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第五章 最初の拍手

その夜、街は雨上がりの匂いに包まれていた。

 舗道の水たまりが光を映し、ネオンの色が揺れる。

 俺と遥は広場の片隅に立っていた。

 昨日と同じ場所。けれど空気は、少し違っていた。


 「本当にここでやるのか?」

 俺が訊くと、遥は小さく頷いた。

 「うん。君の音を、もう一度この場所で聴きたかった。

  今度は、僕の音も一緒に。」


 俺はギターケースを開け、チューニングを始めた。

 遥は持参した小型の電子ピアノを広場の一角に置き、コードを繋ぐ。

 街のざわめきが遠くで響く。

 けれど、この場所だけは静かだった。


 「……準備、できた?」

 「ああ。」

 「じゃあ、始めようか。」


 最初の音が、夜の空気に落ちた。

 俺のギターが旋律を描き、遥のピアノがそこに寄り添う。

 音が絡まり、ほどけ、また重なる。

 まるで、互いの心をなぞり合うように。


 人が集まり始めた。

 通りすがりのカップル、子どもを連れた家族、仕事帰りの青年。

 みんな足を止め、言葉もなく聴いていた。


 「蓮、もう少しゆっくり。そう、そのテンポ。」

 「わかった。」

 呼吸を合わせ、俺は音を少し柔らかくした。

 ピアノの和音が、それに呼応するように膨らむ。


 時間の感覚が消えていった。

 風の音さえ、曲の一部に聞こえた。

 指先が、俺たちを導いていた。


 曲が終わる。

 最後の音が消えるまで、誰も動かなかった。

 沈黙。

 そして次の瞬間、拍手が起きた。


 それは、昨日よりも大きく、温かかった。

 誰かが「beautiful」と呟くのが聞こえた。


 俺は息を吐き、ギターを抱えたまま空を見上げた。

 雲の切れ間から、星が一つだけ覗いていた。


 遥が横で笑った。

 「ねぇ蓮。今、少しだけわかった気がする。」

 「何を?」

 「君の音がどうしてこんなに届くのか。」

 「……理由があるのか?」

 「うん。たぶん、君は“言葉を探してる”からだよ。」


 俺はその言葉の意味をすぐには理解できなかった。

 けれど、胸の奥で何かが小さく鳴った。


 “言葉”――

 俺にとって、それはいつも遠いものだった。

 でも、もしその先に“声”があるのだとしたら。


 その夜の拍手が、

 俺の中で静かに何かを目覚めさせていた。


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