くるくるすとれーと
風が少し強い。ポニーにした後ろ髪が左右にフリフリとなっているのを感じる。文字通り馬の尻尾みたいだと思うと、ちょっと笑みがこぼれる。
最近は寒く暖かい。空気自体は冷たくて、風が吹いている今なんかは肩が上がるほど寒いけど、後三メートル先の日向、あそこまで行けばすぐに気持ちよい日差しにあたれる。そのなんともいえない気持ちよさ、ジワッとするあの感じを想像しながら目を軽くつむって歩く。足どりはいつもより少しだけ軽い。
今日はいつもの音楽プレイヤーは家においてきた。これは特に意味はなくて、ただの気分の問題。よく思い出してみれば昨日の夜に充電器をさした記憶はないから、もし使いたかったとしても無理だったかも。まあいいや、そんなことよりさっさと決めちゃわないと。あと五分ってところかな。変えたいような、このままでもいいような…… すっとしたまっすぐが似合うような、くるくるちゃんのほうがもっと似合うような…… 考えれば考えるほどこんがらがってくるけど、こういう『どうしよっかな』って考えている時間は大好き。次々とシャボン玉みたいに浮かんでくる想像はいろんな『ありえる自分』を描いているみたいで楽しい。
交差点で一回止まる。目の前は十秒前に赤信号になった。少し走れば間に合ったけど、散歩中に走ることが何よりも嫌いな私がそんなことをするはずはない。信号が点滅すれば次の青信号を待つし、走らないと渡れないような、信号なしの道はまず渡らない。
とまったついでに道路の向こう側をちょっと見る。お買い物に来たのか、二十代の女の人が二人楽しそうにおしゃべりしている。肩まで届くぐらいの黒のボブカット、前髪は片方の眉を隠している。もう一人はカチューシャで前髪を上げておでこを出している、後ろはまっすぐに首の途中までのびている。うーん、カチューシャはいいかも…… もしかしたら今までに一度も試したことがないかも。後ろはあの人よりは長くしたいかな……
横の流が縦に変わった。赤信号にもかかわらず無理やり曲がって渡る車を待ってから、左足を前に一歩。ああやって信号が変わっても勢いで行っちゃう車ってどこにでもいるなぁ。どうして待てないんだろう、そんなに生き急いでいるのかな。
さっきの女の人たちをすれ違い座間に近くから見てみる。目が合っちゃうと恥ずかしいから、それとなく一瞬だけ。二人は私に目を向けることもなく、歩きながら会話に熱中していた。近くから見た彼女たちの髪型は、正直言うと微妙だった。視力がよくても、遠目でみるのと近くで見るので結構違いがあるのは不思議だ。小さいほうがごまかしがきくってことなのかな。
横断歩道を渡りきったころには、短めカチューシャヘアの案はもう割れていた。ボブの方もありきたりな感じがするから何か嫌。違いを好むわけではないけど、同一を望むわけでもない。なんだろう…… なんでもない、ただの気分なのかな……
後二回信号を渡ればもう目的地だ。いつもはこの信号を渡る前にはもうとっくにどうしようかは決めていて、店員さんにどういう風に言おうか考えているころなのに…… 店までいってもまだ決まってない、ってなったのはまだ一回もない。きっと私にはそんなとっさの決定なんてできないから、なんとしても後三分で決めちゃわないと。風で目にかかった前髪を指で横へどかして、またまた頭を働かせてみる。急ぎたくないのに歩調が少しだけ速くなっている気がする。
「よかったらお受け取りください」
ティッシュ配りのお姉さん。考え事に集中していて道にいたことに気づいてなかったから、少しびっくりしながらも左手でもらう。寒い中大変だなって思うのは、そのお姉さんがかわいいからかな。ふわふわしたミディアムヘア、赤い星型のピンがかわいらしい。あのくらいまで切ってもらってもいいかもしれない。それでも、ガラッと変えてしまうことは、なんだか自分の中身まで変わってしまうようで少し抵抗がある。そんなこといってたら一生ロングでポニテなままなんだけど、それでも抵抗があるものはある。
はぁ。なんだか何を思いついてもだめなところが見えてくる。想像も、さっきからおんなじようなものしか浮かんでこない。いつもと同じ靴なのに、ちょっと重く感じてきた。
よく考えれば、わざわざ今日行かなくてもいいんじゃないかな。別に行かなきゃいけないわけじゃないんだし、何か行事があって張り切ってるわけでもないんだし。さっきまで出てたお日様も雲に隠れちゃって寒くってきたし、やっぱ帰っちゃおうかな。でもだったら今日外に出た意味って何だろう、行って帰って何もしないっていうのも、それはそれでもやもやする。
