすっかり忘れていてさ。これをしないとクラス替えに響くんだ」


『ふーん。それ、前回のドタキャンの言い訳にそっくりだけど? っつーか、まんま?』


 つい、顔が引き攣ってしまう。

 これは前回の弁解で使用したようだ。次回のドタキャンでは別の言い訳を用意しておかなければ。


「後日、お詫びをするから許してよショウ。あ、ごめん、そろそろ自習室に着く。本当にごめん。また明日ね」


『あ、おい朔夜!』


 強制的に電話を切ると、携帯機器をスラックスのポケットにねじり込む。

 次にその手を真新しい学ランのポケットに移動させ、おもむろに球の連なった紐を取り出した。世間ではそれを“数珠”と呼ぶ。


 口では塾だの自習室だの単語を紡いだが、現状はひたすらに喧騒とする街を走っていた。課題なんて嘘なのだ。本当は別の用事で幼馴染との約束をキャンセルせざるを得なかった。それはきっと“彼女”も一緒だろう。


「まったく、普通の学生生活すら送れないんだから嫌になるな」


 おかげで幼馴染が計画してくれた話題の映画を見る予定がパァだ。


「明日。ショウの機嫌を取らないと。あいつはすぐに拗ねてしまうから」


 嘆息を一つ零すと朔夜は歩道橋の階段を一気に駆け上がる。

 通路の中間で足を止めた。軽く上がった息を整えながら、沈んでいく太陽の光を背中で受け止め、向こうの景色に目を眇める。


 一望できる景色に見つけられるもの。どこまでも続く車路。その上をなぞるように走る自動車。バイクが車の列を追い越し、小さな三色信号機が代わる代わるに色を発光している。


 冷気を含んだ夕風を頬で受け止めていた朔夜は今暫くその場に佇んでいたが、吹いてくる風の違和感を見つけると弾かれたように地を蹴った。


 転がるように歩道橋の階段を下り、ひしめき合う雑踏に飛び込む。

 帰宅ラッシュを迎えた大通りは行き交う人間で満たされている。

 そこを押しのけるように走れば、通行人の一人や二人に睨まれることだろう。覚悟の上で朔夜は駆けていた。彼には火急の用事があったのだ。


 コンビニから出てくる若いOLとぶつかりそうになりながら、横断歩道を渡る小学生のちびっ子を避けながら、時に自転車を押してちんたらと歩いている学生の集団に苛立ちを覚えながら、朔夜は全力疾走する。夕刻の肌寒さなど念頭から吹き飛んでしまった。


 朔夜の向かう先は決まっていない。

 ただ肌に感じる風の違和感に(いざな)われるままに走っている。まるで鬼ごっこの鬼のように彼は足を動かしていた。


「すばしっこいな」


 丁字路を直進し、住宅街に入った朔夜はそろそろ相手を捕まえたいところだと舌を鳴らす。眼鏡のブリッジを押すと、右手に絡めた数珠を握りしめて人差し指と中指を立てる。


 傍から見れば奇怪なことをしている少年であろう。

 しかし彼は数珠という法具を使って一般の人間には視えないものを“視”ている。


「しめた。飛鳥(あすか)が近くにいる。挟み撃ちできそうだ」


 口角を持ち上げる朔夜は相棒が近くにいるなら袋小路だと逃げている相手を嘲笑する。


「この時間帯から(あやかし)がうろつき回っているだなんて。本当にこの地は物騒だ」


 和泉 朔夜は表向きごく普通の高校生だ。

 春から地元の高校に進学した男子高生で、趣味は読書と散歩と映画鑑賞。顔立ちは若干綺麗系でそれなりに女子に好意を抱かれるが恋愛にはてんで疎く、また友人を多く作る型でもない。


 面白味もない生活を送っている“ただの”高校生だった。



 ただ彼は一般の高校生とは違う、別の顔を持つ少年だった。


 ひとつは普通の人間には視えない“化け物”が見える力を体に秘めているということ。その力は“霊力”と呼ばれている。


 もうひとつは家系が特殊だということ。


 和泉家の三男として生まれた朔夜の家は一般の家庭とは違い、代々続いている由緒正しい職が息づいている。

 表沙汰になることのない職の名は“妖祓(あやかしばらい)”。人に害をもたらす妖を祓い、人間の平穏を守るために暗躍している特殊な職だった。


 そう、朔夜は若人にしながら妖を祓う妖祓の後継者だった。その業界では有望な後継者だと期待を向けられている高校生なのだ。


「見つけた」


 突き当りの角を曲がった先にようやくお目当ての標的を見つける。

 軽自動車が二台通れるほどの狭い道路。一方通行の(みち)に立ち往生しているのは大柄の男。

 果たして三メートルある男を安価に大柄と称して良いのだろうか。和服を身に纏っている男は上半裸、見事な太鼓腹と薄毛が目を引く。三白眼が忌々しそうに朔夜を睨んでいる。


 こんな男が道中を歩いていたら、即警察に一報が寄越されることだろう。

 しかし誰も男を通報しようとはしない。男の姿は視えないのだから。



「ここ数日、近場の道路で交通事故が多発している。新聞の記事によるドライバーの証言によると、信じられない騒音による驚愕からの運転ミスからだそうな。最初こそ警察も信じられないようだったけど、繰り返される交通事故の中でドライバーが口を揃えて同じ理由を口ずさんだ」



