第三部 第十一章 もう一度、音を拾う
翌日のSOLEILは、
昨日の失敗を吸い込んだように静かだった。
扉を開けても、
聞き慣れた“ただいま”のような温かさはなく、
淡い照明の落ち着いた光だけが
古い木の床に影をつくっていた。
俺、遥、瑠美。
三人とも無言のまま店に入った。
CrossPointでの“総崩れ”。
その現実は、胸の奥に冷たく残っていた。
店長はカウンターに肘をつき、
三人の顔を見てすぐため息をついた。
「……まあ、そんな顔になるよな。」
瑠美がほとんど囁くように言う。
「……全部……ダメでした……
蓮くんの声も、遥くんのピアノも……
わたしの……ベースも……」
店長は首を横に振った。
「違ぇよ。
“ダメだったんじゃなくて、知らなかっただけ”だ。」
俺は顔を上げた。
店長の声はやさしいわけじゃないが、
昨日より確かに温度があった。
「CrossPointは特殊な箱だ。
音が散る。返る。届かない。
あそこで最初から上手くやれる奴なんていねぇ。」
遥が弱々しい声で問う。
「……じゃあ、どうすれば……?」
店長はステージを顎で指した。
「“飛ばす”練習をするんだよ。」
店長はステージに立ち、
マイクを正面に向けて軽く声を発した。
その声は、
力を入れていないのに
客席の奥までまっすぐ届いた。
「な?
でかさじゃねぇ。“方向”だ。」
瑠美が小さく呟く。
「……方向……」
「そうだ。
ギターも、ピアノも、ベースも、声も。
遠くの一点に向けて鳴らす。
それができねぇと、CrossPointでは消える。」
「よし──一人ずつやるぞ。」
・遥
遥が鍵盤の前に立つ。
昨日ならすぐに弾いていたが、
今日は深呼吸して“客席の奥”を見つめた。
音を鳴らす。
昨日と違い、
音の中心がふらついていない。
遥は目を丸くした。
「……届いてる……昨日より……ずっと……」
店長が頷く。
「そういうことだ。」
・瑠美
次は瑠美。
昨日は反響の遅れに飲まれ、
自分のどの音がどれなのかも分からなくなった。
だが今日は、
“遠くの一点”に向けてベースを構える。
低音が響く。
昨日よりも“前”へと伸びていた。
瑠美は驚きすぎて目を見開いた。
「すごい……蓮くん……遥くん……
昨日より……全然飛んでる……!」
店長は小さく笑った。
「お前はリズムを怖がると一瞬で崩れる。
でも今日のは悪くねぇ。
ちゃんと前を見れてる。」
・蓮
最後に俺。
客席の奥を睨むように見据えて、
ギターを鳴らす。
軽さは少し残るが、
昨日のように“空気に吸われる”感覚は減っていた。
そして声を前へ押し出す。
遥が驚いたように言う。
「蓮……声……全然違う。
ちゃんと前に飛んでる……!」
瑠美も嬉しそうに頷く。
「ほんとだよ、蓮くん……
昨日よりずっと……!」
店長は腕を組んだまま、
三人をゆっくり見渡した。
「昨日のままだったら本番は絶対無理だった。
でも今日の音は違う。
間違いなく──“バンド”の音だ。」
そこで店長はふっと息をつき、
少しだけ声を柔らかくした。
「……逆に考えてみろ。」
遥と瑠美が顔を上げる。
「CrossPointで最初から上手くやれる新人はいねぇ。
みんなあそこで一度、必ず崩れる。
でもな──
“あそこで最高のパフォーマンスができるようになったバンド”は
もう新人じゃねぇ。一流の仲間入りだ。」
三人とも、息をのんだ。
「お前らは昨日、
その“入口”に立っただけだ。
あれは敗北じゃねぇ。
ただの“最初の関門”だ。」
胸の奥に、
静かだけど確かな熱が満ちていく。
店を出たとき、
昨日より少しだけ暖かい風が吹いていた。
遥が言う。
「……蓮。
もう一回 CrossPoint 行こう。
今度こそ、ちゃんと届けたい。」
「行くさ。」
瑠美も拳を握り、
涙を拭いて笑った。
「わたしも……蓮くん、遥くんと……
あのステージに立ちたい……!」
俺は二人に向き直り、
しっかりと言葉にした。
「逃げない。
越える。
俺たちならいける。」
CrossPointに負けた昨日。
でも、
三人は今日、“音”を拾い直した。
ユメトセツナは、
またひとつ前へ進んだ。




