「戦力を優先する」―そう言われて勇者パーティーを抜けた俺は、最後の報告書だけを残した
本文に生成AIを使用しています。
魔王城へ向かう前夜、勇者ガレスは俺を呼び出した。
王都にある宿の一室だった。明日の朝には魔王城へ向けて出発するというのに、部屋の中には妙に重たい空気が漂っている。ガレスの隣には見慣れない女が立っていた。銀色の髪に王宮魔術師の制服。どうやら王宮から派遣された魔術師らしい。
向かいの椅子には、戦士のドランと魔術師のセリアが座っている。二人とも、いつになく口数が少なかった。
「リード。突然呼び出して悪かったな」
「いえ。何かありましたか?」
俺が椅子に腰を下ろすと、ガレスは一度だけ視線を逸らしてから口を開いた。
「明日の出発についてだ。魔王城攻略に向けて、パーティーの編成を見直すことになった」
「そうですか」
「その結果、お前にはここでパーティーを抜けてもらいたい」
部屋の中に沈黙が落ちた。
驚きはしたものの、怒りは湧いてこなかった。十年間も一緒に旅をしてきたガレスが、こういう言い方をするときには、すでに結論を決めていることを俺は知っていたからだ。
「理由を聞いても?」
「単純な話だ。魔王城は、これまで俺たちが相手にしてきた魔物とはわけが違う。これから先は、本当の意味で命を懸けた戦いになる。だから……戦えない人間を連れていく余裕はない」
ガレスの言葉は、もっともだった。
俺は勇者でもなければ、剣の達人でもない。魔法だって最低限しか使えない。この十年間、俺が担当してきたのは戦闘そのものではなく、その前後に必要となる仕事だった。
遭遇した魔物の種類と生息地、攻撃方法、弱点、使用した薬草。ダンジョンの構造や危険な場所、過去に同じ場所へ挑んだ冒険者たちの失敗例。そうした情報を記録し、次に同じ敵と遭遇したときに役立つよう整理してきた。
けれど、魔王城を前にすれば、剣を振るえない俺が足手まといになるという考えも理解できる。
「俺たちには王宮から最新の資料も提供されている」
「魔王軍についても、王宮魔術師団が長年にわたって研究しています。あなたが個人的に作った記録がなくても、攻略に支障はありません」
そう言ったのは、ガレスの隣に立つ銀髪の女だった。
「そうですか」
彼女の名前はエリナ。王宮魔術師団から派遣された優秀な魔術師だと聞いている。
それなら、俺がいなくても大丈夫なのだろう。
「リード……」
セリアが不安そうな顔で俺を見る。
「本当に、それでいいの?」
「いいよ。十年間、十分に一緒に旅をしたから」
俺が笑うと、セリアは何か言いたそうに口を開きかけた。しかし、結局は何も言わずに俯いた。
ドランも気まずそうに頭を掻いている。
「まあ……そういうことなら仕方ねえよな。お前、戦えないし」
「そうだな」
俺は苦笑した。
ガレスが立ち上がる。
「今までご苦労だったな。十年間、助かった」
その言葉だけは、嘘ではないのだろう。
「こちらこそ、ありがとうございました」
俺も立ち上がり、荷物をまとめ始めた。
部屋を出ようとしたところで、ふと思い出したことがある。俺は鞄の中から一冊の分厚い本を取り出した。
「そうだ。これを置いていきます」
表紙には、『魔王城攻略・最終報告書』と書かれている。
ガレスが受け取ると、ずしりと重そうに両手で支えた。
「なんだ、これ?」
「これまでの調査結果をまとめたものです。魔王城までの地形、魔族の巡回経路、確認されている罠、過去の討伐隊の記録。それから、魔王城内部について分かっている範囲を全部まとめました」
ガレスが数ページめくる。
隣から覗き込んだエリナが、感心したように眉を上げた。
「……随分と細かいですね」
「十年かけて作ったので」
「ですが、王宮の資料があります」
エリナは淡々と言った。