 それにより、警察は“騒音”という原因究明に精を尽くし始めた。

 けれど解明されることは決してないだろう。元凶の騒音(化け物)は普通の人間には視えないのだから。


「大声という騒音を出し、人が気を抜いた時に命を奪う。古い書物にもお前の悪事は書かれている。だろ? うわん」


 妖の名は“うわん”と呼ばれる化け物。


 この妖がビルビルに身を隠し、騒音を出してドライバーの気を削いで事故を起こしていた。ドライバーの命を頂戴するために。比較的おとなしい妖なのだが、この地の妖は基本的に凶暴的で人に害を与える。

 事を知り、朔夜は相棒と事件を調査し始めた。どのような妖が人害をもたらしているのかを。


 そして突き止めた真実と犯人。朔夜は相棒と共に幼馴染との約束を蹴って妖を追いつめている。


 先ほどから述べている相棒とは朔夜のもう一人の幼馴染である。

 相棒のこと彼女はうわんを挟んで向かい側の逃げ道を塞いでいる。一重で童顔ながらも、どこか愛嬌のある顔立ちをしている彼女の名は楢崎(ならざき) 飛鳥(あすか)。朔夜とまったく同じ境遇に立つ幼馴染だった。

 セーラー服の胸元に結ばれているタイを風に靡かせている飛鳥は、右の人差し指と中指で呪符を挟み、構えを取っている。


 だからうわんは立ち往生しているのだ。背後には朔夜が、前方には飛鳥が逃げ道を塞いでいるのだから。


「貴方の悪事のせいで、尊い命が二つ失われているの。その身をもって償いなさい」


 まったくもって彼女の意見に同意する。

 多発している交通事故により四十代の男性ドライバーが、歩道を歩いていた三十代の主婦が命を落としている。妖祓として見過ごせない。


(尤も、僕らはまだ新米も新米だけどね)


 幼少から妖祓になるよう躾けられていた朔夜と飛鳥だが、一人前と名乗ることを許されたのはごく最近。高校に進学してからだ。


 ゆえに妖祓としてはまだまだ未熟だろうが、朔夜はうわん相手に負ける気などしなかった。

 向こうの妖力よりも此方の霊力が優っているからだろうか? 否、妖に敗北したくない気持ちが優っているからだろう。


 何故なら朔夜は心の底から妖が嫌いだったのだから。


 一たび動けば戦闘に突入するであろう一触即発の空気。

 先に動いたのはうわんだった。背後にいる男の朔夜より、華奢な女を標的にしたようだ。持ち前の声を活かし、人の鼓膜を破れんばかりに咆哮。妖力の宿った声音が衝撃波となり、その場の空気を圧す。


「封魔結界」


 飛鳥は持っていたフダを目の前に翳し、霊力の壁を作って妖の音波を受け止める。

 甘いと朔夜は思った。相棒も自分と同じ“有望”な妖祓として期待されている高校生。外貌だけで判断すると痛い目に遭うだろう。


 妖術を霧散させ、彼女は持っていた呪符を口に銜えると制服の片ポケットから新たに三枚の呪符を取り出し、勢いよくそれを放つ。

 うわんを囲うように三点を取った呪符は三角形の面積内に化け物を閉じ込める。


 焦燥感を抱いた化け物が壁を壊そうと声を張るが、一帯はまったくの無音。静寂な住宅街に妖の声は轟くことがなかった。

 今が良い機会だと朔夜は数珠を握りなおすと、じゃら、じゃら、じゃら、と音を奏でて法具を鳴らす。


「天地陽明、四海常闇、満天下陽炎の如く成りけれ」


 唱える詞は経ではなく、かと言って妖祓全員が唱える詞かと言えばそうでもない。

 これは今昔に続く和泉家に伝わる不思議な詞。妖祓は家々の詞を受け継いでおり、それを調伏の詞として力の糧としている。ゆえに朔夜と飛鳥の唱える術の言葉は違う。彼女の家は詞数が少なく、指の動作で術を発動することが多い。


