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第七章 初めての歌

夜の風が頬を撫でた。

 広場には人の気配がなく、街灯の明かりが滲んでいた。

 雨の名残りがアスファルトに光を映し、

 その上に俺と遥の影が重なっていた。


 「……明日、日本に帰るんだ。」

 遥がぽつりと言った。

 「そうか。」

 「たった数日だったけど、君といる時間が、いちばん長く感じた。」

 俺は返す言葉が見つからなかった。

 ただ、指先がギターの弦を撫でていた。


 「最後に、もう一度だけ弾こう。」

 俺が言うと、遥は微笑んだ。

 「うん。今夜の音を、忘れたくない。」


 音が流れた。

 ギターとピアノ。

 互いの呼吸が重なり、音が夜に溶けていく。

 静かで、けれど確かな熱がそこにあった。


 演奏の途中、遥が言った。

 「……ねぇ、蓮。」

 「なんだ。」

 「君、歌ってみたいと思ったことある?」

 「俺……歌えないよ。」

 「歌ってみたことは?」

 「ない。」

 「じゃあ、まだ知らないだけだよ。」


 その一言で、胸の奥に何かが揺れた。

 俺はしばらく黙っていた。

 音が止まり、風の音だけが残った。


 「……もし、歌ったら、何か変わるのかな。」

 「きっと、変わると思う。君の中の何かが。」


 俺は深く息を吸った。

 弦をひとつ弾く。

 指先が震え、喉が自然に動いた。


 最初は息だけだった。

 けれど、次の瞬間、声が出た。

 言葉にならない想いが、音と一緒に溢れた。

 不器用で、震えていて、それでもまっすぐな声。

 それは“歌”だった。


 遥は目を見開いたまま、ピアノの音を止めなかった。

 瞳が光に滲む。

 俺の声が夜の広場に響いていく。


 歌い終えたとき、静寂が戻った。

 遠くで風が通り過ぎる音がした。


 「……なんで、自信なかったの?」

 「え?」

 「今の声、聴いた瞬間、鳥肌立った。

  多分、今すぐデビューできるレベルだよ。

  いや……国宝級だ。」


 俺は思わず笑った。

 「大げさだろ。」

 「本気だよ。」

 遥の声は震えていた。

 笑いながらも、涙が頬を伝っていた。


 その涙を見た瞬間、

 胸の奥で何かがほどけた気がした。


 「……ありがとな。」

 「ううん。ありがとうは僕の方。」


 夜空に、薄い雲の切れ間から星がひとつ覗いた。

 俺はギターを抱きしめ、静かに息を吐いた。


 初めての歌。

 それは、言葉よりも確かに俺を救った。


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