どうしようか迷いながら、目の前の横断歩道、これを渡れば後ひとつでもう店ってところまで来てしまった。進むのも戻るのもなんか嫌な私は横を選んだ。青だったから一応正面の信号は渡って、それから右にそれた。前進でも後退でもない、保留。立ち止まるのもなんとなく嫌だったからそのまま歩く。目的地のない散歩へと目的がシフトしつつあることはわかってるけど、わかったところで同行できる感じもない。
このまま行ったら本屋さんと喫茶店ぐらいかな。まだまだ昼だし、寄り道してからどうしようか決めてもいいかな。暇つぶしでもないけど、本屋さんに行こうかな。
微妙にタイミングの遅い自動ドアが開いて、またまた微妙に遅いタイミングで「いらしゃいませ」の声。別に反応しなくてもいいんだろうけど、いつもなんとなく会釈をしてしまう。こういうとき無反応かつ無表情で歩き進むことは性格的に無理。でももし今が誰かとおしゃべりしながらだったら、たぶん店員さんの声なんて耳に入らずに会話に笑いながら入ってくろうから、相手への会釈ってわざわざいい人ぶって言うのは変な気もする。
本屋で最初に行くのは、って特にこだわりはない。大体漫画か小説コーナーからだけど、そもそもそのほかのコーナーをまず使用しない私にとっては、『まず』なんていかにも続きがありそうないい方は合わないかな。
なんとなくもやもやしたから、今日は意表をついて新書コーナーへ『まず』行ってみる。まず、長時間居座る予定。別に個人のやってる小さな本屋ってわけじゃないし、何時間いたところで起こられるはずもないし。
本は高校を卒業したころから読み始めた気がする。それまでも正確には読んでいたけど、読んでいたというほどは読んでいなかった。うー、何か自分で言ってて変な風になってきた。とりあえず、どれか一冊とって読んでみよう。といってもここで買ったらお金が足りなくなっちゃうから読むだけだけど。
「よぉ」
『明日にも変えられる自分』なる本をとろうとしたとき、右、もしくは左から声がした。どっちからわからないくらい突然なものだったし、何よりその声が驚きだった。びっくりして左を向く。ちょっと力が入りすぎて勢いが強かった。
……。誰もいなかった。
「おーい。こっちだぞ」
後ろからつんつんと肩をつつかれ、「ひゃうっ」と声が出てしまった。かぁっ、と頬から熱が出てるのがわかる。あわてて体ごと後ろへ向こうとして、自分の足に引っかかる。ガクッ、と体の軸が崩れる。
「おいっ」
転ばなかった。転ばなかったけど……
「はぁ。相変わらずアホなことしてんな」
右手首と肩の辺りからあったかい温度が伝わってくる。転びそうになった私を助けてくれたらしい。お礼を言わないと……
「ちっ、ちかんっ!」
でも体は反射的に反応してしまい、彼の手を払ってしまった。
「なっ、なんだとぉ!」
むすっとされた。とてつもなくむすっとした顔でこちらをにらんでくる。幸い近くに人はいなかったようで、ちかんされた(?)私のところへ助けに来る人はいなかった。
「あ、いや、ちがくて…… ご、ごめんにゃさいっ!」
勢いよく九十度ぐらいでお辞儀をした。そのあとに、自分がかんだことに気がついた。これ以上ないくらい恥ずかしい。
「今日はニャンコがみか。バリエーション豊富だな」
冷静に対応されたことで、余計恥ずかしさが際立つ。でも何か反抗してもろくなことにはならないだろうからおとなしく面を上げる。
「中塚っ!!」
「はっはい!!」
「……ぷっ」
……。遊ばれている……。
「あ、あの。悪いけど、用がないんだったらもういいかな」
別に急いでるわけでも用があるわけでもないけど、わざわざ大学の同級生にいじられてやる時間はない。ないこともないけど、とにかく嫌だ。
「あ、わりぃ。いやぁ、別にいじるつもりはなかったんだけどな。面白いからつい」
グッ、とにらんでみる。迫力はなかったとしても拒絶は十分に放出できていると思う。
「あ、いや。カワイイ娘ってついついイジワルしたくなるじゃん?」
「それはカワイイ娘にやってあげてください」
そういうこと言って、私の反応を楽しんでいるのはわかってる。私はすました顔でヒラヒラと払うように言う。ちょっと勝利の喜びが心に広がっている。
「うーん、とりあえずこのあたりにはほかにはいないみたいだけどな」
「はい?」
きょろきょろとしながらよくわからないことを言っている。どうしたのかと思って聞き返してみた。
「え、いや。イジワルしたくなる娘? この辺じゃお前くらいしかいないかなぁって」
「……」
えと、なんて返せばいいんだろう……。それは、つまり?