 体内に分散している霊力を数珠に集約することで、法具が暗紫に発光し始める。



「さすれど一点翳成り。即ち祓除の刃を下さんとする」



 じゃら、じゃら、じゃら。


 身動きのできないうわんに向かって数珠を向けながら、聖なる言の葉を紡ぐ。

 人害を与える化け物に天誅を。宙を切り、朔夜は数珠を絡ませた右手を翳す。



「祓除の刃、即ち業火の制裁。霧散むっ」



 霧散霧消と詞を紡ぎ終わろうとした刹那、朔夜の背後からけたたましいクラクションが飛んでくる。

 そのせいで術が発動することなく、その場で霧散。不発に終わってしまう。ぎこちなく振り返れば、青に塗装された軽自動車が道の真ん中に立つなと言わんばかりにクラクションを鳴らしてくる。


「危ねぇだろうが!」


 ついには運転手に怒鳴られる始末である。

 気が抜けてしまった二人の隙を見たうわんは、今が逃げる機会だと思い立ったのだろう。三点の呪符の一つに妖力の宿った声音をぶつけ、発動されている術を弱めると無理やり脱出を図る。


「あ!」


 飛鳥の悲鳴よりも、二度目の運転手の怒号の方が優り、二人は急いで道端に避難。

 柄の悪そうな外見三十代の金髪男に思い切り睨まれたので、会釈をして謝罪を示す。始終怪訝な眼を送られるのだからなんとも居た堪れない気持である。


 軽自動車を完全に見送ると、二人は視線を地に落とし、無残に落ちている三枚の呪符に視線を留めた。

 うわんは住宅街の影から影に飛び移り、逃げてしまったようだ。

 二人はその視線を互いの相棒にかち合わせ深い嘆息をつく。


「一からやりなおしだね。折角あそこまでうわんを追いつめたのに、まさか車に邪魔されるなんて。私達ドライバーの仇を討つために頑張っていたのに、恩を仇で返されるとは思わなかったよ」


 まったくである。

 朔夜は調伏の時間帯が悪かったのだろうと失敗の原因を述べた。



「夕暮れは帰宅ラッシュだからね。人も車通りも多くなる……とはいえ、これはショックだな。ここまできて失敗だなんて。僕等のやっていることも、一般人には愉快奇怪な行動に見えただろうね。あーあ、恥ずかしい」



 なにせ化け物が視えない一般人だ。

 どんなに朔夜と飛鳥が他人に妖退治をしていると主張しようが、一般人にはごっこ遊びにしか見えないだろう。今頃、あの運転手はいい歳をしてごっこ遊びかと嘲笑しているに違いない。

 人間を守るために奔走しているというのに……本当にやりきれない。


 だから人とは違う“力”を持つことは不幸なのだ。


 朔夜は霊力を持つ己の体質を呪った。化け物が視える目も、気配を感じ取れる六感も、祓う力も、私生活にはなんら必要ない。一般人には理解できない“力”なのだから。


(妖祓、か。期待されても困るんだけどな)


 自分の将来を家系によって約束されている、その現状に朔夜は不満を感じていた。

 朔夜は妖祓など志してはいなかったのだ。妖と深く関わる生活より、人間と深く関わる普通の生活を羨望していた。


 取り敢えずうわんの行方を探さなければ。朔夜は飛鳥に声を掛け、二手に分かれてうわんを探そうと提案する。うわんを取り逃がしたと妖祓長の耳に入ればカミナリものだろうから。


 すると飛鳥が頬を膨らませ、


「もう一時間も追っているよ」


 疲れちゃったと意見を返される。


「だから二人で喫茶店に入らない? ね?」


 ね、の同意を求める声音が甘い。

 朔夜は再び小さな溜息をつき、こめかみに手を添えて返事する。


「ダメだよ飛鳥。僕等はショウの約束を蹴っているんだから」


 そう、先ほど電話をした幼馴染と朔夜、そして飛鳥は映画に行くと約束を取り結んでいた。

 しかし妖の出現により、揃ってキャンセルしたのだ。もう幾度となくドタキャンしているので、彼は怒っているだろう。


「遊んでいるわけじゃないよ。休憩するだけだって」


 能天気に笑う飛鳥だが、


「なら飛鳥は休憩していいよ」


 自分一人で行くと朔夜。彼女の誘いを素っ気なく断った。


 そうしなければ追々面倒になる理由が朔夜にはあるのだ。相棒の自分に向ける特別な気持ちに気付いているため、その誘いに下心があることも知っている。

 ゆえに朔夜はうわんを探すべく歩き出す。


「ショウくんには明日ちゃんと詫びるから」


 頓狂な声をあげ、背を追い駆けて来る飛鳥は執拗に誘ってくる。

 けれども朔夜は休憩はいらないと言葉を返すばかりだった。




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