「これほど古い個人記録に頼る必要はないでしょう」
「そうですね」
俺は素直に頷いた。
「ただ、王宮の資料には載っていないこともあります。実際に現地へ行った人間にしか分からないことですから」
「例えば?」
「魔王城の西側通路は、古い地図では通行可能になっています。でも、十年前の地震で一度崩落しています。その後、魔族が補修している可能性がありますから、通るなら注意してください」
「……分かりました」
エリナは答えたものの、それ以上は何も言わなかった。
ガレスも本を閉じる。
「分かった。ありがたく使わせてもらう」
「はい」
俺は頭を下げた。
「では、皆さん。お気をつけて」
それが、十年間を共にした仲間たちへの最後の言葉になった。
◇
翌朝、俺は一人で王都を出た。
勇者たちは東へ向かい、俺は反対の西へ向かう。街道を歩きながら何度か振り返りそうになったが、そのたびに思い直した。
もう、俺には関係のないことだ。
そう自分に言い聞かせながら、小さな村を目指して歩いた。しばらくそこで休み、これから何をするか考えるつもりだった。
――勇者たちが魔王城へ向かっていることなど、もう考えない。
そう決めていた。
だが、その三日後。
勇者一行は、魔王城へ続く山岳地帯に入っていた。
◇
「地図では、この先を右だ」
ガレスが王宮から渡された地図を広げる。
「待って」
セリアが眉を寄せた。
「この地形、少しおかしくない?」
「どういう意味だ?」
「山の形が資料と違うの。地震でもあったのかしら」
エリナが地図を覗き込む。
「王宮の最新資料です。間違いありません」
「なら、右だ」
ガレスは迷わず進路を決めた。
しばらく歩いたところで、ドランが足を止める。
「……妙に静かじゃねえか?」
次の瞬間、岩陰から無数の魔物が飛び出した。
「来るぞ!」
戦闘になった。
敵は数十体に及んだが、勇者たちの実力なら倒せない相手ではない。ガレスが前衛を押さえ、ドランが横から叩き、セリアとエリナが魔法で援護する。ほどなくして最後の魔物が地面に倒れた。
しかし、戦闘を終えたセリアは肩で荒く息をしていた。
「……こんなところに群れがいるなんて」
「珍しいのか?」
ドランが倒れた魔物を見下ろす。
「ええ。王宮の資料では、この辺りは生息域じゃないわ」
「じゃあ、何でここにいる?」
誰も答えられなかった。
その夜、野営をしながらセリアが焚き火を見つめていた。
「……リードなら知っていたかも」
ガレスの手が止まる。
「何?」
「前にも似たことがあったでしょう。魔物の生息域が移動していたとき、リードが原因を見つけたじゃない」
「……ああ」
ガレスはしばらく黙っていた。
「でも、今回は問題ないだろ」
そう言ったものの、その声には以前のような自信がなかった。
◇
翌日、一行は魔王城へ続く地下通路に入った。
入口からしばらく進んだところで、突然、壁の隙間から白い霧が噴き出した。
「毒霧!」
セリアが叫ぶ。
全員が反射的に結界を張ったものの、霧は思った以上の速さで通路を満たしていく。
「どうすればいい!?」
ドランが叫ぶ。
「待って、考えるから!」
セリアは魔法を維持しながら必死に周囲を見回した。しかし毒霧は少しずつ結界を侵食している。このままでは魔力が尽きるほうが早い。
そのとき、ドランが何かを思い出したように顔を上げた。
「……そういや、リードが言ってた」
「何を?」
「この辺の毒霧は、魔法で防ぐより薬草を染み込ませた布を使ったほうが効くって」
全員が黙った。
「……薬草は?」
セリアが尋ねる。
ドランは荷物を探したが、すぐに首を横に振った。
「持ってねえ」
当然だった。
それはいつもリードが用意していたものなのだから。
結局、一行は大量の魔力を使って毒霧を抜けることになった。