「まぁいいや」
……。もやもやしたままで何か終わりにされてしまった。消化不良……。
「そんなことよりさ」
手を頭の後ろに組みながら、本棚に並んでいる本を見ている。
「今日は何か予定でもあるの?」
「うーん。あるような、ないような」
「なんだそりゃ」
フッ、と馬鹿にしたような笑い方。なんとなくムッとくる。
「そういう君こそ休日にこんなところにいていいのかな?」
「は?」
私の言ったことの意図がわかっていない様子。
「美紀ちゃんとデート、しなくていいの?」
意地悪な笑みを浮かべながら言ってやった。今日はさんざんいじられたのだから、これくらいの反撃はしてもいいと思う。
「は、何で?」
ますます意味不明という顔でこちらを見てきた。手には『髪型と将来』なんて新書を持っている。
「え、あれ? だって、付き合ってるでしょ? 君と美紀ちゃん」
「いや?」
「あれれ?」
あれ? 確か美紀ちゃんって、真道くんに告白するって言ってた気が……
「ま、告白はされたけどな。だからって付き合わなきゃいけないなんてルールなんてないし」
「はぁ!?」
場所もわきまえず大声を出してしまった。でも、今はそれどころじゃない。
「あんた、学校一の美人を振っちゃったわけ?」
「学校一かは謎だけどな。ま、たぶんそういうこと」
それから長いあくびをした。そんなことどうでもいいみたいな感じで……
「き、きみねぇ! そんな、そんなのってないんじゃない?」
何でか怒りがわいてくる。べつに美紀ちゃんと親しいわけでもないのに…… これはたぶん、あの娘がどうとかそういうものじゃなくて…… たぶん、失望からくるもの……
「そんなひどい奴だとは思ってなかったわ」
はぁ、もう家に帰ろうかな。
「じゃ、私もう帰るから」
こんな不愉快な人間からは一刻も早く離れたい。相手の顔も見ないですたすたと横を通っていく。ほんと、こんな奴だとは思ってなかったな……
でも、私の体はガクンと、彼を通り過ぎたと思った辺りでとまった。
「待てよ」
振り向くと真剣な顔をしていた。思わずビクリとしてしまう迫力があった。
「な、何よ」
「……。いや、悪い」
つかまれていた手を離してくれた。今度は頭の辺りをかいている。なんだかよくわからない……
「まぁこんなこといっても仕方ないかもしれないけどさ」
相変わらず頭をかいて、視線もだいぶ上をさまよったままで見ていて奇妙だ。
「自分に好きな奴がいて、でも違う奴から告白されたとして、そのプロポーズを受けるのがいいことなのかなって……」
「なにそれ?」
そんなの、言うまでもないことでしょ。当然…… ってもしかして……
「きみ……もしかして好きな人とかいるわけ?」
なんだか不思議な気がして、目を丸くして聞いてしまった。さっき恋愛事で失望しておいてなんだけど、なんか自分からは恋愛とかしそうに見えないから……
「おかしいか?」
「いや、そういうわけじゃないこともないかな」
「ないのかよ」
こけるふりをしてみせる彼。
「へぇ。なんか、『ま、まさか!?』って感じかな」
「なんでだよ、別に人間なんだからそんなに驚くことじゃないだろ」
「おんなじ大学の人?」
「ま、一応な」
「え! え! じゃ、じゃあ、私の知ってる人?」
恋愛しそうにない奴の好きな人はちょっと興味がある。たぶん、相当な変人なんだろう。彼とうまくやっていけそうな人なんてぜんぜん思い当たらないけど。確かに見た目は悪くはないけど、私は彼に話しかけた女の子がさんこと以上の会話を続けられたのを目にしたことがない。