通路を抜けた頃には、全員が疲弊していた。
「こんなことで……」
ガレスが息を整えながら呟く。
誰も答えなかった。
だが、魔王城に入ってからも同じことは続いた。
王宮の地図には存在しない崩落。
資料に記載されていない魔物。
何気ない床板に仕掛けられた罠。
魔力を吸収する特殊な石。
進むたびに、彼らは立ち止まることになった。
そして、そのたびに同じ言葉が出た。
「リードなら知っていた」
◇
魔王城の第三階層。
古びた壁画の前で、セリアが足を止めた。
「これ……」
壁の隙間に何かが挟まっている。
引き抜いてみると、一枚の紙が落ちてきた。
セリアは紙に書かれた文字を見て、目を見開く。
「……リードの字」
ガレスが振り返った。
「何で、こんなところに?」
紙には簡単な地図と、細かな注意書きが記されていた。
『西側通路は三十年前に崩落。現在は魔族が補修して使用している可能性あり』
『第二階層の魔物は満月の夜だけ行動範囲が広がる』
『この壁画に触れると隠し通路が開く。ただし、開いた後は五分以内に通過すること』
セリアは言葉を失った。
「……これ、全部……」
ドランが紙を覗き込む。
「リードが書いたのか?」
「そう」
セリアは紙を握りしめた。
「十年間、あいつはずっと調べてたんだ」
さらに紙をめくる。
そこには、攻略情報だけではなく、彼ら一人一人についての記録まで残されていた。
『ガレスは危険を見つけると正面突破を選ぶ傾向がある。退路を最低三本確保しておくこと』
ドランが思わず苦笑する。
「……その通りだな」
ガレスは何も言わなかった。
『ドランは負傷しても戦い続けるため、戦闘後には必ず傷の確認をする』
『セリアは魔力を温存するより、仲間を助けるために使い切る傾向がある。回復薬を多めに用意すること』
セリアの目が潤んだ。
「私たちのことまで……」
それは単なる攻略情報ではなかった。
十年間、彼らと旅をしてきた人間だからこそ書けた記録だった。
ガレスは紙を受け取り、しばらく眺めていた。
「……俺たちは、何を見ていたんだろうな」
誰も答えられなかった。
◇
そして、一行は魔王城最深部へ辿り着いた。
巨大な扉の向こうには、玉座に腰掛けた魔王がいる。
黒い鎧をまとった巨体が、ゆっくりと立ち上がった。
「よく来たな、人間ども」
ガレスが剣を抜く。
「ここで終わりだ、魔王!」
戦いが始まった。
最初の一撃は通じた。
だが、二度目から魔王は攻撃を避け始めた。
三度目には完全に読まれている。
「なぜだ……!」
ガレスが叫ぶ。
魔王は笑った。
「貴様らの動きは、すべて知っている」
勇者の剣も、セリアの魔法も、ドランの突撃も、すべてが読まれていく。
そして魔王の一撃がガレスの肩を切り裂いた。
「ぐっ……!」
「ガレス!」
セリアが駆け寄る。
その瞬間、彼女の頭に一つの記述が蘇った。
リードの報告書にあった、魔王についての一節。
『魔王は、過去に一度受けた攻撃を解析し、次回以降の回避率を大幅に上昇させる』
そして、その下にはこう書かれていた。
『ただし、初見の攻撃に対する対応速度は、通常の魔族と大きく変わらない』
「……そういうことか」
セリアが立ち上がった。
「ガレス!」
「何だ!」
「今まで使ったことのない魔法を使う!」
「そんな魔法、使えるのか!?」
「リードが術式を残してくれていた!」
セリアが杖を構える。
それは旅の途中、リードが古い魔導書から見つけ出した未完成の術式だった。実戦で使えるかどうかも分からず、ずっと封印されていたものだ。
セリアが魔力を流し込む。
複雑な術式が空中に浮かび上がり、見たこともない光が魔王へ向かって走った。
「何……!?」
魔王が初めて動揺する。
ほんの一瞬。
それだけで十分だった。
「ドラン!」
「任せろ!」
ドランが正面から突っ込み、魔王の動きを止める。
ガレスが剣を構えた。
「これで終わりだ!」
渾身の一撃が魔王の胸を貫く。
巨大な身体がゆっくりと崩れ落ちた。
静寂が訪れた。
誰も、すぐには動けなかった。
やがてセリアが、ぽつりと呟く。
「……あいつがいなかったら、私たちはここまで来られなかった」
ガレスは床に落ちた剣を見つめる。
「……違う」
ゆっくりと首を振った。
「ここまで来られたんじゃない」
ガレスは目を閉じる。
「ここまで来させてもらったんだ」
◇
魔王討伐から三週間後。
リードは小さな街にいた。
宿の一室に置かれた机の上には、一冊の本がある。
『冒険者のための魔物生態記録』
十年間にわたって書き続けた記録を整理し、誰でも読める形にまとめ直したものだった。
ある日、宿の主人が本を覗き込んだ。
「それ、売らないのか?」
「売る?」
「こんなに詳しい魔物の本なんて、俺は見たことがない。冒険者に売れば、きっと欲しがるぞ」
リードは少し考えた。
「……そうですね」
最初は十冊だけだった。
ところが、それを買った冒険者たちの評判が広がり、次は百冊、その次にはさらに多くの注文が届いた。新人冒険者からは「この本のおかげで死なずに済んだ」と手紙まで届くようになった。
やがて王都からも注文が届き始めた。
自分の知識が誰かの役に立っている。
そう思うと、不思議と嬉しかった。
そんなある日の夕方。
宿の扉が開いた。
「……リード」
聞き慣れた声だった。
振り返ると、ガレスたちが立っていた。
以前より少しだけ疲れた顔をしている。
ガレスが一歩前へ出た。
「魔王を倒した」
「そうですか」
「お前の記録がなかったら、俺たちは死んでいた」
リードは何も言わなかった。
ガレスは深く頭を下げた。
「……すまなかった」
その声には、以前のような迷いはなかった。
「お前を必要ないと言ったことを、後悔している」
しばらく沈黙が続いた。
やがてガレスが顔を上げる。
「もう一度、俺たちと来てくれないか」
リードは窓の外へ目を向けた。
夕暮れの街並み。その向こうには、まだ一度も訪れたことのない土地が広がっている。
少し考えてから、リードは首を横に振った。
「……ごめんなさい」
ガレスの表情がわずかに曇る。
「もう、あなたたちの記録係ではありません」
ガレスは何も言わなかった。
「これからは、自分のために記録を書こうと思っています」
「……そうか」
「でも」
リードは穏やかに笑った。
「皆さんが無事に帰ってきてくれて、本当によかったと思っています」
それ以上、言葉を重ねる必要はなかった。
ガレスたちは静かに頭を下げ、宿を出ていった。
◇
翌朝。
リードもまた、街を出た。
以前とは違い、荷物はずっと軽い。必要なものだけを詰め込んだ鞄と、新しいノートが一冊。それだけを持って、まだ見たことのない土地へ向かう。
街道の途中で立ち止まり、リードはノートを開いた。
最初のページは真っ白だった。
十年間、誰かのために記録を書いてきた。
けれど、これからは違う。
誰かに必要とされるためでも、誰かの役に立つためでもない。
自分が見たいものを見て、自分が歩きたい場所を歩き、そのすべてを自分自身の記録として残していく。
リードはペンを取り、最初の一行を書いた。
『世界の果てまでの旅――第一記録』
書き終えると、ノートを閉じる。
そして、前を向いた。
その先には、まだ誰も記録したことのない道が続いている。
リードは振り返らなかった。
かつて自分を必要としなかった者たちではなく、これから出会う人々と、まだ見ぬ世界のために――。
いや。
今度は、誰かのためですらない。
ただ、自分自身の人生を記録するために。
リードは新しい道へ歩き出した。