「うーん。知っているというのもなんかへんな感じがするな」
なんとも歯切れの悪い返事。そういう意味深なことを言われるとますます好奇心がうずく。
「じゃあね。ヒント! ヒントちょうだい! 三つでいいから」
「三つかよ」
ずうずうしいな、なんて言いながら頬をかいている。
「じゃあ私が質問するから」
彼の返事を待たないで早速考え出す。普段いじられっぱなしだから、こういうときは精一杯で反撃してやろう。
「私がその人に会うのはだいたい何時ごろですか?」
「うわ、本当にやるのかよ」
今度はこめかみの辺りをかいている。気のせいか頬の辺りが妙に明るい気が……
「その質問は難しいんだよな。まあ、あっているっていうなら朝起きてだろうな。顔を洗うならだけど」
顔? 水? ……。ぜんぜんわからない。というか、いまどきの女子大生で顔を洗わない人なんているわけがないでしょうが。毎日、顔を洗って、それから鏡で寝癖を直し…… あれ? 鏡?
その瞬間、彼の好きな人がわかってしまった。思わず耳まで真っ赤になってしまう。
「ちょっと休憩」
上ずった声でそういう。……。待って待って、早まるのはよくない。これは罠かもしれないわ。こうやっていつものようにからかっているのかも知れない。でも、こんな悪質ないたずらをするなんてのは、私の知っている彼にはちょっと考えられない……
「二つ目。その人はあなたがその人のことを好きなことを知っていますか」
「たぶん今まで走らなかったけど」
彼は相変わらず上を向いている。なんとなく、彼の目を見れない。
「三十秒前に気づいた可能性大」
も、もしかして。もしかしなくてもこれって……
「てか、これぶっちゃけ告白なんだけど」
ポンッ。頭の中から小さな爆発が聞こえる。ほ、本当に??
「み、三つ目。すとれーとかくるくる、ろんぐかしょーと、どっちが好き?」
「うん? なんか急に変わったな。そうだな…… 長さはミディアムくらいで…… まぁ、くるくるかな?」
よくわからないままに答える彼。
「そ、そっか。じゃ、じゃあね」
何か言いたそうな彼をおいて、三歩だけ前にすすで、それから、
「明日、返事するから」
振り向きはしないで言った。今顔を見られたくはなかった。こんなタイミングで躓いたりすることのないように、細心の注意をもって歩いた。後ろからかかる声はなかった。
ウィーン、と微妙に遅いタイミングで自動ドアが開いた。そのまま来た道を戻って、さっきの横断歩道を右に曲がる。ちょっと涼しいくらいだったはずなのに、汗をかきそうなほど暑い。
何も目に入らないままに、私はそこへ、もともとの目的地まで行った。
不思議とホカホカしてきたから、歩いているうちに上着は脱いでしまった。何も考えないままに目的地まで向かう。
カランカラン、手動の押しドアを開けた。タイミングの悪い自動よりはずっといい。
「いらっしゃいませ」
ちょうどいいタイミングで店員さんのあいさつ。私は相変わらず会釈をしてしまう。今日は待たないでそのまま切ってもらえるみたい。
「こちらへどうぞー」
若いお姉さんが私を呼ぶ。手には二、三冊のファッション雑誌を持っている。この店で一番カットの上手な店員さんだ。
「今日はどうしましょうか~」
親しげな声色がいい感じだ。肩の力が抜けてリラックスできる。これはもう決めている。正面の鏡を見て、彼の好きらしい相手を見て、そしてゆっくりと答えた。
「 」




